七瀬ふたたび─3

 5時間目は自習だった。
 教師にも具合の悪いものは続出しているらしい。クラスを見渡してみても、いつもの半分くらいしか居ない。勿論、サボリも含めてだが。
「ホント、今日はどうなっちゃってるんだろうね。九ちゃんは大丈夫? 具合悪かったりしない?」
「おれは全然。授業中うとうとしてるだけで睡眠不足って大分解消されるな」
「もー、ホント寝てばっかなんだから。で、自習のときは起きてるよね」
「やっちー、おれもな、寝たくて寝てるわけじゃないんだよ……」
 どうして授業中というのはあんなに眠くなるものなのか。
 しっかり睡眠を取っていても、あの空間の眠気は種類が違う。抗うことは難しい。そう、まるで化人の睡眠攻撃を受けたような。
「……睡眠攻撃に耐える訓練をすれば眠らなくなるか?」
「ええっ、危ないよ九ちゃん!」
「……うん、もう死にかけるのはごめんだけどさ」
 命の危険が迫ってても眠いんだもんな。
 あの攻撃はホントにきつい。
「あー、それにしても人居ないなホント」
 数分で更に減った気がする。
 ぞろぞろと外に出て行く生徒たち。この学校、サボリにはやっぱ寛容じゃないか。
 他の先生が見に来るわけじゃないしなぁ。
「ねー。白岐さんも夕薙くんも皆守くんも、早速誰も居ないんだもんね」
「まぁ、その3人は揃ってることの方が珍しいっていうか」
「……あの」
「ん?」
 廊下から、七瀬の声が聞こえた。
 まさかと思って振り向くが、そこに居たのはやっぱり七瀬。
「どうした? A組も自習か?」
「ええ。その間に図書館の本の整理でもしようかと思って」
「うわー、先生たちも何人倒れてんだ、これ……」
 七瀬がC組の教室に入ってくる。勿論誰も気にする人は居ない。
「先ほど八千穂さんの声が聞こえたんですが。夕薙さんなら、さっき温室の方へ行くのが窓から見えましたよ」
「温室? あいつが?」
「え〜怪しいなぁ。そういえばよく白岐さんと話してる――っていうか、一方的に迫ってるのを見かけるよね」
「やっぱやっちーにもそう見えるか」
「九ちゃんもそう思う?」
「思うっていうか……おれ、あいつに言われたことあるからなぁ。白岐には手を出すなとか何とか」
「えええっ」
 ちょっと違ったかもしれない。
 でも九龍はそう解釈をしていた。
「まぁ、あんま脈はなさそうだよなぁ。白岐の方が興味なさそうっていうか……」
 夕薙には悪いが。
 八千穂も何だか頷いていた。
「そうだよねー。白岐さんていつでも毅然としているから嫌な事は嫌って言うよね。そういうとこが格好いいんだよね〜」
 なるほど。八千穂は白岐のそういうところが気に入っているのか。確かに、しっかり断るタイプだよなぁ白岐。夕薙はめげないけど。
 それでも気になるらしい八千穂を七瀬がいさめていた。
 うん、人の恋路に首突っ込むとろくなことにはならないぞ。
 そんな経験ないけど。
「それより……実は九龍さんにお話したいことがあったんですが」
「ん? 何?」
「九龍さんは、口寄せというのを知っていますか」
「口寄せ? あの、霊を乗っ取らせる奴?」
 さすがにそれぐらいは知っている。
 恐山のイタコだっけ、と八千穂も返した。……ほら、八千穂ですら知ってる。
「その口寄せがどうかしたのか?」
 九龍の言葉に、七瀬は少し迷うように目を伏せた。
「実は近頃、毎晩のように誰かの声を聞くんです。初めは、どこか遠くから聞こえてくる声のような気がしていたのですが、よくよく考えてみるとそれはどうも私自身の口から出ていた声ではないかと……」
「……七瀬、それってやっぱり……」
 取り憑かれている。
 そうだ。朝そんな話をしていた。しかも七瀬だけではないと。
「詳しくはわかりません。ただ、その『声』は、一心不乱に何かを探しているようなのです」
「何かって何を?」
 八千穂の疑問に七瀬はわかりませんが、と首を振る。
「そこで思ったんです。私がこの何者かの霊に協力する事で、この学園の謎にまた一歩近づく事ができるのではないかと」
「おいおい七瀬……」
「そ、そんなの危ないよ月魅! 霊なんかに取り憑かれて、月魅がどうなっちゃうかわかんないし……」
「だよなぁ。そりゃ学園の謎に興味はあるし、七瀬のその探索心はマジでハンター向きだと思うけど……」
「九龍さんも、いつも危険に飛び込んでいるでしょう? 古人曰く──『為せば成る、為さねば成らぬ何事も成さぬは人の為さぬ成けり』」
「……だな」
 そう言われてしまうと、九龍に反論は浮かばない。
 危険を承知で向かっていってこそ、得られる情報はある。
 そしてより大きな危険を乗り越えていくほうがわくわくす……いや、これはおれの話だ。
「まあ何ていうか……あんま無茶はすんなよ?」
「はいっ。何かわかればお知らせしますね」
「っていうか出来ればおれも一緒に頼む」
 取り憑かれている状態で誘うことは出来ないだろうが。
 あ、八千穂が七瀬の部屋に泊まって、何かあったら連絡するとかどうだろう。
 でもなぁ。八千穂は反対派みたいだし。椎名や双樹はどうかな……。
 考えている間に、七瀬は去ってしまった。
 図書館の本の整理、とは傷付いた本を直すことでもあったらしい。霊(?)は図書館で調べものしてんのか? 霊とかいう割に随分地道な。
「やっちー、今日七瀬のとこ泊まってみない?」
「……私もそう思ってたっ。何かあったら連絡していい?」
「っつうか頼む。七瀬も結構周り見えなくなるタイプっぽいからなぁ」
 研究員タイプ。ロゼッタにはよく居る。
 だからこそ止めても無駄なのはよくわかっていた。
「じゃ、おれは温室にでも行って来る。大和が何かやってたら引きずってくるよ」
「あははっ、まあ白岐さんなら大丈夫だと思うけどねー」
「ついでに温室の花もお先にー」
「あー! ……いいもんっ、私は放課後ゆっくり見せて貰うもんねっ!」
 教室を出て行く九龍に、後ろから八千穂の声がかかる。
 6時間目は化学だからさぼりたくないんだよなー。実験は好きだ。だから、時間がないのも確か。
 九龍は足早に温室へと向かった。










「悪いが、今日という今日はおれの話を聞いてもらう」
 温室に入るなり聞こえてきた声に、九龍は足を止めた。
「……その手を離して」
 微かに聞こえてくるのは白岐の声。
 ちょっと待て、ちょっと待て、この状況……!
 九龍は慌てつつも、音を立てないようにこっそり中へと近付く。腰をかがめ、草木の陰に隠れる。
 思った通り、夕薙と白岐の姿がそこにはあった。
「白岐――。俺のいいたい事はわかっているはずだよな……」
「やめて……。離して、夕薙さん――」
 夕薙が白岐の腕を掴んでいる。
 白岐の声はきっぱり拒絶しているが……腕を振り払えていない。当然だ。そもそも力のなさそうな白岐が、男の力に敵うはずがない。
 九龍は思わず飛び出して、夕薙の腕を掴んだ。
「!? ……九龍」
「……何やってんだよ、お前」
 力をこめれば、ようやく夕薙は白岐の腕を離した。
 この2人のことをあまり心配していなかったのは、白岐の態度もあるが、夕薙自身が、それほど無茶をするタイプには思えなかったからだ。
 さっきのは、何か怖かったぞお前。
「……邪魔しないでくれないか? 君には関係ないことだろう」
「そりゃそうだけど……お前、何かおかしいぞ。どうしたんだよ」
 攻撃的な口調に思わず引きそうになるが、九龍は頭を振ってそう言った。
 夕薙らしくない。いつもなら、もっと余裕があるだろう。たとえ超常現象の話をしているときだって。
「おれが? 何かおかしいって?」
「夕薙さん……あなたは何を焦っているの?」
「何……?」
 静かな口調でそう言ったのは白岐だった。
 さすがに夕薙が固まる。
「私が九龍さんと共に在ることがそんなに不安? あなたが私に求めているのは誰かの幻影? それとも――私がこの学園にいる理由?」
「なっ……」
 白岐自身、疑問だったのだろうか。
 確かに九龍も感じていた。夕薙が白岐に向ける思いは……ただの恋とも思えない。っていうかおれと居ることがどうこうって話になるとは思わなかったが。
 白岐……そうだ、彼女は結局何者なんだ。執行委員ではなかった。生徒会役員でもない。彼女は、守られるべき存在。遺跡の……封印に関係している。
 夕薙は、それに気付いていた?
「九龍さん」
 白岐が九龍に目を向けてくる。
「あなたにとって、夕薙さんは必要な人?」
 ……何だ、その言い方。
 白岐の目は真剣で、おちゃらけて返すことが出来そうもない。
 九龍は夕薙を見ずに言った。
「そりゃ……友達だし」
 夕薙が皆守に絡んでいるせいもあって、3人一緒に居ることは多かった。
 今更、だ。
「そう……。ではこれ以上、私が口を挟む事ではないわ」
「いや、これは大和と白岐の問題じゃ……」
 だから何でおれが入ってる、と思ったが夕薙の目は九龍を見ていた。
 思わず九龍も口を閉ざす。
「九龍、君は……おれを信じるというのか?」
「だから何言い出すんだよ。友達だろうが」
「九龍……」
 え、それ否定されるのかひょっとして。
 何だよ。仲良くなったと思ってたのおれだけか?
 お前が白岐を襲ったりしないとは信じている、と続けようかと思ったが、白岐の前では言いにくい。
 夕薙は結局そのまま去ってしまった。
「可哀想な人……。あの人もまた、過去という名の重い鎖に囚われている」
「…………」
 白岐の言葉を聞きながら、夕薙の背を見送る。
 昔、何かあったことは間違いない。
 異常な超常現象嫌いも、そこから来ているのだとは思う。
 だが、それを九龍はいまだに聞けていないし、聞きたいとも思っていない。
 暗い話は苦手だ。明るい、表面上だけの付き合い──九龍がしていたのは、それか。
 白岐は夕薙の過去を知らない。それでも、何かを感じているようで、それに共感して悲しんでいる。
 おれなんかより白岐の方がよっぽど──。
 九龍は頭を振った。
 やっぱり嫌だ。こんなことを考え込むのは。
「あ……」
 そしてそこでチャイムが鳴った。
 5時間目の終了。
 九龍は顔を上げる。
「授業が始まるわ。あなたは、教室へお戻りなさい」
「ああ……うん。白岐は……」
「何?」
「……何でもない。それじゃ……」
「ええ。今日は来てくれてありがとう」
 何も言えることはない。
 白岐の声を聞きながら、九龍は半分逃げるように、温室の出口へと駆け出した。
 温室を出る寸前、木陰から男が出てくる。
「夕薙大和──。彼の本当の目的は果たして何なのでしょうね」
「おわっ……か、神鳳!?」
 そこにいたのは生徒会役員神鳳。
 驚きに足を止めた九龍を気にも留めず、神鳳は続ける。
「葉佩くん、君は本当に彼を信用しているんですか?」
「何なんだよ、お前ら。友達に信用も何もないだろうが」
 ここまで突きつけられると不安になる。
 おれは……何も考えなさ過ぎか?
 夕薙は確かに変な奴だよ。隠してることもいっぱいある。だけど……敵じゃないだろう。
「葉佩くん、君にはまだ真実が見えていない。それに辿り着く事ができなければ――、君の活躍もここまでという事です。この学園の眠りを脅かした罪は重い……。君にはそれ相応の罰を受けてもらいますよ」
 真実。そんなもの、今見えないのなら知ったこっちゃない。いつか見えるときが来るなら、それまで待つだけだ。
「……で、今日のお相手はお前か」
 それよりも、神鳳の宣戦布告と取れる言葉に九龍は反応を返した。
 まあ学園の平穏を乱したのはおれなんだろうけど。
 どうせお前も呪いにかかってるんだろう。
 なら、解放すれば終わりだ。
「なるほど。覚悟は出来ているようですね」
「お前の方は出来てんのか?」
 喧嘩を売るなら、自分が負ける覚悟もしてもらわなければ困る。
 まあ、自分が喧嘩を売るときそんなことは考えたこともないが。
 神鳳は少し笑ったようだった。
 そして、九龍を光に例えている。希望の光かぁ。敵から言われると変な気分だ。
 で、九龍の近くに居るものほど干渉を受けにくい?
 光の干渉? じゃないよな、流れからいって。
 どういうことだ、と問う前に、神鳳は去って行ってしまった。
 思考が遅すぎて言葉が挟めない。
「……あーもうっ」
 とりあえず、教室に戻ろう。
 今日の相手は神鳳。それさえわかれば十分だ。


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