七瀬ふたたび─1

「あー、だりぃ……」
「……お前昨日帰ってきたの何時だ?」
「多分3時か4時か5時か6時か」
「何だ、その幅は」
「時計見たら絶望しそうだったから見なかったんだよ。1人はきついわ、なかなか……」
 たまっていたクエストを全部終わらせたくて張り切っていたらやたらと遅くなってしまった。バディが居れば一応彼らのことも気にして帰るのだが、1人だったせいでついずるずると。特訓を兼ねて1人で潜ることはたまにあったが、いつもは寂しくてすぐ帰ってしまう。まあ、夢中になれたってことにしとこう。
「それでわざわざ朝から来たのか?」
「いや、もう正直さぼるつもりだったんだけどさぁ。何か今日寮が騒がしくなかったか? 一旦目が覚めたら寝れなくなっちゃって」
「お前、そんなに繊細だったのか」
「うるせぇ。お前だって朝から来てんじゃねぇか。何があった」
「目が覚めただけだ」
「だから、うるさかっただろ今日!?」
 実際は今も。妙に学園内がざわついている感じがする。具体的に何が、と言われてもよくわからないのだが。
 ああ、ファントムの話で盛り上がったときに似てるか?
 そういや、あいつ最近見ないなぁ。
「で、このまま次の授業受けるのか?」
「お前は何立ち上がってやがる」
「おれは屋上にでも行って来る。保健室は騒がしかったしな」
「え、そうなの」
「お前も来るか?」
「あー……行く」
 立ち上がるのも面倒だったが、まあこのまま椅子に座っているよりマシか。
 そう思い、皆守に続いて教室を出たとき、廊下から声をかけられた。
「あ、九ちゃん、ちょうどいいところに!」
「……ん?」
 八千穂だ。ほっとしたように駆け寄ってくる八千穂はいつもの笑顔がない。
「あのさ、月魅が何か具合悪いらしくって。保健室に着いて行ってあげてくれない?」
「え、どうしたんだ七瀬?」
 八千穂と一緒にそこにいたのは七瀬月魅。確かに顔色が悪い。
「ちょっと私、先生に呼ばれちゃって。お願い九ちゃん」
「あー、いいよ。じゃ甲太郎──」
 おれは七瀬を連れて行く。
 そう告げようと振り返ったのに、皆守の姿は既になかった。……あの野郎。
「それじゃお願いねっ!」
 八千穂は慌しく駆けて行く。残された九龍はちらりと七瀬に目を落とした。
 先に歩き出した七瀬は少しふらついてる。
「……休んだ方が良かったんじゃないか?」
「いえ……瑞麗先生に少し相談したいこともありまして」
「あ、そうなの。ただの風邪……じゃなさそうだな」
「……はい。最近、どうにも妙なことが……」
「妙なこと?」
 七瀬は口をつぐんだ。
 話し辛いというよりは、どう話そうかと考えている様子だったので、九龍も黙って七瀬の言葉を待つ。
 だが結局、七瀬が何か言うより早く、2人は保健室に着いていた。










 保健室はいつにも増して気配が強い。
 ベッドで眠っている生徒が何人か居るのがわかった。
 皆守や取手の姿もないのに、この気配の濃さは妙に新鮮だ。
 瑞麗が七瀬を見ている間も、何だか落ち着かなくてそわそわと辺りを見回す。皆守のせいで慣れた場所のはずなのに、人が違うだけでこうも感覚が変わるものなのか。
「ふむ……」
 やがて瑞麗は顔を上げ、不安げな七瀬に対しこう言った。
「身体的には特に異常は見当たらないが、少し気が乱れているな」
「気?」
 思わず聞き返したのは九龍だ。
 瑞麗は七瀬の後ろに立つ九龍を軽く見上げてくる。
 ここ数日、こういった症状の生徒がよく訪れてくるらしい。今保健室で寝ている生徒もそうなのだろう。
 頭痛、肩凝り、不眠。
 基本的には九龍に縁のないものだ。今朝は眠れなかったが、うるさかったからだしな。
 そう思っていると瑞麗は更に続ける。
「中には、夜中に墓地をさまよっていたり、突然、覚えのない事を喋り出したという症状の報告も受けている」
「……な、何ですかそれ」
「…………」
 思わず言った九龍に対し七瀬はその言葉を真剣な表情で聞いている。
 瑞麗はそれを……霊的障害、と言った。
 何を馬鹿な、などとは言えない。
 九龍は幽霊をあまり信じていないが、遺跡の神秘は信じている。霊的現象に見えるものは遺跡の仕業──つまり、これもそうではないかと。
 以前七瀬と入れ替わったときのことを考えると、瑞麗の言葉自体は信用出来る。
 特に最近そういった現象が増えてきているというのなら……九龍のせいなのだろうとは思う。
 七瀬が瑞麗に礼を言って立ち上がる間、九龍はもう1度保健室を見回した。
 七瀬は治療を受けにきたのではなく、やはり純粋に相談がしたかっただけなのか、薬もあるが、と言った瑞麗の言葉を断っている。無理はするな、と七瀬と──何故か九龍にも言われて、2人は保健室を後にした。
 ほとんど入れ違いに、ふらついている1年生らしき生徒が入ってくる。
 本当に、今日は保健室利用者が多いようだ。皆守が寄り付かなかったわけがわかる。
「九龍さん、わざわざ付き合ってくれてありがとうございました」
「あー、それはいいけど。もう大丈夫なのか?」
「ええ。こういった症状に悩まされてるのが私だけじゃないとわかって……安心したというわけではないですが、元気が出てきました」
「え、そんなもん?」
「ええ。この学園に原因があるというのなら……私自身で突き止めることが出来るかもしれないじゃないですか」
「……さすが七瀬だよ……」
 調べたらわかる、と言われたら、そりゃあもうおお張り切りだろう。
 ……七瀬ちゃん、これが終わったら本気でロゼッタに勧誘します。っていうか既に報告してるから。見込みありって言っちゃってるから。
 あそこには変人研究員がいっぱいいる。君は絶対着いて行けると、絶対に口に出しては言えないこと頭の中だけで呟く。
 そんなことをしていたせいで、前方から歩いてくる人物には気付かなかった。
「よぉ、お二人さん」
 七瀬が先に足を止め、九龍も思わず顔を上げる。
 夕薙大和。いつものように学ランは肩をかけ、こちらに向かって立っていた。
「大和? 相変わらず教室外でしか会わねぇな、お前」
「先週はかなり出てたんだがな? すれ違ったか」
「いやいや、おれはほとんど皆勤だぞ……! 甲太郎と一緒にすんな」
 最近屋上は寒いしな。
 日が照って、風があまり差し込まない素晴らしい場所はあるのだが、どうにも狭い。男2人で入るには窮屈過ぎて、いつも喧嘩になるので(そして皆守は絶対に譲らない)、結局九龍が屋上に行くことは減っていた。今日も皆守はあそこでぬくぬく寝ているはずだ。
「そうか。君は体の方は何ともないのか?」
「おれ? いや、別に。ほとんど徹夜で眠ぃけど」
「あの……もしかして夕薙さんも、ですか?」
「へ? あ、あー、そうか。大和も保健室か?」
「ん? おれは特に何ともないんだが……。そうか、保健室に用があったのは七瀬の方か」
「何だと思ったんだよ。七瀬、ちょっと体調悪いんだよ」
「そりゃあ、毎晩のように眠る暇もなく得体の知れないものに駆り出されていればな」
「は?」
「なっ、何故それを……!」
「え、ちょっ、七瀬、マジ?」
 ただの体調不良ではなさそうだったが。
 どういうことだ。何をしてるんだ七瀬。
 七瀬は九龍を見ると少し俯いた。先ほどお話しようと思ってたんですが、と小さく呟く。ああ……保健室に行く前に言っていたこと。
 それを何故夕薙が知っているのか。
 夕薙はこともなげに君だけのことじゃない、などと言い放つ。
 先ほど瑞麗から聞いた話。墓地をふらつくもの、覚えのないことを喋るもの──霊的障害。
 ……何かに乗り移られてるとでも?
「夕薙さん、何か心当たりがあるんですか?」
「ああ……どうも墓守のじいさんの目を盗んで墓地を荒らした奴がいるらしい」
 夕薙の言葉にぎくりとする。
 だが、九龍は「墓地」を荒らした覚えはない。確かにほとんど毎晩向かってるけど。入ってすぐ遺跡に行くだけだもんな。大体今更だよな。
 そう思ったが、夕薙が続けた言葉には益々体を強張らせる。
 掘り返したとかそういう話じゃないらしい。
 気の感じ方が違うと。
 瑞麗先生みたいなこと言うなお前。
 って、そんなことはどうでもいい。何かが解放された、ような、だって?
 ……双樹の守っていたエリアまで解放し、遺跡はとっくに半分以上が開いている。それで、何かが吹き出したのか。それが生徒たちに影響を与えているのか。
「おれは祟りだの呪いだのなんてのを信じているわけじゃないが、何らかの大きな変化を感じ取ってしまったのは確かだ。一応、九龍には伝えておいた方がいいと思ってな」
「……そりゃどうも。お前、おれを何だと思ってんだ?」
「君に関係ある話かと思ったんだが」
「……何ていうか、やっぱお前とは一度ゆっくり話した方がいいよな」
 何だかずるずるとよくわからないまま仲良くなってしまっているが。
「そうか、それじゃあ今からするか?」
「あ、あの九龍さん。出来ればこれから少し……一緒に図書館に行って欲しいのですが」
 夕薙の言葉にかぶせるように七瀬が少し慌てて言う。
 最初からそのつもりだったのだろう。
 夕薙と七瀬を見比べて、九龍は言った。
「……女の子優先で」
「九龍さん……!」
 ありがとうございます、とはっきり言わないまでも笑顔で伝える七瀬。
 それに夕薙は苦笑した。
「それじゃあおれもそちらに混ぜてもらえないか? 九龍や君らが何をしているのかはおおよその見当が付いている。俺もこの学園の地下にあるものには、大いに興味があるんだが」
 やっぱりわかってんのかよ。
 夕薙の言葉には九龍もつい苦笑いが浮かぶ。
 まあいいか、ここでそろそろ情報交換といこう。夕薙が何を知っているのか、知りたい気持ちもある。
 だが、七瀬は少し難色を示した。
 まあ夕薙は超常現象毛嫌いしてる男だからなぁ。しかも嫌うために調べているようなものだ。なまじ詳しい分、七瀬には許せない存在だろう。知識による反論が効かない。この2人の議論はちょっと見てみたい気もするが……。
「まぁ……多分こいつの話も役に立つよ。ってかおれがちょっと聞いてみたい。否定派の意見も参考になるもんだぜ」
「……九龍さんがそう言うなら」
「大和も、あんま喧嘩越しになんなよ?」
「おれは思ったことを言っているだけさ」
 七瀬からの少しぴりぴりした雰囲気に緊張しつつ、3人は図書館へと向かう。
 そこで九龍は単刀直入に夕薙へと言った。
「おれはトレジャーハンター。この学園の遺跡に眠る秘宝を奪いにやってきた」
 室内に入るなりの九龍の発言に夕薙は一瞬呆気に取られたようだ。
 そんな顔をさせたことが楽しく、つい笑みが浮かぶ。
「驚いたか? 驚いてないか? で、ついでに聞きたい。お前、おれのことなんだと思ってた?」
「…………ただの転校生じゃないとは思っていたが」
 しばらく沈黙したあと、夕薙はようやくそう返した。
「なるほど、トレジャーハンターか。君は初めからこの学園に眠る秘宝を目当てにやってきたという訳か」
 そして、夕薙の顔にも面白そうに笑みが浮かぶ。
 余裕を取り戻したらしい。
「まぁな。既に遺跡には何度か入ってんだけど。お前も今度行くか?」
 積もる話はそこで、と思っていたとき七瀬が声を上げた。
「その遺跡について……少しお話したいことがあるんです」
 夕薙に正体をばらしたことで遠慮もなくなったのだろう。
 七瀬が本と一緒に持っていたノートを取り出し、机の上に広げる。
 九龍は遺跡の形などまるで気にしていなかったが──それは、逆ピラミットになっているのではないか、と。
 慌ててHANTを取り出した。そこには今までに踏破してきた全ての区画の細かい情報が載っている。地表からの深さまでしっかり表示されていた。七瀬の言う通りに並べてみると……確かに、そうなっている。
「もう随分前のことになりますが……九龍さんは、私が天香山について話をした事を覚えてますか?」
「天香山……あの、天を欠く山ってのは覚えて……あっ」
 天を欠く山。
 地下に向かうピラミッド。
「……凄ぇ。それで、多分間違いないぜ七瀬……」
 HANTで並べるとより顕著だった。
 七瀬は頷いて更に続ける。
「あの遺跡がピラミッドであるならば、その意味はより重要なものになるでしょう。エジプトのピラミッドとは王の魂が天へと登るための階段と考えられています。それが地の底へと向っているという事は……」
「地へ……地獄?」
「地中深く封じられたもの、か」
 九龍より夕薙の方がわかってそうだった。
 そうだ。遺跡には何かが封じられている。それは既にわかっていることだった。遺跡に刻まれた神話も……おそらく意味がある。そう、七瀬たちは話し始めた。
 神々の歴史を辿りながら地下へ降りていく遺跡。
 神世七代、伊邪那美の死、三貴子の誕生、須佐之男命と八俣遠呂智、因幡の白兎と大国主神、天若日子の造反、建御雷之男神の侵攻、邇邇芸命と木花佐久夜毘売・石長比売の婚姻……。
 ちょっと待ってちょっと待って。
 相変わらず流暢に流れる七瀬の言葉に、思わず両手を挙げたくなる。
 神話は大分勉強したけどな? そりゃあもう、いろいろ知ったけどな? 音で聞くとわけわからないんだよ、せめて漢字見せて……!
 などと言えるはずもなく、2人の会話を分かったような顔で聞いて頷く。
 知識の範囲はホント似てるんだよな、この2人。向かう方向が真逆なだけで。
 次は神武東征?
 うん、ちゃんと勉強するから今日は勘弁して。
 ほら、もうチャイムが鳴る。
「ん?」
 思った瞬間、本当にちょうど休み時間が終わった。
「あっ、す、すみません、つい夢中になって……」
 七瀬が慌てて立ち上がる。
 もう元気そうだ。顔色も随分良くなっている。この子にとって、こういう話が一番元気の素なんだろうか、やっぱり。
「九龍さん、今日は本当にありがとうございました。また、遺跡のことで何かわかりましたら……」
 図書館を出ながら、七瀬がもう1度振り返った。
「あー、相談する。ってか相談しないとわかんねぇし、おれ」
 神武東征。この間借りた本にあったかな。読んだ覚えがないな。
「はい。私の知識が必要でしたら、いつでもどうぞ」
 それでは、と七瀬は慌しく去って行く。
 九龍と夕薙はそれをしばらく見送りながら立ち止まっていた。
「さて、それじゃおれは用事があるから行くよ」
「お前、またさぼる気か」
「君は授業に出るのかい?」
「……次は別に雛川先生じゃねぇしなぁ」
 九龍がさぼるのは、こうして教室に行く前にチャイムが鳴ってしまった場合が多い。
 それをわかっているのだろう夕薙は、九龍の反応に笑って去ってしまった。
 あいつはいつもどこに居るんだろう。
 ……どうせ暇だし、つけてみるか? 夕薙自身のことは全然聞けなかったしな。
 そう思って歩き出したとき──突然背後から光が差した。
「開けないで……開けないで……」
「……お前ら……」
 悲しそうな顔の双子。
 遺跡の精霊。
 また……忠告か。
 もう無理だ。ここで止めるわけにはいかない。墓守が悲しい存在だと言いながら放っておけとでも言うのか。墓守はこのままにしておくのがいいなど──思えない。
「……ごめんな」
 そう言うと、双子は一層悲しそうな顔になった。
 王を静かに眠らせてあげて、と。双子はそう言う。
 ……眠らせて?
 悪い奴なんだろ?
 封印されているというならそうだろうと、九龍は単純に考えていたが。
 双子は言うだけ言うと、またすうっといつものように消えてしまう。
 ……今度会ったとき用に質問でもまとめておくかな。
 頭をかきながら歩き出したとき、階段側から気配を感じた。
「……喪部」
 明らかにこちらを興味深そうな目で見ている。九龍は思わず一瞬振り返った。
 さっきの双子……見られてた?
「キミ──今、誰と話してたんだい」
「……ええと、妹」
 ツッコミ待ちの適当な返答をしてみたが、喪部はそれには何も言わなかった。
 流すなよ。
「やはり君は他の奴らとどこか違うね。初めて見たときから君には興味があったんだ」
「いや、お前おれのこと知ってんじゃねぇの?」
 ゆっくり近付いてくる喪部の言葉に首を傾げる。
 挑発されてるとすら思っていたのに。でもよく考えれば、あれ以来特にちょっかいをかけてきてはいない。隣の席だけど、滅多に見ないせいで存在を忘れかけていた。
「そうだね。君からはぼくに近い匂いを感じるよ。どうだい? ぼくと同じ秘密を共有してみないかい?」
 バディになるってことか? こいつ、獲物の横取り狙ってるようにしか見えないんだけど。
 気のせいなのか?
 いや、どちらにせよあまりお近づきにはなりたくない。
「……とりあえず、ごめんなさい」
 なので断ってみた。
 喪部はその返答に低く笑う。……まあウケたわけじゃないよな、多分。
「くくく……まあ、話したくないならそれでいいさ。臆病なハンターほど長生きすると言うしね」
 喪部はそれだけ言うと去って行ってしまった。
 ……やっぱ知ってんじゃねぇかよ、お前……。


次へ

 

戻る