六番目の小夜子─4

「やれやれ、何で俺まで追い出されてるんだか……」
 一緒に保健室を出てきた皆守が愚痴る。
「いや、もう下校の時間だろ」
 結局今日の皆守は1度も授業に出ていない。最近じゃ久々じゃないか、こういうの。
「ってか、やっぱ匂いくるなぁ……」
 保健室を出た途端漂ってくるあの香り。
 せっかく思い出した白岐のこと、また忘れたくはない。どうしよう。とりあえず鼻つまんどこうか。
「……何やってんだお前」
「いや、匂いが問題ならこれが手っ取り早い対処法じゃねぇ?」
「ずっとそうしてる気かよ」
「まあとりあえず解決するまで。甲太郎、これから時計台なー」
 白岐がそこに居るかもしれない。
 さすがに会えば、忘れてしまうこともないんじゃないだろうか。
 皆守はゆっくりとアロマを吹かしながらその言葉に頷く。
「ああ、やはり答えはそこに──」
 言いかけた皆守が突然言葉を切った。九龍も思わず足を止める。
 廊下の先、コートを着た男が威圧感むき出しにそこに居る。
 阿門帝等。
 ……ああ、くそ。鼻つまんだ格好で会いたくなかった。
「葉佩九龍……どうやら再三にわたる忠告は全て無駄だったようだな」
「…………」
 低い声で淡々と言う阿門には何の感情も見えない。
 何だよ? やろうってのか?
 おれのこと、泳がせてたのはお前じゃないのか?
 夜会に呼んで踊らせたりして……なめてんだろ、おれのこと。
「執行委員を解散させただけでは飽き足らず、尚も学園の秩序を乱すか、転校生よ」
 近付いてきた阿門が僅かに強い声でそう言う。
 さすがに九龍は反発した。
「ああ? 秩序乱してんのはお前らの方だろ」
 今回のこと。
 一般生徒たちも巻き込んでの記憶操作。
 それが九龍の責任だとでも言うのか。
 学園内のおかしな雰囲気を作り出しているのは間違いなく生徒会だ。あとはファントムか。九龍が来たから、などと言われても納得は出来ない。九龍が墓に入ることで──何が起こってるっていうんだ。
「生徒会が何したいのか知らねぇけど。やるなら一般生徒巻き込むなよな……!」
 白岐が何をやったか知らないが。
 むしろやるなら……もっと完璧にしろ。
 誰かを忘れている、そんな思いだけが残るなんて酷過ぎる。
 勿論本当に全てを忘れさせられていれば、それはそれで残酷だと言ってやるけど。
「おれには阿門の名と生徒会長という立場に懸けて、この学園の秩序を正す義務がある」
 阿門は九龍の強い口調にもほとんど反応を示さず、そう言った。
 九龍は一歩前に出る。
「……これが正しいって言いたいのかよ」
 やっぱもう、ここで戦うか?
 丸腰だけど、相手も今は墓に居るわけじゃない。っていうかこいつも……墓守なんだよな?
 思ったとき、九龍より更に一歩前へ……皆守が踏み出した。
「……甲太郎?」
「俺は、九龍が転校してきた時から、その動向を近くで見てきたが、少なくともこいつに悪意はない。こいつの言葉に、行動に救いを見出した者がいることも確かだ」
「な、何言ってんだよお前……」
 そりゃそうなんだけど!
 まさか、皆守に庇われるなんて思わなかった。
 皆守の視線に、阿門が僅か戸惑うように乱れる。
「……お前のような奴がそんなことを言うとはな」
 だよな。おれもびっくりだ。
 ってか阿門、皆守のこと知ってるのか。いや、まあ学園の生徒なら知っててもおかしくはないよな。でも皆守、やっぱり何気に目付けられてるんじゃないか。
 阿門はしばし考えるように沈黙したが、直ぐにポケットに手を入れて、九龍に何かを投げてよこした。
 ……鍵?
「おれの家の鍵だ」
「は?」
 話をしてみたくなった? いつでも来いって? 何だそれ。何かの罠か?
「……じゃあ今度甲太郎と一緒に行きます」
「何でだ。おれを巻き込むな」
「だってお前もお仲間認定だろ、どうせ」
「…………」
「…………」
 そこで何で2人して沈黙する。
 あれ、生徒会的には皆守って巻き込まれてるだけの認識? 何だよ、敵対視されてんのおれだけか?
 安心するべきところなのにちょっと寂しい。
 こいつが遺跡で何やってるか教えてやろうか。
 って、そういえばこいつ全然手伝わねぇんだった……! アドバイスはくれるんだけどなぁ。実際動かねぇよなー……。
 阿門が去って行ったあと、ちょっと気になって皆守に尋ねる。
「お前さ……やっぱりこれ以上、」
「何だ?」
「……いや何でもない」
 巻き込めば巻き込むほど、生徒会に目を付けられる確率も上がる。
 九龍はどうせ一緒に探索してるんだから、と今更気にしてなかったが……まだ九龍さえ止めればいいと思われている段階なら、早めに皆守たちを切り離した方がいい。そうすれば、九龍が負けたとしても皆守たちに害は及ばない。
 皆守はただでさえ普段からおれを巻き込むな、などと言ってるわけだし。
 ……ああ、ひょっとしたらそれは生徒会に対する言い訳だったのかもしれない。
 自分は関係ないと。
 それでも……やっぱり言えない。
 もう着いてこなくていい、なんて。
「どうした? 時計台に行くんだろ?」
「あ? ああ……。行くよな? お前も行くよな?」
「何言ってんだ今更……」
 皆守に先導されるような形で時計台へと向かう。
 ……いや、やっぱこいつ積極的に関わってることも多くないか。
 うん、気にしすぎだ、ということにしておこう。










 時計台も入るのは初めてだ。
 外から眺めてみたが、窓から見えたというなら一番上か。
 鍵が開いていることを確かめ、2人は中へと侵入する。
 そこには、一人の女生徒が立っていた。
「……双樹」
「やっぱり来たのね。葉佩九龍」
 双樹は微笑みながらこちらをゆっくりと振り向いた。匂いが、濃くなってい る。
 それでもさすがに女性の前で鼻はつまめないか。
 とりあえず、とっととこの香りを何とかして貰おう。
 そう思って口を開きかけたとき、双樹が先手を取るように言った。
「ねぇ、葉佩。あの夜は楽しかったわね」
「……それを言うか……」
 ほとんど覚えてないけど。
 意識しないように、ということばかり意識してたから。
 結局双樹、阿門とすら踊ってなかったんだよな、そういえば。
 敵対することを少し残念そうに惜しまれて、九龍は固まってしまう。
 微妙な空気になった2人の間に割って入るように、前へ出たのは、皆守だった。まるで九龍を庇うような位置に、ふと自分が七瀬の姿になったときのことを思い出した。
 ……こいつ、いつもおれの後ろに居るもんな。
 皆守の背を見ることは、結構珍しい。
「いよいよ役員のお出ましか。そんなに九龍が邪魔なのか?」
 むしろ邪魔になってきた、というところだろうか。
 今まで役員は手を出しては来なかった。停学なり退学なり、ここの生徒会ならやれるだろうに。
 九龍に笑みを向けていた双樹は、その言葉にすっと表情を冷たくする。
「……あなたは黙っていてちょうだい、皆守甲太郎」
 うお、何だ皆守、嫌われてんのか。
 冷たい声に、九龍の方がびくりと反応してしまう。
 ああ、でも双樹にも知られてるんだなお前。何かやけに双樹たちのこと詳しいと思ったけど。元々知り合いだったのか。
 皆守は双樹のそんな声を気にせず、生徒会の目的について聞いている。
 生徒会が本当に守ろうとしているのは、この学園でも生徒でもなく……あの遺跡だろうと。
 それはそうだ。確かにそうだ。
 執行委員の暴走を放っておいたのも、そういうことなのかもしれない。
 一般生徒がどうなろうと……知ったことじゃないと。
 何だか段々怒りが沸いてきた。
 ああ、あいつの言った秩序って……つまりは遺跡の秩序かよ。学園の秩序がイコール遺跡か。ならば、九龍が問題視されるのも当然か。
「ふふっ」
 強い口調で白岐のことまで尋ねた皆守に、双樹がふと笑いを漏らした。
「……何がおかしい」
「どうして急にそんな事を言い出すの? あなたは毎日、ただぼんやりとラベンダーの香りに埋もれて時を見送っていただけだった。何の希望も持たず、生きていくことさえ面倒なのではなかったの?」
「…………」
 双樹の言葉に九龍の方が絶句した。
 何だそれ。そこまで……だったか? 確かに物憂げな雰囲気はあるけれど、おせっかいでツッコミ気質で、意外にアクティブな面もある……そんな奴じゃないのか。
 九龍はふと、皆守のアロマが精神安定剤と言われていたことを思い出す。瑞麗の皆守に対する扱いといい、皆守は……本来そういう人物なのか。昔は、ということかもしれない。でも何だか想像が出来ない。
 何も答えない皆守に、双樹は見切りを付けるように視線を逸らした。
 皆守もそれ以上問いかけることはない。
 どうせ聞いたって……無駄なのだから。
 双樹は生徒会の役目も学園のことも関係なく、ただ阿門に従っているだけらしい。
 ああ、だからこそこんなことが出来るのか。
 さすがにこれを正義のためとか言えないもんな。
 ……あんな奴、どこがいいんだよ。
 つい九龍はそんなことを思う。
「ねぇ、葉佩。あなたはどうしてここに来たの? 彼女は、あなたにとってそんなに大切な存在?」
 彼女?
 白岐のことか?
 確かに大切だよ。八千穂が彼女のことを忘れて落ち込んでいる。九龍も夕薙も雛川も、みんなずっともやもやした気持ちを抱えている。
「……人ひとりの存在消しといて、それかよ……」
 そしてその白岐本人が、今一体どういう扱いを受けているのか。
 考えたくなくてあえて目を逸らしていた部分に、つい思いがいってしまった。
「白岐はどこだ? ってかこの香り、何とかしろよ」
「……ねえ、あなたはこんな神話を知っているかしら」
「?」
 九龍の言葉をさらりと無視して、双樹は神話の話を始める。
 木花佐久夜毘売と岩長比売の話。
 美しくも儚い木花佐久夜毘売と醜いけれど悠久に傍にあり続けてくれる岩長比売と、自分ならどちらを選ぶかと聞いてきた。
 ……その神話、初めて聞いたときも思ったけどな。
 岩長比売って正直二重苦じゃねぇ?
 永遠なんて、要らないよ、おれは。
「……まー、付き合ってみないとわかんないな」
 だけど美しい方、とも答えにくくて適当にごまかした。
 いや、だって実際なぁ。どんな子かもわからないわけだし。
 そう言うと双樹は笑った。堅実だなんて言われてしまう。
「それがお前が遺跡から手に入れた知識か?」
 そして皆守の言葉にはっとした。
 遺跡に書かれている神話。双樹は、自分のエリアでそれを見たのか。
 本当に……あの遺跡は、一体何なんだ。
 同じことを感じている皆守の問いに、双樹はまた、表情をなくした。
「残念だけど、あたしにはあなたの問いに答えてあげることはできないわ。でも、あなたたちを不毛な疑問から解き放ってあげることはできる」
 懐から取り出した小さな瓶のようなもの。
「ちょっ、待っ──」
「もう彼女のことなど忘れてしまいなさい」
 双樹の言葉と共に辺りに立ち込める濃い香り。
 慌てて口も鼻も塞いだが、それでも、くらりと頭が揺れる。
 何、だ、これ、まずい……。
 意識が朦朧としてくる。目の前の双樹の姿が、もうはっきりと見えない。
 まるで香りで膜が張られたみたいだ。
「白……岐……」
 もう忘れたくない。あの香り、あの香りを何とかしないと。
 思うのに体は動いてくれない。
「これであなたたちは再び忘れる。彼女のことも、遺跡のことも、あたしのことも、ね……」
「ぐっ……」
 冗談じゃない。冗談じゃ……。
「九龍っ!」
 体の力が抜けた。
 もう、頭が、働か、
「オーホホホホッ!! そうはいかないわよぅ!」
 そのとき、耳に響くその声と共に、香りが一瞬霧散した。
 代わりに辺りに立ち込める、嗅ぎ慣れた匂い。
 ……薔薇?
「す、どう」
 朱堂ちゃん!
「このアタシの高貴な薔薇の香りに勝てる匂いなどないわ……双樹咲重、あなたの負けよ……!」
「朱堂ちゃん……!」
 ようやく力を取り戻した九龍が声を出して叫ぶ。朱堂は九龍を振り返り、笑った。
「九龍ちゃんっ、大丈夫?」
「た、助かった……」
 朱堂の薔薇の香りが、辺りの匂いを蹴散らしたのだ。
 凄ぇ。凄ぇよ朱堂ちゃん。
 皆守のラベンダーなんか目じゃないぐらい凄い。
「ありがとうマジで。そうか、朱堂ちゃんも香りは効かないのか……」
 口にくわえてるか胸に差してるか。確かに、常に薔薇を持っている。
 まさか抱香師にまで勝てるとは。
「そうよっ、さあどうするの? 双樹咲重っ」
 朱堂はそこで双樹の方に向き直る。少し呆れたようにこちらを見ていた双樹は、改めて朱堂を見て言った。
「ねぇ、朱堂ちゃん。あなた随分と葉佩がお気に入りのようだけど……どうしてなの?」
 おれがいい男だからじゃないですか。
 頭の中でだけ答えを返す。
 朱堂の答えは……聞きたいような聞きたくないような。
「あらやだ。あんたともあろう人がこの匂いに気付かないの?」
「匂い……?」
「そう。九龍ちゃんからはね……自由の匂いがするのよ!」
 ……何だそれ。
「……そりゃ、確かにくさいな」
 皆守、この野郎。
 朱堂もそれに怒っていたが、いや、自由の匂いってのもなぁ。
 みんなが感じているらしい、おれの只者じゃない気配ってのが、朱堂ちゃん流にはそうなるのか?
 朱堂の言葉を呆れた視線で見ていた双樹が、やがてふっと表情を崩す。
「ふふふっ。いいわ。ここは朱堂ちゃんの愛の力に免じて退いてあげる」
 いや、香りが効かなかったからだろ?
 そう言ってくださいお願いします。
 朱堂ちゃんがとても満足げに笑ってるんですが。
 どうしようかなぁ。借り作ったなぁ。
「その代わり葉佩……必ずあなたが彼女を守りなさい」
「は?」
「これ、預けておくわね」
 双樹が九龍に何かを投げてよこす。これは……鍵?
 また、鍵か。
 双樹はまた会いましょうなどと言ってそのまま去って行った。待っている、か。
 今日、彼女はあの場に居るのだろうか。
「……甲太郎ー、今日な、」
「……あー、わかった」
 言わなくても通じる。ありがたい。ありがたいが、それを見て朱堂ちゃんが怒ってるのが複雑だ。
 大丈夫、お前の言いたいことも多分結構わかるぞ。わかりたくないけど。
「ええと、それじゃ朱堂ちゃん──」
「ええ、私はそろそろ帰るわね。こんな埃っぽいところにいたらお肌に悪そ う……」
 朱堂がしなを作りながらそう言う。
 ホント、慣れたなこの感じ。
「それじゃ九龍ちゃん……浮気しちゃいやよ?」
「だ……」
 誰がするか、と一瞬返しそうになった。
 違う。その返しは違う!
「あほかっ、とっとと行けっ!」
「ほほほっ、それじゃまたねん」
 ちゅ、と投げキッスをして。
 朱堂はその場から去って行った。
 あとには薔薇の香りだけが残される。
「……何か力抜けたわ」
「……おれもだ」
 早く、白岐を迎えに行こう。


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