月光の底─3

「……墨木は勉強が苦手、か」
 昼休みに入り、椅子に座ったまま入ってきたメールを眺める。隣の空席に勝手に座っていた皆守が、なんだ? と覗き込んできた。
「いや、墨木が居残り勉強中だって」
 そして九龍に指導を求めている。
「ああ、ホントに馬鹿だな、お前に聞いたって仕方ないだろうに」
「それについては反論の仕様がない」
 まだ小テストぐらいしか経験のない九龍だが、0点が珍しくないという体たらくだ。かろうじて平均より上を取れるのが英語、という辺り2年間の海外生活は無駄ではなかったなぁと思う。皆守からは2年居てそれか、と言われるが。これでも会話はかなりやれるんだぞ。
「ところで皆守昼ご飯は……って、あれ?」
「よぉ、葉佩」
「……大和。お前4時間目どこに行ってたんだ」
 昼休みになって堂々と教室に帰ってきたのは夕薙だった。その後ろから白岐も入ってくるのが見えて、ちょっと驚く。
「え、2人一緒だった?」
 何か野暮なことを言ってしまったのだろうかとちょっと引きつりながら言うが、夕薙は軽く笑って返す。
「……いや。そこで会っただけさ」
 軽く後ろを振り返る。廊下か。
「私はさっきまで保健室に……」
「え? 夕薙、保健室に行ったんじゃなかったのか?」
「ん? おれがか?」
「夕薙さんは来てなかったと思うわ」
「何だ、てっきり……」
 っていうか、それじゃあホントにどこに居たんだ。
 保健室じゃないなら体調悪くて、は使えないぞ。
 白岐はそれだけ言うとすっ、と3人の間を通り過ぎて自分の机へと向かう。そこでお昼にするのかと思えば、カバンを持って再び出て行った。
 帰るのだろうか。
「結局サボリかよ。雛川には見付からなかったのか?」
「雛川先生も4時間目は授業中だろう。お前こそ、真面目に授業を受けてたのか?」
 皆守と夕薙はそちらを気にすることなく会話している。
 九龍も直ぐに視線を戻した。
「そうそう、皆守、今日は全部出てんだぜ。凄いだろ」
「お前が言うな」
「じゃあお前が言え」
「凄いだろ」
「ホントに言うのかよ!」
「いや、でも……本当に珍しいじゃないか。このまま午後の授業も出るのか?」
「さあな」
「おれはそろそろ限界かも」
「おいおい、君が先にへばってどうする」
「だって今日は遺跡……いや、夜会もあるしさー。午後は夜に備えて寝るって手もあるよな」
 半ば本気でそう言う。皆守はそれに呆れた目を向けた。
「そもそも夜会なんて出なけりゃいいんだがな。あんなもんに出るぐらいなら部屋で寝てる方がよっぽど有意義だろ」
「そりゃお前はな。夕薙は? お前も出る気はないんだろ?」
「まあな。生徒会主催の夜会なんて、マナーだのなんだのがうるさそうだしな」
「ああ、確かにそうかも。うわ、そういうのだったら嫌だな……」
 椅子に座って運ばれてくるディナーをマナーに沿って……考えただけで嫌だ。これは……ちょっと様子見して場合によっては帰るか? 八千穂だってそういうのは苦手だ。そうに違いない。
 でもそんなんだとみんな喜んで参加しないんじゃないか。堅苦しいのは苦手だろ。高校生。
「……何だ? サボリが多いのってそういうことか……?」
 と言っても夕薙と皆守が言ってるだけだが。
 夕薙は頷いていた。
「そうだな。生徒会の連中も、人を呼びたいと思うなら夜会じゃなく昼会にすればいいんだ」
「昼会? 昼飯かよ」
「ああ。午後の授業を全部中止にして、気軽な立食パーティー。どうだ、その方がいいだろ」
 夕薙の言葉に九龍は大きく頷く。
「いいな、それはマジでいいな。午後の授業中止ってのが特にいいな」
「そんなもん、サボってマミーズで食べても大して変わらないだろ」
「そりゃお前はカレーがありゃいいもんな! どうだ? 様々なカレーのある立食パーティーなら」
「…………」
「考え込むな、そこで」
 真面目な顔して悩む皆守に呆れる。
「ははは、甲太郎を呼ぶならカレーが一番だな」
「なー。ってか言ってたらさすがに腹減ってきた。夕薙、もう昼食ったのか?」
「いや。さっき売店で買ってきたよ」
「あ、ホントだ。皆守は?」
 皆守は黙って机に下げてた袋を取る。既に買ってあったらしい。
「何だよ、2人ともパンかよ。おれ買ってねぇ……」
 買いに行くしかないか、と思ったとき夕薙が言った。
「コッペパンならあるぞ? 売ってやろうか」
「マジで? あー、頼むわ」
 下まで降りるのも面倒くさい。
 最近夜に校舎内に入ってパンを購入することが出来るようになったので、却っていつでも買える、と補充を怠っていた。ありがたく夕薙からコッペパンを買い、3人はそのまま屋上へと向かった。
 屋上はもう寒い季節だが、今日は日も出ているし、何となく教室ではあまり食べる気になれない。
 午後を寝て過ごすには気温は低いかなぁ。
 そんなことを思いながら屋上の扉を開け、九龍はそこで固まった。
「? どうした、葉佩」
「何やってるんだ、早く行け」
「いやぁ……」
 皆守に蹴られて九龍はとりあえず屋上へと出る。続いた皆守が、げ、と小さく声を上げるのがわかった。
「あら? こんにちは転校生さん。葉佩九龍──だったかしら?」
「あ、あはは、こんにちは〜……」
 屋上には双樹に阿門。そしてトトの姿があった。
 何。生徒会作戦会議か何かですか。
「これからお昼? ちゃんと授業は受けてたのね」
 双樹はちらりと九龍の後ろに目をやる。
 サボリ常習犯はどちらかと言えば後ろの2人だ。
 九龍も同じく皆守に視線を移す。
 どうする? と目で問えば、皆守は肩を竦めた。
「下で食べようぜ。ここは寒いしな」
 ここまで来てその言葉もどうかと思うが、九龍は頷いておいた。
 落ち着いて食べれるか!
「あら、帰っちゃうの? ねぇそれじゃ……その前に一つ質問いいかしら?」
「……何?」
 僅かに緊張して聞く。
 双樹は笑いながら言った。
「ジャスミン、ローズマリ、ラベンダー……あなたの好きな香りはどれかしら?」
「は? え、何って?」
「ジャスミン、ローズマリ、ラベンダーよ」
「……ラベンダーしかわかりません」
 名前言われても。香水か?
 ラベンダーはあれだ。皆守のアロマが確かそんな奴だ。さすがにもうこの匂いは覚えている。
 そう言うと双樹はわざわざそれぞれの効能を説明してくれた。
 昂揚感だの治癒力だの癒しだの。
「……どれも必要ないなぁ、おれは」
 っていうか皆守の香りで癒された覚えもないな。皆守がセットだからか。
 双樹がまたいくつか香りを上げ、それにも首を傾げていると、九龍に興味が沸いて来たなどと言い出した。
 ……こういうタイプの言うことは間に受けちゃいけないよな? 多分。
 浮かれちゃ駄目だと言い聞かせ、曖昧に頷くだけにしておく。
 そのまま3人で屋上を後にし、結局何故か保健室で食べることとなった。
 当然瑞麗には文句を言われたが。
 ついでに瑞麗から、夜会では毎年怪我人や倒れる者が相次いでいるという話を聞いた。
 ……何だかどんどん不安になってきた。










 結局午後の授業はサボリ、6時間目終了のチャイムが鳴ってから九龍は教室へと向かっている。カバンを置いたままだったのと、夜会のことについて八千穂と話すためだった。午後、ずっと一緒に居た皆守と夕薙はとっとと帰ってしまった。3階まで付き合えとは言わないが、待っててくれてもいいんじゃないだろうか。結局3人でずっと話していたため、睡眠も取れてない。
 まあそれについては明日が休みだからいいか──
「ん?」
 もう少しで教室、というところでメールの受信音。転送メールってことはバディの誰かじゃないな。件名は……必ず会える? 何だそりゃ。
 廊下で立ち止まり、何も考えずメールを開く。鴉室洋介さんからのメール、と。
 ……うん、誰だ?
 中身を読み、その口調と内容から何となく以前出会った探偵のことを思い出した。彼の名はアムロ……、
「あ、これか!」
 漢字など知らなかった。下の名前はヨウスケと言っていた気がする。じゃあアムロって読むのか、これ。
 鴉室は鴉室でまた何かやってたらしい。探偵からの情報なら……受けとくべきかなぁ。何だか今夜は忙しそうだ。
 思いながら教室へ入る。既に放課後。生徒たちはやはり、夜会の話題で持ち切りだ。
 女子は盛り上がっているが、男子は嫌がっている気がする。まあ、パーティーに対する意識なんてそんなものだろうか。
「あ、九ちゃん」
 教室に入るとすぐさま八千穂がこちらに寄ってきた。授業をさぼっていたことについて一通り怒られるが、八千穂の興味も夜会に向いているらしく、すぐに表情は切り替わった。
「みんな盛り上がってるよね〜。つい最近までファントムファントムって大騒ぎだったのに噂聞かなくなった途端、何かすっかり元通りだもんな〜」
「まあ、学生はそんなもんだろ。平和でいいよ」
「うん、そうだね。あ、ところでさ九ちゃん、この夜会にまつわる怪談って知ってる?」
「……ちょっと待て」
 怪談、だって?
 この学園の怪談には何かある。今までに聞いたものも、執行委員の制裁やらファントムやらと関係していた。そうだ、今日は……トトの番、かもしれない。
「何て怪談? 何番目?」
「ええと、5番目の童謡って言ってね。夜会の夜に起こる怪異の歌なんだけど、ええと……」
 八千穂が歌い始める。
「こころ こころ 天神さまのこの坂は 5人で通らにゃ 抜けられぬ ひとりは 髪を縛って置いて来た ふたりは 歯を折って置いてきた さんにんは──」
 怖い歌だな。童謡ってたまにそういうのあるけど。
「さんにんは──なんだっけ」
「ええー」
「ごめんっ、忘れちゃった。とにかく、まあそんな感じの歌。まあ招待されなかった子が、夜会に行く子を怖がらせるために作ったんじゃないかって言われてるものなんだけどね」
「どんな嫌がらせだよ……」
 だが、この学園でこの手の怪談は普通に怖いのではないだろうか。
 だって、実際に起こるし。
「髪を縛って置いて来た、歯を折って……ん?」
「どうしたの九ちゃん?」
「……何か聞いたことあるような……気のせいか?」
 妙な既視感を感じた。だがほんの少し記憶を掠める程度だ。まあ関係ないだろうと判断する。
「やっちーは、そんな怪談で行くの止めたりはしないだろ」
「もっちろん。そりゃあちょっとは怖いけどさ。やっぱり楽しみだよ。美味しいゴハンにダンスもあるって言うし。九ちゃんも行くでしょ?」
「……まあ一応な。あんま堅苦しそうだったら帰る」
「えー、でも夜会は無礼講だって言うよ?」
「そうなのか? 無礼講ったって先生来ないし、おれら3年だしなぁ」
 1〜2年にタメ口聞かれるとか?
 いや、別におれはいいんだけどさ。
 九龍はカバンを手にし、そのまま2人で教室を出る。ちょうどそこで肥後と出会い、「最後の」執行委員について忠告をされた。彼は危険な男だと。
「……最後?」
 つまりは執行委員はもう居ないと?
 あれ、でも他の執行委員のことは知らないんじゃなかったのか。ああ、取手や椎名には聞いたけど朱堂以降はそういえばその辺を聞いていなかった。単に取手たちが知らないというだけだったのだろうか。
 トトが最後ってことは……遺跡の扉はやっぱり役員たちも管理してるってことか。残りの扉が阿門と双樹と神鳳と……ええと、夷澤だっけ? 残りの扉っていくつだっけ、そういえば……。
 開いてる扉が多くなって、どこがどこやら最近わからなくなっている。最初の内は頑張って覚えてたんだけどな。
 肥後はそれから、トトを救って欲しい、手を差し伸べて人を救うことが出来るのは人だけだから、と言った。トトも……呪いにかかっているのだろう。肥後はあのときとはすっかり変わった。出来ればそうしてやりたいとは思うので、しっかりと頷く。まあ誰が望もうが望むまいが、九龍は墓に入るだけだ。それが、執行委員の解放に繋がる。
「それじゃ〜ぼくはこれから部活なのでしゅ。またでしゅ2人とも。ホントに気をつけて行くでしゅよ〜」
 九龍の返事を受けて、肥後は明るく手を振って去って行った。
「気を付けてかぁ……。トトくんも執行委員なんだね。やっぱり……何か悩みとかあるのかな?」
「だろうな。ま、何だろうとおれが救ってみせるけどな!」
「さっすが九ちゃん。うんうん、遺跡に行くときは私も協力するからねっ」
 まだ校舎内だというのについつい大声で話してしまい、すれ違う生徒に妙な目で見られた。2人は慌ててその場から去る。
 外に出ると、もう辺りは薄暗い。日が落ちるのが早くなっている。
「やっちーは、部活だよな?」
 何となくゆっくり歩きながら、九龍は聞く。八千穂は頷いたあと、少し立ち止まって言った。
「あー、もうすぐ部活部活って言ってられるのもおしまいなんだな〜。なんか、この学園を出てみんなバラバラになって……なんて全然思いつかないや」
「あー、何となくわかるな。おれもまだ2ヶ月なのに馴染んだなぁ、何か」
「九ちゃんは、またどこか遠くへ行っちゃうの?」
「まあなぁ。そうだよな……ここの任務が終わったら……」
 お別れか。
 全く考えていなかった。
 八千穂や皆守や、元執行委員の仲間たちと。もう会わなくなる、のか?
「うん……そっか。葉佩くんって何だか一箇所に留まってるタイプじゃないもんね」
「っていうかそういう仕事だしね」
 おれは学生ではない……のだ。
 そんなことすら忘れていた。授業に出てテストを受けて友達と喋って……違う。違うだろ、これ。
「そうだね……。あ、それじゃ私はもう行くね。じゃあ夜は9時5分前にお屋敷の前に集合っ!」
「了解ー。皆守や夕薙は……来ないか」
「うん……メールは一応送ったんだけどね。九ちゃんだけでも絶対来てよっ!」
「わかってるって。それじゃ」
「また後でねー」
 八千穂が手を振りながら駆けて行く。
 ……楽しい。
 楽しいよなぁ、学生生活。
 これでいいのかな、おれ……。
 皆守に相談してみるか、などとつい考えてしまい、やっぱり馴染みすぎているな、と思う。
 まあ……任務がなくても、どうせ八千穂の言う通り、高校を出たらばらばらだ。先のことなど考えていても仕方ない。
 今が楽しければそれでいいじゃないか。うん。
 九龍は自分を無理矢理納得させて、寮への道を急いだ。別れのことなど、まだ考えることはない。


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