月光の底─2

「あ、終わっちゃった」
 八千穂の出番は結局来なかったらしい。
 教師が片付けを指示して数人の男子生徒が走っていく。九龍たちはそれを眺めているだけだ。
「さーて、帰るか」
 4時間目は何だったかなぁ、と考えながら立ち上がる。
「じゃあ、私は白岐さんのお見舞いに行ってこようっと」
 八千穂もぴょこんと立ち上がった。八千穂らしいな、と思うが皆守はよせよせ、と止める。
「お前に傍でギャーギャー騒がれたら白岐も迷惑だろうからな」
「そんなことしないもんっ」
 いや、無意識にしそうだ。
 九龍は反射的に思ったが、口には出さない。いいだろ、心配してるんだから行かせてやれよ。
 まあ皆守も本気で止める気はないようで、八千穂もすぐさま保健室へと走り去っていく。
 3人は何となく、そのままそれを見送った。
「相変わらず元気だねー」
「無駄にな」
「それが八千穂のいいところだろう」
「え、無駄なのが?」
「おいおい──ん?」
「ん?」
 夕薙がどこかに目を留めて、九龍と皆守も振り返る。
 真っ先に、黒いコートを来た長身の男が目に入った。
「うわ……生徒会長」
 会長はその言葉に足を止め、こちらに目を向ける。相変わらずの威圧感だ。
「噂の転校生もこうして見る分には普通の学生さんですね」
 男たちはゆっくりと近付いてきて、生徒会長の隣に居た長髪の男が九龍を見て言った。だ、誰だ?
「ふふっ、でもいい男は何を着てても絵になるわ」
 そしてもう一人、逆隣に居た女性が九龍を見て笑う。
 いい男?
 いい男だと?
「皆守っ! 今度は間違いなく美女に言われたっ……!」
 一応小声で、九龍は一人盛り上がる。多分夕薙にも聞こえただろうが気にしない。
 何せ以前は朱堂だった。皆守は呆れた目で九龍を見て、ツッコミの言葉すら出して来ない。
 それはちょっと寂しい。
「転校生……どうやら俺の忠告はお前にとっては意味がなかったようだな。あの時、おれが言ったことを忘れたわけではあるまい」
 最後に生徒会長が、九龍の目の前まで来て言った。
 さすがに九龍も表情を引き締める。
「忠告なら忘れてねぇよ? ただ守ってないだけで」
 あからさまな敵にはつい強い口調で返してしまう。
「……なるほど。聞く耳持たぬというわけか」
「最初っからそういう対応したと思うけど」
「思ったよりも礼儀を知らないようですね」
 長髪の男は怒っているというよりは少し面白そうに言う。
 女性も笑った。
「あら、いいじゃない。従順な転校生なんて面白くも何ともないわ」
 っていうかこいつらも……仲間か。
 美女の言葉ににやけている場合じゃなさそうだ。
 精一杯睨むが、阿門は全く表情を変えず、今日の夜会には参加しろだの何だの言って去って行った。
 参加する気だったけど……こういうこと言われちゃ怖いな。何かあるのかよ、ホントに。
「あれが生徒会役員か。さすがに執行委員とは貫禄が違うな」
「生徒会役員……あー、なるほどなぁ……」
 そりゃあ生徒会は生徒会長だけじゃない。そしてやっぱり、まとめて九龍の「敵」なのだろう。ああもわかりやすくオーラを出してるとは思わなかった。執行委員と違って隠す必要ないってことか。
「貫禄ねぇ……。まあ、確かにあれが3人揃ってると、圧倒的に側に寄りたくないがな」
「それはちょっと同感だな……。でもこっちとしてはまあ寄らないわけには……っと」
 夕薙が居るのにさらりと話してしまいそうになった。
 夕薙は聞いていなかったのか、首を傾げてこちらを見る。
「君は彼らに興味があるんじゃないのか?」
 あれ、聞いてた?
「……いやぁ、何か凄いなーって。ってかみんな生徒会のことは知ってんのか?」
「そりゃあ普通に生徒会室にも居るメンバーだしな。生徒会の仕事もしてる。確かA組とB組だったか?」
「ああ……阿門と双樹はAだったな。神鳳がBだ。どいつも授業にはほとんど出てないが」
「お前に言われるのはよっぽどだな。ってか生徒会役員がさぼりかよ」
「生徒会役員は見回り等の仕事が出席代わりになるって噂があるがな」
「……マジで?」
「さあな」
「でもまあ、普通に授業受けてる姿は想像出来ねぇなぁ。特に生徒会長。教師より貫禄あるだろ、あれ」
「ははは。彼に注意できる教師は居ないだろうな」
「ああ、でも雛川先生ならにっこり笑って……どうしよう、想像出来る」
 阿門の反応は全く想像出来ないが。
 雛川先生、A組の授業あるっけ。いや、出てないなら一緒か。さすがに他のクラスの生徒の出席までは面倒見切れないよな?
「ってかテストもか? そもそも授業出てないで成績どうなってんだよ」
「神鳳は、あれでも学年一位だがな」
「……うわ、何だそれ」
 勉強しなくてもテストぐらいやれますってか。
 いるんだよな〜世の中にはそういうの。
「神鳳……ってのが、え、どっち?」
「男の方だ。会計の神鳳充。女の方が書記の双樹咲重」
「おお、何かそんな気はした」
 頭脳派っぽいよ、あの長髪。
 皆守がそこで3人についてそれぞれ説明してくれる。割と詳しいな。ってか双樹が水泳部って。それは是非見てみたい。制服でもわかるナイスバディだった。そういや転校してきた時期のせいでプールの授業はなかったなぁ。
「……それで終わりか?」
「何がだよ」
「役員はまだ他にもいたと思ったが……」
 説明の終わった皆守に夕薙が突っ込む。
「そうなの? 生徒会長と書記と会計と……」
「あぁ、そういえば、副会長補佐なんてふざけた役職の奴がいたな」
「副会長……補佐?」
 九龍が疑問を返した瞬間、一人の男性生徒が生徒会メンバーを追って走ってくるのが見えた。
「待ってくださいってば!」
「お、噂をすればだ」
「え、あれ?」
 眼鏡をかけた生意気そうな少年が息を切らせて立ち止まる。何やら叫んでいるが、生徒会長たちは全く気にすることなく去って行った。
 ちょっと可哀想。
「彼は確か2−Aの夷澤凍也だったかな」
 夕薙がそんな男の姿を見ながら呟くように言った。
「え、2年も役員に入ってるのかよ……!」
 調査範囲が広くなるじゃないか。
 調査なんかしてないけど。
 九龍たちの声が聞こえたのか、夷澤がこちらに目を向ける。
「何見てんすか。おれに何か用でも?」
「いや、別に……」
 絡んでこられるとは思わず、少し驚いた。
 夷澤はそーすか、と適当な返事をしたあと、再び会長たちが去った方に目を向ける。
「それじゃ用がないなら失礼しますよ。転校生のセンパイ」
 ……ああ、そうか知ってるのか。
 意味ありげに笑われて、こちらも笑い返す。
 特に争う気はないようで、夷澤はそのまま行ってしまった。他の役員に感じたオーラはねぇなぁ。2年だからか?
「彼が2年生で唯一の生徒会役員か。確か2年生にしてボクシング部ではすでに最強を誇っているそうだが」
「ボクシング!? へぇ……あれがねぇ」
 てっきり頭脳系かと思ってたのに。ちなみに根拠は眼鏡だ。それ以外にない。
「あれとも戦うのかなぁ……」
「戦う?」
「あ、い、いや、何でもない! それよりもう休み時間終わるぜ。とっとと着替えるぞ! さぼんなよ、お前ら!」
 慌てて九龍は駆け出して行く。何か言ってきたらごまかしてくれよ、皆守。










 そして着替えを終えた九龍は、とっとと更衣室を出て、廊下で2人を待っていた。九龍が出てくるのとほとんど入れ違いに中に入ったので、まだかかるだろう。
 4時間目が始まったりしたら間違いなくさぼりコースだよなぁ、あの2人。
 そうなったら、まあ自分もさぼるか、などと考えていたとき、横から声をかけられた。
「アノ……葉佩サン?」
「ん? あ、あー、朝の」
 エジプトの留学生。
 確か名前は、
「ハイ。今朝、会イマシタ。ボク、アナタ知ッテマス。葉佩九龍、サン……。ボクハ、トト、イイマス。ドゾ、ヨロシク」
「ああ、そうだ。トトだ。トト。おー、よろしく」
「ハ、ハイ。アリガト、ゴザイマス」
 言葉はかなりカタコトだが聞き取りやすい。
 何の用だろう、と思っていると続けてトトは言った。
「アノ、アナタモ、海外カラ来タ、聞キマシタ。エジプト行ッタ事、アリマスカ?」
 ……なるほど。
「うん、まぁ……。エジプトは結構居たかな」
 ここに来る直前もエジプトに居た。
 だがほとんど遺跡に潜っていたせいか、エジプトに居たという感覚はあまりない。話題にされても着いていけないんだけど、どうしよう。
 そんな九龍の困惑はおかまいなしにトトは喋る。エジプトの話が出来るのが嬉しいのだろう。うん、まあいいとこだよな、と適当な頷きしか出来ないのがちょっと申し訳ない。エジプトの歴史にまで話が及ぶが、ごめんなさい、全然わかりません。
 争いの歴史、なぁ。どこでもそうだよなー。
 っていうか日本の神話に詳しいのか。凄ぇな。あ、今授業でやってるからか。
 トトの言葉に口を挟む余裕もなく、九龍は頷きを返すだけだ。
 トトは最後に少し悲しそうに目を伏せた。
「人ハ自分ト異ナル者ヲ恐レ、憎ミ、ソシテ争ウ……。人ハ誰シモソノ業カラ逃レル事ハデキナイ……」
 それにも勢いのまま頷いた。
 だけどまあ、それはそうなのだろうと思う。
 九龍には苦手なシリアスな話だが。
「……ええと、トト……」
 少し途切れたのを見て、九龍が話しかけようとするが、トトがそこでぱっと顔を上げた。
「《墓守》トシテ、アナタニ、ヒトツ言葉ヲ送リマス」
「……は!?」
 トトは真剣な眼差しで九龍を見ている。
「王ノ眠リヲ妨ゲル者ニ、死ノ翼触レルベシ……」
「…………」
 ちょっと待てちょっと待てちょっと待て。
 こいつ、墓守って……執行委員!?
 目を見開く九龍に、トトはそれ以上何も言わない。
 そのとき、ちょうど背後で更衣室の扉が開いた。
「悪い、葉佩。待たせたな──ん?」
 固まっている九龍を見て皆守も止まる。
 トトはちらりと皆守を見ると失礼シマス、と言ったあと忠告のような警告のような言葉だけ残して去って行った。
 3人目にならないように祈る?
 何だそれ。まさか、これまで既に2人葬ってますとか? 怖ぇよ。
「今の……A組の留学生か?」
「ああ。ついでに執行委員だ」
「は!?」
「……また今夜って……今日遺跡に居るってことか……?」
「……さあな。というかお前その話題を、」
「あ」
 更に後ろから夕薙が出てきた。
 だが聞こえてなかったようで、特に反応はして来ない。……んだよな? 聞いてなかっただけだよな?
「よ、4時間目の授業何だっけなー」
「何だ、そのごまかしは」
「ごまかしって言うな。いいからとっとと教室戻るぞ……って、あれ?」
「大和なら更衣室出て真っ直ぐそっちに向かったぞ」
「……保健室?」
「さあな」
「あー。白岐の様子見に行ったのか? 黙って行くなよなー」
「どうせそのままさぼるつもりだろ」
「お前は4時間目出るのかよ」
「ああ? さぼっていいのか?」
「いいけど、雛川先生には言いつける」
「いいって言うのか、それは……」
 そんな話をしながらも2人で並んで教室へと向かう。
 でも油断は出来ない。何せこの道は屋上への階段にも通じる。
「それにしても、トトが執行委員かぁ。留学生でもなれるもんなんだな。あれってなるのに何か条件居るのか? ってかそもそもどうやってなるんだ? スカウト?」
「知るか」
「ってかホント誰が執行委員でもおかしくないって感じだよな……。夕薙だってありか? あれはちょっと違う気もするけど」
「何だ、大和を疑ってるのか?」
「疑ってるって言うか……変な奴ではあるよな」
 何かを企んでいるというか。
 九龍の言葉に皆守は頷く。
「ああ……いつも調子のいいことばかり言って肝心なことは何も話さない奴だからな……」
「そうそう。超常現象に関して以外は、言葉がどうも嘘っぽいんだよな。信用出来ないっていうか」
 その場に居ないのをいいことに好き放題。……ちょっと陰口っぽいな、これ。
「いや、単に大人の余裕なんだろうけどな、あれ」
 慌ててフォローに回るが、皆守は乗りもしなければ否定もしなかった。
「信用か……。なぁ、葉佩」
「ん?」
「人を信じるってのはどういうことだ? たとえばお前はおれのことを──信用してるのか?」
「はぁ?」
 思わず足を止める。まさかそんなことを皆守に言われるとは思わなかった。
「そりゃまあ……話によるんじゃないか? お前がこれから毎日授業全部出ます、とか言っても信用出来ないな」
「誰が言うか、そんなこと」
「だって信用って言ってもなぁ。まぁ、少なくとも敵じゃないとかそれぐらいだろ」
「…………」
 遺跡で敵の攻撃受けそうになっても、助けてくれることなんて滅多にない。だからその点は信用というか……助けてくれるとは思わないようにしてるな。まあ皆守だって全部避けられるほど器用じゃない。
 八千穂の後ろに立たせると八千穂が怪我一つしない気がするのは気のせいだ、多分。
「やぁ、お二人さん。お揃いでどこに行くんだい?」
 皆守がそれ以上何も言わないので再び歩き始めたとき、前方から見慣れた人影が見えた。
 黒塚だ。
「どこに行くも何も……もうすぐ4時間目が始まるぜ」
 呆れたように言った皆守に、黒塚は大げさに目を見開いて驚く。
「まさかっ! 君の口からそんな言葉が出るなんて……。サボリの代名詞、屋上の支配者とまで言われた君が、自主的に授業に……」
「いや、雛川先生に言われただけだと思う」
「っていうか、勝手に代名詞を作るな。そんなこと言われた覚えはない」
「でもぴったりだぜ? 今まで言われてなかったのが不思議なくらいだ」
「わかってくれるかい? さすがは葉佩くんだねー。そうさ、サボリと言えば彼、彼と言えばサボリ!」
「お前な……今日は随分ご機嫌じゃないか」
「あ、やっぱりわかるかい? ふっふっふ、実はね〜。珍しい石を拾ったんだよ」
 やっぱりそれか。
 笑う黒塚は確かに機嫌が良さそうだ。
「ね、隕鉄って知ってるかい?」
 キラキラした目を向けて、黒塚はそう言った。勿論知らなかったので首を振る。
 インテツ? 漢字もわからん。
 そう言う九龍に黒塚は嬉々として説明を始めた。
 要は……隕石と。それならさすがにわかる。古代文明にも関わりが深いなんてのは初めて知ったが。
 ぼくの愛しい人、などと言って石に頬ずりする様は、見慣れたものではあるものの、さすがに若干引いてしまう。
「お前、それはちょっと色々ヤバイと思うぞ」
 そして皆守は直球だ。
 まあ黒塚は気にしないからいいけど。
 黒塚の石の声が聞こえる、という言葉を九龍は何となく受け入れてしまっている。嘘だと思えない出来事が何度かあったからだろう。
 勿論実際に喋っているというよりは何かを感じているんだと勝手に思っているが。
 そんな黒塚は、更に自分をおかしくする石の不思議な力について語っている。何だか教科書のような言葉が羅列されると途端に九龍の理解力は半減するため、頭に入らない。とりあえず隕石には磁力があって? それが何か影響を与える?
 まあ磁力は凄いらしいもんな。でもその力に黒塚が参ってるとは思えないが。
「……お前、ホントに詳しいんだな」
 呆れながらも感心したかのように皆守が呟いた。
 ホントにな。
 尊敬できるよ。
「え、やだな〜石博士だなんて」
「いや、誰もそこまでは言ってない」
「言ってやってもいいと思うぞ、これは」
「いや〜博士か〜。まあそれほどでもあるけどね〜」
 うん、自分の知識に自信を持ってる奴は凄い。付いてはいけないが。
 更に石について並べ立てる黒塚に、皆守が降参したかのように手をあげた。
「わかったわかった。お前は凄いよ。大した知識だよ」
 凄ぇ。皆守が素直に褒めた。
 半分以上は呆れだろうが。黒塚は皆守に目を合わせて笑う。
「でも、皆守くんだってカレーには詳しいじゃない」
「あ?」
「いいんじゃないの? 好きなことのひとつやふたつ、誰にだってあるでしょ?」
「確かに……。皆守のカレー知識はお前のそれと張るかもな」
「こんな奴と一緒にするな」
「お前自覚ないか? 語ってるときの目つきとかやばいぞ?」
「…………」
 自覚はあるのか、自覚したくないのか、今更改めて考えているのか、皆守が黙った。
「好きなことに対して誰にも負けないくらいの知識を持ってるっていうのは誇っていいことだとぼくは思うよ」
「黒塚、いいこと言った! そうだよ、誇れ皆守! そしておれも褒めろ!」
「どさくさに何言ってる」
「おれだってなぁ! 語りたいときがあるんだよ!」
 遺跡の神秘について。
 半分眠っているような目で聞かれるのはちょっとむなしい。
 いや、九龍もカレー談義は半分以上聞き流してるが。
「うん。誰にだってそういうものはあるよね。誰にも理解されなくても、自分だけは誇っていいのさ」
 黒塚は何だか楽しそうにそう言うと、石に頬ずりしつつ来た道を帰っていく。
「何だか気分がいいし、ぼくも授業に出ようかな。それじゃ、また」
 らららーと歌いながら黒塚は自分の教室へと入って行った。
 2人は立ち止まったまま、それを見送る。
「……黒塚に説教された。くそっ、何か腹立つな」
「いやいや。素直に受けろよ、これは」
 でもあいつもサボリ魔なんだなぁ。クラスが違うから気付かなかったけど。
「あ、チャイム。さ、行くぞ皆守ー」
「ちっ。おれも何で真面目に出る気になってんだかな……」
「凄いぞ。これ出たら今日の午前の授業コンプリートだ」
「……やっぱりさぼってもいい気がしてきた」
「んなわけあるかっ!」
 皆守を引きずり、教室へと入って行く。
 夕薙の姿はやっぱり、なかった。


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