月光の底─1

 墨木の暴走が止んでから、ファントムの噂はすっかり沈静化した。
 敵がいなけりゃ盛り上がりようもない。現金なものだと思う。
 実際に墨木を倒して以来、生徒会による処罰らしきものが行われた様子はない。
「……何で誰も処罰に来ないんだ……」
「ああ?」
「いやー、おれって悪い子なのになぁ」
 校則違反して墓に入りまくっている九龍にも、生徒会の手は伸びて来ない。夜中に歩き回ったり、更にはファントムから貰った鍵で勝手に校舎内に入ったりもしているのに。ここまで明確な違反者にまで遠慮することはないだろう、生徒会!
「新しい区画開かないなって話だよ」
 まだ随分残っている。扉の数を数えたところ、残りは6つ。週1ペースで開いていたときは、早過ぎるとも思っていたが、余裕が出てくると、自分で開けないことへの焦りも出てきた。勉強もした、戦闘方法も学んだ。ここ一週間ほどで鞭の使い方だって覚えた。
 早く、新しい区画に入りたいんだよ。
 ということを熱弁しようと思ったが、隣を歩く皆守は半分眠っているかのようにうとうとしている。
 珍しく寮を出る前に会ったので一緒に登校しているところだ。
 転校してきて2ヶ月ほど経つが、この状況は実は初めてだ。
「……眠そうだなぁ、お前」
「……普段なら余裕で寝てる時間だからな……。ありえない……何でこんな時間にお前と並んで歩いてるんだ……くそ、最近のおれの生活は乱され過ぎだ。眠ぃ……」
 ぶつぶつ呟きながら歩く皆守は本当に眠そうだ。昨日の夜遺跡につき合わせていた身としては多少申し訳ない。早起きするなら言っとけよ。
「おっはよー、2人とも!」
「お、やっちーおはよー」
「またおれの平和な日常を乱す奴が出やがった……」
 そして同じく昨日付き合ってもらった八千穂は、相変わらず元気だった。皆守がよく言ってる通り、必要睡眠時間が全然違うんだろう。一体何時間寝れば満足なのか知らないが。
「皆守くん、今日は随分早いご出勤だねー。こんな時間にどしたの?」
「それはおれも聞きたかった。今日は特に寮で騒ぎもなかったよな? しかも月曜だってのに」
「これ以上遅刻すると雛川があれこれうるさいんだよ」
「あー、1時間目、雛川先生か」
「ま〜た怒られたんだ。だって皆守くん、たまに朝早く来てもすぐ居なくなっちゃうしねー」
「ホームルーム前に保健室とか、ホント何しに来てるのかわかんねぇよな」
「うるせぇな。おれにはそれが日常なんだよ。誰かさんのおかげで最近寝不足だしな」
「お前、誘いに行く前寝てんじゃねぇかよ!」
「でもちゃんと出てきたんだから偉いよ。やっぱりヒナ先生凄いよね。ヒナ先生の授業は凄い出席率いいしさぁ」
「他の教師がやる気ねぇもんなぁ……」
 しょっちゅう授業中に寝ている九龍だが、注意された覚えがない。
 雛川からはたまに「大丈夫?」などと言われるが。
「そうそう。ヒナ先生ぐらいだよ。この学園であんな一生懸命やってくれてるのって」
「こっちはいい迷惑だがな──ん?」
 皆守の言葉とほぼ同時、着メロの音が鳴り響く。さすがにもう覚えた。これは、皆守の携帯だ。
「……出ないのかよ?」
「その着メロ皆守くんのでしょ?」
 2人が同時に視線を向けるが、皆守は動かない。メールだったのか、すぐに音は切れた。
「見なくていいの──っと」
 今度は八千穂の携帯が鳴る。
 ポケットから取り出し、確認した八千穂は目を見開いた。
「これ……! 夜会の招待状!」
「夜会?」
 聞いた瞬間、九龍のHANTも音を立てる。
 こう、着メロを立て続けに聞いていると、普通の電子音なのが寂しくなるな。
「……夜会へのご招待……え、これか?」
 確認すると、件名にはそう書いてあった。
 阿門家執事? なんでそんなとこからメールが。阿門って生徒会長だよな?
「九ちゃんにも来たの? 凄いよー。って九ちゃんは知らないかな。夜会って」
「何なんだ?」
「あのね。毎年この日に生徒会長の主催で行われるパーティーなんだけどね。その招待状は、選ばれた人にしかこないっていうんだよ」
「選ばれた人……ねぇ」
「私も来たの初めて! 明日は休みだから参加者は大手振って夜更かし出来るんだよっ。ねぇ、九ちゃん一緒に行こっ」
「お、おお。じゃあ今日の探索はなしかぁ……」
 明日が休みだからこそ、長くやれるかとも思ったが。
 八千穂はすぐさま皆守にも視線を向ける。
「ねえねえ、皆守くんにも来てるんじゃないの?」
 期待の目。もしそうなら3人一緒に、と九龍も思ったが皆守は確認すらしない。まぁ、パーティーなんてこいつに似合わないけど。
「やっちー、こいつはどうせ来てたって行かないって」
「ええー、でもせっかくの夜会なのに……」
「あっ」
「え? きゃっ」
 九龍たちを向いて後ろ向きに歩いていた八千穂は、前方に居た男子生徒にぶつかる。九龍も声を上げたが遅かった。
「ご、ごめんなさい」
「イエ……」
「馬鹿。道の真ん中ではしゃいでいるからだ」
 皆守の言葉に八千穂は一瞬唇と尖らせるが、すぐにはっとしたようにぶつかった生徒の方に向き直った。
「あの、ホントにごめんね。大丈夫?」
「ハイ。ボク……ダイジョブ、デス」
 カタコトの日本語。
 思わず顔を上げれば、明らかに日本人ではない学生がそこに居た。え、ここ、外国人も居たの?
 去っていく男子生徒を見送りながら九龍は八千穂に問いかける。
「うん……確かA組の留学生だったと思う」
「ああ、トトとかいったか。確かエジプトから来たとか」
「へぇ……。ちょっとびっくりしたなぁ」
 多いらしい転校生でも話題になるのだから留学生ならみんな知ってるのだろう。さらりと答えた八千穂……はともかく、皆守にはちょっと驚く。
 この学園にはもっと噂になるべき存在も多い気がするが。
「ん? どうした八千穂?」
「うん……? なんか肩が触れたところが熱いっていうかピリピリしたっていうか……」
 先ほどの、そのトトという男とぶつかった八千穂は首を傾げながら自分の肩の辺りを触っている。
「……ただの静電気か何かじゃないか?」
「ん……そうだよね。うん、多分そうだよっ。それじゃ2人とも行こっ、急がないと遅刻しちゃうよ」
 八千穂は少し納得のいかない顔だったが、直ぐに振りきるように笑顔になると元気良く駆け出して行った。
「何か気になんのかな?」
「別に思い切りぶつかったわけじゃあるまいし、大したことじゃないだろ」
 走って追う気は当然ない2人は、そのままだらだらと歩き続けて遅刻寸前で教室に入った。
 八千穂には当然怒られた。










 その日の3時間目は体育。
 皆守は奇跡的にも1時間目から続けて出ていた。
 相変わらずやる気なさげに座り込んでいるが。着替えるときに見たが、ジャージの中はいつものTシャツだった。つまりあれだろ。汗かく予定全くないってことだろ。
「次は二人一組でシュートの練習だぞ。順番に並べー」
 教師の声を聞いても2人揃って動かない。順番になれば行けばいいだけだ。どうせ教師もそれで何も言わない。
 シュート練習が始まったのを横目で見ながら、九龍は愚痴る。
「あー寒い……順番待ちってホント嫌だなー……」
 外でじっとしているのが苦痛だ。どうせサッカーやるならずっと試合やってる方がいいのに。
「何もしてない方が楽でいいだろ。おれはダルい」
 対して、体を動かす気の全くない皆守はそんなことを言う。
 そしてシュート練習の不毛さについて語り始めた。
 反射神経を養うのかJリーガーでも目指すのかと。
 学校でやることについて何の役に立つんだ、とはよく聞く話だが、これについては何だか納得してしまった。体動かせない体育なんて意味ないしな、と九龍の場合は純粋につまらないから嫌だ、の感覚で同意したが。
 それでもここまで徹底的に否定されると、とりあえず反論はしたくなる。
「どうせ来週は試合やるんだから、そのためじゃねぇ? リレーのバトン渡しの練習とかは意味あるだろ。将来絶対使わねぇけど」
 あ、でも町内会の運動会とかで使うか?
 サッカーのシュートは……じゃあ、将来みんなでサッカーやろうってなったときに……あるのか、その状況。
「よし、皆守いつか一緒にサッカーしよう」
「どういう流れだ。大体2人で出来るか」
「そこはほら、やっちーや七瀬ちゃんも入れてー。あと取手に肥後に朱堂に黒塚に墨木に真里野に……フットサルなら出来る!」
「だからおれを巻き込むな」
「あ、呼ばれた」
「おい」
 教師が2人の名を呼んでいる。九龍は待ってましたとばかりに立ち上がり、皆守はだるそうに、やれやれと呟きながらワンテンポ遅れて腰を上げる。
「お前なぁ。やるときはちゃんとやれよ」
 さすがにこういうのは相手も真剣じゃないと面白くない。
 少しぐらいは楽しませてくれ。
 そう思っていると皆守が笑った。
「あぁ、やるからには手加減はしないさ」
「おお?」
「九ちゃん、頑張ってねー」
 ちょっと驚いていると突然後ろから八千穂の声が聞こえてきた。
 女子の体育でも現在順番待ちらしい。
 ああ、女の子が体育見に来るとか。しかも応援とか。
 何か、転校初期はいちいち感動してたけど、段々慣れて来たな、これ。
 八千穂とは完全に友達になっちゃったもんなぁ。
 ……って、八千穂の姿見たから張り切ってるとかじゃないだろうな皆守!?
 今のタイミング物凄いそれっぽいぞ。
 皆守が八千穂のことを好きなのかどうかは、実はさりげなく聞いたことがあるのだが、そんなわけあるかと簡単に否定されてしまっていた。
 違うのかなぁ……。
「あ、皆守くんも頑張ってねー」
「とってつけたように言うなっつうの、まったく」
 八千穂はすぐさま皆守にも声をかけたが、皆守はそんな反応だった。まあ先に応援されたのはおれだしな?
 九龍が何も言わない内に皆守はとっととゴール前に立っている。
「九ちゃん頑張って〜! 皆守くんもしっかりー」
 その間にも八千穂の声援が飛ぶ。
 他の男子連中はぼんやりとそれを見ていた。
 お前ら結構羨ましくねぇ、これ?
「わかったから、お前は下がってろ。そんなとこに突っ立ってられると危なくて仕方ない」
「はーいっ」
 皆守が注意して、八千穂が素直に位置を移動する。
 気のせいか、2人とも何だか楽しそうだ。
 お前ら、見せびらかされてる気になるだろ? おれはもう慣れた。
「さーて、じゃあ行くぞー」
 ゴール前に突っ立っている皆守は、相変わらずやる気なさげで体に力が入っているようには思えない。
 だが、その反射神経の良さを九龍はもう知っている。
 ボールぐらい簡単に避けるよな。いや、避けちゃいけないんだけど。
 だったら……力で押し込む!
 九龍はボールを置いて助走を取り──渾身の力を込めて蹴った。
 狙いは皆守!
「……おいおい、ど真ん中かよ」
 真っ直ぐ皆守の腹に突き刺さったそれは……呆気なくその手で止められた。皆守は一歩も動いていない。
「くそー。まだ力弱いか」
「何する気だったんだお前は」
「ボールで人吹っ飛ばすってやっぱ無理か?」
「だから何する気だったんだよ、お前は」
 蹴り方が悪いのかなぁ。力がないわけじゃないはずなんだけど。
「もう一回試していい?」
「あほか。とっととどけ、次はおれの──」
「皆守くんっ、危ない!」
「ん?」
 八千穂の声に九龍も皆守も同時に振り返った。
「ぐはっ!」
 同時に、皆守の悲鳴。
 倒れた皆守と……てんてん、と転がるボールが見えた。
「……出来るんだな!」
「何に納得してやがるっ! くそっ、誰の蹴ったボールだ!?」
 体を起こした皆守が怒鳴り声を上げる。辺りに居た男子生徒が一斉に同じ方向に視線を向けた。
 そこに居たのは──夕薙。
「お前かぁ」
 この体格の男が蹴ったなら、まあ吹っ飛ばせるのか。ん? じゃあ、おれ夕薙に負けてる?
「悪い悪い。まさか当たるとは思ってなかったんでな」
 いやいや、単に皆守に身構えがなかったからだ。それだけだ。
 全く悪びれずに言う夕薙を皆守が睨みつける。
「大和〜! てめぇのゴールはこっちじゃねぇだろっ」
「ちょいと足が滑ってな。お前なら避けるだろうと思ってたんだが」
「わざとだな? 絶対わざとだよな夕薙?」
 足が滑って皆守へ? どんなコントロールだ。ってかどこに居たお前。
「いくら何でもそんなの無理だよ〜。いきなり飛んできたら避けられないってば」
 八千穂はそこへ突っ込んだ。
 いやぁ、体勢的に避けられなかっただけじゃね? 普段の皆守なら避けそうな気がする。
 言ってやらないが。
「何だ、甲太郎、飛んできたのに気付かなかったのか?」
「やっちーが叫んだ瞬間だよなぁ。気付いたの。ちなみにやっちー、夕薙ははっきり構えて蹴ったかい?」
「え? そこまでは見てないよ。いきなりボールが飛んでくるのが見えたから」
「だから足が滑ったと言ってるだろう。信じないのか?」
「いや、信じられるかっ! ……お前が物凄いノーコンって言うなら信じてやるけど。……ノーコンなのか?」
「そんなことどうでもいい。ったく、ふざけやがって……」
「どうでもいいのかよ。そしてお前はどこに行く」
「あー、大和のせいで頭が痛いからな、保健室だ」
「ほら見ろ夕薙! さぼりの口実にされるぞ!」
「甲太郎に今更口実は必要なのか?」
「最近雛川先生がうるさいみたいだからなぁ〜」
 とりあえず逃がさないよう皆守のジャージを掴んだまま会話をする。皆守がうっとうしそうに振り払おうとしたので、九龍は八千穂の方を見た。
「皆守くん、ホントに痛いの? 保健室なら着いてってあげようか?」
「…………」
 八千穂の言葉に皆守は沈黙し、ため息をついた。
 やっちー、ナイス。
「ほらな、やっぱ仮病だから」
 歩きを止めた皆守にここぞとばかりに言う。
「ボールがぶつかったのは確かだろうが」
「悪かったな。そんなに強く蹴ったつもりはなかったんだが」
「当てるつもりだったんだもんな?」
「足が滑ったのさ」
 意地でも認めないか。
 そんな会話をしていると、いつの間にか他の生徒たちがシュート練習を再開してしまい、九龍がキーパーをやる番は飛ばされていた。
 八千穂も残ったまま、運動場の隅でいつの間にか4人で座り込んでいる。
 ……おれも足が滑った、とかやってみるかなぁ。
「そういえばさ、夕薙くんは夜会の招待状来た?」
「ん? ああ、まぁ。来るには来たが」
「マジで? おれら全員? 夜会って何人ぐらい来るんだ?」
「さあ……。でもそんなに多くはないよ。クラスから……7〜8人ぐらいかなぁ」
「へぇ。選ばれる基準って何なんだ?」
「わかんないけど……」
「君たちは行くつもりなのか?」
「おれはまあ、一応。やっちーも一緒だし」
「うんっ。勿論行くよっ」
「そうか。まぁ、気を付けて行ってくるといい」
 夕薙の言葉に、八千穂は首を傾げた。
「気を付けてって……どういうことなの?」
「いや……ただ、この学園の支配者が選ばれた者だけを集め何をする気なのか、そこが気になるというだけさ」
「……ああ、そうか……」
 これは生徒会長の招待、なのだった。
 気楽に考えちゃいけないだろう。でも全校で100人近く出るってんじゃなぁ。でも確かに九龍が選ばれる基準というのは思いつかない。そもそもこの4人の共通点が……って、あれ? 皆守は結局選ばれてるのかいないのか?
 何も言わないので案外選ばれてなかったけど、何か言い出せないだけだったり?
「なるほどねぇ。夕薙くんも色々難しいこと考えてるんだね」
「お前が何も考えてなさ過ぎなんだよ」
 皆守の言葉は何だか九龍にも突き刺さる。
 悪かったな。でも八千穂ほど能天気でもないぞ。多分。
 何食べようかとか考えてるという八千穂に夕薙は笑い、ふと真面目な顔になった。
「ところで、白岐の姿が見えないようだが……」
 あ、夕薙が気にするのはそこか。
 九龍もすっかり忘れていたが、夕薙は白岐のことが好きなんだっけ。
 つられるように女子の集団に目をやったが、あの特徴的な長い髪は見えない。どうやら体育が始まる前に保健室に行ったらしい。
 心配げな八千穂の顔を夕薙が真剣に見ている。
 ……心配してるか、お前?
 九龍は九龍でそんな夕薙をじっと見る。
 やっぱりどうにも、この男は読めない。
 そのとき、ようやく授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


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