地獄の才能─1

「朱堂ちゃんって何で学ラン着てんのかな……?」
「……どうした葉佩」
 遺跡内。
 石碑に腰かけてパンを食べるという何だか罰当たりなことをしている九龍に、皆守が呆れた声を上げる。壁にもたれかかってうとうとしている皆守は、渡したアンパンを半分残していた。カレーパンじゃないと駄目なのかお前。
「いや、ここって結構制服自由だろ? みんな好き勝手改造してんのに、心が乙女の朱堂ちゃんが学ランってのおかしくないか?」
 女子の制服でも着ればいいのに。
 いや、見たくはないが。
「サイズが合わないんじゃないか」
「あー。何気にでかいよな、あいつ。でも直せば着れるんじゃねぇ?」
「想像させるな、頼むから」
「おれは既に想像した」
「だからって巻き込むんじゃねぇ」
 皆守が軽く石碑を蹴る。振動すら伝わらないので九龍は皆守を見下ろしたまま続ける。
「いや、な? ひょっとしたらそもそも女子の制服が買えないのかな、と」
「あー、あのおっさんは売りそうにはないな」
 制服は売店で売っている。
 店員は境一人なので、境が拒否すれば売らないことも可能かもしれない。境みたいなタイプはオカマの存在をどう考えるのだろう。少なくとも喜んで売りはしないだろう。
「まあそもそもさすがに校則違反だろ。改造はある程度許されてるが、朱堂は間違いなく男なわけだしな」
「真里野とか、制服すら着てなかったぞ?」
「あれは部活着じゃないのか? ジャージで授業受けるのは可能だからそういう意味で許されてるんじゃないか」
「あー、なるほど……」
 真里野は剣道部だったか。
 それにしたって帯刀はどうなんだと思うが。この学園の校則の基準はいまだによくわからない。
「じゃ、やっぱり男子が女子の制服買うの無理か?」
「……何の話だ一体」
「七瀬ちゃんの制服弁償したいんだけど、金送るしかないのかなぁ、って」
「…………」
 八千穂のときもそうだった。
 本当は金じゃなくて物を送るべきなのだと思う。
 八千穂は結局予備があるから大丈夫、などと言って代わりにしばらく夕食を奢ることで決着した。やっぱり直接現金を渡されるのは嫌だろうかと思いつつ、物が渡せないならそういう手段しか取れない。
「……八千穂に買ってきてもらうって手もあるかな?」
「そもそも弁償ってのは何なんだ。お前、七瀬を遺跡に連れてきたのか?」
「お前やっぱり信じてねぇな……!」
 真里野と戦って四日程経った。
 九龍も七瀬もあれからずっと授業を休んでいる。土日を挟んだので実質休んだのは二日だが。九龍は明日も休む予定だった。
 この顔の痣が治るまでは。
「信じる? 何を」
「おれが送ったメール! お前ちゃんと返信してきただろ!?」
「は? ……ああ。七瀬になったとか書いてた奴か」
「そうだよ、おれと七瀬の体が入れ替わって、仕方ないから七瀬のまま遺跡に行ったんだよ」
「何でだよ。一日ぐらい休めばいいだろ」
「いや、真里野に喧嘩売られてたしさぁ。おまけに雛川先生を人質に取ったとか言われるし」
「はぁ?」
「まあ結局それは仮面の男の仕業だったんだけど」
 どうせまともに聞いちゃいないだろうと思いつつ、言えなかった出来事をずらずらと並べ立てる。
 適当に流されるかと思ったが、皆守は仮面の男、に反応した。
「そいつに会ったのか?」
「あー。ホントに仮面つけてたぜ。何か白っぽいの。おまけに黒いマント。あれ、何かのコスプレか?」
「おれに聞くな。……そいつが雛川を人質に?」
「そうそう。おれと七瀬が入れ替わったことも知ってたし、遺跡に関係あるのかと思ったら生徒会とは敵っぽいし。ただ、そいつが真里野をけしかけてたのは間違いないっぽいな」
「ふぅん……」
 皆守は何か考えるようにしながら九龍の言葉を聞いていた。パンを食べる間、消されていたアロマの火を再び付ける。
「そいつの目的は何だ? 真里野をけしかけてそいつに何の得がある」
「さぁな。おれは最初、同じハンターかと思ったけど」
「何でだ」
「生徒会の敵っぽかったし? ああ、おれに対して目的が同じとか言ってたんだよな。……あ、おれに生徒会倒させようとしてんのか……!」
 ようやく気付いたように大声を上げる九龍に、皆守が再び呆れの視線を向ける。
 もうちょっとちゃんと考えろってことだろ。わかってる。
 大丈夫だ。こうして話しながら考えてるんだ、おれは。
「なるほどな……。けしかけられたのはお前も一緒か」
「しょうがないだろ……! どっちにしろ、おれも遺跡は行かなきゃなんないし」
 そいつの目的に沿うのは癪だけど。
 だからと言って、それに遠慮して探索を止めては意味がない。
 出し抜かれないよう注意するしかない。
「お前も気にしといてくれよ。例えば、仮面の男がこっそり着いてきてないか、とか」
「気が向いたらな」
「出し抜かれたらお前のせいにしとく」
「ふざけんな」
 九龍は石碑から飛び降りると辺りを探りながら歩き出す。皆守も着いてきた。
 ここは真里野の区画。再調査を兼ねて皆守を呼び出していた。八千穂も呼んでいたのだが、直前になって七瀬と居るから無理、と返事が返ってきてしまった。
 そういえば七瀬にはまだ九龍の正体を教えていない。
 七瀬が学校を休んでいるのは単なる筋肉痛らしいが(これも九龍のせいだ)、おかげで変な噂が広まっているらしいことは既に聞いている。朱堂からも奈々子からも、それを気にするメールが入っていた。
「皆守ー。お前、明日学校行ったら、葉佩は寮でじっとしてるとか言っといてくれ よ」
「してないだろ」
「してる! 夜まで全然出歩いてねぇ……!」
 七瀬と居る、なんて話にさえならなければいいのだ。
 じっとし過ぎて部屋に気配が感じられないのも悪いらしいが、一人で部屋の中で騒ぐのも馬鹿みたいだ。ゲームはずっとやっていたが。
「あー、でもやっぱお前じゃなぁ……。朱堂ちゃんに頼むか」
「間違いなく朱堂と二人きりとか言う噂になるな」
「ああああ予想出来る……!」
 その通りかもしれない。
 九龍はがっくりと肩を落とした。
「噂ってどうやって広めんのかな……。あの探偵にでも聞いてみるか」
 あれは見事だったよな、と言うと皆守は顔をしかめる。
「まあ、この学園は怪談を元にした噂は特に広まりやすいからな」
「あー、3番目のツチノコ、かぁ。それ使おうかな。1と2はもう使われたし……あと何だ? 皆守、4番目知ってる?」
「4番目の幻影。通称ファントム、だな」
「……ファントム? ってオペラ座の怪人の?」
「まあそれが一番有名なんじゃないか」
 九龍のイメージの中のファントムは、白い仮面に黒いマントを着けた怪しげな男。そしてそれは……例の男のイメージとぴったり一致した。
「……おい。その怪談って」
 既に起こってんじゃねぇか……!?
「……あれって、マジで幽霊? ……いや、それはない、よな」
 九龍の目撃した男には確かな存在感があった。
 幻影、と言われてもピンとは来ない。ならば、怪談を利用してのあの格好? 何のために?
 考え込む九龍に、皆守は何も言わなかった。










 その噂が広まり始めたのは、更にそれから一週間以上経ってからだった。
 学園の救世主、ファントム。
 目撃証言が少しずつ増え始め、助けられた、見守られている、などの話が出てきた。ちょうどツチノコの噂が広まったときと同様に連鎖的に話は作られていく。本当かどうか、など気にする人間は居ない。誰もが無責任な噂と自覚しているだけに、わざわざ疑いの言葉を向けても、冷めた反応を返されるだけだ。
「……幽霊なんて居ないっつったら空気の読めない奴扱いだもんなぁ……」
 4番目の幻影。それは、元々救世主的な扱いをされる「キャラ」であったらしい。それもあって、猟奇的な方向には話は向かわない。それはある意味、面白みのない話であり、だから噂が出始めて一週間。そろそろ静まる頃かと思っていたときに──事件は起こった。
 生徒会執行委員による理不尽な処罰と、それを助けたファントムの話。
 今度はいい加減な「友達が見た」なんて話じゃない。処罰を受けた怪我人は存在し、目撃証言は複数。しかも銃で撃たれたという話だった。そんな傷、そう簡単に作れるものでもない。ファントムに関する噂は方向を変えて再び盛り上がり始めていた。
「猫も杓子もファントムファントム、か」
「なんかファントム同盟なんてのも出来たらしいよ?」
「おー、おはよう2人とも。何だよ、2人で登校か?」
「あほか。そこで会ったんだよ」
「皆守くんがショートホームルームより前に来てるからびっくりしちゃった。九龍くんが起こしたんじゃなかったの?」
「とりあえず来る前にドアに一発蹴りは入れてきたが」
「やっぱりお前か」
「って蹴んな……!」
 言った瞬間足を振り上げてくる皆守を慌てて避ける。座っていた九龍はその拍子に椅子から転げ落ちてしまった。
「だ、大丈夫? 九龍くん」
「痛って〜……。お前っ、わざわざおれを蹴りに来たのかよ」
「その通りだが」
「その根性、他で出せよホント……」
 倒れてしまった椅子を起こし座り直す。皆守も自分の席に着いたが、八千穂は立ったままだった。
 教室の隅では何やら歓声が上がっている。
「……ホントに凄いねぇ。ファントム人気」
「みんなよっぽどうっぷん溜まってたんだな……」
 厳しすぎる上に意味不明な校則。それの違反に対する処罰として刀で斬られたり銃で撃たれたり、はさすがに割に合わないだろう。真里野のあれは、白い仮面の男に唆されてのことだ。だからおそらくこれも──本当に影に居るのは、そのファントム。
 何が目的かと思っていたが、まさかこうして祭り上げられること、じゃないよ な?
「それでファントム頼りってことか。ったく、自分から何かをする勇気のない奴に限ってああいうのを祭り上げたがる」
 嫌悪の入った皆守の口調に多少引きながらも、九龍は頷いた。
「まあなぁ。でも大衆がファントムの味方につくってのは生徒会的には痛いんじゃないか」
 いくら生徒会の力が強いと言っても、徒党を組まれると厄介だろう。学園内で何十人もを一斉に処罰するのは厳しい。出来たとしても、全員一緒ならそれぞれのダメージも少ないだろう。みんなでやれば怖くない論理。
 だが皆守はそれを鼻で笑った。
「ふん。お前はまだ本当の生徒会を知らない。小さな力をいくら寄せ集めてみても絶対に敵わないことを奴らも知るべきだな」
「本当の生徒会ねぇ……」
 やっぱり皆守は何かを知っているのだろうか。
 以前このクラスに居たという転校生──彼(彼女かもしれないが)の存在はここから消えている。怪我や退学とも違う処罰──。そうだ。執行委員に負けた者は一体どうなるのか。九龍はあそこで命の危機すら何度か感じた。殺されることまではない──間違いなく生徒たちはそう思っている。それは……間違いか。
「あっ、ねぇどこ行くの? もうすぐホームルーム始まるよ?」
 八千穂の言葉に顔を上げれば、一度座ったはずの皆守は再び立ち上がり教室を出ようとしているところだった。皆守はその言葉にうざったそうな視線を返す。
「無理に早起きしたせいで頭が痛いんだ。保健室で一休みしてくる」
「お前、ホントにおれを蹴りに来ただけかよ……」
「せっかく来たのにそれじゃ意味ないじゃん〜」
「いいだろ。ホームルームが始まる前に教室に入るという偉業を成し遂げたんだ。あとはゆっくり休ませろ」
「まあ確かに偉業だな」
「あっ、ちょっと皆守くん!」
 皆守はそれだけ言うと本当に去って行ってしまった。
 おれならせっかく早起きしたんだからホームルームぐらい、と思うけどな。
 本当に皆守の価値観はよくわからない。
「も〜、相変わらず訳のわからない理屈ばっかこねてるんだから」
「まあ皆守らしいっちゃらしいけどな」
 雛川が入ってきたので八千穂も自分の席に戻った。
 ファントムのことは職員の間でも話題になっているらしい。
 雛川はそのファントムに攫われた経験を持っている。それでもファントムに対する嫌悪感を出さず、生徒たちに冷静に判断するよう言い含める辺りはさすがだな、と思った。こういう態度をされると、とりあえず聞こうという気にはなる。生徒たちの間で、ファントムは既に正義の味方なのだ。下手に攻撃的なことを言えば反発されるだけだろう。
「葉佩くん」
「えっ、は、はいっ」
 ホームルームが終わったあとぼんやりそんなことを考えていると、その雛川が目の前に居た。そういえば、雛川が攫われたあの一件以来、まともに会話をした覚えはない。わざわざ七瀬と共に口裏を合わせてくれたようなのに、それについての礼もしていなかった。
 とはいえ、学校外で会うことがないのでは何を言うにも不都合なのだが。
「先生……大丈夫ですか、あんなこと言って?」
「そうですよ。どこで誰が聞いてるかっ!」
 結局無難な、それでもちょっと突っ込んだ言葉を出す。八千穂もそれに乗ってきた。雛川はちょっと驚いたような顔をしたがすぐに笑った。こう見えても運動神経いいから大丈夫と。あの、戦う気満々ですか。っていうかこの間捕まってましたよね。
 それは多分雛川の中で「七瀬しか知らない」事柄なので勿論口には出せない。隣に居る八千穂には七瀬との入れ替わりの件は言ってあったが、雛川誘拐までは話さなかった。……怖がられたら、嫌だと思ったのだ。九龍の側に居ると危ないなんて。
「それより、あなたたちの方こそ気を付けてね。特に葉佩くん──先生に何か隠してることはない?」
「……ええと、それは思春期の男の子ですからー……いろいろと」
「もうっ……。そういう話じゃないのよ」
 雛川は何かに気付いている?
 そもそも七瀬との間でどんな話し合いがもたれたかも知らなかった。七瀬からは大丈夫です上手くごまかしました、とある意味頼りになるメールは着ていたが。
「大丈夫だよ先生っ。九龍くんには私がついてるしっ」
「八千穂、それはどういう、」
「そうね。八千穂さんが居れば葉佩くんも無茶はしないわよね」
 そういう意味ですか。
「先生、おれを何だと思ってますか」
「……聞いてもいいかしら」
「ちょっ! ちょっと待って!」
 何その意味深な台詞……!
 隠してることはないかって言ったよな。本気で、気付いてる……?
 焦った顔をしたであろう九龍に、雛川はただ微笑んでその場を去って行った。どっと力が抜ける。
「雛川先生って何か凄く九龍くんのこと気にしてるよねー」
「おれってそんな問題児だったっけ……」
 とりあえず七瀬とは話してみないとなぁ。
 九龍はため息をついてそのまま机に突っ伏した。


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