時をかける少女─6
「お主は……確か葉佩と共におった……」
「七瀬と言います。真里野さん、でしたね。雛川先生はどこですか」
部屋の入り口付近に居た真里野は、七瀬を見て当然驚きを顔に浮かべた。九龍はそれを無視して淡々とそれだけ聞く。この場に雛川の姿は見えない。どこかに監禁しているのか……どうにも、それは考えにくい。
そういえば、ここに雛川が居たらどう言い訳するか全く考えてなかったなぁ。
自分の間抜けさ加減に再びため息をつき九龍は真里野を睨む。
真里野は戸惑っているようだった。
「雛川……だと?」
「葉佩さんにメールを送ったでしょう。雛川先生を攫ったと」
その言葉に真里野は顔をしかめた。
そんなことはしていない、と強く否定を返す。不本意だと顔全体で言っている真里野に、九龍も戸惑った。
確かに、真里野が雛川に何かするとは思えなかった。
だけど、それじゃあ、あれは誰だ?
転送メールということは……誰かが真里野のアドレスを使って送ってきたのか?
メールを使用するには自分のIDとパスワードが必要だ。それらはどちらも学籍番号になっていて……パスワードは自分で変更するように、と書かれてたっけ。
……真里野の雰囲気から考えると、全くいじってないという可能性もあった。
「じゃあ誰が……」
もしそうなら真里野のアドレスを使うことは、誰にでも出来る。葉佩にあのようなメールを送ってくる可能性があるのは……誰だ?
考え込んでしまった九龍に、今度は真里野の方から問いが来る。
何故ここに居るのかと。
そういえばそうだ。
「……葉佩さんの代理に。私に勝てないようでは葉佩さんにも勝てません」
ナイフを突きつけて言ってみた。
真里野は一瞬ぽかんとしたあと、ふっ、と了解したように笑った。
「なるほどな。おなごの色仕掛けで拙者を懐柔しようというわけか……葉佩め、男の風上にも置けぬ」
「えっ、そう取る? ……取ります?」
呟きをわざわざ敬語で言い直しつつ、九龍は呆れた。
色仕掛け……と言われるのは予想外だった。
おれとしてはこう、七瀬ちゃんは葉佩九龍のために頑張ってます的な……そんなイメージだったんだけど。
大体、こんな真面目そうな子に色仕掛けとか!
……何すりゃ効くよ?
九龍が真剣に見つめると真里野は動揺したようだった。……何? 見つめられただけで弱い?
ああ。女に免疫なさそうだもんな。
自分のことは棚に上げて九龍は頷く。
それでも真里野は、七瀬を見逃すわけにはいかないらしい。それはそうだろう。墓に入ってきたからには処罰の対象となる。
……これ、何とか言いくるめないと七瀬ちゃんがやばいよな。
それには──勝つことだ。
真里野が自分の能力を説明しているのを聞きながら、九龍は銃を構える。
雑魚は……クモ。
容赦しないぜ、真里野。
「お主には、ここで死んでもらう」
「私はここで死ぬわけにはいきません。雛川先生もあなたも、救ってみせます!」
だから、悪く思うなよ!
九龍は遠慮なく引き金を引く。
七瀬の体で接近戦は怖い。今日はこれで行くつもりだった。人をあまり撃ちたくない──など言ってる場合ではない。
どうせ大したダメージにはならない。
「くっ……ちょこまかと!」
振り回す刀から逃れながら九龍はひたすら銃を撃つ。一撃でも当たれば、かなりのダメージになるであろうことはわかる。撃って逃げてを繰り返し……やがて、真里野から大きな悲鳴が上がった。
「真里野っ、どこか隅に行ってろ!」
完全に素を出して真里野に怒鳴ったが、真里野は蹲ったまま動かない。意識はあるようだが、もうろうとしているのだろうか。今日は運んでくれるバディは居ない。
「しかもこうもりか……!」
次の敵は密集している。こんなときこそ八千穂ちゃんの出番なのに。スマッシュが欲しい。切実に。
「……勿体ないけど」
九龍は爆弾を投げた。今回は弾薬と爆弾でポケットを埋めたといってもいいくらいの完全遠距離戦法だ。それが……部屋のボスにもよく効いた。
ひたすら投げ込み、残り一発、と思ったところで、敵が消滅する。
……無傷で、勝利。
やれば出来るじゃないか、おれ。
思わず力が抜けた。
ほとんど同時にHANTが音を立てる。
「……遅ぇよ」
それは皆守からのメールだった。
件名はなし。
本文は『……大丈夫か?』の一言。
「……この点々はなんなんだよ……!」
心配されてるのかと思ったが、これはひょっとしてあれか。
(頭が)大丈夫か、とか言われてるのか。
初っ端で七瀬ちゃんになったとか書いたもんな。畜生今すぐ見に来い。七瀬ちゃんの顔でありえないこと喋ってやるぞ。
「うう……」
「あっ、真里野……さん! 大丈夫ですか」
ふと見れば、真里野が体を起こすところだった。メールの返信は後回しにして、九龍は真里野に駆け寄る。その途中で、化物が変化した手紙を拾った。
「これ……真里野さんのですよね」
大切なものが手紙……か。
誰からのものかはわからないが、つまり忘れていたのは人、なのだろうか。
真里野の呟きからはよくわからない。
思い出したことよりも、七瀬に負けたことがやはりショックなようだ。
でも策に嵌ったって。おれ、何かお前をはめたか?
ああ、やっぱり女相手じゃ力出し切れないもんかなぁ。
今度ちゃんと男の姿で再戦してみたいよ。
「不甲斐なきはこの腕よ……。真里野家のご先祖様にあわす顔がないわ」
「いや、一度負けたぐらいでそんな、」
「かくなる上は、腹を捌いて自決するのみ」
「って、ちょっとおおおお!?」
体を起こした真里野が自分の腹に刀を向ける。九龍は慌てて、思わずその刀を蹴り飛ばした。あ、しまった。パンツ見えたかも。
真里野が真っ赤になって顔をそらしている。見たな。見やがったなお前。
「真里野さん、やめてください! 死んだら、あなたは一生負けたままですよ!」
死んだら一生も何もないな。
思って言い直す。
「ま、負けたまま逃げちゃうんですか! 私は……じゃなくて、葉佩さんはいつでもお相手しますよ! また腕を磨けばいいじゃないですか」
真里野の前に座り込み必死で説得してみる。真里野の赤い顔が何とか真剣な光を宿してきた。
どうやら、思いとどまってくれたようだ。
「そなたは、拙者に生きよ、というのか? そなたのように葉佩のために──」
「へ? あ、そうそう。うん、葉佩に勝つため、に?」
何かおかしくないか、と思ったが真里野は納得したように頷いた。
そして懐に手を入れ、何をするのかと思えばプリクラを渡される。
「これを……葉佩にも」
「え?」
2枚目。
こんな時代錯誤な奴でもやってるんだなぁ。友達の証。
「……わ、わかりました。渡しておきます」
どうしよう。七瀬ちゃんにどう説明しよう、これ。
「とにかく……戻りましょう。井戸に寄れば怪我も治りますから……」
まだふらついている真里野を支えながら井戸に向かう。
九龍はHANTを取り出し、皆守への返信を考える。
「……ま、勝った、だけでいいか」
何があったか言うべきか悩むところだが。
これ以上可哀想な扱いはされたくない。
一人で探索したんだぞ、という愚痴だけはあとで思い切り言わせてもらうことにしよう。
「……で、これいつまでこうなんだ……」
遺跡から上がり、真里野は先に帰ってしまった。
そなたに出会えて良かった、など赤い顔で言われてしまい非常に複雑な気分だが、今はそれどころではない。
戻ったときどうしよう、とそればかり考えていたが。
……戻らない、のか? これ……。
遺跡に入り、一区画突破しても、呪いの正体は掴めていない。
真里野は関係なかったのだろうか。そもそもどこで受けた呪いなのか。
「あっ……!」
そして九龍はここでようやく、雛川のことを思い出した。
あれは単なるいたずらだったのか、それとも。
思ったとき、どこからかノイズ交じりの奇妙な声が聞こえてくる。
「くくく……。まさか他人の体でありながら、あの剣に打ち勝つとはな」
「……は?」
他人の体。
その声ははっきりとそう言った。
辺りを見回し、声の主を発見する。白い仮面に黒いマントの男が、そこには立っていた。
月の出ていない薄暗い夜。その顔も表情もはっきりとは見えない。背は……九龍とほぼ同じぐらいか。いや、少し低いか?
「お前……何だ?」
七瀬の演技も忘れ、九龍は問いかける。いや、先ほどの言葉からするとこの男は……今の九龍の状態を知っている。
「何でこの体のことを知ってる? 真里野とどんな、」
関係なんだ、と言い掛けて気付く。
「……仮面の男……」
どこかで聞いたその言葉。
肥後を唆した謎の人物。
こいつか……!
「お前っ、お前が肥後や真里野を唆したのか! 執行委員じゃねぇな? 何者だよ」
2人を唆して何の意味があるのかわからない。
仮面の男は慌てるなと言いながら正体については口にしない。
無理矢理仮面を剥ぐか、と九龍が構えたとき、男は続けてこう言った。
「今日は預かっていたものを返しにきただけだ」
来いっ、と何かを引っ張る男。
墓石の影から、縛られた状態の雛川が引きずられるようにしてそこに現れた。
「先生……!」
目隠しをされた雛川は、それでも声の主を探すように辺りを見回している。
怯えた様子はない。憔悴した様子もなく、九龍はほっとした。
それでも、メールが着てから今までずっと捕まっていたのなら、かなりの時間この状態だったはずだ。
九龍は男を睨みつける。
ただ真里野と九龍を戦わせるためだけに雛川を攫ったのか。
そんなことしなくても逃げねぇよ、と思うが、七瀬の格好のまま迂闊なことを言えない。声でばれてしまう可能性があった。
だが、結局男が雛川を解放し、雛川の目に七瀬の姿が映ってしまった。
「七瀬さん? その格好は一体……」
七瀬の制服の上からアサルトベストを着込み、暗視ゴーグルも着けている。
ごめんなさい。忘れてください、頼むから。
九龍が思わず顔をそらしていると、雛川は男の方に視線を向けた。
強い口調。攫われてきてこの態度。おっとりしているようで、凄い先生だと改めて思う。
男の方は雛川には興味がないのか、再び九龍へと話しかける。
あああ、そこでおれの名前を出すな……!
「お前の体に起きた異変は、この学園を覆いつつある混沌がもたらした結果だ」
「……何?」
「お前には生徒会を相手にもっと働いてもらう必要がある。同じ目的を持つ仲間として──な」
同じ目的……。
こいつも……ハンターか?
目をこらしてみるが、仮面に覆われたその顔の様子はやはりわからない。
この学園は呪われている。
学園自体の闇が、九龍をこの状態にしたのだろうか。
辺りに響いている声に頭が痛くなる。
こいつは何者だ。呪い、悪霊、生徒会──。
「七瀬さんっ!?」
それ以上考えることは出来なかった。
九龍の意識はうっすらと遠のき、雛川の悲鳴のような声を聞きながら、九龍はその場へと倒れこんでいた。
「たんぱく質結晶化しました──」
「それでは、実験を次の段階に──」
「まだ、時期尚早──」
「我々の計算に誤りは──」
「何のために多くの被験体を──」
「もう時間が──」
何の夢だ、これ?
何だかよくわからない。実験をしている科学者の夢。
夢だということはよくわかる。自分はそれを外から眺めている。いや……これは、自分が実験体……か?
ぼんやり考えている内に意識が浮上した。
カーテンから差し込む光。鳥のさえずり。
ああ、寮に居る。
枕元にあるはずのHANTに手を伸ばす。だが、見当たらない。
「ん〜……?」
ごぞごぞと動き回り、九龍は結局体を起こした。
するりと、ベッドの上から何かが落ちる。
「……本?」
よく見れば枕元には積み上げられた数冊の本。背表紙に図書室のラベルが貼られている。
こんな本、借りてきた覚えがない。
「あれ……? おれ、昨日……」
学ランを着ていた。制服のまま寝ちゃったのか。
部屋を見渡して、何やら違和感を覚える。
あれ? ポスターがないぞ。脱いだ服もいつも椅子にかかって……ないな。机の上にあったはずのカレー鍋もない。貰い物のぬいぐるみも……。
どんどん、とドアを叩く音。
誰だよ、うるさいな。
だが聞こえてきた声に一瞬で目が覚めた。
寮の管理人。
そして、ざわつく女生徒の声。
ようやく。
ようやく思い出した。
おれ、昨日、七瀬ちゃんと……!
慌てて立ち上がり体を見下ろす。
間違いなく男の体。そしてここは……七瀬の、部屋?
「戻った……のか」
一晩眠れば元通り。そんな単純なことかよ!
ドアの外は更に騒がしさを増している。
おれ、これ……やばいんじゃないか?
よりにもよって体側に戻るなんて。っていうか七瀬ちゃん、外出るときどうするつもりだったんだよ……!
九龍は窓を見る。
飛び降りるか。
飛び降りるしかないか。
だが、遅かった。
「入りますよ」
がちゃ、と音がしてドアが開く。
管理人の持っている合鍵……なのだろう。
管理人と、その後ろから覗き込んでいた女生徒たちの間にどよめきが起こる。
あああばれた。
完全にばれた。
「なっ、何で男子が女子寮に……」
「ええと、これは、その」
何か言い訳。上手い言い訳。
必死で考えるも何も浮かばない。
そこへ八千穂が顔を出した。
「あ、八千穂……」
助けてくれ、とは言えなかった。
怒りの表情の八千穂は、拳を握り締め震えている。
「や、八千穂……?」
ええと、落ち着いて聞いてくれよ?
お前の親友にも関わる大事な話──。
九龍が近付いた瞬間。
八千穂の拳が九龍を吹き飛ばした。
「九龍くんのばかぁぁぁっ!!」
……八千穂の馬鹿ぁあ!
言い訳ぐらいさせてくれよ……!
思う間もなく、九龍はそのまま部屋の机に激突し、気を失った。
その後七瀬と雛川が駆けつけて言い訳をするまで、九龍は部屋の外に放り出されていたらしい。
遺跡の外での怪我は治らないんだぞ、八千穂。
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