時をかける少女─3

 昼休みがそろそろ終わろうという時間。九龍は皆守を置いて屋上を降りてきていた。校舎内は相変わらずいつもと違ったざわめきを見せている。廃屋でツチノコを見た、という言葉に駆け出して行く生徒たち。
 ……おれも行ってみようかな。
 軽い足取りで階段を下りながら考えていると、踊り場に男が立っているのが見えた。真里野だ。
「よぉ。ええと、真里野だっけ」
「さっきは邪魔が入ったな」
「いやいや。で、戦うんだっけ?」
「ああ。今宵、《墓》の奥にて手合わせを願いたい。お主の噂を聞くにつけ、是非とも、その腕前が見てみたくなってな」
「やっぱ強い男と戦いたい、とかあんのか」
「当然だ。お主にはそういった気持ちはないのか」
「うーん……」
 戦わなくて済むならありかな、とも思うが強そうな奴を倒すのは好きだったりする。おれ強ぇって気になりたいというか。でも出来れば化物相手の方がいいんだよな。試合、は苦手だ。怪我させちゃいけないし。
「まあ、お前とは戦ってみたいよ。墓の奥でいいんだな?」
「ああ。もしお主の腕前が噂通り本物であるならば、待ち受ける化人と罠を越えて拙者の下まで辿り着ける筈」
「……そこはやっぱ通らなきゃならないんだ……」
 そういや執行委員って化人に襲われないのか? 朱堂ちゃんがおれたちが行く前、あそこ通ってたんだよな。罠も化人も墓守なら当然回避出来るのか。なら一緒に行けばいいのに。あそこ通過したあとって結構疲れ切ってるぞ、おれ。それで正々堂々勝負できるのか?
 などと思ってはみるがかっこ悪いので口には出さない。
 ああ、罠も化人もしっかり乗り越えてやるよ。
 ……真里野のとこ行くまでは仲間も一緒でいいんだよな?
 ほら、やっぱタイマンにはギャラリーも必要だしな?
 とりあえずいいらしいので真里野の申し出は二つ返事で了承する。
 どうせ戦うならまどろっこしいことは要らない。
「では今宵。暮れ六つ半に墓の奥で待っておる」
 それは何時だ。
 ああ、7時な。了解了解。
 時間を理解したことで九龍は反射的に頷いたあと、思う。
 ……ちょっと待て、7時!?
 それは、7時に真里野の下まで辿り着けってことか? それ、何時から入ればいいんだよ、初めての区画とか2〜3時間平気でかかるんだぞ、おれ?
 ……まあいいか。宮本武蔵戦法ってのもあるし。
 基本的にルーズな九龍は遅れること前提で納得しておく。それでも、いつも墓に入る時間よりはるかに早いので、不安だが。そんな時間に墓の周りうろついて大丈夫だろうか。っていうか八千穂ちゃんの部活が終わってねぇ……!
 文化部は終わりが早いし、椎名か肥後にでも頼むべきかなぁ。一人は皆守に決定だ。当然。
 真里野が去ったあともぶつぶつ考えていると、突然背後から声をかけられた。
 階段を駆け下りる慌しい足音には気付いていたが。
 八千穂か。
「九龍くんっ。どうしたの? 真剣な顔しちゃって」
「たまには真面目に考え事を」
「考え事? あ、わかった。ツチノコのことでしょ?」
「……あー、それもあったなぁ」
 今日はツチノコ探しは無理、と言って納得してくれるだろうか。
 墓に行くといえば部活を早めに切り上げてでも来てくれそうだけど。
「え〜忘れてたの? さっきも一年の子が廃屋でさぁ」
 言いかけた八千穂の声を遮るように、階段上から大声がした。
「泥棒だっ! 誰かそいつを捕まえてくれ!」
「ん?」
「そいつ、ウチの教師じゃないぜっ!」
 ばたばたと駆ける音。
 こんな白昼堂々と泥棒?
 どんな奴だ、と見上げたとき、その派手な姿が目に入った。
 見覚えがある。
「ちょっと、ごめんよお嬢ちゃん」
「きゃっ」
「探偵……!」
「ん? きみはいつぞやの、」
 男が足を止めたが、頭上からの声に追われていることを思い出したのか、そのまま慌てて階段を駆け下りて行く。おいおい。あの格好で校舎内に入ったのか?
「九龍くんっ、何やってるの! 追いかけないと!」
「え? あ、ああ、そうか」
 泥棒だもんな!
 何盗ったんだと思いつつ、九龍も後を追って駆けて行く。悪いけど、この状況でおれが追わないのは不自然だ!
 既に姿が見えない鴉室を目指し廊下を走る。図書館の側を過ぎたとき──突然出てきた人影にぶつかった。
「うあっ……」
「きゃ……!」
 全く気付かなかったため受身も取れず2人して派手に転がる。この声は七瀬ちゃん……!
 認識した瞬間には、九龍は地面に転がっていた。全身が痛い。くそっ。
「九龍くんっ! 月魅! 大丈夫!」
 七瀬ちゃん大丈夫か、と言おうとしたが、胸を打ったのか息が詰まって声が出ない。側にHANTが落ちているのだけが見えた。
「ああっ、逃げられちゃうよっ!」
 その声に顔を上げると、鴉室のジャケットが微かに視界の端、階段方向に見えた。九龍は痛む体を起こすと、HANTだけ持って駆け出した。
 ごめん、七瀬ちゃん!
 あとで謝る、と心の中でだけ呟いて後を追う。背後で八千穂が何やら叫んでいるのが聞こえたが、何と言ったかはわからなかった。










 鴉室が向かったのは階段の上だった。
 体が痛むせいで直ぐには階段を駆け下りることが出来なかったのが幸いした。止まったおかげで、聞こえたその足音を追って九龍は上へと向かう。廊下の隅の部屋で気配を感じ、とりあえず駆け込んだ。九龍相手なら逃げないだろうと思い、扉を一応閉める。その瞬間、突然背後から目を塞がれた。
「わっ……」
「だ〜れだっ? なんつってな。おっと、動くなよ? 騒がれると面倒なんで な」
「あのな、別に騒がなっ……!」
「っと! 大声出すなって!」
 今度は口を塞がれる。おい、何なんだ一体! 顔を見られると面倒? いやいや、知ってるだろ! おれの顔ちゃんと見ろ!
 口に出そうにも出せず、振り向こうにも振り向けず、九龍は仕方なく背後の男を蹴り上げた。拘束が緩んだ隙にもう一発。男が悲鳴を上げてうずくまった。
「うくっ……鳩尾に……。くぉらぁっ! 何すんじゃいっ! ったく、なんつ〜馬鹿力だ」
「うるさいっ、お前が大声出すなよ……!」
 今の、確実に廊下まで響いたんじゃないだろうか。鴉室が小さく「あ」と声を上げるが、もう遅い。九龍の背後で扉が開いた。
 あーあ、見付かった。
 誰だろう、と振り向くより先に聞き覚えのある声が耳に響く。
「そいつが校内で目撃されたって言う不審者か?」
「皆守、」
「離れていろ。あとはおれが引き受ける」
「は……?」
 まるで九龍を庇うように皆守は鴉室との間に入り込む。
 ど、どうした皆守?
「おー、君はあのときの無気力高校生」
「ん? 何だ、あのときのおっさんじゃないか」
 お互いそこでようやく相手に気付いたらしい。まあ皆守なら問題ないだろう。面倒ごとは嫌いな奴だし。
「何してんだよ、こんな日中の校内で」
 だが、やはり九龍と同じところは気になったらしい。
 だよな。ただでさえ目立つ男なのにな。
 鴉室はどうしてもこの時間に調べたい場所があったようだ。そしてそのために利用したのが──ツチノコ騒動。
「ええっ、あんたが噂広めたの?」
「まぁな。思った以上に騒ぎが大きくなっちまっておれ自身驚いてるんだが」
「だって見たって人結構多いのに」
 あれは嘘か! 錯覚か!
 ちょっとだけ……ほんとにちょっとだけだけど、期待してたのに。
 がっかりした顔になったであろう九龍を、皆守が少し妙な目つきで眺める。だが直ぐに鴉室の方に向き直った。
「そんなことより早く逃げた方がいいんじゃないか? じきに、ここを探しに教師や生徒たちが来るぜ」
 やはり皆守は鴉室を捕まえる気はないらしい。おれには関係ない、か。いつもの台詞だ。
 九龍も別にそれで問題ないが、八千穂にはどう言い訳しよう。
 逃げられたってのも格好悪いよなぁ。
「お前も見逃してやってもいいと思うだろ?」
 事情聴取もかったるい、という皆守が九龍に向かって言う。
「いや、聞くなよ。まあホントは捕まえたいとこなんだけどさ」
 九龍の名誉のためだけに。
 まあ、でも皆守の言う通り、いろいろ聞かれるのも面倒くさい。というか、このおっさんが何を喋るかも怖い。
「まぁ、お前ならそういうとは思ってたがな」
「いや、だから別に見逃してもいいって──」
 言ってる間にも鴉室は勝手に頷いて「そんなにおれのことが好きだとは」などと言っている。
 捕まえるぞ、この野郎。
 勿論それを口に出すより早く、鴉室は去って行った。
 軽々とした身のこなしに、思ったよりダメージを与えられてなかったなぁ、などと思ってしまう。かなり本気の蹴りだったのだが。おっさんに後ろから抱きつかれたおれの気持ちをわかれ。
「まったく……。とんだトラブルメーカーだぜ。ただでさえ、肥後をそそのかしたっていう謎の男の件でごたごたしているときに」
「そういやそんなのもあったな……」
 九龍自身はほとんど忘れていたのに。何でお前が気にしてんだよ。
「それじゃ、おれはもう行くぞ。だるいんで今日は早退することにしたんだ」
「お前な……。今日もほとんど授業出てないじゃねぇか」
「何でお前が知ってるんだ? というか、さっきからお前おかしいぞ?」
「は? 何が」
 皆守は九龍を見つめてぼりぼりと頭をかくと、ま、おれには関係ないことか、と呟く。またそれか。
「それよりお前、教室に戻るなら先にその髪や服を直した方がいいぞ。転んだみたいにぼさぼさだぜ」
「あー、さっきのかな……」
 派手に転がったもんなぁ。
 思いながら九龍は、すぐそこにあった鏡に目を向ける。
 あ、七瀬ちゃん。
 ……って、ん?
 慌てて鏡に駆け寄る。
 そこに映っているのは七瀬の姿……のみ。
 きょろきょろ辺りを見回すが、七瀬の姿はどこにも見えない。
 っていうか、これ……おれ?
 自分の手を見下ろす。ついでに自分の着ている制服も目に入った。
 明らかに、小さな手。低い目線。女子の……制服。
「どうしたんだよ? 変な顔して」
 あー変だな。
 何か変だな。
 これはあれか。夢か。
 九龍は自分の頬をつねってみた。鏡の中の七瀬が頬に手を伸ばす。
 知ってるか。夢の中で自分をつねってもホントに痛くないんだぜ。試したことがあるから間違いない。
「おい……。何やってんだ?」
 ううん、痛いな。痛いけど、それほどじゃない気もするな。
 うん、でもこれ夢じゃ……ない?
「おいっ、何やってんだよっ!」
 九龍は自分の胸に手を伸ばした。皆守の慌てた声が聞こえる。
 おお……胸、だ。何だこれ、何だ、この感じ。
「古人、曰く──」
 声も、確かに違う。
 今までもそうだったのだろうが、全く気付かなかった。
 呆然としたまま九龍は鏡を見つめ続ける。
「さっきのおっさんに怪我でもさせられたのか? おいっ、七瀬?」
 マジだ。
 これは、七瀬の顔だ。
 九龍はゆっくりと皆守を振り返る。
 どうしよう。何だこれ。
「どうしよう。何だこれ」
「はぁ?」
 思ったまま言ってみたが、当然何も伝わらない。
 おれは九龍だ、と言えばいいのか。
 でも七瀬が変な奴扱いされそうだ。いや、何かもう十分いろいろしでかしてしまった気がする。
「どうしよう……」
 心細げな顔には気付いたのだろう。皆守が少し困ったように視線を逸らす。
「何があったか知らんが、悩みがあるなら瑞麗にでも話すんだな」
 瑞麗先生。
 ううん、そういう問題じゃないんだよな、これ。
 チャイムが鳴り、結局皆守はそのまま行ってしまった。九龍はそれを見送りながら途方に暮れていた。


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