時をかける少女─1

 何だか今日は随分学校内が騒がしい。
 いつもの時間に登校しながら、九龍は慌しく駆け回る生徒たちを眺める。虫とり網を持っている生徒が見えた。
 ……何か居たのか?
 虫とり網と言えば、蝶、蝉、カブトムシ、トンボ……。九龍は自分の経験からそれの使用法を考えるが、高校生たちがこれだけ騒ぐのならそんな単純なものではないだろうか。七色の蝶が出たとかどうだろう。
「おいっ、あっちだ! あっちに出たぞ!」
「マジかっ! おい、急げ!」
 ばたばたと駆けて行く男たち。
 ……ホントに何なんだ。
 さすがに気になって、九龍は足を止める。追いかけてみようかと振り向いたとき、すぐ後ろを歩いていた男が目に入った。
「わっ! と、取手?」
「あっ、ごめん。さっきから声をかけようかと思ってたんだけど……」
 あまりの近さに驚いた。どうやら元々近付いてきてたらしい。もうちょっと手前で声をかけて欲しいなぁ、と思いつつ九龍は笑顔を見せる。
「いや、いいけど。そうだ取手、この騒ぎ、何か知ってるか?」
「ああ……さっき寮を出るときに聞いたんだけど、つちのこが出たって話だよ」
「……つちのこ?」
「つちのこ、知ってるかい? 日本では結構有名なんだけど」
「知ってる知ってる。ってかおれ、普通に中学まで日本に居たからな? 何か、いつの間にか海外育ちにされてるけど」
 取手は九龍の正体を知っているので言ってしまっていいだろう。取手はあまり驚いた様子も見せず、そうなんだ、と軽く言った。予想はしていたのかもしれない。うん、やっぱおれ完璧に日本育ちだよな。英語の発音悪いし。
「それにしてもつちのこかぁ。ここはホント妙なもんで盛り上がるよな」
 あの遺跡が何かしら影響しているのかもしれない。……まさかあそこの化人が外に出てきてつちのこに間違えられたなんて話は……ありそうで怖い。
「あそこ、つちのこに見える敵とか居なかったよな……?」
「え? ああ、遺跡のことかい。そうだね。蛇は居たけど、あれはコブラみたいな感じだったよね」
「だよなぁ。つちのこに見えるってことはない……っていうかもしホントに出てきてたら大変なことになってるよな……」
 墓を出た化人が人間を襲うのかどうかは知らないが。そもそも墓を出られるとも思えない。あれは、あの場に縛られている。自分たちの区画からすら、出ることは出来ないようだった。
「じゃ、やっぱり本物か、単なる見間違えか……取手はどう思う?」
「え? そうだね。本当だったら面白いなとは思うけど……」
 あまり信じてはいない、ということだろうか。
 どうにも今時、って印象もあるしな。つちのこ。流行り物は時が過ぎるとそうなってしまう。ああ、でも見付かれば新たな流行が──、
「あっらー、葉佩ちゃんに取手ちゃん。何を立ち止まってるの、こんなところで」
「あ、朱堂くん……」
「おっと、ホントだ。授業遅れちまう」
 気付けばあたりの人影も少なくなり、生徒の騒ぐ声も聞こえなくなってきていた。とりあえず歩き始めた九龍と取手の間に、朱堂が入り込む。
「何の話してたのよ?」
「つちのこ。朱堂ちゃん知ってるか? 最近話題らしいけど」
「そういえばクラスの子が騒いでたかしらねぇ。つちのこなんてぶさいくな生き物には興味ないけど」
「でも未知の生物だぜ? 発見すると賞金貰えるとか昔やってなかったか?」
「あら、葉佩ちゃんは興味あるの?」
「古人曰く、好奇心は知性の、ええと」
 七瀬の真似をしようとしたのに全く出てこなかった。
「何か、好奇心を持つことは大事、みたいな感じ! ……トレジャーハンターとしてもな」
 最後はぼそっと呟くように言えば、朱堂も取手も納得したように頷いた。
 実際思わぬことが超古代文明を解き明かすヒントになってたりもするし。今回のそれだって遺跡に関係ないとは……言い切れない。多分。
「さすがは葉佩ちゃんね。どんな些細な情報でも見逃さないことが大事……恋にも言えることだわぁ」
「そっちに行くのかよ。まあ、おれもどっちかと言うと取手と一緒で居たら面白いなぁ、程度なんだけどな。ほら、新発見、って何かわくわくしないか? 今までありえないとされてたものが確かめられる瞬間とかさ。むしろ、今まで考えたこともなかったものが実は遥か昔に存在してた、とかさ。それを更に自分が発見したとかなったら一生歴史に残るんだぜ? そりゃぁ、男なら興奮して当然だろ!」
 段々熱っぽくなってしまった会話を、取手は微笑んで、そして朱堂はきらきらした目で見つめてきていた。
「私は男の気持ちにはあまり詳しくないけどっ。夢を追う男が輝いてるってのはホントね! 今の葉佩ちゃん素敵よ!」
「お前はホントそればっかか!」
 近付いてくる朱堂に軽く蹴りを入れるがしなを作ってかわされる。別に本気で蹴ったわけではないが、余裕の顔をされるのも癪なのでもう1発いった。
「葉佩くん、階段で暴れると危ないよ」
「お前はどこまでも冷静だな……!」
 弱気に見えて、意外にクールなのが取手だ。遺跡ではありがたいが友達とじゃれあってるときには言うな! と、言うと悲しそうな顔をされた。ちょっ、待て! 違うから! これツッコミだから!
「じゃ、ぼくはここだから」
「あ、おう」
 フォローしようとしたのにさらりと笑顔になって取手は教室に入って行ってしまう。あいつも何か読めないよなぁ。
「じゃあ私もここでお別れね! 葉佩ちゃん、次はいつ会えるかしら!?」
 あの場所で、と意味ありげに囁かれる。囁きなのにとても大きい。うん、周りの奴らに聞こえるように言いやがったな?
「まあ、その内な……」
 げんなりとしながら答えて、そのまま足早に自分の教室へと向かう。
 背後で朱堂の高笑いが聞こえた気がした。










「九龍くんっ、おはよー」
「おはよー八千穂ー。今日も元気だねー」
 教室に入った途端駆け寄ってくるのは八千穂。目がきらきらしている。これは、何か新しい話題を仕入れたときの目だ。何かあったのか、と言ってみると大きく頷きながら八千穂は言った。
「うんっ、九龍くんはもう聞いた? 学園の敷地内で謎の生物が目撃されたって話」
 おお、それか。
「ツチノコ?」
「そう、それっ! さっすが情報が早いね〜。なんたってトレジャーハンターだもんね」
「おう。情報収集はプロの基本だぜ」
「うんうん。かっこいいよ」
 頷きながらいつものように鼻をこする八千穂。九龍のことで妙に得意げになる様子が何だか嬉しい。八千穂は更にそのツチノコの話を続ける。かなり具体的な目撃談があるようだが、八千穂自身は見ていないらしい。「友達から聞いた話」かぁ〜。まあ狭い学園だし、辿ろうと思えば辿れるだろうか。
 そんなことを考えながら聞いていると、八千穂は突然顔を近づけて声を潜めてきた。な、何だ?
「八千穂?」
「……実はみんながこんなに大騒ぎしてるのにはもう一つ理由があってね」
「おう?」
「うちの学園には……三番目のツチノコって怪談があるんだ」
「はぁっ……!?」
 三番目のツチノコ。ツチノコ!?
「怪談で? マジで?」
「うん。最近作られたものとかじゃないんだよ。私が入学したときからあるもん」
「それが怪談? 何なんだ、ツチノコが出て誰か食っちゃうとか?」
 九龍の言葉に八千穂は目を丸くして、違うよ、と笑いながら首を振った。
「ツチノコを捕まえた人は願いが叶うとかそんなの。そんなんで叶ったら苦労しないけどね」
「そりゃそうだろうけど……凄ぇな、そんな怪談まであるのか、ここ」
 一番目のピアノに二番目の光る目……だっけ?
 そういえば最初のは取手が、次のは朱堂が関係していた。怪談を利用して騒ぎをごまかしているのか、騒ぎをごまかすために怪談を……ん? こんな話前に聞いたな。
「でさぁ、願いが叶うかどうかはともかく、ツチノコって自体凄く珍しいと思わない?」
 八千穂。何を考えているか丸分かりだ。
「私たちで捕まえてみようよっ!」
 やっぱりそうくるか。
「……勿論居るんなら捕まえたいとこだけどなぁ。ああ、ツチノコ捕まえたら賞金出るって言うから、案外願いが叶うってそのことかもな」
 九龍は金より名誉が欲しいが。だって、捕まえたら凄いことだぞ、それ。
「ああっ、そうかも! ね、ホントにやってみようよ。九龍くんとなら心強いし〜」
「えー、おれ生き物の捕獲は専門外だぜ」
「でもハンターでしょ?」
「……まあ、宝って、物とは限らないんだけどさ」
 猫すら上手く捕まえられないのに。
「おい、葉佩。悪いこと言わないから止めとけ」
 そう思っていたとき背後から声が聞こえた。
 反射的に振り向いて──目を丸くする。
「皆守!?」
「よぉ」
「み、皆守くんっ!? どうしたの、凄く早くない!?」
「そうだぞ、お前、時間間違えてんじゃねぇか? まだ1時間目始まる前だぞ!?」
 転校してきて一ヶ月。そんな時間に姿を見たことはない。
 何かの間違いじゃないかと慌てる八千穂と九龍に皆守がため息をつく。
「下の階で2年が騒いでたんで目が覚めたんだよ。まったく、喧嘩なら外でやれってんだ」
「あー、そういえば何か騒がしかったっけ……」
 その頃には九龍も寮を出るところだったが。
 あれで目が覚めたのか。確かに派手な音がして一瞬何事かと思ったもんな。
「そうだったんだ。でも良かったじゃない早起き出来て。あっ、そうだ。皆守くんも私たちと一緒にツチノコ捕まえに行く?」
 先ほど皆守が九龍にしてきた忠告など軽くスルーして、八千穂は笑顔でそう言う。というか、おれは既に参加決定か? 別にいいけど。
「何がツチノコ捕まえに行く?──だ。あんなもん捕まえられるわけないだろ。やるだけ時間の無駄だ。おれだったらその分昼寝でもするがな」
「んなこと言ってたら何も出来ねぇじゃん。探索しに行って何もありませんでした、なんてことは結構あるんだぞ! 無駄かどうかはまずやってみないとわからない!」
「ああ、わかった。わかった。じゃあお前らだけでやっとけ」
 熱弁も軽くいなされた。畜生。
 八千穂はそれより皆守の前の言葉が気になったようだ。
「あんなもん──って、皆守くん、ツチノコ見たことあるの?」
 何故そういう発想にいきますか八千穂さん。
「あ、あぁ、まあな」
「そしてお前は何を言い出すんだ!」
「あ? 何だよ、そんなにおかしいか?」
「だって見たことあるって凄いよ? ねえ、じゃあどんな姿してた?」
 八千穂の顔は興味よりも、何かを試している感じだ。何せ皆守の目は泳いでいる。何考えてるんだ、お前?
 皆守は立ち上がると左手でチョークを掴み、さらさらと絵を描いていく。
「ツチノコだろ? えーと、そうだな、確か……」
「……鬼?」
 思わず小さく呟いたが、誰にも聞こえなかったようだ。
 普通に手足が付いて角が生えてキバがあって……って、だから鬼だろ、これ!?
「ツチノ子っていうぐらいだからな、こういう子どもの形してたぜ? なかなか凶悪な面構えだろ?」
「マジかお前……」
 まさか、ツチノコを知らないとは……!
 だが、よく考えたらブームになったのって自分が生まれる前だったか? 昔の漫画とかで読んでいたため時期がはっきりしない。
 皆守の顔から、九龍たちをからかっているとも思えなかった。というか、こんなからかい方ないだろ。
「ぶー、残念でしたっ!」
 八千穂は明るくそれを訂正する。皆守のあれを見て冷静にツチノコの解説が出来るのも凄いな、と思う。
 皆守の絵の隣に八千穂もその絵を描く。かなりデフォルメされているそれは可愛い蛇のようだったが、間違いなく皆守よりは近いだろう。
「太くて短い胴体と恐ろしい顔つき。これがツチノコの姿だよ」
 いや、その絵に対するその解説は間違ってる。
「何だよ、その不細工な生き物は……」
 何言ってんだよ、可愛いじゃんか。
 そして2人は同時に九龍に顔を向け、どちらのツチノコが似ているか聞いてきた。
「……そりゃ、まあ見たことはないわけだからどちらが似ているなんて答えはない。ないんだけど……皆守、お前ふざけんな」
「どういう意味だっ」
「そのまんまの意味だっ! お前ちょっとツチノコについて調べてこい!」
 『土の子』なら正解かもな! ああ、じゃあ音で取り違えているだけって話だ。でも、やっぱりそれはない。
「はぁ……」
「ん?」
 言い合っている最中、ため息が聞こえた。
 八千穂ではない。振り向けば、教室に入ってきたのは七瀬。
「古人曰く、我々は皆、真理のために戦っている」
「七瀬ちゃん、ちょうどいいところに! ちょっとこの馬鹿にツチノコについて教えてやって」
「おい、おれは、」
「ツチノコとは古代より日本に存在していたUMA──未確認生物です」
「うん、やっぱ七瀬ちゃんの分野だよな、これ」
 きらりと眼鏡を光らせて。
 七瀬はツチノコの姿や伝承について語っていく。相変わらず凄い。皆守は半分寝かけているようにも見えるが。
 へぇ、古事記にも書いてあるんだ、などと思いつつも知っていたかのように頷いておく。九龍が全く博識でないことは既にばれていると思うが、七瀬は聞いてもらえるだけで嬉しいらしく、次第に視線は九龍に固定され、口調も熱っぽくなっていった。
 興奮気味の七瀬とは全く違った方向で、八千穂も頷いている。
 八千穂にとっては、捕まえられるかもしれない、という情報だけで十分だったらしい。だが、それに七瀬が怒りを燃やす。
 野に住んでいたツチノコがこんなところに現れるなんて、文明の進歩で自然が奪われたせいではないかと。だから、それは人間に責任があるのではないかと。
 ううん、そういう話はちょっと苦手だ。九龍にとっては人間も自然の一部だ。人間が行う自然破壊も、それこそ自然の成り行きではないかと思っている。
 突き詰めると、他の動植物なんざ知ったこっちゃない、という考えに行きそうで、それ以上考えないことにしているが。
 そして答えられないでいる間に、皆守がぽつりと言った。
「責任か──」
 七瀬の視線がようやく皆守に移る。
「文明の進歩がもたらしたのは迫害と破壊だけじゃないさ。高度な文明はおれたちに豊かな暮らしを与え、銀色のあしたを見せてくれた。そういう上で生きているおれたちに文明を非難する資格はないと思うがな」
 おお……。
「……お前ほんと言い切るな。かっこいいよ……」
 銀色のあした、はよくわからないが。
「感動したか?」
「ああ、したよ、いろんな意味で」
 正直同感ではあったのだけれど。責められるとわかっててなかなか言えない。案の定、八千穂は怒ってきた。まあ、これは七瀬に喧嘩売ってるようにしか聞こえなかったせいだろう。実際喧嘩売ってると思うが。
 そして話は結局ツチノコに戻る。
 UMAも異星人も謎だからこそ、ロマンがある、ねぇ。
「解き明かすロマンってのはないのか?」
「案外知ればがっかりするかもしれないぜ?」
「……そうなんだけどさぁ」
 そこは納得いかない。
 おれが何のためにハンターをやってると思っているのだ。
 謎が謎のままでいいならハンターなんて要らない。
 そこまで反論しようとしたとき、ちょうどチャイムが鳴った。
 1時間目は移動教室。皆守がとっとと教室を出て行き、八千穂も後を追う。
 ……人を待とうって気はないのか、2人とも!
 既に八千穂は準備済みだったようだし、皆守は手ぶらだ。
「それじゃ葉佩さん、私も行きますね」
「あーそれじゃ」
 七瀬も教室を出て行き、九龍は机の中を探る。
 音楽の教科書……どこだ……くそ、おれも手ぶらで行こうかな。
「どけ、女」
「あっ、ごめんなさい」
 ん?
 七瀬が誰かにぶつかりかけたようだ。
 思わず顔を上げる。
 七瀬と入れ違いに、教室に男が入ってきていた。
 眼帯、和服に帯……刀?
 目を丸くする九龍に、男は真里野剣介と名乗った。


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