星の牧場─3
「やっぱり来たか。なんだかんだ言っても、やはりきみたちは友達思いだな」
保健室に入るとすぐに瑞麗がこちらを振り向いてきた。それほど深刻な様子の見えない顔に一瞬安心するが、いや、この先生のことだ。やばいときでもこの顔かもしれないと思い直す。
八千穂ちゃん……大丈夫なのか。
「勝手に決めるな。それより八千穂はどうなんだ」
ずかずかと入り込んで直球で聞く皆守に、瑞麗は少し笑うと心配ない、と答え
た。
「随分と衰弱しているが、元々丈夫な子だからな。しばらく安静にしていれば問題ないだろう」
随分と衰弱って。
瑞麗の言葉にはほっと息を付くが、出てきた単語が嫌過ぎる。八千穂に、似合わない。
「葉佩」
「はい?」
どこか悲痛な顔になっただろう九龍を、瑞麗が呼びかけた。
試すような目線で九龍を見る。
「きみは彼女がこうなった原因に心当たりはあるかね」
「……ダイエット?」
思わず言ったが呆れた顔をされた。皆守まで。いや、わかってる、わかってるよ? 隣人倶楽部がどうとか、
だが九龍が口を開く前に瑞麗が続けた。八千穂と同じような症状で運ばれて来た生徒が他にも居たと。それも、複数。そして既に瑞麗は原因を見つけていたようだ
。
「ウイ……ルス?」
「ああ。それが体内に入り込み、正常な身体機能を阻害したのだろう。感染したものは八千穂のように体内のエネルギーを吸い取られ徐々に衰弱する」
「ちょっ……それ、治んねぇの?」
「元々そう生命力の強いものではない。継続的に接種しなければ直ぐに抜けるはずだ」
「……じゃ、八千穂ちゃんは継続的に接種してたって?」
「……隣人倶楽部か」
皆守がぽつりと呟いた。
……マジかよ。
「君にしては情報が早いな。いつもは他人のことなどどうでもいいという顔をしているのに」
瑞麗は煙草の煙を吐き出しながら、面白げに皆守を見た。皆守は頭をかいて顔を逸らす。
「勿論どうだっていいがな。葉佩の近くに居ると嫌でも入ってくるんだよ。おれは毎度、巻き込まれてるだけだ」
「えー……」
そうか? と思ったが、確かに奈々子も椎名も、九龍が居なければ話しかけては来なかっただろう。前の宇宙人捜索だって皆守だけを八千穂が呼ぶとは思えない──あれ、じゃあホントにおれ、お前を巻き込んでんの?
いや、でもお前、嫌そうな顔ってポーズだよな? え、おれが思ってるだけでマジで嫌がってた?
少し不安になったが、瑞麗は平然とそれを聞く。
「だが、それが不快ではないからこうして葉佩と行動を共にしているんだろ
う?」
何てことを聞くんだと思うが、皆守は答えなかった。
いやいや。そこはそんなわけあるか、とか言われた方がマシだ、何か。何で黙るんだよ。
瑞麗はそんな皆守にいい傾向だ、とか言っている。そうして生きていればいつかそれも必要なくなる、と──アロマを指して言った。
九龍は何となく皆守のアロマに目を向ける。
細工の細かい綺麗なパイプ。普通にかっこいい、など言って売ってる場所を聞いたりもした。実はちょっと吸ってみたいなどと思っていたそれは……そういえば、精神安定剤とか言ってたか?
冗談半分にしか聞いてなかったが、カウンセラーに言われると迂闊に突っ込めない事柄になってしまう。そういえばサボリなどに容赦のなさそうな瑞麗が、皆守が保健室に居ることをある程度許容しているのは……そういうことなのか?
九龍はそのまま一歩引いて2人の会話をただ見つめる。そこでカーテンの陰から聞き覚えのある声が上がったのに気付いた。
「……今の、八千穂ちゃん?」
「おっと、起こしてしまったようだな」
瑞麗がカーテンを開ける。会わせてくれるようだ。
九龍と皆守が近付くと、体操着のままベッドに横になった八千穂がぼんやりとこちらを眺めてくる。
馬鹿って言ってやろうと思ったけど……ここまで元気ないと出来ないだろ。いや、ってか原因はダイエットじゃないんだ。ウイルスだ。八千穂の責任じゃない。
謝る八千穂にそう伝えようとする。
だがそれより早く皆守が言った。
「これでわかっただろ。もうあの集まりに行くのはよせ」
「でも……」
『でも、じゃないだろ』
思わず九龍も声を出し、皆守とぴったり揃ってしまった。2人とも同時に沈黙する。
「お前がこうなったのはあの隣人倶楽部のせいなんだよ」
「そうだよ。八千穂ちゃん、今日おれ何人もから警告された。みんな心配してたんだよ」
それで結果がこれだ。せめてもっと早くに聞いてれば。
八千穂はそれでも、「でも……」と呟いた。
「例えそうだとしてもね、タイゾーちゃんがみんなを救いたいって思ってる気持ちは嘘じゃない気がする」
「へ……」
そういえば、隣人倶楽部は何をするとこなんだ?
ダイエット倶楽部だと思っていたが、違う、ダイエットはあくまで付属効果……なんだ。
「救いたいって……ああ、朝八千穂ちゃんが言ってた」
「うん。タイゾーちゃんはみんなを救いたいと思ってるの。何時のニンジンが……ええと」
ニンジン?
ニンジンと聞こえたが。いや、隣人の聞き間違いだな、多分。
「まだそんなこと言ってるのか」
「だから、その……教えてることは間違いじゃないと思うの。ただ、ちょっとその方法を間違えちゃってて……。それに」
取手や椎名の時みたいに。
何か理由があるのかもしれない。
八千穂はそう言った。少なくとも、八千穂はそう信じている。
主催者に悪気があるわけではないと。
「……八千穂ちゃんの勘なら信じるよ」
「ホントに? ……良かった。葉佩くんならきっとそんな風に言ってくれると思ってた」
へへ、と八千穂が笑う。皆守はちっ、と舌打ちして顔を逸らした。
いやぁ、だって……よく考えたらこれは不思議な力、だと思う。椎名や七瀬の言葉、そして今の八千穂の推測から考えて──執行委員の可能性、あるんじゃないか? なら、何かの呪いを受けている。ただもし罰則として八千穂を狙ったのなら──それは九龍の責任だ。墓に入るのは校則違反だと知っているのに。
八千穂以外の犠牲者を調べてみようか。いや……そのタイゾーちゃんに会うのがやっぱり一番か。
瑞麗がそろそろ帰れと九龍たちを促すので結局2人はそこで保健室を後にした。どちらにせよ、もう放課後。あまり残っているわけにはいかない。
保健室を出た途端、皆守が足を止める。
「おい、どうし──」
「どいつもこいつも、一体いつからここはお節介の溜まり場になったんだ」
「は?」
「なぁ──白岐」
「白岐さん……!」
足を止めた皆守が、白岐に目を向けて言っていた。白岐は皆守の後ろ──保健室を少し覗き込むようにして言う。
「……八千穂さんの具合は?」
「とりあえず、生き死にに関わるような話じゃないのは確かだ」
皆守の言葉で、白岐はあからさまにほっとしたような顔になった。九龍は白岐がこれほど表情を変えたのを初めてみた。八千穂のことを心配していたのだろう。何だか、そんな場合じゃないのに九龍は勝手に嬉しくなる。
白岐はそこで九龍の方に目を向けてきた。
隣人倶楽部の教えについて話し始める。
汝の隣人を愛せ?
ああ、八千穂ちゃんが言ってたのはそういうことか。
でも、聞いたことはないなぁ。
そう言うと、白岐は説明してくれた。本来の言葉の意味を。
「汝自らを愛するが如く、汝の隣人を愛せ。裏を返せば、自らを愛することなく他者を愛することなど出来ないということ」
隣人倶楽部の教えは少しずれている……いや、欠けてる、のか。
益々、その相手が執行委員であるという気がした。取手や椎名や……朱堂ですらそうだった。大切な何かを、忘れている。
自分を省みることを忘れるなんて……酷すぎる。
「どうしてそんなことをわざわざおれたちに? ……いや、ひょっとして葉佩に、ってのが本音じゃないのか?」
白岐が何故九龍にそんなことを言うのかは確かにわからない。皆守に突っ込まれても、白岐自身もわかっていないような回答だった。
だが九龍自身は何だかだんだん慣れてきている。自分の周りには、確かに何かが集まってきている。やっぱ変な雰囲気あるんだろう。ほら、只者じゃない空気って奴だ。そうだ、そうなんだ。
白岐が去って行くのを見ながら九龍は一人納得して頷いている。教室に戻りながら、九龍は皆守を見た。
「やっぱおれって只者じゃない空気あるんだな」
「中身はただの馬鹿だがな」
「おお?」
あれ? 只者じゃない雰囲気の方は肯定された? 皆守まで思ってんの?
少し嬉しげになったのに気付いたのだろう。皆守が嫌な顔をする。
「それにしても、まさか白岐が八千穂のことを気にしてたとはな。八千穂に教えてやったら喜ぶぞ」
「おい、話逸らすな」
「何だか知らないが、あいつ随分白岐に興味があるみたいだったからな」
「……まあ、そうだけど。あ、それおれが言いてぇ」
結局そっちの話題に乗った。それは九龍も思ったことだった。確かに喜ぶだろう。
八千穂の喜ぶ顔を想像しようとして──先ほどの弱々しい姿が浮かんでしまい、頭を振る。
皆守も同じだったのか、いつものように頭をかきつつ、少し真剣な目で九龍を見て来た。
「なぁ、葉佩。これからちょっと噂の倶楽部に顔出してみないか? さっきから妙に苛々するんだ。とにかくタイゾーとやらの顔を拝んでおかないと収まりそうもな
い」
「お前……」
それは、八千穂のあの顔を見たからだろう。いつも元気な八千穂の明るさを奪われて──苛々しているのは九龍も同じだ。こいつ、原因わかってんのか?
とにかく、提案には同意したかったので頷く。
ついでに言っておいた。
「タイゾーちゃん、見ても蹴るなよ?」
「あのな」
「で、おれが殴らないよう見ててくれ」
「…………」
悪気はない。
呪いにかかった執行委員かもしれない。
九龍はそれを頭の中で言い聞かせつつ、皆守の案内で噂の場所へと向かった。
……ん? 4階電算室……?
つい最近聞いた覚えがあった。
「ようこそ隣人倶楽部へ〜」
甲高い声が2人を出迎える。
「お前は……!」
「あれ? きみは確かお昼に会った──」
「葉佩、お前こいつと知り合いなのか?」
そこに居たのは、九龍が昼休みに焼きそばパンを与えた相手。そういえば名前も知らない。
「今日の昼間初めて会ったんだよ。悩みはないかってそういや……言われたな」
怪しげな倶楽部の主催者という言葉からの想像とあまりにかけ離れていて思いつきもしなかった。大体、ダイエット倶楽部だと思ってたし。何だその巨体。
……あー、奈々子ちゃんが言ってた突きたいほっぺってこれかぁ。なんかな。美少年タイプを想像してたんだけどな。こっちだったか。女の子ってこういうのも好きなのか。
「そういう君は誰でしゅか〜?」
タイゾーちゃんは皆守の方に聞いていた。皆守が自分と九龍の名を名乗る。
八千穂のクラスメイト、と言ったことで男は八千穂の行方を聞いている。倒れたことは……知らないのか。
肥後太蔵と名乗った男は、やはり悪気など全くなさそうに《隣人倶楽部》の行いについて語る。ウイルスなんて酷いことを言うな、と。それすら……わかってないのか?
みんなに幸せになって欲しい、みんながみんなのために心を開いたらみんな一緒に幸せになれる──肥後は、そう主張する。確かに、言ってることは間違いじゃないのかもしれない。少なくとも肥後に悪気はなさそうに見える。
「お前の言ってることは詭弁にしか聞こえない」
だが、皆守はばっさり切り捨てた。
「お前の言うことに従って八千穂は結局どうなった? 衰弱しきって倒れただけだ」
ああ、怒ってる。
お前、顔は冷静だけど凄く怒ってるんだな。
何だか九龍は却って冷静になる。いや、最初の頃思ってて、違うのか、と思い直してたけど……やっぱり、八千穂ちゃんのこと好きか? お前。
肥後は必死で皆守に反論している。でもおれも納得出来ないな──そう思っていると、肥後は突然奇妙な言葉を呟き始めた。
「八椎女の最後の一人を救うため、須佐之男命は八塩折を作り──」
やおとめ? すさのおのみこと?
最近勉強している神話の単語が出てきてどきりとする。肥後はどこかぼんやりしたまま語り続け、途中ではっと我に返っていた。
「葉佩くん、きみは……」
ようやく焦点が定まる。目を合わせられたのは九龍だった。
「ぼくの大切なものを奪いにきた悪い《転校生》なんでしゅか?」
「なっ……」
はっ?
大切なものを奪いに来た?
呆然とした九龍に対し、皆守はゆっくりと息を吐き出す。
「お前、やはり執行委員か」
「……だよな……」
それはここに来る前から思っていたけど。
《転校生》は大切なものを奪うと。そう解釈されてるのか? それは何だかショックだった。
「執行委員が何故こんな真似をする? そもそも八千穂が何の校則を犯したってんだ」
それを聞くか。
でも重要だ。八千穂が犯している校則違反といえば、墓に入ったこと以外にないだろう。それなら墓への侵入者がばれているということ。……あー、墓の外から眺めたら多分八千穂ちゃん、一番目立つしなぁ。
だが肥後の言葉からすると、これは執行委員の処罰とは関係なさそうな気がする。幸せにしたいという気持ちは嘘じゃない気がする──か。確かに九龍も、実際会って八千穂と同じことを感じた。
「みんなから嫌なこころを集めれば、この学園がもっと良くなって、みんな幸せになるって仮面の人が──」
「仮面の人?」
「何だそれ」
何だか新たに人物が追加された。
問い詰めようとしたとき、放課後のチャイムが鳴る。張り詰めていた緊張感が、僅か緩んだ。
肥後も元の雰囲気に戻り、一般生徒は帰る時間だと明るく言う。九龍が引いたとき、一瞬だけ影を見せた。
「もし君があの場所に来てしまったら……」
あの場所。
やっぱり遺跡かよ。
どちらにせよ、戦わないわけにはいかないようだ。
「行こう葉佩。このままここに留まったんじゃ何が起きても文句は言えない。それが――《生徒会》の法だからな」
お前まで警告っぽいこと言うんじゃねぇよ。
ただでさえ雰囲気に飲まれかけてんのに。
皆守の後に大人しく従いながら、ちらりと肥後を振り返る。
肥後はただじっと九龍たちを見送っていた。
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