星の牧場─1

 ──これにおののいた伊邪那岐は、そのまま逃げ帰ろうと、
 ぺらり、と次のページをめくる。
 あ、これって前の遺跡の場面か。なるほど、知ってればわかるんだなー。
 ええと、この名前さっきのページで読んだな、何だっけ……。
 ぱらぱらと机の上に広げた本をめくる。ああ、そうだ、これだこれ。
 読み直して、また戻る。そんなことを繰り返す内に、いつの間にかチャイムが鳴っていた。
 英語の教師が何か話しているが聞く気はしない。
 ちょうど本もキリのいいところまできてたのでしおりを挟んで閉じておいた。
 空席挟んで隣に座る皆守は……あれ、寝てるかと思ったらこっち見てる。
「何だ、それは?」
「ん? 神話の本。七瀬ちゃんにわかりやすい奴教えてもらった」
 最初はかっこ付けて難しそうな本選んだんだけど。
 ちゃんと勉強するのにはそれじゃ駄目だ。
 九龍は朱堂を追いかけての遺跡探索時のことをかなり気にしている。
 石碑も読めない、罠の解除は運任せ。おまけに敵は強くなっている。これでは……まずい。あのとき、皆守も八千穂も、怪我をした。大した怪我ではなかったし、井戸で全快はしたが、そこに行くまでの痛みを堪える八千穂の姿は胸が痛かった(皆守はどうだったか覚えてない)。
「……最近張り切ってるな」
「眠ぃよ。昨日も日付変わるまで遺跡居たからなぁ……」
 協力者が増えたおかげで皆守たちに着いて来てもらうのは何日か置きでも良くなった。さすがに毎日付き合わせるわけにはいかない。代わりに九龍は毎晩潜っている。 探索に訓練も兼ねて。
 授業中は遺跡探索のための勉強にあてた。やはり学校の机というのはそれなりにやる気が出る。寮の自室だとつい遊んでしまうし。
 あの日から……もう、一週間。効率の良い敵の倒し方も学んだ。読めなかった石碑も、読めるようになってきた。
 人間、やる気になれば出来るもんだ。
 ハンターになって1人前になったと、九龍は思っていた。
 だけど、ここに来て足りないものが多すぎたことに気付いてしまった。
 いや、言われてはいた気がする。だけど九龍は真面目に聞いていなかったのだ。力には自信があったし、そのままじゃ危ないと言われても、危険な方が面白いじゃないかと思っていたぐらいだ。
 ……あー、もう馬鹿過ぎる。
 気付いただけでも良しとしたいが。
 苦笑いをする九龍を皆守はどう取ったのか、なら寝るか、など言って立ち上がった。うん、次の授業でこれ読みきりたいんだけど……ん? 次の授業何だっけ。
「明日香、お昼一緒に食べようよ」
「ごめーん、私行くとこあるから。あっ、葉佩くん。へへ〜、どう元気して る? 何か悩んでることとかない?」
 背後からいつもの声が聞こえてきて九龍は振り向く。とても疲れてる。と言えば八千穂は真面目に心配しそうだから何もないと言っておいた。皆守がツッコミたそうな顔を見せてる。黙っとけ。
「なーんだ、そっか。私ね、最近は少しでも多くの人に親切にしようって決めてるんだ。そうすることで自分も幸せになれるんだって」
 そして唐突にそんなことを言う八千穂に首を傾げる。
「最近? 八千穂ちゃん前から優しいよな?」
「押し付けがましいがな」
「皆守、黙ってろ頼むから」
 八千穂は気にしてる余裕もないようで、昼のセミナーに遅れるなどと言って駆け出して行く。だがそこでいきなり、ぐらりと体が傾いた。
「!?」
「──っと、何やってんだ、大丈夫か」
 咄嗟に側に居た皆守が支える。八千穂は少し苦笑いをして皆守を見た。
「大丈夫大丈夫っ、ごめんありがと」
 あはは、と笑って離れようとする八千穂だが、皆守は離しかけた手を掴みなおした。
「八千穂……お前、顔色悪くないか?」
 顔を僅か覗き込むようにして。皆守は言う。
「え? そんなことないよ〜大丈夫だってば。……へへっ、でも皆守くんがそんな心配してくれるなんて珍しいね」
「お前な……」
「じゃ、2人とも、また後でねー」
 皆守の腕から抜け出して、教室を出て行く八千穂。背後で、そんな八千穂に対する女子の噂話が聞こえた。
「……お前、八千穂ちゃん変だって気付いてた?」
「最近付き合いが悪いらしいってのは聞いたがな」
 先ほど女子が話していた言葉通り。
 ここ一週間の九龍は、自分の勉強に夢中であまり周りを見ていなかった。八千穂とはあれから……1回潜っただけ、か。
「何考え込んでんだよ。おれたちも昼にしようぜ」
「あ、ああ……。そうだな」
 代わりに皆守と居る時間は増えた気がする。……まあ、八千穂はおれたち以外にも友達多いけど、おれらはおれらしか……いや! まだ取手も黒塚も……す、朱堂も多分! 椎名はどう判断していいのかよくわからなかった。
「マミーズか?」
「ああ。ちゃんと授業に出たら腹減った」
「お前珍しく2時間目から居たもんな」
 九龍がここに来てもうすぐ一ヶ月になるが、1時間目の授業に出てるとこなんざ見たことないな、そういえば。
 ……おれも2時間目からにしようかな……。
 何も律儀に学生の時間に合わせることはないのだが。やはり、夜までバディにつき合わせて翌日九龍だけ休むというのも気が引ける。皆守は逆に誘い放題になるが。文句は言っても着いて来るし。
「おいっ、真っ直ぐ歩け」
「おお!?」
 目の前に壁があった。
 うっかりぶつかるとこだったらしい。
 ああ、もう。最近頭使いすぎなんだおれ!
 やっぱ性に合わねぇ!
「朱堂ちゃんと追いかけっこでもしてこようかなぁ……」
「何があったか知らんが早まるな」
 体動かしたいな、と思いつつ九龍はマミーズへと向かった。










 マミーズではいつも通り奈々子が笑顔で迎えてくれる。
 他の店員が来た覚えがないが、たまたまなのか、出迎えは奈々子と決まってでもいるのか。……おれが来たから、なんてことは……ないよな。ないよな。
 この笑顔は絶対勘違いする奴多いよなぁ、と思いつつ奈々子に案内されて席に着く。九龍がメニューに手を伸ばしている間に、皆守は既にカレーを注文していた。ここまで徹底していると気持ち良いと思う。マジで。
 九龍の注文待ちで奈々子もそこに留まった。
「そういえばお二人ともご存知ですか? 最近女子生徒さんたちが話してるのをよく聞くんですけど。デジタル部っていう部が主催してる隣人倶楽部っていう集まりがあって〜」
「デ部が主催?」
「隣人倶楽部?」
 皆守と九龍でそれぞれ違うところに反応する。
 っていうか何だデ部って。そこだけ聞いたら一瞬何のことかわからない。
「はい〜。それに参加すると不思議と心穏やかになって〜、その上ダイエット効果もあるって評判らしいんです〜」
 奈々子はそう続けた。
 ああ、ダイエット。
 女生徒に人気があるってのならそれだろうなぁ。
 九龍はようやく注文を決めてメニューを閉じるが、話の途中になってしまったので口に出せない。
「私も参加してみたいな〜なんて。どうですか、葉佩くんも一緒に」
「ええ? 奈々子さんがダイエット?」
 むしろ細過ぎるぐらいだと思うのに!
 どうして女の子ってこう、必要なさそうな子に限ってそんなことを!
「そうなんですよー。最近お腹のお肉も気になってますし〜。どうですか?」
「ええ? えーと……あ、おれカレーね」
 九龍自身はさすがにダイエットには興味ない。170センチ75キロで……いや、筋肉だからな? 筋肉。
「……まったく。少し冷静になって考えてみろ。胡散臭いにも程があるだろうが」
「……そうか?」
 皆守の呆れた声に疑問を返す。
 まあダイエット効果なんてのは常に胡散臭いものではあるが。ダイエットのために運動しましょう、とかならありじゃないのか? ほら、デジタル部だし。日ごろ運動不足だからとか。
 でも、と続ける奈々子はやはり興味があるらしい。ダイエットと……ついでに、その主催者に。タイゾーちゃん、か。この好かれ方から言って可愛いタイプの男子だな。奈々子ちゃん、そういうのがタイプなのかー……。
 もう少し聞いてみようかと思ったが、奈々子は他の客の注文を受けに行ってしまった。
「女子の間で話題、かぁ。おれ、ホントそういうの全然知らないな」
「今日女子が話してた奴じゃないのか」
「へ? あ、そうか、八千穂ちゃんの倶楽部……!」
 八千穂が何かの倶楽部に行っている。そう女子が話していた。女の子たちも興味ありげだったし、そうかそれか。
「隣人倶楽部だっけ。でも何か八千穂ちゃんには似合わないよなぁ」
 個人的には理想の太ももなんだけどな。女の子はやっぱりあれは太いとか思うのかな。ああ、でも食いしん坊八千穂ちゃんがダイエット! 想像出来ない。
「八千穂のことが心配か?」
「痩せたら困る」
「勝手に困っとけ」
 大真面目な顔で言った九龍に皆守は冷めた目で返した。
「お待たせしました〜」
 ちょうど、カレーがやってきて、一旦話は途切れた。皆守がまたカレーうんちくを語っているが興味ないので聞き流す。毎日同じ話をされてても気付かないな多分。さっき読んだ神話の話したいけど、こいつは聞いてる振りもしてくれないだろうな。食事終わったら七瀬ちゃんとこ行ってくるかなー。
「ここのカレーも確かに美味いんだがな。おれならもっとフェヌグリークを効かせて──」
「こんにちは、お2人さん」
 皆守の話に割り込む声は、すぐ隣からしてきた。
「あ、椎名ちゃん、こんにちはー」
 相変わらずのお人形のような格好で、椎名がそこで微笑んでいる。
「昨日はありがとな。遅くなってごめん」
「いいえ。葉佩くんが望むならいつでもお付き合いしますわ。それより……少しお知らせしたいことがありますの」
「ん……?」
 とっくに食べ終わっている九龍は体ごと椎名に振り向く。皆守もこちらを見ているのはわかった。
「葉佩くんは隣人倶楽部という集まりのことをご存知ですかぁ?」
「隣人倶楽部……」
「今日は随分とその名前を聞く日だな」
 皆守が水を飲む音。あ、食べ終わったな。
「まさかお前も参加希望者なのか」
 少しからかうような色を乗せて、皆守は言う。だが椎名はすっと蔑むように皆守を見た。
「ご冗談を。神さまにも、ただの隣人にも、リカを救うことなんて出来ませんでしたわ」
 おおー……ちょっと怖いぞ、椎名ちゃん。
「ん?」
 そこで椎名は九龍に視線を戻す。上目遣いに意味ありげに微笑まれた。
「それが出来たのはただ一人だけ……ねっ、葉佩くん」
 化粧でよくわからないが頬が染まっているような……いや、いやいや!
 九龍は何だか椎名には懐かれている。取手もそうだが、救った救ったと言われると何だかむず痒い。元々そんなつもりで遺跡に入っているわけじゃないからだ。
 どう答えるか迷っていると、椎名は更に話を続ける。
 どうやら八千穂があそこに通っていることについての忠告をしにきたらしい。
 さすがに表情が引き締まった。
「あの集まりはとぉっても危険ですの。このままではきっと、葉佩くんのお友達も大変なことになってしまいますの」
「大変なこと……って?」
 痩せちゃう。
 なんて話ではないはずだ。
 ちらりと皆守を見ると、皆守も少し険しい顔で椎名を見ていた。
「……気を付けてくださいね、葉佩くん。この学園には葉佩くんの知らない怖い人がたくさん居ますの」
 椎名も少し表情を翳らせて、それでも最後には明るく笑って去って行った。
 怖い人……か。
「なぁ皆守」
「あ?」
「執行委員って校則に違反した奴を処罰するんだよな? 関係ない奴襲ったりしないよな?」
「……そのはずだが」
 椎名の口ぶりからつい想像してしまった。九龍にとって執行委員は、呪いにかけられ不思議な力を持って襲ってくる相手──だけど、それは九龍が遺跡に潜っているからだ。本来は、生徒を守るための存在のはずだ。
「……出るか」
「そうだな」
 とっくに2人とも食べ終わっている。
 そのままマミーズを出て、九龍は校舎内で皆守と別れた。
 ちょっと七瀬と神話の話がしたい。
 あ、その前に夜食のパン、買っておこう。最近食べすぎて買い置きが減ってる。しまった先に来とけば良かったな。
 九龍は思いつつ、まず売店へと向かった。


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