明日への追跡─2

『今、保健室で寝てんだけど、腹減った。というか、カレーパンが食いたい。どこかにおれの願いを叶えてくれる神さまはいないもんか』
「あの野郎……!」
 昼休みに入ってきたメールに、九龍は思わず机に突っ伏した。珍しく本当に顔色悪そうだったから、ちょっと心配したのに。ああ、でもこれって保健室から動けないってことか? まあとりあえず見てくるだけ見てくるか。
 階段を下り、ふと思い立って図書館の方へ向かう。何となく、このまま真っ直ぐ向かうのは癪だ。その途中、椎名と会った。椎名は普段から理科室に居るらしい。執行委員ってのは特別教室の管理も任されているのだろうか。取手は音楽室だった し。
 椎名に遺跡で拾った真珠を渡すと、代わりにぬいぐるみをくれた。すげぇ。何だ、このおれの好みどんぴしゃなのは! でもこれ持って歩くのちょっと恥ずかしい!
「これ椎名ちゃんが作ったのか?」
「ええ。リカはお裁縫も得意ですの」
「いいなぁ、すげぇ」
 語彙の少ない九龍はそれしか言えなかったが椎名は満足したらしい。そのまま別れて図書館へと向かう。七瀬に挨拶をしつつ中に入ると夕薙が居た。
「おお。夕薙さ……夕薙、授業出ずにこんなところに居る……のか?」
 年上だと知ってしまっているせいで敬語が出そうになる。夕薙は笑ってテスト勉強中だと答えた。
「テスト勉強……懐かしい響きだ……」
「葉佩はやらないのか? 午後の授業で小テストだそうだが」
「今更やっても同じってことで。っていうかおれ勉強しに来たんじゃな……い、いや、勉強嫌いだしなー」
 危ない。夕薙は自分の正体を知らないんだった。ああ、やっぱりおれ絶対、結構迂闊なこと喋ってる!
「ははは、そうらしいな。授業に出てもほとんど寝てると聞いたよ」
「誰に」
 皆守か。だが皆守はほとんど授業に出てない。
「ここって成績悪いとやっぱ追試とかあるのか?」
「そりゃそうじゃないか? ここは進学校だ。成績足りなくて留年、なんてことはそうないと思うが」
「……面倒くせぇ……」
「ホントにな。何だって高校生はこんな面倒なことをしなきゃならないんだろうな」
「なー。学校の勉強なんか出来なくても別に困りゃしないっての」
 進学校に転校してきてこの言い草はないだろうと思ったが、夕薙も同意してたので良しとしよう。……こいつ、やっぱり転校の目的、おれと同じだったりするのか? いや、まさかなぁ……。
「ま、お前はとりあえず頑張れよ。おれはどうでもいい」
「雛川先生に嘆かれるぞ?」
「……雛川先生の個人授業なら受けてみたいかもな……」
 夕薙に笑われながら図書室を後にする。それほど時間が経ってない。売店に寄ってカレーパンを買って行く。保健室に入れば、皆守はベッドの上に体を起こして取手と話していた。何だよ、やっぱり元気そうじゃないか。
「お、来たか」
「あ、葉佩くん」
「皆守! お前元気なら自分で買いに行けよ。すぐそこだろうが」
 カレーパンを放り投げると皆守は笑いながら受け取った。
「まあそう怒るなって。代わりに寮に帰ったらレア物の一品をやるよ」
 カレー一つで機嫌の良くなる皆守は結構お手軽かもしれない。そこにあった椅子に座りつつ、皆守の言葉に問い返す。
「レア物?」
「おれが長年愛用してたカレー鍋だ」
「マジでっ!?」
 喜んで立ち上がると、皆守が目を丸くしていた。喜ばれるとは思わなかったのだろうか。いやいや、だって今調理器具とか全然なくて調合とかも苦労してるんだ! ネットで買おう買おうとは思っていたのだが……。
「でも皆守くん、いいの? カレー鍋なくなったら困るんじゃ」
「おれは昨日新しいのを買ったからな」
「在庫処分か、おい」
 でもまあ嬉しいのは確かだ。そうか、余り物貰うって手もあったな。買うか、拾うか、ぐらいしか考えてなかったが。
 そのまま2人してカレーパンを齧る。取手にも進めたが、既に食べた後だと言われた。まだ昼休みになってそれほど時間は経ってないが。早食いは似合わないが小食は似合う。そっちだろうか。
「ねえ葉佩くん。君、バスケットボールは好きかい?」
「バスケット? 好きだけど?」
 何をいきなり、と思ったら皆守が言った。
「取手はバスケ部だからな」
「うえぇ!?」
 バスケ部!?
 ってか、取手が、スポーツ!?
 確かに文系の雰囲気に反して、遺跡での取手を見る限り運動神経は良さそうだったが。
「うん。君も今からでも遅くないからバスケ部に入ってみないかい?」
「いっやぁ、部活とかはちょっとなー……。夜のあれもあるし」
「あ……そうだね。ごめん、変なこと言って」
「いやいや! 今度見学ぐらいは行くよ。マジで見てみたい」
 長い手足は確かに有利そうだ。ピアノ少年の意外な真実だ。
 話していると、保健室の扉が開いた。どうやら瑞麗が帰ってきたらしい。というか、居なかったのか。
「何だ葉佩。カウンセリングを受けに来たのかい?」
「い、いや〜」
「ふっ、そのための用件ならいくらでも受け付けるが、保健室は昼寝のための場所ではないからな?」
「わかってますよ。誰かと一緒にしないで下さい」
「そうか、ならその誰かをとっとと引き取って行ってくれ。あまり長居されると他の生徒に示しもつかんからな」
「はいー」
 お前のせいで怒られた、と皆守を睨んでみるが涼しい顔をしている。慣れてるな。
 食べ終わった皆守は結局そのまま屋上へと向かい、午後の授業が始まっても帰っては来なかった。










 6時間目の授業が始まる前、男子たちの間で少し話題になっていたのだ。
 雛川先生の胸は何カップなのだろうと。
 あれは着やせするタイプ、脱げば凄いと主張する男子。それなりだけど巨乳というほどでないと言い切る男子。いや、明らかに見た目から凄いだろ、という男子。
 どれだけ注目して見ているか、にもよるのだろう。特に雛川は、授業中以外は胸に出席簿やら教科書やら何かしら抱えていることが多い。
 そういう話題に限って九龍にも振られた。おれは胸より尻派だと大真面目に言ってみると、今度はスリーサイズの話題に移行していた。
 だからだ。
 それが残っていたから、冗談まじりに言ってみたのだ。
 スリーサイズはいくつかと。
 雛川のようなタイプに振る話題ではなかったかと思ったが、口に出した言葉は取り消せない。背後で男子たちが目を逸らしながらもこちらを注目しているのがはっきりわかってしまった。
 雛川は軽く怒る様子を見せつつ……答えた。
「えええっ……!?」
 それは、九龍にしか聞こえなかっただろう。
 顔を寄せられて、囁くように言われた声。ちょっと待てちょっと待て! 脈ありか!? この先生、おれに脈ありか!
 すぐ思考がそちらに行くが、あながち間違いでもない気は……気は……いや、結構天然っぽいんだよな、この先生……。
 背後で男子たちがざわめいている。九龍の叫びは、答えられたことそのものに対してだったが、意外な数字を聞いた、という反応にも見える。あああ、あとで報告させられる、いくつだ、いくつと答えたっけ。
 衝撃のあまり数字があまり耳に残っていない。っていうかバストサイズ言われても何カップとかわかんねぇ……!
「あ〜顔が熱い。恥ずかしいわ」
 そう言って手でぱたぱた顔を仰ぐ。その顔は、本当に赤い。ちょっとどきどきする。
「それじゃ、先生に対する質問は終わりっ。今度はちゃんと勉強や学園のこと聞きにきてね」
 雛川は持っていた紙の束を少し九龍に見せ付けるように持ち上げた。先ほどの時間にやった小テスト。多分笑えない結果が待っている。
 ……もう少しちゃんと勉強しとこう。
 九龍は真剣にそう思った。
「それじゃ、寄り道しないで真っ直ぐ帰るのよ? 最近不審者が目撃されてるって報告が出てるから」
「そうなんですか?」
「ええ。くれぐれも人気のない墓地の方へ行ったり、夜中に出歩かないようにね」
 うおっ、ピンポイント。
 わかって言ってるんじゃないかと言うぐらい、九龍に直撃する。
「先生、こいつは忠告に素直に従うタマじゃないですよ」
「夕薙……」
 わざわざ勉強していたはずなのに、結局授業に出てなかった夕薙が今更やってきた。やっぱり体の具合が悪いらしい。とてもそうは見えないんだが。いや、見た目の問題じゃなくてな? だって昼休み元気そうで今も元気そう……取手みたいに急に具合が悪くなるってことかなぁ。……そうだ、転校生と言っても結構前に来ている。こいつが墓守の可能性だってある。
「そういえば皆守の姿が見えないようですが。またサボりですか」
 教室を見渡して夕薙が言う。こいつも皆守以外友達が居ないんだろうか。
 サボリ以外ないだろ、と思うが雛川の方は真面目に心配している。保健室でカレー星人がどうとかうなされていたらしい、と。
「カレー星人ならあいつ大喜びなんじゃないですか?」
 何故それでうなされるんだ、とずれたことを考える。
 雛川はその後、もう1度忠告をして去って行った。その姿を見送りつつ、夕薙が言う。
「正に呪われた学園に咲いた一輪の花だな」
「……お前、そういうこと堂々と言うのな」
 突っ込まれても照れさえ見せない。先ほどさらりと雛川の授業に出たくて、など言ってたし、意外に女たらしなのか。それとも素でこれなのか。
 そう思って隣の夕薙を見上げると、夕薙は突然強い口調になって言った。
「だが世の中にはああいう花を手折ろうとする愚かな連中も居る。ただ己の保身と私欲のためだけに。そんな奴らは、この世から根絶やしにされるべき存在だ。そうは思わないか?」
「な、何だよいきなり」
 突然の攻撃的な口調に驚く。そりゃ九龍だってそんな奴らは嫌いだ。居なくなってしまえばいいとは思う。だが夕薙のそれは明らかに何かに対する憎悪があって。
「まあ、なぁ……」
 結局視線を逸らしてしまった。
 怖いよお前。
 夕薙も少し我に返ったように口調が静まる。やはり、昔何かあったらしい。具体的に想像するのが嫌な話だ。
 夕薙はそこで話題を変えて、学園の怪談に関する話をした。二番目の光る目。真夜中部屋で寝ていると突然二つの目に覗き込まれて焼け死んでしまうと。残されるのは生徒の影だけ。意味も前後もないだけに逆に怖い。
「何だ、それ。そうなる理由もないのか? ってか怪談って幽霊……だよな? それ幽霊っていうか何か……」
 異星人。
 朝の話題を思い出し、一瞬頭にそれが浮かんだ。ああ、でも眩い光ってのはそれっぽいかもしれない。幽霊ってのは暗いとこに居るもんだし。
「まあ実際にこの学園では何人も消えている生徒が居るらしいからな。失踪の理由として生徒たちが作った噂話なら、あまりもっともらしいストーリーも付かないだろう。ただ、学園の生徒の多くは、それをただの噂話だと思っていない」
「……真実だって? まあ」
 この学園では奇妙な出来事が当たり前に起こるそうだし。
 そう続けようとした九龍に、夕薙は続けて言った。
「この世に、人を焼き殺す目など存在する訳ないと思わないか?」
「いや、そりゃそうだろ。生徒だってそこは別に信じてないんじゃないか?」
 言ってから思う。
 最初に聞いたこの学園の怪談。一番目のピアノ。人の精気を吸い取り、ミイラのようにしてしまう話は……真実だった。
 夕薙はどうかな、と疑惑の口調で言って、教室を見渡す。
 ……信じている生徒は、多いかもしれない。
「ただ、消えた生徒と──まるでそれを予期したかのように広められた噂。出来すぎた話だ」
「……なるほどね」
 夕薙が言いたいのはそこだったらしい。
 怪談にしてしまえば、不思議なことも幽霊の仕業だな、で済んでしまう。日本人は何故か霊の存在を素直に受け入れていると思う。内心でそんなわけはないと思っていても、わざわざ言わない。執行委員の奇妙な処罰も……霊の仕業にしてしまえばいいのか。
 考え込む九龍を、夕薙はじっと見ている。九龍はそれに気付かない。
「……一年前、おれが転校してきてから今日までに聞いただけでも、そういった類の話はかなりある」
「失踪の理由として、か」
「そうだ。……葉佩、君はもう墓地には行ったか?」
「墓地?」
「ああ。噂は、墓地や学園の歴史に関する話が多い。どうなんだ?」
「墓地に入るのは校則違反だろ」
「何だ、そんなことを気にする奴だったのか?」
 そんなことって。
 確かに似合わねぇだろうけど! 肯定も否定も出来なかったからの発言だった。
 そして夕薙から、墓地で《生徒会》が真夜中に何かを話していたという話を聞く。夕薙は……やっぱり、行ってるのか。墓地。
「……生徒会か」
「ああ。何を話しているかまでは聞き取れなかったがな。何故《生徒会》が真夜中の墓地にいるのか……」
 《生徒会》は墓と深く関わっている。執行委員を解放したこともあり、誰かが遺跡に入っていることはもうばれているだろう。……取手や椎名は何も言わないが、急に仲良くなっている九龍が怪しまれるのは確実だ。いや、それ以前にいい加減墓地に入る姿を目撃されていてもおかしくない。
 全く気付いていなかったが──おれ、泳がされてんのか?
 下校を告げるチャイムが鳴って、九龍は顔を上げる。夕薙もそれに気付いて呟いた。
「今日も日が暮れる……。葉佩」
「ん?」
「生きてこの学園を出たければ誰も信じるな」
「え……」
「それじゃ」
 夕薙が軽く手を上げて外へと出て行く。
 待ってましたとばかりに背後に居たクラスメイトたちが九龍の元へ駆け寄ってくるが、雛川のスリーサイズなんて、もう覚えているわけがない。
 ……散々意味ありげなこと言って、最後はそれかよ。
 誰も信じるな……か。
 夕薙は……騙された経験とかあんのかなぁ。
 クラスメイトの言葉を適当にかわしつつ、九龍は外へと向かった。


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