あの炎をくぐれ!─2

 メールの受信音で目が覚めた。
 やっぱり結局4時間目の授業も寝ていたらしい。途中までは、遺跡について考えようと、ノートに砂だの呪いだの書いていたのだが。隣を見ると八千穂の姿は既にない。友達とお昼にでも行ったのだろう。初日以来八千穂と一緒に昼を食べてない。
 やっぱり転校生への特別扱いだったのかなぁ。
 九龍は立ち上がるとのそのそと歩き出した。パンは既に買ってある。屋上に行けば大抵皆守が居るし、そこで一緒に食べるつもりだった。4時間目前に上がって行ったのだから、まだ居るだろう。
「葉佩さん」
「あ、白岐ちゃ……さん。さっきはありがと」
 何となくちゃん付けしにくい白岐に九龍は笑顔を返す。美術室から出てきたところだろうか。先ほど白岐に受け取った鍵をひらひら見せるが、白岐の表情はほとんど変わらない。
「この学園には得体の知れぬ大きな闇が潜んでいるわ。それでも目を瞑り、耳を塞ぎ、息を潜めて自分を殺すことで、平穏を手にすることは出来る。あなたはその、仮初の平穏を破るつもりでここに来たの?」
「ごめん、どういう意味?」
 何なんだいきなり、と思ったが、反射的に言ったあと考える。
「……って、おれが学園の平穏を壊してるってこと?」
 ただ墓に入っただけなのに。それ以外はごく普通の生徒でいると思う。首を傾げた九龍に、白岐は何かに納得したように頷いた。
「そう……ごめんなさい。忘れて……」
 そう言うと再び白岐は美術室に戻って行った。ひょっとして、それを言うためだけに待っていたのだろうか。白岐は……何を知っている?
 尋ねてみようかと思ったが、背後からかかった八千穂の声に遮られた。八千穂は既に昼を済ませてきたあとらしい。マミーズに新メニューが追加されたから今度一緒に行こうと言ってくる。おお、食事のお誘いだ。
「って、八千穂ちゃんもう食べたの?」
「え? だって、もうお昼休み終わるよ?」
「……マジで」
 慌てて時間を確認する。昼休みは、残り5分もなかった。
「何で起こしてくれなかったんだ……!」
「え、ずっと寝てたの!? あれ、でも何か書いてたから邪魔しちゃいけないと思って……」
「うわ、それ寝ぼけてた絶対……」
 確かにノートに謎の落書きはいっぱいあったが。
 あれって寝ながらやってるのかおれ。
「じゃあお昼食べてないの? もう授業始まっちゃうよ?」
「……急いで食べるわ。ごめん、ありがと! 今度マミーズ行こうな!」
「うん! 頑張ってね!」
 何を?
 思わず疑問に思いながら屋上への階段を駆け上がる。
 ああ、早食いを、かな。
 だがドアを開いて屋上へ飛び出し、眠っている皆守を見た瞬間気が抜けた。
「……別に急ぐ必要もねぇよな」
 さぼってしまえば一緒だ。
 皆守の近くに腰を下ろす。そういえば飲み物を買ってなかった。売店まで降りるのも面倒くさいな。
 考えているとチャイムが鳴った。
 うん、さぼり決定だ。
 教室が落ち着いた辺りでこっそり下に降りればいいだろう。
 給水塔にもたれてぼんやり空を見る。次第に階下のざわめきも静かになっていく。運動場から笛の音が聞こえた。
「……授業始まったな」
 九龍はまだほとんど授業をさぼったことがない。別に勉強をしに来ているわけではないと言っても、どうしても集団からあまり外れた行動は取れない。あまり目立ってはいけないという理由も勿論ある。まあこの学園では九龍以上のさぼり常習犯がいるので、それさえ超えなければいいだろう多分。
「……行かなくていいのか」
「うおっ、起きてたのかお前」
「今起きた」
 ふぁ〜あ、と欠伸をしながら皆守が体を起こす。アロマに火をつけながら、ちらりと九龍の持っている袋に目を落とした。
「昼、まだなのか?」
「あー、うん。寝過ごした。これから飲み物買いに行こうかと」
「ならマミーズに付き合えよ。どうせさぼるんだろ?」
「お前も食べてないのかよ」
「今起きたんだから当然だろ」
 4時間目どころか昼休み中もずっとこれか。
 ホントに羨ましい生活を送ってやがる。
「このパン、賞味期限今日までなんだけどなぁ」
「夜にでも食え」
 勝手にそう言って、皆守が屋上を出る。九龍も結局それに着いて行った。皆守が居なくなるなら、どうせ一人での食事になってしまうし。
「あ、そうだ」
「ん?」
「あ、いや、こっちの話」
 昼休みに九龍を起こしたメールを忘れていた。
 確認してみれば、差出人は黒塚。
「どうした?」
「……うん、特に問題ないかな」
 石が好きなのはよくわかったが、何故自分がこんなに巻き込まれているのだろう。遺跡の匂いとか、マジでわかるのか。
「あ、そうそう、マミーズで新メニュー出来たって聞いたか?」
「ろくなもんじゃないから止めとけ」
「……お前意外にチェック早いのな」
 その理由についてはこの後、知ることになる。










「いらっしゃいませ〜。マミーズへようこそっ」
 明るい奈々子の声が響く。奈々子がバイトを初めて約一週間。彼女は既に学園内での人気者だ。わざわざバイト時間に合わせてマミーズに行く者も居るらしい。九龍はそこまであからさまに出来ないのだが、そもそも奈々子は普通の食事時間であればほとんどここに居る。バイトというよりほとんど社員だ。
「って、あれ? あの〜今は授業中じゃ……」
 う、やっぱり言われるのか。
「今日は自習だ」
 皆守はしれっと嘘をつく。こういうところは感心する。
「自習〜! なんていい響きなんでしょ。私もさぼってみたいー!」
 ……うん、ばれてんじゃないかこれ。
 本気で悩みだす奈々子に、どうすればいいかと思っていると自分で我に返ったようだ。改めて何人か聞いてくる。……良かった、入れてくれるようだ。
「2人だよ、2人」
「見ればわかるだろうが」
「いいだろ、そこは突っ込まなくて」
「かしこまりました〜。では二名様、お席にご案内しま〜す」
 さすがに店内は空いている。案内された席はほとんど奥だったが、それまでの道もがらがらだ。それでも制服姿が結構見えるのは何故だろう。校則厳しいんじゃないのか。見て見ぬ振りなのか。
 九龍が気にして見渡している間に、皆守はとっとと席につく。そういえば2人でマミーズに来るのは初めてだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 案内のままそこについて来た奈々子に問われ、九龍はメニューに手を伸ばす。皆守はとっとと「いつもの」などと注文していた。お前常連か。
 奈々子にそんなメニューはないと言われているのを聞いて思わず笑いそうになる。
「あー、カレーだよカレー。葉佩、お前は」
「ええっと……」
 おれにはいつもの、なんてのはない。とりあえず待て、と思ったがそのまま前からメニューを奪われた。勝手にめくられ、どこかのページを前に突き出される。
「おれのお勧めはこの辺りだが」
「うわー、カレーばっかり」
 パンはカレーパンばかりだし、いつものとか言い出すし、好きなんだろう。
 しかしカレーライスとカツカレーはともかくカレーラーメンて。何かちょっと興味はあるが、お腹が空いているときに冒険もしたくない。
「じゃ、カレーライスで」
「カレーライスお二つですね。かしこまりました。少々お待ちくださいませ〜」
 奈々子は素早く伝票を書いて下がっていく。皆守がメニューを閉じながら妙に嬉しそうな顔をしていた。
「やっぱデフォでカレーライスだよな。さてはお前もカレー通か」
「いやいや。っていうか普通逆にあまりカレーに詳しくない奴が選ぶんじゃねぇの」
 無難だし。
「実はマミーズの新メニューってのがプリンカレーなんてものなんだがな。カレーにプリンだ。ふざけてるだろ」
「無視か、おい。ってかカレーマニアかよお前は」
 突っ込まれるかと思ったのに否定が返ってこなかった。マジかよ。
 更にカレーの話を続けようとしていた皆守だが、ふと何かに気付いたように目を逸らす。つられて九龍もそちらに目をやった。
 男子生徒が数人。あれは……同じクラスの奴ら、か?
「ホントだって。おれ、この前見ちゃったんだよ。夜の墓地で墓守が何か埋めてんの! 何か、棺みたいなのを」
「棺って……マジかよ」
「ホントに死体が埋まってるとかいうのか……?」
 会話内容は何と墓地。九龍は思わず聞き耳を立てる。だが直ぐに男たちの会話はスクープだの、マスコミにもらして謝礼を、などという方向になった。も、もうちょっと状況を詳しく。っていうか墓地に死体が埋まってます、とか言ったら阿呆か、と言われるんじゃないか。そもそも所持品が埋まっているとか言う方がおかしい。
 皆守と共にじっとそちらを見ていたが、やがて注文がやってきて2人の視線は途切れた。
「……そういえばお前にはまだちゃんと話してなかったな」
 やってきたカレーをつつきながら、皆守が少し真面目な顔で言う。
 それは、生徒会に関する話だった。
 聞こう聞こうと思って忘れていたことがようやく明らかになる。
 生徒会には役員の他に執行委員が居る。それは、一般生徒の中に紛れ込んでいて誰がそうかはわからない。常にどこからか監視していて、いざとなれば罰をくだす。
 ……やっぱり、自分の思っている「生徒会」とは全く別の存在のようだ。スパイだな、まるで。
「どこかに監視の目がある、か」
「まあどこにあるかなんてわからないし、気を付けようがないかもしれないが」
 まずは迂闊な行動をするな、と言うことだろう。
 生徒会には気を付けろと言われた意味を今更実感する。
 しかも生徒会は墓地にまで関わっている。学園生徒は関係ないだろう、と勝手に思い込んでいた自分の迂闊さを反省した。
「ふふふっ」
「ん?」
 食べるのが早い九龍は話を聞きながら、カレーをほぼ食べ終わっていた。
 そのとき、何だか幼い笑い声が聞こえて思わず振り返る。一人の少女が、そこから立ち去るところだった。
「うわ、すげぇ……」
 衣装と化粧のせいだろうが、人形のようだった。思わずじっと見送ってしまう。少女の側に居た男たちは、それよりも机の上にあった何かが気になるようだったが。
「何だ、この箱?」
「さっきまでこんなのなかったよな」
「奈々子ちゃーん、これ何?」
「はーい、何でしょう」
 呼ばれた奈々子が駆けつける。途端に上がった悲鳴に、九龍は思わず立ち上がった。
「あひゃああああ! は、はこはこはこここの箱っ、何か凄く熱いんですけどっ! け、煙とか出ちゃって、こここれこれここれこれってまさか、ば、ばくばくだ、」
「おい、落ち着けって」
 言ったのは皆守だったが、店内は騒然とした。奈々子の持っているのは小さな箱だが、確かに煙が僅かに上がっている。奈々子がおろおろと辺りを見回す間に周りの客が次々に立ち上がる。
「まさか、爆弾!?」
 ついに女生徒の一人が声を上げた。悲鳴が連鎖していく。客が我先にと逃げていく。
「どどどどどどうしましょうこれこれこ」
 奈々子は混乱の中、泣きそうな顔で立ち尽くしている。先に動いたのは皆守だった。
「馬鹿っ! いいからそこから離れて伏せろっ!」
 皆守が奈々子に近付いていく。九龍も思わずその後を追った。
「葉佩っ」
 それに気付いたのか、皆守が九龍を呼ぶ。待て、いいからお前も伏せろ。おれが処理する。
 言うより早く九龍は──そこにあった椅子に躓いて派手にこけた。
「何やってんだお前はっ!」
 皆守から蹴り飛ばされる。何しやがる、と思ったがそのまま九龍の体は机の下に入った。
「そのまま伏せてろよっ」
 え、ここに居ろってことか? いや、お前爆弾どうにか出来んのか!?
 自分も何も出来やしないのにそう思って、体を起こそうとする。
 だがそこに落ち着いた声が響いてきた。
「これはいけませんね」
「あんたはっ──」
「あなたも伏せていなさい」
 何とか机の下から顔を出す。
 何だか渋い老人が、その箱を窓に向かって思い切り投げた!
 派手な音と共にガラスが飛び散り、更にその外で爆発音。
 ……うわ……ここに居たらアウトだったな……。
 死にはしなくても大怪我だ。外からの爆風も店内に吹き荒れた。伏せていた九龍は怪我一つなかったが、他の奴らは……。
 慌てて立ち上がる。奈々子も皆守も伏せていた。怪我はないようだ。爆弾を投げた老人も、それを確認するように辺りを見回している。
 そして九龍に気付くと微笑んで言った。
「お怪我はありませんでしたか?」
「ま、マスター!」
 声をかけたのは奈々子だ。バーテンのような格好をした老人は、やはり店の関係者だったらしい。
 先ほど爆弾を投げた判断といい、冷静に爆弾の分析をしている様子といい、只者とは思えないが。
「ところで、こちらの方はもしかして──」
「ああ、ウチのクラスに転校してきた葉佩九龍だ」
 何故か老人が皆守に聞いて、皆守も普通に答える。転校生ってそんなにわかりやすいものなのだろうか。ああ、でもこういう人は学園内の生徒全部覚えてたりするんだろうな、やっぱ。
 老人はバーテンの店主、千貫厳十郎と名乗った。マミーズとは直接関係はないのか。というかバーテンまであるのか、ここ。
「バーテンは基本的には教職員のための店だが、おれたちも行っていいことになってる。牛乳しか飲ませてもらえないがな」
「へぇ……」
「当然ですよ。若人には牛乳が一番です。うちの坊ちゃまも小さい頃から私が牛乳で、」
 千貫が何やら語り始める。
 おお、何か熱い。皆守は耳にタコとばかりにそっぽを向いている。奈々子もにやにやとそれを聞いていた。どうやらよっぽどよく言ってることらしい。新規の客に話すのが楽しいのだろうか。九龍が仕方なく牛乳談義だか坊ちゃん談義だかに耳を傾けていると、窓の外から大声がした。
 売店の店員、境だ。
 店内外の大惨事にさすがに気付いたのだろう。そうだ、和やかに談笑している場合じゃなかった。
 境は窓から中に踏み込み、わしの仕事を増やしたのは誰だと叫んでいる。そういう問題か。外にも内にも窓ガラスが落ちている状況はどう判断されるのだろう。
 誰も答えないので境が勝手にお前か、など指差してきた。……皆守を。
「あぁ? おれじゃねぇよ!」
 日ごろの行いだろうな。いや、皆守は割と大人しい生活を送っている気はするから見た目の問題か?
「違うんです〜。爆弾みたいなのが突然爆発して〜。奈々子怖かったですぅ〜」
 そこで奈々子がフォローを入れた。途端に境の表情がにやけたものに変わる。ああ、わかりやすいおじさんだ。
 おれもあれぐらい自分に正直に生きてみたい。あ、怒られてる。……うん、自重は必要だ。
 九龍は境が千貫と話している間に少しずつ下がって皆守の隣に並ぶ。境と千貫は何やら言い争いをしているようだ。仲悪いんだろうか。
 奈々子も同じことを思ったのか、九龍たちのところまで来てそれを聞く。さあな、と首を傾げたのは皆守だった。
 結局、話していてもどうにもならないとわかったのか、境は諦めたようにため息をついた。ああ、やっぱり境が掃除することになるのか。大変だな。
 他人事のように思っていたら目を向けられてしまう。
 慌てて逸らすも間に合わない。
「お主らはわしの手伝いじゃ。どうせ授業をさぼってここにおるんじゃろう」
 言い当てられて、九龍は助けを求めるように皆守を見た。皆守は頭をがりがりかいて境に言う。
「冗談じゃない。何でおれたちが」
「そうそう、おれたち次の授業があるからー」
 皆守の言葉に乗って、2人はそのままマミーズを後にする。後ろで境が文句を言っていたが放っておこう。
 本当は手伝っても良かったが、皆守は一人で帰ってしまいそうだったので止めておいた。あそこで一人で手伝ってたら、間違いなく犯人扱いじゃないか。
「うわ、外も酷いな」
「こりゃしばらくマミーズには入れないかもな」
 そちらにちらりと目を向けて、境たちの目に入らないよう2人は足早に通り過ぎた。


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