蜃気楼の少年─5

「も、元の場所?」
「戻って来ちゃったねー」
 階段を上り、大部屋の敵を倒して鍵を開ければ、そこは手の足場がある一歩手前。反対側からでは開かなかった扉から出てきたようだった。
「あー、繋がってたのか。やけにあっさり帰れたな」
「今の鍵が開かなきゃ中で野たれ死にじゃないのか?」
「……だよな」
 鍵は最初開かなかった。結局針金という非常に原始的な方法で開いたのだが。開錠技術だけは学んでおいて良かった。本当に。
「じゃ行くか!」
 次は慎重に、お互い声をかけながら足場を進む。どうやっても飛べそうにないところは一旦放置し、蛇のレバーを引いたり石碑を解読したりしながら先へ進んでいく。
 やたら広い部屋があって、全体を調べるのに時間がかかったが、それも何とか終わり、続いてまた狭い通路。
 敵を倒して一息つくと背後で声が聞こえた。
「……眠ぃ」
「結構時間かかるねー」
 もう12時は回っている。九龍は遺跡探索の興奮で目が冴えているが、ほとんど待っているだけの皆守は退屈だろう。八千穂はそれなりにはしゃいでいたが、さすがに疲れが見えてきている。
 一旦休憩するか、それとも引き返すかと思ったが、八千穂はその提案に首を振った。
「だって、まだ何もわかってないもん。取手くんがこことどう関わってるのか……」
 ……そういやそんな話だったっけ。
 ここまで来ると取手は関係ないような気もするが。
 そして八千穂が発言している間にも皆守は後ろで欠伸をしている。取手のことがどうこうというより心底眠そうだ。
「皆守……お前、帰るか?」
「ああ?」
 声が不機嫌そうだ。やっぱり眠いんじゃないか、と思ったが、皆守はちらりと八千穂を見る。
 ああっ、お前やっぱり八千穂とおれを2人きりにさせられないとか! それなのか!?
 どうにもわかりにくい態度にため息をついて先に進む。そこに魂の井戸があって、思わず感激した。滅多に出会えないのだ、これは。
「うわ、何ここ?」
「ここは魂の井戸って言ってな、」
 得意げに説明しつつ、光に手を差し込む。しかし、これがあるということはひょっとして……。
 部屋を出たあと、その先に見える金の扉を目にする。
「……どうやら奥まで来たみたいだよ」
「え、そうなの?」
「ふん……随分物々しい扉だな」
 皆守の言う通り、奥にあったのは両開きで装飾の派手な、明らかに今までとは違う扉。同じ種類の遺跡を何度か見ているせいか、よくわかる。開錠を試しながら、九龍も少し気を引き締めた。
 敵のレベルは、これまでそれほどではなかった。落ち着いてやれば怪我せず倒せる類。だが、最後の番人となると話が違う。今回、戦えるのは自分一人だ。
「……皆守」
「何だ?」
 相変わらず九龍の作業中は壁にもたれかかっている皆守が、そのままの姿勢で聞く。
「お前銃使えるか?」
「使えるわけないだろ」
「ナイフは」
「使ったことねぇな」
「使えねぇなお前!」
「葉佩くんっ! 私はこれで戦うよ!」
 八千穂が振り回したのはテニスラケットだった。
 そういえばそんなものを持ってたっけ。
「……うん、まあいざってときは頼む」
「了解っ!」
 皆守は武器一つ持っていない。何か渡そうかと思ったが、素人に武器を与えるのは間違いなく危険だ。下手すると九龍たちが危ない。
「ま、いいや。とりあえずこっちの部屋入るよー」
 2人は戦力外、と計算しつつ扉を開ける。
 小さな部屋。化人が密集している。
「おわっ!」
「任せて葉佩くんっ!」
「え?」
「いっくよー!」
 そう叫んで、八千穂は化人に向かってボールを打ち込んだ。悲鳴が上がる。明らかに、大きなダメージを与えている。
「マジかっ!」
「葉佩くん、そっち!」
「え?」
 慌てて振り向けば、目の前に化人が迫っている。
 やばいっ。こっちにも居た!
「あー眠ぃ」
 思う間もなく、体が揺らいだ。敵の攻撃が頬ぎりぎりを掠めるのがわかってぞっとする。
 後ろからもたれかかってきた皆守は、九龍を引きずり眠たそうな声を出す。
「ちょっ、待て! 皆守! やべぇ!」
 もたれかかったままの皆守に叫ぶが、慌てていてまともな言葉にならない。
 狭すぎて動きも取り辛いため、九龍は銃を構えて引き金を引く。
 至近距離の銃声はきついが、我慢してもらおう。
 敵を順当に倒せば、後ろで八千穂もスマッシュで化人を消滅させていた。
 ……すげぇ。
「八千穂ちゃんかっこいい……」
「えへへっ。九龍くんもかっこいいよ!」
「うん、ありがと……」
 褒められたのに。
 かっこいいとか女の子に言われたのに。
 何だ、この微妙な気分。
「何だよ、もう終わっちまったのか?」
「いいからお前は起きろっ!」
 いまだ眠そうな声を出す皆守を蹴飛ばそうと思ったら避けられてしまった。
 ツッコミだ。受けろ。
「……八千穂ちゃん、それマジで次も頼む」
 正面の小部屋でも活躍してもらい、ようやくギミック解除を終えた九龍は、最後の扉へと向かった。










 広い空間は僅かに肌寒い。
 見通しの悪い部屋の中、九龍は慎重に中へと踏み込む。
「ううっ……」
 その先から、くぐもった声が聞こえてきた。
 人が居る!?
「《墓》から出ていけ……」
 って番人かよ!
 九龍は銃を構えたまま、すり足でそちらに向かう。八千穂は着いて来ない。どこか呆然としたように呟いた。
「その声、どこかで……」
「取手だ……」
「えっ?」
 男の方から近付いてきて、ようやく全貌が見える。覆面の男が、そこに居た。
 取手……だって?
「冗談だろ皆守……」
 まだほとんど顔を合わせていない取手の声など覚えていない。だが、その喋り方、雰囲気、特徴的な腕の長さが、九龍にもそれが取手であると信じ込ませた。取手くん、と呼びかけた八千穂の言葉を、否定もしない。
「どうしてきみがこんなところに……」
 取手と墓との関わり。
 正直ほとんど関係ないだろうと思っていただけに、ここで現れたことは衝撃だった。女の勘って凄ぇ、と場違いに感心する。
「この《墓》を侵す者を処分する。それが《生徒会執行委員》たるぼくの役目」
 ぼそぼそと呟くように取手は言う。
「生徒会執行委員……?」
「執行委員って、まさか取手くんが?」
 何だそれはと突っ込む間もなく、八千穂は話を続ける。
 墓を守るのが生徒会の役目?
 何だそれ?
 取手を助けたいと、そのために墓地に来たと叫ぶ八千穂の声を九龍はほとんど聞き流す。
 だが、取手が自分に顔を向けてきたのに気付いて、はっと我に返った。
「きみたちが、ぼくを救ってくれるとでも言うのかい? この呪われた学園から救い出してくれるとでも?」
 取手の表情は完全に覆われていて全くわからない。声は、諦めきったように淡々としている。それでも、どこか悲痛な響きを感じた。
「よくわかんねぇけど、呪いって、この墓に関係あるんじゃないか? お前が墓に縛られてんのが全ての原因じゃないかな。だったら墓との因果関係を絶てば……」
 どうやって。
 言いながら自分で突っ込んでしまった。
 言葉の止まった九龍に対し、八千穂は真っ直ぐ取手を見つめ、ここから連れ出そうとしている。だけど、呪いとはそんな単純な物じゃない。何かしら解呪のキーワードがあるはずだ。それを見つけるのは容易ではないが。
 八千穂と取手の話を聞きながら九龍は部屋を見渡す。あまり不審な動きは出来ない。九龍自身の目線はゴーグルに覆われていてわからないだろうけど。
 部屋の中にはそれらしきものはない……か。
 ならば呪いの中身。
「ぼくはぼくの大切な物を引き換えに、呪われし力を授かった」
 取手はそう言う。
 それを取り戻すこと。多分、それだ。
 だが取手自身は救われる気はないらしい。姉の記憶に捕らわれ、その力で人を傷つけた。戻れないところまで来ていると、取手は思っているのだろう。
「まだ……何とかなるだろ」
「葉佩くん?」
 わからない。本当は、そんなこと判断できないけれど。
「お前が襲った奴も、死んだわけじゃないし、元には戻るんだろ? お前はまだ苦しんでるし、絶対、このままだともっと苦しくなる。ここで諦めるなよ。今なら戻れるだろ……!」
 上手く言えなくて、しまいには叫んでしまった。
 取手がじっとこちらを見ているのを感じる。
 取手はやがてゆっくりと首を振った。
「もう戻れないんだよ……。もうぼくは何もかも失っている。これ以上、失うものなんて何もない──」
 取手の右手がゆっくりと上がった。
「無駄話は終わりだよ。ここがきみたちの墓になる。安らかに、眠るがいい」
「なっ……」
「きゃっ……!」
 衝撃波。九龍と八千穂はまともに食らって悲鳴を上げる。扉近くでじっとしていた皆守が駆けつけてくるのがわかった。
「八千穂っ、葉佩、大丈夫か」
「くっそ、何だこの力!」
 いつの間にか部屋にはコウモリも出現していた。
 文字通りの、墓守。ここを守る番人なのか。ならば、倒さなければ──進めない。
「葉佩くん!?」
「おい、葉佩!」
 九龍は銃を構えた。
 取手に向かって。
 取手は動揺する様子すら見せない。代わりに背後の2人が慌てていた。
「ちょっ、ちょっと! あれは取手くんなんだよ!?」
「わかってるよ! だけどな、おれの邪魔する奴は誰だろうと容赦しねぇ!」
 叫ぶ。取手はゆっくりとこちらに向かってくる。
「おい取手! この銃、本物だからな! 撃つぞ? 撃つぞ! って、止まれこら!」
 びびれよ、少し……!
 自分の声が上擦ってしまっているのには気付いているがどうしようもない。
 墓守が人間って。墓守が人間って!
 どうすりゃいいんだよ!
「取手!」
 もう1度叫んで、九龍は銃を撃った。取手ではなく、こちらに迫ってきていたコウモリを。2匹、3匹と撃っていく。銃が本物なのはこれでわかったはずだ。それでも取手は怯まない。
「この曲を聴かせてあげよう」
 再び、取手の手から何かが放たれた。
「う、ぐっ……」
 寒気がする。気持ち悪い。何だこれ。
 銃口が揺れる。狙いが定まらない。コウモリ目掛けて撃ったはずのそれが……取手に当たった。
「うっ……」
「あっ……」
 しまった、と思うが取手は大したダメージを受けているようには見えなかった。 血も……流れてない?
「あっ、葉佩くん!」
「お前ら避けてろ!」
 ダメージを食らってふらついている八千穂を皆守が支えていた。皆守は、攻撃を受けなかったのだろうか。
 そんなことを考えながら、九龍は取手の目の前まで一気に迫る。取手が驚いたように少し体を引くのがわかった。
「……相手してやる」
 足を払い、右手の拳を叩きつける。ぐらついた瞬間、先ほど弾が当たったはずのところを見た。やはり……怪我一つない。
 九龍の渾身の拳も、それほど効いてないように見えた。
 何かの力に、守られている。
 だが、ダメージがないわけではない。
「取手っ、ちょっと痛いが我慢しろよ!」
 気絶させてしまおうと思った。
 ダメージを受けにくい体に対して、それは容易ではない。無駄に痛みを重ねることになってしまうが、大丈夫、いざとなればここには魂の井戸があったし──。
 銃と拳と蹴りと。
 めちゃくちゃな攻撃を加える九龍に、やがて取手はその場に沈んだ。










「はぁっ……はぁっ……」
 いつの間にか悪寒は取れていたが、息切れが激しい。ようやく倒れた取手に近付こうとすると、突然呻き声を上げ始める。
「? ど、どうした!?」
 慌てて駆け寄ると、大きな悲鳴が上がり、同時に取手の体から黒い砂が噴出した。
「な、何だぁ!?」
「な、何これ!」
 思わず後退さると八千穂と皆守が駆け寄ってくる。砂は、そのまま壁に吸い込まれていった。
 今のが呪い……か?
「取手? 大丈夫か?」
 散々ぼこった後で言うことじゃないかもしれないが、これで元に戻ったなら……思ったとき、HANTが突然警告音を発した。
 まだ何か居る!?
「い、今の何?」
「おそらく取手に呪いをかけてた奴だろう。気を付けろ、何かくるぞ」
「わかってるよ!」
 天井から巨大な何かが振って来た。着地の瞬間、地面が揺れるほどの巨体。クモも数匹沸き出てくる。でかい。
「墓を荒らす者は誰だ……!?」
 不気味な声が響く。
「気持ち悪いやつだな……」
「何だよ、まだ居るのかよ……!」
 弾は結構使ったし、体力的にも大分きつい。だけど、やるしかない。
「ごめん皆守! 取手ちょっと隅に運んどいて!」
「ああ。八千穂、お前も下がれ」
「え、でも……」
「もうボールもないんだろ?」
「う、うん……」
 そ、そうなのか。
 いつの間にか八千穂のスマッシュも底を尽きていたらしい。そういえば先ほど取手に向かったとき、こうもりがまだ残ってなかったか? 八千穂が始末してくれたのか。ああ、バディのこと忘れるなんて何考えてるんだおれ。
 九龍は銃に弾を込め直す。
 落ち着け。しっかり弱点を見極めて。最小限の力で倒すんだ。
 無駄な動きが多い、とよく叱られていた。
 九龍は後ろに控えるバディたちの気配も意識しつつ、敵に向かう。結局時間はかかったが、それでも怪我一つなく戦いを終えた。










「取手……」
「これは……この楽譜は……」
 倒した敵が消滅したあと、そこに数枚の楽譜が現れた。即座に、これが取手の言っていた宝だとわかる。いつの間にか意識を取り戻していた取手に渡せば、大きく反応していた。姉のことを思い出しているのだろう。泣いているように取手が震える。九龍も八千穂も皆守も、ただ黙ってそれを見ていた。
「忘れていた……。この《呪われし力》と引き換えに失くしていたものが何だったのか……」
 やがて取手はそう呟き、顔を上げた。もう覆面はしていない。真っ直ぐな目に、光が戻っている。ああ、解放された。
 理屈でなく肌で感じて、九龍は嬉しくなる。取手に何者かと問われ、九龍もまた真っ直ぐ返した。
「おれはトレジャーハンター。遺跡にはお宝目当てで入ってるんだけどな」
「そうか、それで……」
 九龍が転校してきた理由もそこにある。
 取手が納得して頷いていた。
「きみはぼくの宝物を取り戻してくれた。もう2度と取り戻せないと思っていた大切なものを……。だから……今後はぼくがきみの力になりたい」
「え……」
「きみが秘宝を見つけるそのときまで」
 立ち上がった取手は、猫背気味なのに九龍より大分背が高い。駄目かな、と微笑むのを見て、九龍も笑顔になった。
「まさか! 元番人なんてありがたいしな。よろしく取手」
「うん。よろしく葉佩くん」
 取手からもプリクラを渡され、墓の奥で生徒手帳に記入しあった。撮ったばかりのプリクラを、ついでに八千穂と皆守にも渡す。
 何かいいな。友達が増えていく感じ。
 手帳を仕舞いながら、九龍は思う。
 次の扉は開かなかった。だけど、今日はもういい。取手を救えただけで良しとしよう。
 もう、真夜中も過ぎている。
 3人揃って遺跡を出る。
 最初の大広間は何も変わっていなかった。
 まだまだ、遺跡は広そうだ。


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