蜃気楼の少年─3

「……瑞麗先生。取手くんは……」
 八千穂は瑞麗に目を向ける。
 知っておいた方がいい、と言ったのは取手だし、ここでやっぱり聞かないなどとは言えない。九龍も先を促すように瑞麗を見た。
「そうだな。本人が君たちに聞いてもらいたいと望むなら聞かせてやってもいいだろう。あの墓地と取手の心の関係を」
 瑞麗は煙草の煙をゆっくり吐き出し、そう言って話し始めた。
 突然出てきた「墓地」というキーワードに驚く。
 取手の闇は、そこにも関係しているらしい。
 取手の姉が亡くなった。
 それ以前に、ピアノが得意だった姉の指が動かなくなるという出来事があった。
 それは、友人たちとふざけていたときの事故が原因だった。
 だが、そもそもそのとき取手の姉は既に病に冒されていた。ピアノが弾けなくなるほどの、重い病に。
「……それが、ショックだったってことか」
 一体どの部分が取手に影響したのか、いや、一番は姉の死、なのだろうが。それよりもピアノが弾けなくなったことの方が重いのか?
 瑞麗は話を続ける。
 実は取手の記憶から、姉の死にまつわる部分が消えていると。
「え?」
 まるで呪いのように、と瑞麗は続けた。
「ちっ、また呪いかよ」
 皆守が舌打ちする。
 そして結局、取手の闇の原因はよくわからなかった。
 姉の死の記憶は失われている。ならばそれ以前の、姉の怪我か。病か。いや、そもそも今現在姉が居ないことに関して記憶はどうなってるんだ? 姉の存在そのものが失われてるわけじゃないよな?
 ああ、全寮制ということは家族に会えないのも不思議じゃない……?
「ううん……」
 九龍は混乱する。
 そこで八千穂の言葉で漸く墓地、の言葉を思い出した。取手は墓地に反応する。そこに、何かあるかもしれないと。
「うん、それを解く鍵は墓地にあるのかも。怪しげな穴もあったし……」
 あの穴まで関係するのだろうか。昨日見つけたばかりだぞ。いや、実は以前から出入りはされていたとか? あそこは多分、墓石を動かせば開くのも閉じるのも簡単だ。
「穴? そういえばさっきもそのようなことを言ってたな? 私が探したときはそのようなものは見付からなかったが……」
 探したんですか先生。
 取手のためなんだろうか。いい加減な態度に見えたが、意外に熱心だ。八千穂が更に詳しく説明する。というか、これ、普通に話してていいんだろうか。もう今更なので九龍も止めなかったが。
 八千穂はあの穴が怪しい、と断定しているようだ。理由は勘らしいが。
「ねぇ、私たちで取手くんの力になってあげよ?」
 どちらにしても墓地には行くつもりだ。
 この場合そこで何も見付からなかったら、更に取手のために何かするということだろうか。
 迷っていると皆守が言った。
「おれはお前の勘だけで振り回されるなんてごめんだからな」
「皆守くん……」
「それに、あいつの問題はおれたちがどうしようと、あいつ自身でしか解決できないさ」
「そりゃそうだけどな」
 その辺りには同意したかったが、関係ないとか、心の傷は誰にだってある、とか続ける皆守に九龍の言葉が止まる。
 何で、そんなに必死なんだ?
「お前だって取手のような人間をこの先もいちいち助けていくつもりはないだろ?」
 ああ、そうだ、と正直言ってしまいたい。
 九龍は多分、本心を語れば冷たい人間なのだと思う。同情も手助けも、自分の楽な範囲でしか出来ない。やりたくない。だけど、それは言えない。皆守のように強い口調で言われると反感すら持ってしまう。
 勝手だな、と自分自身に対して思った。
「だったら余計なことにはクビを突っ込まないことだ」
 皆守は……クビを突っ込んだ経験でもあるのだろうか。
 ありそうだな、と何となく思う。
 それで傷付いたとかだったら……何だか迂闊なことは言えない。
「何でそんな薄情なこと言うの? クラスは違っても同じ学園の友達じゃないかっ」
 対する八千穂の方は本気で怒っている。いや……悲しんでるのか?
「おれは嫌いなんだよ。悲劇の主人公ぶってる奴も偽善者もな」
「…………」
 吐き捨てるような口調が、怖い。
 だが八千穂は怯まず言う。
「皆守くんが行かなくても私たちは行くよっ!」
 取手くんを助けたい。
 八千穂のその思いには、九龍も思わず頷いた。皆守がまた舌打ちをする。
 瑞麗は淡々とした口調でそんな3人に言う。
 同じ学園の生徒だからこそ出来ることがあるかもしれないと。
 瑞麗も歯がゆいのかもしれない。取手が、全てを話してくれないことが。
「そう思うなら勝手にやれ。ただし、おれを巻き込むな」
「皆守くんっ」
「じゃあな」
 皆守はそう言って去って行った。
 八千穂も九龍も、呆然とそれを見送る。
「あんな皆守くん初めて見た……。取手くんのこと保健室仲間だって言ってたのに、どうしたんだろ」
 何となく、取手がどうこうという問題じゃないように思えたが。
 九龍が言葉を失っているのに気付いたのか、八千穂が少し明るい口調で笑顔を作る。
「まぁ、無理強いしても仕方ないし。葉佩くんさえ来てくれれば心強いしねっ」
 僅かに顔は強張っていたが、ありがたかったので九龍も笑顔を作る。そのまま夜の約束をして、2人は一旦別れた。
 ……ああ、夕食どうしよう。
 マミーズで会ったら気まず過ぎる。
 居ない気もしたが、今日の夕食は部屋で食べようと思った。










 部屋の中に閉じこもり、パンを齧りながら九龍はじっと隣の壁を見つめる。
 部屋が隣同士というのは喧嘩したとき妙に気まずい。いや、別に喧嘩したわけではないのだが。何だか怒っていたようだし。
 九龍はときたま食べる手を止め、耳を澄ましてみるが隣室からの音は何もない。九龍の部屋は一番端だったので、逆隣には誰もいない。そもそも隣の生活音が聞こえるのかどうかもわからない。
 ドア下に僅かな隙間があるせいか、廊下の音はよく聞こえるのだが。
 ……やっぱりマミーズに行けば良かっただろうか。
 九龍はそこのちらしを眺めながら思う。ドア下の隙間から差し込んだらしく、実は昨日初めてこの部屋に入ったとき、これに滑って転びそうになっていた。
 というか、ドア下に差し込むという作業を全部屋でやったのなら本当に大変な手間だ。疲れを見せながらも明るかった奈々子を思い出し感心する。
 やっぱり行くか?
 奈々子にも会えるかもしれないし。
 九龍が決意して立ち上がりかけた瞬間、突然HANTが音を立てて鳴った。
 意図的に静かにしていたせいで妙に響いて慌てる。メールの着信音。隣を気にしながら開くと、それは皆守からのものだった。
「……へ?」
 内容は、先ほどの言葉への謝罪。言い過ぎた、とは思っていたらしい。というか、やけにあっさり冷静になりやがって! お前の興奮は数分もたないのか!
 気にしてたせいもあって、安心と同時に少し怒りも感じる。これならパンなんて食べてないで一緒にマミーズ行けば良かった。
「ええと、おれも別に気にしてない、墓地に行くときは……」
 HANTに返信を打ちながらふと気付く。
 いや、隣に居るんじゃねぇか。
「お前っ、わざわざメールじゃなくても……」
 思わず隣室に向かって叫びかけたが、いや、皆守なりに気まずいのか、と思い直す。そりゃそうだ。前言撤回早すぎる。
 九龍はメールの続きを打って送信する。同時に壁に耳をつけてみたが、着信音は聞こえなかった。やっぱり、結構壁厚いのか?
 九龍はそれだけ確認して部屋を出た。
 墓地には、もう少し遅くなってから行く予定だ。とりあえず、先ほどの予定通り奈々子のところへ行って来よう。奈々子目当てに来た……なんて言ったら引かれるだろうか。何となく、ノッてくれそうなお姉さんだと思ってるけど。










「お持ち帰りは駄目ですよ、かー。あー、可愛いな奈々子さん」
 多分年上だと思うし、あしらわれてるのだろうとは思うのだが、それもそれでいい。でもよく考えたらいろんな奴にそういうこと言われてて大変なんじゃ……いや、待て、奈々子はまだバイトを始めたばっかりだ。なら自分が記念すべき一号になってる可能性はある。
 顔も覚えてくれてたようだし、これからマミーズに行くの楽しみだな。
「何にやにやしてんだ?」
「遅いぞ皆守」
 墓石にもたれかかってそんなことを考えていると、皆守が相変わらずのやる気なさげな足取りでやってきた。マミーズを出た後も校内探索をしていたので九龍は寮には戻っていない。やっぱり誘って行かなきゃ遅刻かよ、と思いつつ皆守の後ろを見る。
「……八千穂ちゃん、まだか?」
「おれに聞くな」
 皆守が答えた瞬間、ばたばたと騒がしい足音がこちらに駆けて来た。
 ああ、八千穂だ。
 とりあえずあまりうるさくするのはまずいと思うんだけど。
「ごっめーん葉佩くん! ちょっとクラスの子に捕まっててさー!」
「うん、いいから静かにしよう」
 そういえば皆守は遅刻の謝罪はないんだな。まあ10分程度だけど。1時間遅れても平然としてそうだもんなこいつ。
「あっ、もうロープ下ろしてるの?」
「おお。かなり高いから気をつけてな。一応おれが先に下りるけど」
 運動神経は良さそうだが、ロープ一本で降りるのは慣れないとかなりきつい。九龍は一応予備で持っていた手袋を八千穂に渡した。皆守の分がないが、仕方ない。八千穂に譲るぐらいは文句言わないだろう。
「…………待てよ」
「どうした?」
 今唐突に気付いたが。
 ひょっとして、墓地に行きたいとか言い出したの……おれと八千穂を2人きりにさせないためか?
 謝罪したかったのも本当はおれにじゃなくて八千穂にか?
「葉佩くん、どうしたの?」
「あ、ああ、いや。何でもない。じゃ、行くよ」
 それは何だか説得力のある答えに思えた。
 もしそうだとしたら……何かおれ、割り込んじゃってる?
 それなら更に気まずい話だ、と思いつつ九龍はロープを降りる。
 あぁ、八千穂は誰にでも優しいから勘違いする男も居そうだもんな。いや、皆守がそうとかじゃなくてね? うん、いや、わかんないけど。
 ……あれ? ちょっと待って、何か、おれも勘違いしてた?
 初日にいろいろ舞い上がってた自分を思い出す。
 ……忘れとけ。
「九龍くーん! もう行っていいー?」
「おっ、ああ、うん。こっちで押さえとくから。ゆっくりなー」
 下まで着いたのについ考え込んでいた。
 上を見上げれば、そろそろと降りてくる八千穂の姿。
 ……待って。何でスカートで来てんの。
 思わず見つめていると八千穂が僅かに下を向いて声を上げる。
「ちゃんと押さえといてよ〜? 手を離したりしたら泣いちゃうから」
「わかってるよ……!」
 慌てて目を逸らしたので焦ったような声が出た。
 ロープの揺れだけが、右手に伝わってくる。
「ったく、うるさい女だな。いいから早く降りろ」
「きゃっ、ちょっと、揺らさないでよ!」
「大丈夫だ。下を見ずに一気に行け」
「ちょ、ちょっと……!」
 おい、何やってるんだ。
 上から聞こえてくる会話と、揺れの激しくなるロープに、九龍は思わず顔を上げる。
 パンツが降って来た。
「きゃああああああ!」
「……うわっ!」
 じっと眺めてしまい、八千穂が落ちているという事実が一瞬頭に届いていなかった。
 ぎりぎりで受け止めるが、支えきれず八千穂と一緒に倒れる。
 上から皆守の呑気な声が聞こえてきた。
「降りられたか? どけ、八千穂。そこに居ると危ないぞ」
 おれも危ねぇよ。
 するすると降りてきた皆守は、ロープの途中でとん、と九龍たちから離れた距離に飛び降りる。何だ。体力ないけど運動神経はいいのか。
 見つめていると、復活した八千穂が皆守に食ってかかる。
 昨日に引き続き、見てしまった。不可抗力だ。どちらも悪いのは他の奴だ。
 八千穂には責められなかったし、皆守を怒るのはあっちに任せようと、九龍も立ち上がり辺りを見回す。
 広い。
 深さもかなりのものだったが、広さも凄い。
 学校の片隅にある墓地の地下。これほどの空間が広がっているとはさすがに思わなかった。
 神秘だ、なぁ……。
 皆守のことも八千穂のことも一瞬忘れ、九龍は呆然と立ち竦む。
「さて、それじゃわざわざロープまで使って降りてきたんだ。さっそく調べるとしようぜ。葉佩を先頭におれと八千穂は後ろから並んで行こう」
 そして一気に現実へと戻される声。
 一通り喧嘩は終わったのか、皆守が平然とそう言った。八千穂も直ぐに表情を切り返し元気良く頷く。入り口の扉に向かった皆守たちが、突っ立ったままの九龍を振り 返った。
「おい、何やってんだ? 早く来い」
「へ? あ、ああ、うん、そうだ。そうなんだ」
「何が」
「いや、おれがハンターなんだなぁって」
「…………」
 慌てて皆守たちの前に出ながら九龍は呟く。
 元々ずっとバディをやっていたため、人の後ろについて歩くのに慣れてしまっていた。皆守が普通に仕切りだすから着いて行こうとしてしまったじゃないか。そうだ、仕切るのはおれだ。
「お前は葉佩の側を離れるなよ? この雰囲気だ。何が出てきても不思議じゃない」
 九龍の背後で皆守がそんなことを言う。正しい。正しいし嬉しいが、おれに言わせて欲しいなぁ。
「う、うんっ。わかった。念のためテニスラケット持ってきたから!」
 ぶんっ、と八千穂が何かを振り回す音がする。
 ……は?
 思わず振り向くと、ラケットを握った八千穂と、皆守の呆れた顔が見える。
「お前、そのラケットで戦うつもりか?」
「もちろんじゃないっ。この私のスマッシュで──」
 再び、風を切る音。
 ……いい、音だ。
「じゃ、はりきって行きましょ!」
「……来るんじゃなかったぜ」
 皆守がぼそりと呟いた。どう考えても、もう遅い。


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