蜃気楼の少年─1

 翌日の目覚めは爽やかだった。
 学校の中に寮があるということはギリギリまで寝られるんだな、と九龍は教科書をカバンに詰めながら思う。校舎と寮は遠いとはいえ、それは学園内で言うなら、だ。小中学校と通学に時間がかかっていた九龍は、こんな点でも少し感動する。
 カバンに入る限りの教科書を詰め、ちょっと重いかと思うものの、2日で全部教室に運ぼうと考え我慢することにする。ちなみに今日の時間割の確認はしていない。いまだ机の上に残っている教科書に今日の授業があろうと気にしない。
 寮の部屋を出て、九龍は何となく皆守の部屋の前に立つ。
 ……もう出てるだろうか。
 九龍の起きた時間は結構ぎりぎりだが、それでも寮内にはまだ人が多かった。今は大分減ってきている。これが限界時間だろう。だが、皆守が余裕を持って校舎に入っているというのも何だか考えにくい。
「……皆守ー?」
 部屋をノックしながら声をかける。別に誘っていく必要もないのだが、隣の部屋となると何となく無視して行き辛い。
 だが何度か声をかけても結局返事はなかった。
 ……これで部屋に居なかったら間抜けだよなぁ。
 九龍は諦めて寮を出る。既にこの時間に出た生徒は走っていた。うわ、やばいか。
 重たいカバンを抱えて九龍も走る。鍛えた足が何人もの生徒を追い抜いて行く。結局教室に着いたのは、授業の始まる5分前だった。
 何だ、まだ全然余裕あったな。
 そう思うのが九龍だ。
「葉佩くん、おっはよっ!」
「あ、八千穂ちゃん、おはよー」
 女の子に朝の挨拶をされるとか!
 やっぱりいいな、高校生活!
 無闇に感動していると、八千穂は無邪気に続ける。
「昨日あれから寝られた? なんか私、興奮しちゃってなかなか寝付けなくて。ね、今日も墓地行くんでしょ?」
「や、八千穂ちゃん、そこは声潜めよう! 校則違反校則違反!」
「あ、そっか」
 実際聞かれたからと言ってわざわざ告げ口する生徒が居るとも思えないが。いや、進学校らしいし真面目な生徒多いのか?
「あの穴、何かありそうじゃない? ハシゴとかロープ使えば降りられそうだし。月魅が言ってた学園の秘密もわかるかも! ねっ、行くときは絶対誘ってよ? 誘ってくれなきゃ葉佩くんの秘密、みんなにばらしちゃうから」
 一応声を潜めながら、それでも興奮の漏れる声で八千穂が言う。九龍は笑って言った。
「わかってるって。ロープはおれが用意するから、八千穂ちゃんこそ抜け駆けはなしだぜ? あと秘密も守ってね」
 そういえば秘密なのだ。トレジャーハンターというのは。
 別に友達相手に隠すことだとは思わないが、噂が広まるとまずいのは確かだ。2人きりの秘密というのもなかなかいいものだと思う。うんっ、と元気良く頷く八千穂と部活の後で会うことを約束する。そうか、八千穂はまだ部活をしてるのか。
 前日に見た部活仲間を思い出す。テニス部……だよな。
「あ、それじゃこれ渡しとくね。葉佩くん生徒手帳は?」
「ん? ええと、これかな」
 多分これは持ち歩くものだろうと思ってポケットに入れてある。八千穂は受け取ったそれを勝手にめくると、後ろの方のページに何か書いていた。思わず覗き込む。生徒手帳には住所欄があったようだ。プリクラを張られ、生年月日や好物、メルアドが記入されている。
「おお、何かいいな、友達っぽくて」
「葉佩くんも書いてくれる?」
 八千穂の生徒手帳はやはりというかたくさんの友達の名とプリクラがある。最後の空きスペースのところを渡されたが、それ以前の何枚もに記入があるのがわかった。
 3年間使っているものなのか、結構ぼろぼろだ。
「はい、これ。プリクラはまだ撮ってないんだけど」
「うん、いいよ。ありがとう! あっ、じゃあ私もう理科室行かないと! 今日当番なんだ。じゃあまた!」
 受け取った手帳をポケットに押し込むと八千穂は慌てたように駆け出していった。あの扱いだと確かにぼろぼろにもなるかもしれない。女子のポケットなんて小さそうだ、と何となく思う。
 見送った後、九龍ものろのろと準備を始めた。理科の教科書……ん? 化学か? 生物か? そもそも理科室ってどこだ?
 昨日案内された覚えがない。
 しまった、着いて行けば良かったと思っていたとき、九龍のHANTが音を立てる。メールだ。
「お、七瀬ちゃん」
 学籍番号で送れるってことは別のクラスからでもありなんだなー、とメールを読む。
 ……ああ、八千穂ちゃんと七瀬ちゃんって仲良かったっけ。
 どうやら八千穂はトレジャーハンターについて七瀬に聞いたらしい。それについての話題が書かれている。それはいいとして、何故自分と結び付けられたのだろう。八千穂が迂闊なのか、自分が何かそれらしい言動をしてしまったのか。
 心当たりはない。
 まあいいかと思いつつ九龍は外に出た。理科室はC組の流れについていけばわかるだろう。
 と、前方に見えたC組数人について歩いていると、突然足元に何かが転がってくる。
 石だ。
 蹴り飛ばそうかとも思ったが、妙に大き目の石がどこから来たのか気になって拾う。
 背後から、声がした。
「拾ったね。……転校生葉佩九龍。落ちてる石を拾い上げる。石に対して興味あり」
「……何だお前」
「やぁ」
 長髪ソバージュの眼鏡をかけた男が、そこには立っていた。
 クラスメイトではない。絶対ない。こんな男、見てれば絶対覚えてる。
「ぼくは3−Dの黒塚至人。遺跡研究会って部の部長をやってるんだ」
 やっぱり別のクラスだ。
 って、遺跡研究会?
「へぇ、そんな部があったんだ。……ん? 部じゃないのか?」
 研究会で部長って言うのか。
 まあ部活みたいなものという解釈でいいんだろう。
 男は何だか不気味に笑っている。
「部員はぼく一人だけどね。石に対する情熱のある人間がここには少ないのさ。そうだ君、ひとつ訊いていいかい?」
「あ、うん」
 石に対する情熱? 遺跡じゃなくてか?
 と、突っ込むより先に質問がなされて、九龍は口を挟む機会を失う。
「ざらざらした石を見ると舐めてみたくならない?」
「は?」
 ざらざらした石を舐めてみたくなる──九龍はそのシチュエーションを必死で考える。ざらざらって……汚れてるんじゃないか? ああ、遺跡とか砂で汚れて碑文が読めなかったりすると小さいものだと思わず──
「……なるな」
 それが手っ取り早いこともある。
 実際はしないが。
 だが、黒塚は嬉しそうに──そしてやっぱり不気味に笑った。
「いいよね……あの舌触り。石の歴史を肌で……いや、舌で感じるっていうか」
 こちらは舐めたことがあるらしい。というか、何かそれは危ない人ではないのか。
 陶酔している黒塚はどうやら九龍が気に入ったらしく、今度部室に遊びに来るように言われた。
 遺跡の研究してるなら行ってみたいとこなんだけど。これと2人きりって怖いな。
 黒塚はそんな九龍の心情など気にもとめず、何やら歌いながら去って行った。
 ……うん、変人だ。
 ハンターをやっていると変な奴にはいくらでも遭遇する。研究員に多いタイプの変人だ。ああ、こんなところにもいるんだな、と思い、九龍はそこで前方を歩いていたクラスメイトを見失っていることに気付いた。
 しまった。
「葉佩くん? どうしたの、廊下の真ん中に立ち尽くして」
「あ、先生……!」
 そこに救いの声。
 C組担任の雛川が、いつも通り出席簿を手にそこに立っていた。
「大丈夫? 学園の雰囲気にはだんだん慣れてくると思うからあまり思いつめないでね?」
 待ってください。一体どう見えたんですか、おれ。
「いや、ちょっと迷っちゃいまして。すみません、理科室ってどこですか?」
「あら」
 雛川は少し目を丸くすると、すぐに笑って案内してくれる。クラスの誰かに聞かなかったの、と言われて、八千穂が居なくなっちゃったんで、と思わず言いそうになった。八千穂しか聞ける相手がいないみたいだ。……皆守だって、いる。うん。
「先生もね。この学園に途中から来たから、赴任初日はどきどきして大変だったの。葉佩くんも何か困ったことがあったら何でも相談してね? 昼休みは職員室に居ると思うから」
「はい、ありがとうございました」
 理科室前まで来て雛川と別れる。雛川は1時間目の授業はなかったのだろう。葉佩が教室に入った瞬間、チャイムの音が響いた。










 HANTの振動で九龍は目を覚ます。
 メールが入ったようだ。授業中はさすがに音を切っていたそれを九龍はごそごそと取り出す。結局昨日同様、午前中の授業はほぼ寝て過ごしていた。とりあえず今のとこ注意されてはいないが、先生が甘いのか、転校生だからか、そういう方針なのか……。
 ぼんやりした目でメールを確認する。七瀬からだった。今朝のメールに対する謝罪だ。何か、ずっと考えてたんだろうか。気にしなくていいのに。
 そう思いつつ机から体を起こす。同じ姿勢でいると肩が凝るな。
「よぉ転校生」
 腕を回していると横から声をかけられた。皆守が欠伸をしながらこちらを見ている。
「ふぁ〜あ眠い。午前中から授業なんて出るもんじゃないな……」
「お前、いつから居たんだよ……朝、声かけたのに」
「そうなのか? 気付かなかったな。確か起きたのは2時間目の途中ぐらいだが」
「やっぱ寝てたのかよ!」
「早起きしたっていいことなんか何もないからな。それより次は移動教室だぜ? 行かなくていいのか?」
「え、マジ?」
 時間割なんて全く把握していない。そういえば教室から人の姿が消えていってる。九龍は慌てて立ち上がった。
「よし、案内しろ」
「偉そうに言うな」
 皆守もかったるそうに立ち上がる。教科書どころか筆記用具すら持っていない。
「いっそ感心するぜ、その授業態度」
「ああ、教師に覗き込まれて平気で寝続けるお前もな」
「マジか!?」
 っていうか起こせよ先生! 何だ? 起こさずチェックだけしてるとかそんなことなのか?
 それに、皆守はともかく、隣の席の八千穂も起こしてくれてもいいようなもんだが。そう言うと皆守は笑って言う。
「あいつもうとうとしてたからな。大方、昨日のことで興奮して夜寝られなかったとかそんなんだろ」
「あー言ってたな」
「そういやその八千穂が言ってたんだが……お前、トレジャーハンターなんだって?」
「!?」
 既に廊下を歩き出していた九龍は、そこで思わずコケそうになり慌てて廊下の窓枠を掴む。皆守が呆れた顔で見下ろしてきた。
「何やってんだ?」
「いや……いやいや、ちょっとびっくりしたかな……」
 まあ口止めしたのは今日の朝だし……って、昨日はあのまま別れて今日の朝まで会ってないはずだよな……いや、メールという手段はあるのか。
 皆守には昨日の姿を見られているので、別に無理に隠すつもりもなかったのだが、2人きりの秘密だのなんだの言われた後だったのでちょっと凹む。皆守だから言ったとかだともっと凹む。
「まあお前が何であろうとおれには関係ないことだけどな。誰でも人に言えない秘密の一つや二つあるもんだ」
「突っ込まれないのもそれはそれで寂しいんだが」
「聞いて欲しいのか?」
「面倒くさそうに言うな」
 興味がない、を全面に出されるとそれ以上何も言えない。まあこの様子なら言い触らしたりはしないだろう。
「それはそうと、お前ら今日も墓地に──」
 皆守が言いかけたとき、突然悲鳴が響いてきた。女性の声。何か恐ろしいものでも見たような──。
 九龍と皆守は顔を見合わせる。
「音楽室の方からだな……」
 悲鳴の方に目を向ければ、皆守がそう言って駆け出す。九龍も慌てて後を追った。
 悲鳴に駆け出す、とか──なかなかかっこいいとこあるんだな、こいつ。


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