謎の転校生─1

 固く閉ざされた門の前で、葉佩九龍は途方に暮れていた。



 日本に辿り着いて二日。慌しく転入の準備をして、いつもより早い時間に目を覚まし、勿体無いと思いつつも、道に迷わないようタクシーを使い、辿り着いた天香学園。
 ……どうすりゃいいんだろう。
 平日の午前8時過ぎ。
 門の奥では部活をやっているらしき生徒の声も聞こえる。ボールを打つような音は、おそらくテニス部。朝練だろうか。遠い校舎の窓には横切る人影もいくつか見え、明かりが付いているのもわかる。この学園が活動を開始しているのは間違いない。
 なのに、門は閉じている。
 九龍はもう1度時計に目を落とした。教師との約束の時間は過ぎている。初っ端から失敗したな、と他人事のように思いながら、九龍はとりあえず門に近づいた。
 乗り越えちゃまずいだろうか。高さ的に不可能ではない。誰にも見られなければ──だが勝手な行動を取るのも──と辺りを見回したとき、九龍はこちらに駆け寄ってくる人影に気付く。
「?」
 目が合ってしまい、思わず一歩引いた。だが、それに慌てたように人影が大声を上げる。
「待って! あなた、葉佩九龍くんじゃない!?」
 駆けて来たのは女性だった。何故か片手に出席簿を抱えたまま、門をがしっと掴む。勢いに押されて、九龍はもう一歩下がった。
「ねえ! 葉佩くんでしょ」
 息切れしながらも、女性は必死でそう言い切る。そこまできて漸く、目の前の女性が教師であること、おそらく時間になっても来ない九龍を心配してやって来たということに気が付いた。
「は……はい、そうです。葉佩です。あの、もっと前に来てたんですけど、門が閉まってて入れなくて」
 つい言い訳をしながら九龍が近づくと、女性が笑顔を見せた。怒られなかったことにほっとしていると、そのまま視線が右を向く。つられてそちらを見ると、門の脇にある小さな建物が目に入った。
「ここは全寮制で、寮も学園の中にあるの。だから門は業者の人が来るときしか開かないのよ。そっちに小さな扉があるでしょ? 警備員さんに話せば開けてもらえるから……」
 なるほど。よく見れば確かにそこは警備員室で、中で退屈そうに座っている男が目に入る。それくらいの説明はしておいて欲しい、そもそも全寮制なんてのも初めて聞いたぞ、と女性と門越しに並んで歩きながら、九龍は内心で愚痴った。
 ハンターとしての初任務後、即座に渡されたのは日本の高校への潜入任務。学園のパンフレットだけ渡されて、詳しい話は何もなく、日本に着いたのが昨日の夜。 旅の疲れもあってそのままホテルで熟睡した九龍は、朝も寝坊ぎりぎりで慌てて制服だけ身に着けてここに駆けつけてきたのだ。学園のことを調べている暇もない。いい加減にも程がある。
 ……パンフレットすら読んでないことも含めて、どうも自分が悪かった気はするが。
「葉佩くんはずっと海外に居たのよね? 日本語は大丈夫なのかしら」
「……はい?」
 そんなことを考えていると、いつの間にか門の中に居た。警備員との交渉は、この雛川と名乗った教師がやってくれたらしい。校舎に向かって歩きながら、九龍は何と答えたものか考える。
 九龍が海外に居たのは、この2年ほど。中学までは日本に居たし、それまで外国へ行ったことなどなかった。実践で覚えた英語はいまだにいろいろ怪しく、当然日本語の方が得意なのだが。
 誰だそんな嘘をついたのは。
 潜入任務をするなら、ここの擦り合わせだけでもやっておかなきゃいけなかったんじゃないだろうか。
 それともここで上手く対応してこそ、ハンターとでも言うのか。
「おれの日本語……変ですか?」
 あ、おれって言っちゃったな、と咄嗟に出た言葉に舌を出す。だが雛川は笑って首を振った。
「いいえ、とても上手よ。だからびっくりしてるの。私、国語の担当だから少し張り切ってたんだけど、その分だと大丈夫からしら」
 国語はまだ自信がある方です。
 と言い掛けて、やめた。
 九龍の中学時代までの成績は正直壊滅的だ。テスト勉強というものをしたことがないのだから当然かもしれない。将来ハンターになると決めていた癖に英語もろくにやらなかった。日本の学校で習う英語など役に立たないとどこからか聞いて決め付けていたのだ。
 授業が始まったら即行でばれるんじゃないか。
 そこの帰国子女に読んでもらおう、などと言われたら目も当てられない。
 何とか言い訳を考えておかなければ。
 そもそも授業に出る必要はあるのだろうか。どうせ全く理解出来ないだろうに。
 ここに来るまで深く考えていなかったことに今更気付いて九龍は嘆息した。二度と送ることはないと思っていた学生生活がこれからまた始まるのだ。
 毎日同じ時間に起きて、授業を受けて。──どうにも実感がわかない。
 校舎に着き、そこを見上げてみてもそこが自分の学校だという認識が出来ない。まあ来たばっかなら当然か。
 それでも少し緊張して、ノートと筆記用具しか入っていないカバンを握り締める。
「3年の靴箱はあっちよ、もう時間がないからこのまま教室に向かうわね。大丈夫?」
「あ、はい、大丈夫です」
 周りには慌てたように駆けていく学生たちの姿が見える。遅刻寸前なのだろう。この空気は何だか無性に懐かしい。
 高校生になっても、こういうところは変わらないんだな……。
 成績も卒業も気にしなくていい分、何だか余裕を持って学生生活を見れる。
 まあお試し高校生活、という気分なら悪くないだろう。
「あ、そうそう。向こうの売店の横にプリクラがあるから、なるべく今日中に撮っておいてね?」
「は?」
 ここが普通の学園とは少し違う、と気付くのはもう少し後のことだった。










「そうそう、ウチでは名刺代わりというか、名簿とかにみんな貼るんだよ。わかりやすくていいでしょ? 部活で使うものとか誰のものかわかるように貼ってたり」
「へえ……」
 無事、授業を終えての昼休み。早々にさぼろうと思っていた九龍は、隣の席となった少女八千穂明日香に引っ張り出されていた。学園内の案内はありがたい。聞きたいことも山ほどあったので、まあいいかと流されるように付いてきている。
「で、ここが図書室。たくさん本があるでしょ? この学園が創立された頃から残ってる本もあるんだって」
 開きっぱなしになっていた扉をくぐって八千穂がはしゃぐ。何かを探して奥に行く八千穂に手持ち無沙汰になっていると、突然隣から声が聞こえた。
「故人曰く、『書物には書物の運命がある。運命を決めるのは、読者の心である』」
「え、え?」
 おれに言ったのか? 九龍は慌ててそちらを振り返る。眼鏡をかけた大人しそうな少女が、こちらを見上げていた。
「本をお探しですか? 初めて見る方ですね」
「あ、そうそう。おれ、今日C組に転校してきた葉佩九龍。……えと、ウチのクラスじゃないよね?」
「はい。私はA組の七瀬月魅といいます。ここの本を管理する図書委員をやらせて頂いてます。本のことでわからないことがあったら何でも聞いてください」
 淡々と言って眼鏡を押し上げる仕草は、冷たい感じもあるが、声と表情は柔らかく、九龍は思わず笑顔になった。
「ありがとう。ここって本借りるのに何か必要? カードみたいな」
「カードは本の裏表紙に挟まってますから、そこに名前を書いて図書委員に提出してもらえば。1度に借りられる本は5冊までです」
 てきぱきと説明をする七瀬に頷いていると、いつの間にか八千穂が戻って来ていた。七瀬を名前で呼んでいることからいって、仲が良いのだろう。体育会系美少女と文学系美少女はどうにも結びつかないが。いや、美は関係ない。
 八千穂はどうやら勝手に書庫室に入ろうと鍵を探していたらしい。そういえばそんなことを言っていた。それに説教する七瀬の言葉を聞きながら、九龍は図書室全体を見渡す。
 ……どこかに鍵が隠されている。
 書庫室そのものよりも、そっちの方に興味が惹かれてしまう。
 トレジャーハンターの性かもしれない。
 今度こっそり探しに来よう。
 隣の七瀬には決して言えないことを一人決意して視線を戻す。
 その後、七瀬と超古代文明について少し会話をして、図書室を後にした。
 超古代文明。
 今の九龍の専門分野と言っていいだろう。
 あれほど情熱的に語れる人物は日本で初めて見た。九龍の所属機関であるロゼッタ協会に報告すればスカウトが飛んでくるかもしれない。興味はあるが、知識が足りない九龍にとって、知って覚えている、というだけで尊敬の対象だ。
 それに、興味深い情報も提示してくれた。
「墓地かぁ……」
 学園に何故か存在している墓地。そこが怪しいと。
「何か面白そうだよねッ。そうだ、今度こっそり夜にでも墓地に行ってみない? 調べれば何か──」
 楽しそうにはしゃぐ八千穂の言葉を遮るように、突然ピアノの音がした。
 八千穂が言葉を止めて振り返る。思わず八千穂と共に目をやれば、すぐ側には音楽室があった。誰か居るのだろう、と深く考えずに通り過ぎようしたが、八千穂はそんな九龍を引き止める。この時間に人が居るはずがないと。そうなのか。
「閉まってるの?」
「あ、ちょっと待って九龍くんッ!」
 確かめればすむことだと扉に手を伸ばせば腕を捕まれ、止められる。何かと思えば、八千穂は突然声を潜めて、「一番目のピアノ」という怪談を語った。誰も居ない音楽室からのピアノの音。そこで精気を吸い取られミイラのようになる話。
「ありがちなようでちょっと変わってるね」
「でしょ? まあただの噂話だろうけどね。結構信じてる人は多いよ。それでも……覗いてみる?」
 幽霊を見れるかもしれない、と言う八千穂はまるで信じていない……のか、むしろ幽霊が見たいのか、妙に無邪気な笑顔だった。先ほど止めたのは、前置きとして演出話をしたかっただけかもしれない。九龍は苦笑しながら扉に手をかける。
 真昼間からの幽霊話では怖がるのも無理だ。
 明るい中の幽霊は何か間抜けだよなぁ。
 だがそんなことを思いながら覗き込み、その隙間から見えた人影に、九龍は思わず声を上げそうになった。薄暗い部屋の中、異様に手の長い男が一人、どこか陰鬱で、消えてしまいそうに儚く、この世の者とは思えない妖気が立ち上り、
「あれは……A組の取手くん?」
「ん?」
 不可思議空間にトリップしそうになっていた九龍は、八千穂の声で我に返る。
 何だ。人間か。
「電気もつけないで何してんだろ」
「物思いに耽ってる…とか?」
 電気をつけなくてもカーテンさえ開けばこの時間、教室内は明るくなるはずなのだが。まあ中の物が見えないというほどでもない。この時間、入ってはいけない場所であるならわざわざ電気はつけないだろう。
 そこまで考えて九龍はそろそろと扉を閉めた。謎はあるが、声をかけられる雰囲気じゃない。
「……次行こっか」
「そうだね。ちょうどこの下が保健室と職員室。売店もあるよ」
 八千穂について階段を下りていると多くの生徒とすれ違う。抱えたパンを見ていると妙に空腹が意識される。……しまった、金あったっけ。今朝のタクシー代で手持ちは使ってしまった気がする。
「保健室の先生は凄い美人でさぁ。中国から来た瑞麗っていう先生なんだ。……葉佩くんも興味あるでしょ?」
 突然振り返りいたずらっぽい目で見上げてくる八千穂に一瞬どきっとする。それはある。大いにある。だがカウンセラーの世話になる事態は歓迎したくない。
 曖昧な返事をすると、八千穂は興味なしと受け取ったようだ。かっこつけてると思われるかと思ったが、妙に感心された。
「葉佩くんって変わってるよね。どこか他の男の子とは違う感じ」
「それって褒めてないよね」
 苦笑しながら、そのまま二人で売店へと向かう。昼休みに入って既に時間が経っているためか、そこは意外に空いていた。商品もほとんど残っていないが。
「え、葉佩くん、パン一個!? それで足りるの!?」
 コッペパンを手にした九龍に、八千穂が大げさに驚いている。
 金がないんだ、とは言い出せなかった。










「全く、あのスケベオヤジ! 何であんなのが校務員なの!」
 無事パンを買い終えた2人は、教室へ戻るため再び階段を上っている。八千穂は売店で、売り場のオヤジにスカートをめくられていた。怒りの八千穂に何となく声をかけられず、九龍は一歩後ろをついて歩く。
 それに気付いたのか、八千穂が慌てたようにごめん、と言って振り返った。
「あの人いつもあんな感じなんだけどね。今日は油断してたなァ」
 めくられたばかりのスカートを片手で押さえたまま八千穂は唇を尖らせる。
 恥ずかしいというよりしてやられたことが悔しいのだろう。九龍から見ても隙を突いた見事な早業だった。恩恵に預かった身としては何も言えない。大体、怪しい男が近づいているのに気付いていながら何も言わなかったのだ。いや、まさかあんなことを企んでるとは思わなかったが。
「あ、白岐さん」
「ん?」
 そこで突然足を止めた八千穂にぶつかりそうになる。気付けば廊下の窓際に異様に髪の長い女生徒が立っていた。場所によってはさっきの取手以上の怪談だな、と何となく思う。
 前を行く八千穂は、何故か少し緊張してるかのように白岐に話しかけていた。
 怖いのだろうか。
 確かに話しかけ辛い雰囲気の子だけれど。
 物怖じしない性格に見えていたのでちょっと意外に感じつつ、九龍は一歩下がったまま2人の会話を聞いていた。テーマは転校生。……自分のことだ。
「この学園は転校生が多いんだ。新しく赴任してくる先生もね。でも……」
 行方不明になる、と。
 つい三ヶ月ほど前にも、同じクラスから行方不明者が出たらしい。
 ロゼッタ……おれは何人目なんだ。
 それとも別の組織だろうか。だとしたらロゼッタは随分出遅れていることになる。っていうか既に秘宝は盗られたあと、なんてことはないよな。
 思わずそんなことを思いつつ、二人の話には適当に相槌を打つ。
 やはりキーワードは墓地なのだろう。これは、ひょっとしなくてもかなり危険な任務なのかもしれない。
 日本の高校、なんて九龍にとっては緊張感の欠片も持てない要素だったのだけれど。
 白岐から「この学園は呪われている」などという言葉を聞いて益々そう思う。
 そんな言葉が違和感なく通じてしまうのが、この学園だ。
 八千穂ですら、白岐の言葉に納得しかけていた。
「うーん、やめやめっ、呪いなんて考えてても仕方ないしねっ」
 だが直ぐに払い飛ばすように思い切り首を振る。振り返った八千穂は、既に笑顔だった。
「葉佩くん、あっちの階段上れば屋上なんだけど……せっかくだからそこで食べよっか。天気も良いしね!」
 辛気臭い話を吹き飛ばそう、とばかりに八千穂は手を上げる。
 反対する理由もなくそのまま付いて行くが、まさか二人きりになるんだろうか。冷やかされたりはしないのか。高校生にもなったらそんなことはないのか。
 八千穂はまるで気にすることなく屋上へと続く扉を開けた。
 


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