捨ててないからここにある─1

 日当たりのあまりよくない薄暗い寮の一室。
 御霧はドア付近に放り出されてるカバンを端に寄せながらその部屋に足を踏み入れた。次いで、中央のソファにだらしなく寝そべる男の姿を目に入れる。
「おい、義王──」
 呼びかけようとして、気付く。微かに聞こえてくる寝息。鬼印盗賊団のボスは、どうやらアジトの一室で眠っているようだった。
 いつもの格好で、制服を背の下に敷きこんでしまっている。皺になるぞ、と思うが、今下手に起こしても面倒だ。暖房の効いた寮内とはいえ、ノースリーブの薄いシャツ一枚で眠っている姿は気になるが、ここにはかける毛布もない。さすがに自分の制服をかけてやる気もなく、御霧は義王から目を逸らすと、部屋の端に乱暴に積まれたお宝の数々を眺めた。
 ため息をついて、それを取り上げる。いい加減きちんと整理したいと思っていたところだ。義王は起きていても手伝わないし、むしろうるさいだけなので眠っていたのはありがたかった。起こさないよう静かに動きながら、御霧はお宝の整理を始めた。
 二ヶ月前の戦利品は埃を被っている。箱と中身が合ってないものがある。台座から外れて本体がどこかに転がっていってしまっているものもある。
 一つ一つ丁寧に手に取りながら、御霧は一通り盗品の整理を終えた。
「──?」
 一度満足気に息を付き、ふと違和感に動きを止める。
 ──足りない。
 そこにあったはずのお宝が、どこにも見当たらなかった。
 かがみこんでいた御霧は立ち上がると、変わらず寝息を立て続けている義王へと足を向ける。
 敷きこんでいる制服が、くしゃっと歪むのが見えた。
「…………」
 御霧はその制服の端を握ると、そのまま一気に自分の方へと引く。当然その上に乗っていた義王は、そのまま滑るようにソファから落ちた。ごん、と頭を打つ景気のいい音が聞こえる。
「っ痛ェー……てめぇっ、御霧! 何しやがる!」
 即座に覚醒した義王は、ぱっと制服を握り締めた御霧に目を向け怒鳴る。相変わらず寝起きはいい。立ち上がる前に、ばさっ、とその顔に制服を戻した。
「義王、最近あそこにあるものに手を付けたか?」
「ああ?」
「『あれ』はどこにやった?」
「はぁ? さァな、お宝なら全部そこにまとめてあるだろ」
 床に座り込んだまま、義王は頭を摩りつつ言う。痛みに思考が戻る前に、御霧は続けて言った。
「ないんだ」
「ない?」
「ああ。整理していて気付いた。お前じゃないなら、誰だ?」
 お宝の場所をわざわざ動かす者は居ない。
 アンジー辺りが何か面白がってやらかした可能性はあるか?
 いや、それならよりにもよってあれを選ぶことはない。
「オイオイオイ、まさか盗まれたってのか?」
「…………」
 この盗賊団のアジトは普段、鍵がかかっていないことが多い。御霧が最後に出るときは閉めるのだが、合鍵を持っている義王は少なくともそんなこと気にしない。鍵を開けることすら面倒くさがって、ドアを蹴りつけている光景も何度も見た。
「……その可能性もあるな」
 御霧の言葉に、義王がはっ、と笑う。
「このオレ様のお宝に手ェ出したってか? 面白ぇじゃねーか。おい、御霧。わかってんだろーな?」
 盗賊団のお宝に手を出したりすればどうなるか。
「ああ……わかってるさ」
 くいっと眼鏡をあげながら、御霧は微かに笑った。










 背後でわっ、と歓声が上がる。
 隣に居た輪が驚いたようにぱっと振り返った。
 いつものようにカウンター席でコーヒーを飲んでいた絢人は、その輪の表情にだけ目を向ける。店の奥に陣取っていたのは数人の寇聖生徒。来た当初から騒がしかったが、話題の品の登場に耳を済ませる必要もないほどそこの声は盛り上がっていた。
「なあ、言っただろ!?」
「これ、マジで盗賊団のなのか…?」
「マジだって! だから言ったじゃねぇか。簡単だって」
「お前、殺されても知らねぇぞ……」
「すげぇな、ホントにやったのかよ……」
「マジでばれたらやばいんじゃねぇ?」
「大丈夫だって。何かごちゃごちゃしてたとこの一番奥から取ってきたし、なくなったことも気付いてねぇって」
 大声で何を喋っているのだか。
 背後に同じ寇聖の生徒が居ることにも気付いてないらしい。絢人はいつもの制服姿だ。
「これ、どうすんだよ」
「まずは兄貴んとこだろ。あとタツとシロとー」
「終わったら売れよ、金になんじゃねぇ?」
 なんたって盗賊団のお宝だ、と騒ぐ男たちは、そのお宝が何なのかもよくわかっていないらしい。とりあえず、目に付いたものを適当に持ってきたのだろう。
 そんな男たちを輪は真剣な目で見ていた。体ごとそちらに向いていて、睨みつけるような視線は気付かれれば絡まれること確実なものだ。
 絢人はそっと輪の前に右手を出して、はっとした輪が絢人に目を向けるのを待って言った。
「気になるかい」
「……だって、人の物盗んだんだろ……」
 それを自慢しあっていることが許せなかったのか。声が小さく抑えられていたのが意外なほど、輪は怒っている。
「あ……」
 そのとき男たちががたがたと動き出した。話が終わったようだ。一人残された男が会計をしている間にとっとと数人が外に出て行く。
 最後の一人が店を出た瞬間、輪が椅子から飛び降りた。
「輪!」
 店を抜けかける輪を呼び止める。輪が何だよ、とでも言いたそうに不機嫌な表情で振り返る。
「あまり危険な真似はしないでくれよ?」
 だが絢人の言葉に、すぐに笑顔に切り替わった。
「大丈夫だって! 忍者はオンミツ行動が基本だからな!」
 見付かるようなヘマはしないぞ、と言い切って輪は駆けて行った。










「……何だありゃ」
「忍者だな」
「尾行中か?」
「多分そうだろ」
 学校帰りにふらふらと燈治と連れ立って歩いていた七代は、見慣れた後姿に足を止めた。
 八汎学院の制服。帽子。低い身長。ちょろちょろと電柱や自販機の陰に隠れながら、何度も前を見つめているのは、旋火流の忍者日向輪。
 燈治が言う通り、尾行中なのだろう。そのまま視線を動かせば、寇聖高校生らしき数人の男たちが見えた。
 やけに騒がしい、というか盛り上がっている。輪の姿が見えたところで、誰も気にしないかもしれない。
「あいつら何かやったのか?」
 燈治が少し険しい顔でその寇聖の生徒を眺めている。2人して立ち止まってしまったため、輪たちとの距離は少しずつ開いている。
「さあな。単なる修行中ってこともありそうだが」
 そういや昔尾行ごっこなんてのが流行ったときあったな。七代はやったことはないが。
「あ、コケた」
 そのまま見続けていると、輪が物陰から出るときにぼろぼろの放置自転車らしきものに躓いていた。派手に音がして、何人かは振り返ったが、やはり気にした風もなく男たちは歩いていく。
 そこでようやく七代と燈治も輪の元へ駆けつけた。
「大丈夫かー?」
「これぐらい何とも……って、か、千馗!?」
「何やってんだ、お前は」
 呼ばれたのは七代だったが、そう言ったのは燈治だった。
 輪が倒した自転車を起こし、元の場所へ立てかけている。七代は見てるだけだ。こういうとき、積極的には動けない。
 輪がそこではっとしたように立ち上がる。
「い、今! 悪のアジトを突き止める尾行中なんだ!」
「は?」
「あいつらか? 何やったんだ?」
 燈治がまた睨むように寇聖生徒たちに目を向ける。輪はそれに気分を良くしたのか、更に元気に言った。
「お宝を盗んだって言ってたぞ。そうだっ、千馗たちも一緒に取り返そう! 盗賊団のお宝を!」
 その辺りに響くような大声に、一瞬沈黙が生まれる。
 とりあえず、前の集団には気付かれなかったようだが。
「と……」
「ああ? 盗賊団のお宝だぁ?」
 絶句した七代と、不機嫌そうな低い声を出す燈治。さすがに輪が怯む。
「な、何だよ……。あいつらも、今は千馗の仲間なんだろ?」
「そりゃそうだけどなぁ……。輪、お前、盗賊団のお宝って何なのか知ってるのか?」
「へ?」
 話している間に男たちとの距離が開く。
 七代は歩き出しながら輪に向かって言った。輪が小走りに駆けて七代の隣に並ぶ。
「お、おいっ、千馗」
「盗賊団のお宝なんだから盗品に決まってんだろ」
 輪の逆隣に来た燈治の言葉に輪が目を丸くした。考えてなかったのか。考えてなかったんだろう。多分盗賊団から「盗まれた」という部分にだけ反応していたのだ。
「どうする千馗。取り返してやる義理はねぇぞ」
 輪を挟んで燈治と目を合わせる。七代より目線が上なせいで、こうすると輪の姿は全く目に入ってこない。
「じゃあ、も、元の持ち主に返せばいいだろ!」
 だが、その叫び声だけはしっかり耳に入ってきた。
 ……そうなるよなぁ。
「そうだな。面倒くせえ。ちゃんと返してやるか!」
「今本音が出なかったか」
「気のせいだ!」
 七代は立ち止まると、息を吸い込み、目の前を歩く男たちに向けて叫んだ。
「おいっ、そこの……えっと、盗賊団からお宝盗んだ奴ら!」
 ううむ、いい叫びにならなかった。
 だらだら歩く男たちとはいつの間にか距離はかなり詰まっている。
 少しびくりとして、さすがに振り向いた男たちは何故かまず燈治に目を向けた。
「何だてめぇ……って、なっ……」
「おいっ、あれ、カラスの……」
「そうだ、前先輩がぼこぼこにされてた…!」
「だ、壇燈治……!」
 ざわざわと燈治を見て噂する男たちに、七代は笑う。
「有名だなーお前」
「うるせぇよ」
 嬉しいことではないだろう。燈治が顔を逸らす。だが男たちは次に七代に目を向けた。
「あっ、あっちの奴やっぱ……」
「あれだよ、あの野犬壇を飼いならしたっていう」
「はあっ!?」
「何だ、それは……!」
 さすがに燈治と七代もそれには叫ぶ。
 七代は続けて言った。
「飼い慣らしてんのは巴だ! おれじゃねえ!」
「ちょっと待てお前っ!」
「もしくは久榮先生か、富樫刑事!」
「ふざけんな! しかも女ばっかか!」
「だってお前女に弱いだろ! あ、あと弥紀でもありか? 朝子先生にも弱いよな」
「オイ……まずはお前を黙らせる方が先か?」
 燈治が拳を握ってこちらに向けてくる。睨みつけられて七代は笑った。
「お、やるか?」
 同じく拳を握り締め、燈治の真似をして胸の前でがしっと合わせてみる。
 慌てたような声を上げたのは輪だった。
「ちょっ、ちょっと待て! 何やってんだよ千馗も壇も! ここで喧嘩してる場合か!」
「……そりゃそうか」
「って、逃げるぞあいつら!」
「あっ、待ちやがれこのっ!」
 5人も追うのはきつい。同じく駆け出した輪をふと振り返り、がしっと、その体を持ち上げた。
「えっ、えっ!?」
「行けえ輪っ!」
「おまっ、何やってんだ千馗!?」
 輪を思い切り放り投げる。
「うわわわわわわっ、せ、旋火流……旋火流まきびしっ!」
 最後尾の男に触れる直前。
 輪が慌てつつも叫びきり、思い切りまきびしを投げた。
 先を行く男たちの背中にもぱらぱら当たり、ついでに踏んづけていく。
「痛ぇっ!」
「痛っ! 何だこれっ!」
「よっしゃあ、輪良くやった! って痛ぇっ!」
「何やってんだお前は!」
 自分も踏んづけた。
 ちょっと待て投げられてる間にも落としてたな輪!
「いいから輪! お宝持ってんのはどいつだ!」
「こいつ!」
「よおし、覚悟しろ」
「ちょっ、ま、待て、おれらあんたらとやる気は……」
 最後までは言わせなかった。
 燈治と七代、2人の拳が同時にヒットして、男が吹っ飛ぶ。
 ああ、背中と尻に更にまきびし。痛そう。
「っと、これか……」
 男が落とした噂の盗品。
 それほど大きなものではない。頑張れば懐にも入るレベルか。箱のようなもので、振るとがさがさ音がする。
「何が入ってんだ?」
「んー……」
 改めてじっと見つめてみる。箱はちょっと重い。金属か? 中身は──。
 その蓋に手をかけたとき、背後から声がかかった。
「オイオイオイ、何でてめぇがそれを持ってやがるんだ?」
「ん……?」
 男たちは既に逃げ去ったあと。
 輪がかがみこんでまきびしの回収をしている中。
 聞こえてきた声に七代と燈治が同時に振り返った。
「げ……」
「ぎ、義王……」
「千馗、それをどこで手に入れやがった」
 たった一人でそこに立っていた義王が、千馗の手の中のものを見てにやりと笑った。


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