捨ててないからここにある─2
ばたばたと早歩きで御霧は進む。
見慣れた喫茶店の扉が見えてきて、蹴りつけるような勢いで乱暴に開く。ざっと店内を見渡すが、客は居ない。
くそっと小さく声に出して、御霧はカウンター席へと目を向けた。
優雅にコーヒーを飲んでいる男は、こちらに目も向けてこない。
御霧はそれを無視して更に奥、マスターへと近付いた。
「……何か、用か?」
いらっしゃい、の一言もない。客ではないのはわかっているのだろう。御霧は用件だけを簡潔に伝える。
「寇聖の生徒を探している。来てなかったか」
マスターはちらりと絢人に目をやった。
そうじゃない。
「大体4〜5人でつるんでる。この店の常連らしいが……」
それでもマスターは絢人を見たままだ。
仕方なく、御霧も絢人に視線を移した。
……おそらく、こいつに聞けと言っているのだろう。
「……香ノ巣」
そこで、まるで今気付いたように絢人が視線を上げた。それも、コーヒーを飲み干してワンテンポ置いてからだった。
「やあ。鬼印盗賊団の参謀自らこんなところに来るなんて、何があったんだい」
声がわざとらしい。
御霧はつい舌打ちする。
盗賊団のお宝を盗んだと吹聴している男がいると、盗賊団の下っ端が駆け込んできたのは、御霧たちがお宝の紛失に気付いた直後だった。
半端な情報だけで勝手に飛び出してしまった義王を追いつつ、下っ端から集めた情報で御霧はここに来た。ほぼ最短の道のりだったと言っていい。
……こいつは、既に自分以上の情報を手に入れているのか。
「……何か知っているのか」
眼鏡を押し上げつつ聞くと、絢人は少し面白そうに笑う。
「ふうん、吉田たちの行き先かい? そうだな……」
さらりと告げられた名前は御霧には聞き覚えのないものだった。
……本当に、どこまでこいつは。
「まあ、もしどうしても教えて欲しいと言うのなら」
「アンジー」
最後まで言わせず、御霧は盗賊団の自称マスコットの名を呼んだ。
絢人の言葉が止まり、扉の外から元気良くアンジーが飛び込んでくる。
「ハーイ、出番ダネ! 何すればいいカナ?」
「こいつを殴れ」
満面の笑みだろうアンジーに振り向くこともせず御霧は言い切った。
外で待ってろ、と言ったのはすぐ出るつもりだったからで、大した意味はない。だが、絢人が一瞬驚きの表情を浮かべたのに、少しだけ胸がすく。
絢人はがたっ、と音を立てて立ち上がり、一瞬だけ御霧に目を向けた。
「鹿島……! 僕は今、初めて君に感謝したい気持ちだ……!」
……やはり言うんじゃなかったか。
嬉しそうに両手を広げ、アンジーを見ている絢人から目を逸らす。
待ちわびているかのようなそれに、アンジーは遠慮なく近付いて右手を振り上げた。
「いっくヨ!」
「ああっ……!」
ばしんっ、といい音が響いて絢人の体が揺れる。間髪要れず、アンジーは左手でもう一回殴った。おい。
予想外だったのか、単純に力がないせいか、絢人はそのまま受身も取れずに吹っ飛んだ。
椅子をなぎ倒し、更に背後の椅子にがつん、と景気良く頭をぶつける。
そのまま動かなくなった。
「……あれ?」
「馬鹿がっ、気絶させてどうする!」
「これぐらいで気絶なんて情けないヨ!」
それについては同感だったが、御霧は答えず絢人を見下ろす。
「おい、香ノ巣……!」
膝をついて覗き込んだ瞬間、絢人ががばっと体を起こした。
「うおっ……」
「痛たた……素晴らしい! 素晴らしいよアンジーくん!」
御霧のことがまるで目に入ってないかのように、絢人がアンジーに向かって叫ぶ。何なんだ。無事ならとっとと起きろ。アンジーも褒められたと喜ぶな。
苛々は口に出さず、御霧は極力声を抑えて言った。
「……おい、香ノ巣」
「ああ、鹿島まだ居たのかい」
「報酬だけ貰って惚けるつもりか?」
そう言うと絢人が笑った。
そして懐から取り出したのは携帯。
「そうだね、ここはあの素晴らしい拳に答えられるだけのものを、」
絢人が言いかけたとき、その携帯が突然震える。
どうやら電話をかける前に、誰かからの着信があったようだ。
「……ちょうどいい」
気にした風もなく、絢人は電話を取った。
「もしもし? ああ、輪、今どこに……は?」
微かに電話口から叫ぶような声が聞こえてくる。
よく絢人と行動を共にしている少女、日向輪の声。
内容はわからないが、焦っているのは感じた。
「……わかった。すぐ行かせるよ。……ん? ああ、大丈夫」
対して絢人の声は落ち着いたものだ。電話の相手も段々声のトーンが下がっているのがわかる。
電話を切った絢人が最初に目を向けたのは御霧だった。
「どうやら君たちの御頭がお宝を巡って乱闘中らしい」
「……は?」
「場所はここから──」
すぐ近くだ。
礼も言わずそちらに向かおうと絢人に背を向けた御霧に、背後から声がかかった。
「大切なものなのかい?」
「……は?」
「随分焦っているようだからね」
それは義王のことか。お宝のことか。
どちらにせよ見当違いだ。
……見られたくないものだというだけだ。
「貴様には関係ない」
当然それを口に出す気もなく、御霧はアンジーと共に喫茶店を後にする。
向かいながら気付いた。
行かせる、とはおれたちのことか。
絢人は喫茶店から動かなかった。
「おいっ、待て! 話聞け!」
「ハッ! どうしたどうした! 避けてばっかじゃ勝てねぇぜ!」
お宝を持つ七代に義王が向かう。弁解の余地を与えない攻撃に、七代がイラついているのがわかった。何か叫ぼうとすれば、義王がその口を塞ぐように攻撃を加える。あれは、わざとやっている。七代の方は妙に動きが悪く、上手く距離を取れてない。
「お、おいっ! 止めなくていいのか!?」
「……止めるったってな」
燈治は頭をかきながらその様子を壁にもたれたまま見ていた。
勿論、誤解で突っかかってきた義王を、燈治も最初は止めようとした。話を聞かないなら問答無用で吹っ飛ばしてしまえと拳を握った。
だが、これはタイマンだ、などと義王に言われ、七代がうっかりそれに応えたことで燈治の出る幕はなくなった。七代はまだ誤解を解こうと叫んでいるが、そもそもお宝など喧嘩の口実でしかないのだろう。その証拠に、義王は七代が差し出そうとしているお宝を目に入れてない。
「ああ、もうっ! 燈治っ!」
「ん? うおっ……」
業を煮やした七代が突然燈治の名を呼び、何かを投げつけてきた。
お宝だ。
「っと……」
「あってめぇっ! 落とすんじゃねぇぞ!」
「って、何でまだおれに向かってくるんだよ……!」
慌てて受け取った燈治に、義王は大事に扱えとの注意だけして再び七代に向かう。七代はまだ自分が攻撃されているわけに気付いてないらしい。というか、燈治を生贄にしようとしたのか、この場合。
「それ……何なんだ?」
「さあなぁ……。この扱いじゃ、大したもんじゃなさそうだが」
そういえば、これを持ち主に返すのだったか。
その箱は、小さな宝箱のような形をしている。子どもの玩具にしか見えないが、盗賊団のものというからにはそれなりに価値があるのだろうか。問題は中身か。
「……開かねぇな」
「ロックがかかってるぞ? これだろ」
力尽くだと壊してしまいそうだ、と思っていた燈治に、輪が横から手を伸ばす。かちり、と音がしてそれはあっさりと開いた。
「……何だこりゃ」
中に入っていたものを摘み上げようとしたとき、ばたばたとこちらに駆けて来る足音が聞こえた。
「あーっ! ミギー! 居たヨ! 戦闘中だよオカシラ!」
「大声出さなくても見える。……ん? 千馗……?」
「よお、ようやく来たのか」
「壇……!」
義王に向かって応援を始めたアンジーを置いて、御霧は燈治の方へと向かってきた。視線はお宝の方に向かっている。
「……何故貴様がそれを持っている」
「頭領とおんなじこと言うんだな。取り返してやったんだよ。見付けたのはこいつだけどな」
燈治が輪を見下ろす。輪がそれに大きく頷いた。
「喫茶店で話してたぞ! 盗賊団から盗んだとか!」
その言葉に何故か御霧が顔を歪める。
まあ、あまり名誉なことじゃないよな。
燈治はそれには触れず、お宝を返すために手を出した。だが、その手は下から伸びた輪の手に止められる。
「……おい?」
「駄目だ。それは盗んだ品なんだろ! ちゃんと元の持ち主に返すんだ!」
「……そうだったな」
ぱちん、と箱の蓋を閉じると、燈治も笑って手を下ろす。
「悪ぃな。一応千馗もそう言ってたんでな」
いまだ戦い続けている(七代は逃げている)、2人に目を向ける。
御霧のため息が聞こえた。
「……それは盗品じゃない」
「えっ、そうなのか?」
「……見ればわかるだろうが」
「見ただけじゃわかんねぇよ。芸術品とか何がいいのかおれにはよくわかんねぇしな」
「…………」
御霧は探るように燈治を見る。
本心からの言葉かわからないのだろう。それとも中をちゃんと見たかどうか確信が持てなかったのかもしれない。
実際、さすがにあれは盗品には見えなかった。箱に価値があると言われたらそんなもんかと思ってしまうが。
「で、何なんだ、これは?」
盗品じゃないなら説明しろと伝えてみる。このまま返しては、燈治はともかく輪が納得しない。
「……鬼印盗賊団のバッジだ」
そして渋々といった感じで御霧が答えた。目はそらしたままだ。
輪がそれに驚きの声を上げる。
箱は燈治の目線で開いたので、やはり中身までは輪に見えてなかったのだろう。
「随分しょぼいな?」
「子どもの頃のものだからな」
そう。中身は手作り感溢れる明らかに画用紙で作られたバッジ。
大きく書かれた鬼の字で、そこまでは想像出来ていた。
「今は使ってないんだろ? 随分後生大事に持ってるじゃねぇか」
わざわざ宝箱のような風体のものに入れて。盗んだ奴らが勘違いしたということは、お宝と同じ扱いをしていたはずだ。
思いながら箱を御霧の前に差し出す。御霧は受け取らず、義王の方に目を向けた。
「あいつはどんなくだらないものでも手元に置いておきたがるんだ。……振り返りもしないくせにな」
ぼそりと付け加えられた御霧の言葉に、輪と燈治は顔を見合わせた。
七代と義王の戦いは、ついに七代がキレたのか義王に殴りかかり始めている。ああ、楽しそうだ。
同時に、燈治にこれをちゃんと持ってろと言った義王の言葉を思い出す。
「ほらよ」
「…………」
何故か素直に手を出さない御霧の胸にそれを押し付けた。手を離してしまえば、仕方なくといった風情でようやくそれを受け止める。
「なら大事に持っとけよ。盗賊団のお宝なんだろ」
「……出来れば捨てて欲しいんだがな」
ひょっとして、作ったのは御霧なのだろうか。
一体こいつらいつから盗賊団などやっているのだか。
「お、終わりか?」
もみ合っていた2人が離れている。肩で息をしている様子から言ってそろそろ疲れて引き分けか。
七代が振り絞るように叫んだ。
「だから人の話聞けっ! あれを盗んだのは寇聖の生徒だろ!」
「ああ? 今更何言ってんだてめぇ」
「お前なぁっ!」
まだ誤解されてると思っていたらしい。
燈治は苦笑して七代の方へと向かう。御霧は当然義王の元だ。
「ようやく終わりか、千馗」
「燈治っ! 手伝えよお前っ!」
「タイマン受けたのお前だろうが」
「受けないと拗ねるし、あいつ」
「ああっ!? 誰が拗ねるって!?」
「って、まだやんのかお前は……!」
びゅっ、と燈治と七代の間にトンファーが伸びてきて、慌てて2人が離れる。
「燈治タッチ!」
「はっ、おれはてめぇでも構わねぇぜ、やるか!?」
「てめぇ…手加減されていい気になってんじゃねぇぞ」
真っ向から向かってこられるとつい拳を握ってしまう。
そんな2人に、これ見よがしなため息を聞かせたのは御霧だった。
「義王、お宝は取り返した。もう行くぞ」
「あんだぁ? てめぇっ、ちゃんと持ってろって言っただろうが!」
「おれに怒んのかよ!」
燈治に持っていろと言ったのは、ひょっとして次の相手として認定するためだったのか。
御霧は付き合ってられないとばかりに首を振る。
「勝手にしろ。アンジー、帰るぞ」
「えー、もう終わり? つまんないヨ!」
「まだ終わってはいないさ。ああ、そうだ義王」
帰りかけた御霧が義王へと振り返る。
「主犯は普通科二年の吉田利明だ。そろそろ寮に帰っているかもな」
「はっ、相変わらず情報が早ぇなてめぇは」
笑いながら言った義王の言葉に御霧はまた顔を歪めた。
燈治は疑問に思うものの、口に出すような場面でもない。
「てめぇとの勝負は一時お預けだ。逃げんじゃねぇぞ」
「誰が逃げるか!」
「ってかもう戦う理由ねぇだろ……」
七代が横でぽつりと呟いたが燈治も義王も聞いてない。
いつの間にか先頭を歩いている義王に御霧とアンジーが着いて行く形で去って行く。
「千馗、大丈夫か」
駆けて来た輪に、七代はあー、と変な唸りを上げる。
「……足の裏痛ぇ」
「ってお前まきびし刺さったまんまかよ!」
変な動きはそのせいか。妙に右足を庇っている気はした。
「うわわ、ご、ごめん千馗!」
かがみ込んだ輪が慌てて七代の靴に手をかけた。
片足を上げた姿勢の七代がふらついて燈治の肩を掴む。
っていうか靴脱げ。
「……あいつら、大丈夫かな」
「あいつら?」
「えっと、寇聖の?」
「ああ、お宝盗んだ奴か。さぁな、覚悟の上でやってんじゃねぇか」
燈治と七代相手に逃げ出すような奴らだったが。
物が何であれ、盗みは盗みだ。
「で、あれ何だったんだ?」
「は?」
「お前中見てただろ。おれいまいちわかんなかったんだよな…。やっぱ箱越しじゃ無理あるか」
七代の秘法眼は何でも見通す、見るだけでその物の情報がわかる。
などと言ってはいたが、燈治はあまり本気にしていなかった。何せ、実際洞の中以外で何かわかった試しはない。
「……後で鹿島にでも聞けよ」
「は? 何で御霧?」
御霧の顔が浮かんで、何故か直接言うことは躊躇われた。そもそもあれを見てしまったのにも妙な罪悪感が浮かぶ。
「……よし」
「ん?」
ようやくまきびしが取れたのか、両足を下ろした七代が燈治のもう片方の肩もがしっと掴んだ。そのままじっと燈治を見つめる。
「何だ?」
「お前から読み取る」
「はあっ?」
出来るのか? いや、そんな馬鹿な。
「うん、盗賊団のお宝は、あれだな。バッジだな!」
「!?」
「……え、あれ、正解……?」
驚愕した燈治に、七代の方が驚いていた。
「……勘かよ……」
「……や、中軽そうだったし、何か音的に」
こいつは本当に侮れない。
下で輪がすげーすげーとはしゃいでいる。
まあ、でも……そのバッジの意味まではさすがにわからないか。
「でも多分あれ、2個ぐらいしか入ってないだろ? 盗賊団って何人いんのかな、そういえば」
腕を払えばあっさり手を外した七代と、何となく歩き始める。目的地は喫茶店だろう。輪がどうせこれから戻る。
「……最初は2人、か?」
「あ?」
「いや、何でもない」
やっぱりおれが言うことじゃない。
七代の言葉を適当にかわしながら、3人はドッグタグへと向かった。
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