探し物─1
森の中に唐突に現れた大きな広場。
中央には高さ1メートルほどの円柱状の岩。
その上にあったのは汚れと錆にまみれた古ぼけた鏡。
それが、緋勇龍麻の探し物だった。
「おいっ、まだかよひーちゃん!」
「ちょっと待てちょっと……」
鏡に手をかけた途端、わらわらと現れた異形の者たち。とっとと逃走したいが、鏡がなかなか台座から外れない。力まかせに引っ張り、台座を蹴ってみたりもするが、動きそうで動かない。一体どこが引っかかっているのか。異形の相手を背後の京一に任せたまま、龍麻は必死でそれを引っ張っていた。
異形は、いつまでも減る気配はない。むしろ増えているのか。見る余裕はなかった。
「キリがねぇぜ、これはっ!」
いつの間にか京一の声が近い。異形も直ぐ側まで来ている。
くそっ、何で取れないんだ。
「天地無双っ!」
京一の声が響く。
風圧と異形の断末魔を感じる。待て。そんな大技使うほど強いのか敵は。いや、問題は数か。
ああ、おれも参加してぇ。
とか思ってる場合じゃない。
振り返りもせず龍麻は鏡から一旦手を離した。
後ろに下がると、とん、と京一の背とぶつかる。
「……ひーちゃん?」
京一が振り返らず問うが、龍麻は答えない。
既に構えの態勢だった。
「……秘拳、黄龍!」
「……はぁっ!?」
台座をぶっ飛ばした。
さすがに京一が振り返ったが、龍麻は気にせず真っ直ぐに台座から吹き飛んだ鏡へと向かう。
同時に、異形の気配が静まっていくのを感じた。
「最初からこうすりゃ良かったな」
「……よく壊れなかったな、それ」
ようやく敵の相手を終えた京一が、少し上がる息を抑えていつものように木刀を肩にかけ呆れた声を上げる。
龍麻はそれに笑った。
「ばーか、ちゃんと手加減して台座のみを……」
ぱきっ。
と、京一に掲げてみせようとした鏡が嫌な音を立てる。
「…………」
「…………」
おそるおそる、鏡を見た。
長年放置されていたせいなのか、材質の問題なのか、曇りまくったそれは、何も映してはおらず、そうだと知らなければ鏡だとは思わなかったかもしれない。
それに、はっきりとヒビが入っていたのが見えた。
「……ひーちゃん」
「……最初からこの状態だった、とか」
「……裏密が納得すんならいいけどな?」
「…………」
頭を抱えた。
わざわざ外国のこんな奥地の山まで来て手に入れた鏡は、裏密ミサからの頼まれもの。
「……とりあえずおれは巻き込むなよ?」
仕事を手伝ってくれた親友の言葉はとても冷たい。
新宿の魔女の助手──それが現在の龍麻の職業だった。
「如月〜!」
「やあ。…………いらっしゃい」
如月骨董店。
日本に帰って真っ先に向かったのは友人の経営する行きつけの店だった。
挨拶を返す主人の声は、後半が少し引き気味だ。
必死の形相の龍麻から何故か顔を逸らし、如月はその背後の京一に目を向ける。
「ああ、京一くんも。久しぶりだね」
「おお。お前も相変わらずみてーだな」
「刀の方は大丈夫かい? ちょうどこの間いい刀を仕入れたばかりなんだが、」
「……また売りつける気かよ、そんなに金ねぇぞ、おれは」
「気に入らなければ別にいいさ」
見てみるかい、と言われて京一が言葉に詰まっている。
見たいことは見たいのだろう。京一が何か言う前に如月が差し出した刀を、京一はあっさり受け取った。すぐさま鞘から抜いて、京一はその刀身を眺めながら呟くように言う。
「高いんだろ、これも」
「前のとそう変わらないよ」
「前のと何が違うんだよ」
「君が刀は属性が付いてない方がいいって言ってたからね。攻撃力の方を重視してみた」
「へえ……」
完全に鞘から抜き放った刀を掲げる京一。
龍麻はしばらくぼんやりとそのやり取りを眺めて、はっとしたように叫んだ。
「って、それは後にしてくれ! 如月、これ! これ知ってるか!」
ずいっと目の前に鏡を突き出してやれば、ようやく如月がゆっくりとこちらに顔を向けてきた。嫌な予感がする、とでもいうように顔をしかめる。
「……裏密さん絡みかい」
「他に何があるんだよ」
「やれやれ。厄介ごとは御免なんだけどね」
渋々受け取った如月が鏡を眺める。
ぼろぼろで、装飾の元の形すらわからないそれを手触りを確かめながら丁寧に見ていく。ちらりと横を見れば京一は刀の方に夢中なようだった。
おい、振るな。危ない。
「……わかるか?」
京一から目を逸らし、何も言わない如月に龍麻から声を出す。如月は軽く首を振った。
「いや、見たこともないし、そもそも保存状態が悪すぎて元の形が推測すら出来ない。骨董としての価値はないと思うが……これをどうしたいんだい?」
「……同じの、ないかなって」
『……は?』
何故か声は二方向から上がった。
京一だ。
「おいおい、んなこと考えてたのかお前?」
「同じもんあるならそっち渡せばいいだろ! 鏡面には絶対触れるなって言われたのにヒビ入ってんだぞ、ヒビ!」
龍麻の言葉に何故か如月が一瞬反応する。
あ、鏡面に触れるなって如月には言わなかった、そういえば。
……あれってひょっとして壊すなって意味じゃなくて……いや、考えないことにしとこう。
「素直にこのまま渡せばいいだろう。これだけ保存状態が悪ければ、ヒビが入っているのも不自然じゃない」
「だ、だよな?」
「ただ、最近出来たヒビなのは見ればわかるだろうけどね」
「…………」
喜ばせといて落とすな。
龍麻はがっくりと肩を落とす。
「……この前の仕事も失敗してるからなぁ……。京一、これお前が壊したってことに」
「しねえ」
「お前っ、それでも親友か!」
「そりゃこっちの台詞だ! おれを魔女の生贄にする気か!」
「おれなんかしょっちゅうされてんぞ! お前もたまにはされてこい!」
ついつい叫び返せば、京一が一瞬間を置いて言う。
「……なあ、ひーちゃん」
「何だよ」
「……お前、何で裏密の助手やってんだ?」
「……おれにもわかんねえ……」
どうしてこうなったんだっけ。
ミサと付き合ってるのかと言われれば答えはNOだ。お互い恋愛感情なんてものがあるとは思えない。占いや魔術に興味があるわけでもない。だが、何故か彼女には出会った当初から強烈に惹かれ、彼女を前にすると起こる動悸眩暈息切れに陥落し、気付けば卒業後共に歩むことを決めていた。……おれは何かの呪いにかかっているのかもしれない。
「とにかくっ、今回はやばいんだよ、ミサすげー楽しみにしてた奴だしさぁ! せめて何か似たものでもいいから……」
「ふうむ……」
龍麻の必死の告白にも冷めた目をしていた如月だが、とりあえず調べてくれる気はあるのか、店の奥から何やら冊子を取り出している。
「多分魔鏡の一種だとは思うけどね。裏密さん絡みなら、この辺りか?」
「相変わらずお前んちの品揃えはよくわかんねーな」
冊子をめくる如月に京一がちゃちゃを入れる。
「うるさいよ。それより、買わないのなら刀は仕舞っておいてくれ」
ぱらぱらとめくる如月の手元を龍麻も一緒に覗き込んだ。墨で描かれたように見える鏡の絵と、その説明。読めない。
「……鏡特集?」
「だから魔鏡だと言ってるだろう」
「まきょうって何だよ」
刀をまだ手に持ったまま、京一が問う。漢字変換すら出来てないのが言い方でわかった。
「一般的には光を反射させることで鏡に刻まれた絵を影として映す鏡のことだね。ただ、裏密さんが求めているなら当然呪術に使われるものだろう。これなんか有名じゃないか」
照魔鏡。
鏡の名だけは大きく楷書で書かれていて、龍麻でも何とか読めた。
「これに映すことで魔物や妖怪の正体を見破れるという代物だよ。人間の本性を映し出すとも、そもそもこれ自体が妖怪だとも言われているね」
「へえー」
「……いかにも裏密が欲しがりそうな奴だな」
素直に感心した龍麻に、嫌そうな顔で冊子を覗き込む京一。
……この鏡は、それじゃあ何なのだろう。
思って体を引き鏡を手に取った瞬間だった。
「うわっ……!」
「な。何だあ!?」
突然、京一の持っていた刀と龍麻の持つ鏡が光を発する。
強い光ではなかったが、ただの反射光ではないのはわかった。
「京一!?」
「ぐっ……これ、やべえ……」
顔をしかめた京一が刀を持つ右手を左手で押さえ、次の瞬間龍麻を蹴り飛ばす。
鏡と刀が離れて光は止んだ。
「……おい」
「わ、悪ぃ、ひーちゃん」
まるで身構えてなかったため無様に転がった龍麻は不機嫌な声を出す。京一は謝りながら慌てたように刀を鞘に仕舞った。
「……何だったんだ今の」
「……刀に反応したようだったね。刀のせいか、単に姿を映すものに反応したのかはわからないが…」
一瞬絶句してた如月は、ちらりと京一の刀を見てそう言った。
真新しい刀は、確かに鏡のように辺りの風景を綺麗に写していた。それのせいなのか。
「何か、気が吸い取られる感じだったぜ? ……ひーちゃん、それやべぇんじゃねぇの?」
鞘に収めた刀を如月に返し、京一が嫌そうに鏡を見る。
如月はそれを聞きながら再び冊子をめくり始めていた。
「何を今更。ミサの使いだぞ」
「……あっ、そうだ、おれそろそろ帰んなきゃな」
「待て! 最後まで付き合え! 約束だろ!」
「それ取ってくるとこまでだろうが! おれは、あの、ほら、醍醐と約束があんだよ!」
服を掴んで止める龍麻に、京一が必死で今思いついたとしか聞こえない言い訳を言う。冷静に遮ったのは如月だった。
「醍醐くんは遠征で今東京に居ないはずだけど」
「如月! 余計なこと言うな!」
「いいから付き合えって! どうせ暇だろ! 報酬追加するから!」
いまだ定職らしき定職についてない京一にそう叫ぶ。
報酬と言っても、実際は行動中の衣食住の保障をしているだけだ。その期間を仕事が終わったあとも少し延長しようと、それだけの提案だった。
だがそれで京一は諦めたように力を抜いた。
そもそも結局、押せば折れるのだ、この男は。
「あー、わかったって。でもどうすりゃいいんだよ?」
「え……」
「一緒に生贄になれってのは勘弁だぜ?」
そりゃそうだ。そもそも龍麻だって、それが嫌で悩んでいる。
「……如月〜」
それで如月を頼りに来たのだ。
振り返れば如月がため息をつく。
「同じもの、は不可能だろう。そもそも裏密さんがわざわざ海外を指定したのなら、日本では手に入らないんだろう?」
「……だよな」
「ただね、龍麻」
「ん?」
「それと対となる鏡なら、日本に存在はしているかもしれない」
曖昧なようではっきり言われたその言葉に、龍麻と京一を顔を見合わせた。
慌てて如月の前の冊子を覗き込む。
会話の間も探し続けていたのか、先ほどの出来事と京一の言葉がヒントになったのか、それらしきページを如月が龍麻たちの方に向けて見せる。
陽と陰。書いてあることは全く読めないが、対となる鏡が存在していることだけはわかった。
「……日本に、あるのか」
同じものが手に入らないなら、せめて似たものでご機嫌取り。
そんな思いが龍麻に浮かぶ。
「確証はないし、詳しい場所もわからない。ただ、かつて最後に確認されたのが、この東京だったというだけだよ」
「でも……!」
僅かでも希望があるのなら!
すがりつくような眼差しになった龍麻に如月が苦笑する。
「他に手がかりはないのか?」
「ここには書かれてないね。……こういったことに詳しいのなら御門くん辺りが」
「いや! それは駄目だ! あいつに頼ったらぜってー怒られる!」
ある意味ミサの敵対勢力だ。
それぐらいならこの鏡だけをそのまま渡す方がマシだ。
「……だろうね」
とりあえず冊子に書いてある情報だけは全て読み上げてもらい、龍麻は京一と共に店を出た。
大丈夫だミサ。
対の鏡は絶対おれが見つけてやるからな!
微妙に間違った宣言は、心の中でのみされたため、突っ込む人間はいなかった。
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