探し物─2
「……京一」
「……ああ」
店を出て数分。
後をつけてくる気配を一瞬感じて、龍麻は確認するように京一の名を呼ぶ。京一は表情を変えず、視線を動かすこともなかったが、軽く頷きだけを返す。
もう気配はしない。
それは追跡者が居なくなったというわけではないだろう。一体いつからだったのか、龍麻は胸元に押し付けるようにして持つ鏡にちらりを目を落とした。
「今襲われたらやばいなぁ」
「むしろ言い訳になるんじゃねぇか?」
「守りきれなかったのね〜と不気味な笑顔で言われるんだぞ」
「おれが悪かった、だから想像させないでくれ!」
裏密の声を真似して京一に詰め寄ってみれば、京一は大げさにそこから飛びのいた。あの頃からちっとも慣れていない。出会ってからの期間ならむしろ京一の方が長いだろうに。
「……で、それよりどうするんだよひーちゃん」
僅かに龍麻から距離を取ったまま京一が問いかける。龍麻は店を出てから真っ直ぐある地点に向かっているのだが、京一は気付いてなかったらしい。
「とりあえず公園」
「は?」
「劉に占ってもらおうかと」
「ああー……」
中央公園には劉が居る。ひよこ占いなる怪しげなものでなかなかに繁盛しているらしい。かなり当たると聞いていたが、実は占ってもらったことはほとんどない。
「……って、いいのか? 御門だと怒られんだろ?」
「ひよこ占いはさすがにライバルには入らないだろー……多分」
……ならないよな?
あれ、魔術とかそんなの関係ないよな?
っていうか、何であれ当たるんだ?
「このまんま行くのか?」
京一はその辺には突っ込まず、そう言った。
追跡者のことを言っているのだろう。おそらくまだ着いて来ている。
龍麻は京一の言葉に笑って、前を見る。
「劉なら大丈夫だろ」
「巻き込む気かよ!」
「っつうか何が狙いかわからない以上なぁ…」
劉に会うこと、広い場所に着くことで何か行動を起こしてくるかもしれない。あそこには大抵道心が居るので場合によっては結界を張ってもらうことも出来る。
つけられることも襲われることも日常茶飯事だった。
巻き込まれ体質は高校時代から変わっていない。
だから。
「大丈夫。慣れてる」
声に出して言えば京一は苦笑したようだった。
それなりに付き合いも長くなった。当然、この男だって慣れてるのだろう。
劉が公園で行っているひよこ占いは、特に営業時間や休日が決まっているわけではない。夕方近くなると女子高生たちに囲まれていることが多いが、平日昼間となると客も少なく、店を出してない可能性もあった。
「……居ないな……」
「……ああ……誰も、居ないな」
うんざりした龍麻の声に、京一が嫌な確認をしてくる。
平日の昼間。天気は良好。
なのに公園には、人の姿が見当たらない。
「……あっちだ」
「おうっ、行くぜ!」
駆け出す間に既に京一は木刀を袋から出していた。結界の張られた公園内。気の動きは一箇所に集中していた。一際目立つ大きな気は、これから向かうはずだった相手、劉のもの。
「……?」
「ん? どーした、ひーちゃん」
「いや……」
僅か足が鈍った龍麻に京一が問う。
一瞬、劉とは別の大きな気を感じた。それは、どこか覚えのある気のような気がしたが……。
「うおっ、結構多いな」
「油断するなよ」
「わかってるって!」
疑問を口にする間もなくコウモリの集団に出くわした。
陰の気を受けて変質したコウモリたちは、かつてはよく戦った慣れた相手だった。龍麻たちの気に気付いたのか、コウモリたちの向こうで劉が叫ぶ。
「アニキ! 京一っ!」
「よぉ、劉! 久しぶりだな!」
京一が木刀を振りながらそれに返す。龍麻も視線は敵を見たまま言った。
「どうしたんだ、これ! こんなことよくあんのか!」
「アニキらが卒業してからは初めてや! その人が……」
「ん?」
コウモリは呆気なく片付いた。数は多かったが弱い上に密集している。広範囲に効く技でまとめて吹っ飛ばせる。だが、辺りを包む陰気は全く収まっていないのがわかった。
「その人が、原因か?」
陰気の強い人間が、何かを呼ぶことがある。それが周囲のものにも影響を与え、特に小動物などはあのように呆気なく変質してしまう。その人間もまた、益々深くなる陰気に飲み込まれて、一歩間違えれば鬼になる。そこに居た女性は──まだ救いがあるように思えた。
「知り合いか?」
劉に並んで聞いてみる。劉は困ったような顔で女性を見ていた。
「ここ最近ずっと占いに来とった人やわ。日に日に陰気が強なってやばい思てたんやけど……」
女性の後ろから数匹の犬が現れた。
じりじりと近付きながら龍麻は俯き気味の女性の顔を見る。
「とりあえず気絶させりゃいいか?」
「ひーちゃんっ、手加減出来んのか!?」
女性に近付き構える龍麻に、京一が驚いた声を上げる。
龍麻の手はぴたりと止まった。
「……な、何とかなるだろ……!」
「何や、素人に怪我させた経験でもあるんか?」
「全治一ヶ月」
京一の言葉に劉も止まった。
「……アニキ、わいがやるから手出さんといて」
真面目な顔で言われて龍麻も引かざるを得ない。失礼な。昔の話だ。
でもそういえば、そのあと手加減を学ぼうと京一相手に手合わせして大怪我させたことがあったっけ。あれは余所見した京一が悪いと今でも思っているが、一応素人相手に戦うことは止めると誓ったんだった。大人しく引いた龍麻はとりあえずその辺の犬を蹴り飛ばす。
京一が劉のフォローに動いたので暇になった。
「……ん?」
また、何か気を感じた。道心じゃない。まさか追跡者が結界に入ってきているのか?
警戒しつつ辺りを探る。どうせならここで仕掛けてくれれば楽なのだが。
「おらっ! 犬は片付けたぜ!」
「ねーちゃん、堪忍してな!」
だが、思いもむなしく、敵の姿は見えないまま片は付いていた。
次に訪れたのは織部神社だった。
劉の占いで手がかりがあるのはここだと。そうはっきり出たらしい。
ひよこ数匹の動きでどうしてそんなことがわかるのかは謎だったが、それを言うならミサの占いはもっと謎な気もするので突っ込まないで置いた。
お前は雛乃に会いたいだけじゃないかと言ったのは京一だ。別にそんなことにかこつけなくても会いたければいつでも会えると笑った劉に何故か龍麻が落ち込んだ。お前いつの間に。
「人妻に言い寄られてたーとか言ってやろうか」
「ひーちゃん何考えてんだ……」
雛乃に話をしたら蔵にある文献を見てみると引っ込まれてしまった。雪乃は既に家を出て働いているため、他に相手をする者もおらず、座敷には龍麻と京一の二人しか居ない。劉は雛乃を手伝うと駆けて行った。同行しなかったのは空気を読んだからだ。面倒臭いわけではない。
「だって、あの人妻、毎日劉のとこ通ってたんだろ?」
「占いの客だろーが。しかも相談内容旦那の浮気だろ?」
「旦那が浮気して私寂しくて…とか定番じゃないか!」
「……ひーちゃん、今度一緒にナンパ行こうぜ……」
何だその遠い目は。
こんなにテンション低いナンパの誘い受けたの初めてだぞ。
そうか、そんなに女に飢えてるように見えるか。
龍麻はモテないわけではない。その気になれば相手なんていくらでも居るのだ。多分。旅先でちょっと綺麗な子を仲良くなったりだってする。ただ、一歩踏み込もうとすると何故かミサの顔が浮かんでどうにもならない。
「……おれ、やっぱ呪いにかかってるな……」
「は?」
机にぐったりと額を乗せて呟いていると廊下から足音が近付くのが聞こえる。雛乃と劉だ。
「本当にありがとうございます、劉様がいらっしゃらなかったら私…」
「ええってええって。頼みごとしとるんはこっちの方やしな。わざわざ手間取らせてしもて……」
「いえ、これぐらいでお役に立てるのでしたら…」
漏れ聞こえてくる会話は遠慮がちなようで声が明るく、親しみを感じさせられる。
「……京一、終わったらナンパだ」
「へへっ、そう来なくっちゃな」
いつものテンションで返してくれたことにほっとしつつ、龍麻は顔を上げた。ちょうど部屋に入ってきた雛乃と目が合う。
「お待たせ致しました。……どうかなさいましたか?」
「いやいや。ええと、わかった?」
「はい。かなり古い伝承ですので、現在も同じ場所にあるかはわからないのですが……」
そう言って雛乃はその古びた資料を机の上に広げた。
読めない。
「…………」
「…………」
龍麻と京一は覗き込んだあと、互いに顔を見合わせる。
「何て書いてんの?」
劉の気軽な問いかけで、何とかその場所を聞き出すことは出来た。
「大分暗くなってきたなぁ……」
「でも今日中には何とかなりそうだな?」
山か森の中にでもあるのかと思えば、ビル街にひっそり残った祠が、目当ての場所だった。
既に龍麻たちが歩く位置から確認出来る。
人通りは少ないが皆無というわけでもない。堂々と鏡を取るには少し辛そうだ。
「……隠せよ」
「……りょーかい」
そんなことを思いながら堂々と鏡に手をかける。
今度こそ黄龍は使わない。ああそうだ、動かすとまた何か出てくる可能性はあるのだ。
そう思い緊張を高めたとき、背後から低い声が聞こえた。
「──動くな」
ぴたっ、と龍麻の動きが止まる。
そうだ。忘れていた。追跡者のこと。
織部神社では感じなかったし、どれだけ隙を見せても襲ってくる様子がなかった。だからと言って──去ったわけでもなかった。
獲物を前に油断するなんて、馬鹿かおれは。
それでも余裕でそう考えてしまうのは龍麻の悪い癖ではあった。結局、何とかなると思ってしまう。
「動くなって言われても。おれ、これ欲しいんだよね」
そう言って再び鏡に手をかける。
ぴりっ、と殺気が背後から湧き上がる。
「それ以上動くと命に関わるよ?」
「それぐらいの脅し──」
「君の相棒の」
「…………」
龍麻は鏡から手を離す。
そしてゆっくりと振り返った。
京一の背後に立つ黒ずくめの男。その男の手から京一の喉下に突きつけられているのは──編み棒だった。
「……お前ツッコミどころ多すぎるぞ壬生っ!」
「あいにく手元にこれしかなくてね」
「っていうかお前も大人しく突っ立ってんじゃねぇよ京一!」
「編み棒相手に戦うのかよっ」
「せめて突っ込め!」
何をやってるんだか。
京一がとりあえず壬生を振り払おうとしたが、壬生は逃さないとばかりに左腕で京一の体を押さえ込む。
「……何やってんだよ」
「言っただろ。その鏡に触れるな。でないと君の相棒の命は保障しない」
「だから編み棒突きつけて言われてもな」
緊張感のない口調で話すが、先ほどの壬生の殺気は本物だ。
そして今も、方法はともかく、真剣なのだろう。
「……編み棒でも人は殺せるよ?」
「……上等じゃねぇか。やるか?」
「そこで挑発に乗んな京一!」
背後から抱え込まれた状態ではちょっと間抜けだぞ。
だが、京一の木刀を持つ右手に力が入っているのもわかった。
こんな状態を一触即発と思いたくない。
「……何でこの鏡に触れるなって?」
とりあえず大人しく話を聞く体勢になる。
鏡から離れたことでか、いい加減辛い姿勢だったのか、壬生もようやく京一から離れた。
黒いコートに身を包んだ男──壬生紅葉は、確かにかつて暗殺者だった過去がある。そして、龍麻たちが狙われたことも。
だが今は……。
「……退魔師……だっけ」
「……ああ」
魔を祓う仕事。
それだけ聞いている。
ミサに聞いたところ、龍麻たちとやっていることは似通っているらしい。ただし、時に正反対だとも聞いた。
その理由は。
「それは妖魔を鎮めるための封印だ。こんな街中で解き放つわけにはいかない。君が裏密さんからの頼みでいろいろ品物を集めているのは知っているけどね。その封印は──解かせるわけにはいかない」
そう、龍麻たちの行動は、時にその地に眠る魔を呼び起こす。
「……全部祓えば問題ないだろ?」
「……どれだけ居ると思ってるんだい」
「おれたち3人揃ってもどうにもならないレベルか?」
「…………」
壬生は黙った。
龍麻はにやりと笑みを返す。
「それが答えだなっ!」
「あ、龍麻っ……!」
即座に鏡に飛びついた龍麻に、慌てた壬生の手が伸びる。だがそれは今度は京一に押さえ込まれた。
「君はっ……!」
「へへっ、しょうがねぇだろ。おれは、ひーちゃんの相棒だからな」
鏡は思ったより簡単に、そこから外れた。
もう一つの鏡の影響もあるのかもしれない。
ふっ、とその場に結界が広がるのを感じる。
「……それに、おれはこれが目当てだしな」
京一が木刀を袋から取り出す。
そう、京一にとっての報酬は衣食住の保障だけではない。
戦い。
自分を強めるための。
「……まったく」
解き放たれた力は、強い。
だがこのメンバーで、勝てない敵であるとも思えない。
「ミサの言葉だけどな。封印はいつか解かれる。なら、封印より確実な消滅を選ぶのが正しいっ!」
「後半は君の捏造だろ!」
「あれ、ばれた?」
でもそれが正しいと信じているから。
せっかくの力。使わなくてどうする。
「円空破ぁっ!」
あとはこれで……ミサの機嫌が直ることを祈ろう。
多少情けない動機も交えつつ、龍麻は技を繰り出した。
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