巡り巡って1

 目を開くとぐらり、と視界が揺れる。足元はふわふわと浮いてどこかを漂っている。後頭部には固い感触。天井がゆらゆらと波打って、落下してくるのが見えた。ああ、高熱で幻覚を見ているようだ。一度瞬きすれば、天井は正常に戻った。自分は、ベッドの中にいる。
 遠くで聞こえてきた騒がしい叫び声も、幻聴だったのだろうか。
 静かになった空間で、男は一人考える。
 もう一ヶ月以上こんな状態が続いていた。ろくにベッドから起き上がれず、最近は食事もとれていない。最初は世話を面倒くさがって悪態やからかいの多かった仲間たちが、次第に深刻な表情になっているのにも気付いている。ここは海の上の海賊船。医者と呼ばれる者は居るが、そいつは簡単な手当を覚えただけの、大した知識もない元はただの船員だ。役には立ってない。
 こういうときに限って、島が見付からない。焦ってログポースの航路を外れ、海賊船は迷走を続けている。男には、その状況の半分も伝えられてはいなかったが。
 ここ数日は症状がひどく、このまま死ぬのだろうかと何度も思った。せめて戦闘で死ぬ方がかっこついたなぁ、とぼんやり考える。そういえば、別の海賊船と遭遇したとか誰かが言ってなかったか。あれは夢だっただろうか。
 戦闘の音。その後の静寂。
 順番に思い出してぞっとする。
 違う。あれは夢だ。何も起こっているはずがない。
 その思いは、直後に聞こえてきた足音で益々強まった。ああ、ほら誰か居た。いつものように部屋に近づいてきている。だがこの足音は…誰だ?
 船長じゃない、船医でもない。一番よくやってくる親友のナンタでもない。
 やがてがちゃり、と開いた扉から見えたのは、見覚えのない男の顔だった。
「……誰……だ」
 声を絞り出して睨みつける。トレーナーにジーンズで帽子をかぶったその辺の若者のような男は、医務室で眠っている男に目を向けてにやりと笑った。
「よし、連れていけ」
「はい」
 若者の後ろから、揃いのツナギを着た2人組がやってきて、男の体を持ち上げる。わけがわからず抵抗しようとしたが、体に力は入らない。そのまま甲板へと引きずり出された。久しぶりに浴びる太陽の光が眩しい。そして目が慣れてきたところで視界に入った光景に愕然とした。
「ボ…ボス…」
「ケープ…」
 自分たちのボスが、転がっていた。手足が──ない。周りに転がっているのも、全て海賊団の仲間たち。ちぎれた手や足も、大量に見えた。
「う、うあああああ!」
 必死に叫んで暴れるが、ツナギの男たちはまるで意に返さない。暴れるといったほどの動きになっていないことには気付いていなかった。引きずられていたはずの足がいつの間にか浮き、何度も自分を抱える男たちを蹴りつけている。恐慌状態の男に、ボスが低い声を出した。
「てめえら…! ケープをどうする気だ…!」
 あんな状態で自分のことを気遣ってくれるボスに、何かを思う余裕もなかった。ただただ、この場から逃げ出したい。怖い。
「心配するな。病気なんだろ? 治療してやるだけだ」
 刀を抱えている凶悪な面をした若者はそう言った。そして次の瞬間には視界が変わる。
「え……え」
 そこにはボスの姿も、見慣れた甲板もなかった。
 狭い、見たこともない機械がひしめき合っている異様に明るい部屋。自分はまた、幻覚を見ているのか。
 疲れ切って動かせない体が、どこかに横たえられた。若者が、自分を見下ろしているのに気付いて震える。
「たまには能力なしで手術しねぇと勘が狂うからな」
 言葉の意味はわからない。目前に見えた手の指に何かが書かれているのに気付いて無意識に文字を追った。D…E…A…T…H…。DEATH。一気に体が冷える。
「安心しろ。悪いとこは全部取ってやるよ」
 そう言って見せた男の凶悪な笑みに、男は恐怖のあまりついに気を失った。










 自分の足で元の海賊船の甲板に降り立った男に、海賊団たちが歓声を上げた。生きてる、生きてるぞ、本当に病気は治ったのか、と騒がしい声も聞こえる。
 ハートの海賊団たちは潜水艦の上で、その声を聞いていた。
「……助けてやるっつってるのに何だってどいつもこいつも怖がるんだ」
「まあ船長の笑みは凶悪ですから…」
 苦笑いのような笑みでそう言う部下を、ローが睨みつける。
 そして軽く自分の顎を掴んで呟いた。
「おれも笑顔が下手だな…」
「え、何ですか?」
「何でもねぇ」
 腕が鈍るといけないから、という理由で適当な海賊の治療をするのはたまにあることだった。基本的には能力を使った方が体力の低下や後遺症を防げるため、普段、普通の医者のような手術は滅多にしない。わざわざ患者に負担をかけることもない。
 海賊なら、まあいいかと考えている。だが、どうにも助けてやるだの治療してやるだのという言葉は信じて貰えない。結局いつも、無理矢理攫ってくる形だった。元の海賊船に返すかどうかは術後の経過次第だ。仲間に置いていかれて、そのままハートの海賊団の一員になった者もいる。相当に弱っていたのに手術翌日には平気で歩き回っている男を見ると、屈強過ぎる海賊は経過観察の参考にはならねぇな、と思う。この海には、常識外れの体力を持った者が本当に多い。
 離れていく海賊団を眺めながら、ローは一つ欠伸をする。手術に時間がかかったのもあって、寝足りない。
 去った海賊船にはもう興味はない。いい天気だ。甲板で寝るかと枕代わりにベポを探す。だがそのとき、見張りのクルーが叫んだ。
「船長ー! 後方に海賊船っ!」
「ああ? またか」
 この広い海で、島から離れた場所で船同士が遭遇することは滅多にない。二日連続で見たのは初めてだった。
「どこの奴らだ?」
「あー、あのジョリーロジャー何か見たことあるような…ちょっと調べてきます!」
 部下が去って行ったあと、少し身を乗り出して後方に目を向ける。ローの位置からも海賊旗が見えた。
 ついでに、甲板に大きくはためく白い旗も。
「何だ…?」
 ざわざわと、ローの船の甲板にも船員が集まってくる。また戦闘か、と武器を持っている者も多かった。だが背後の海賊船の甲板には、男が一人、ただ白旗を持って立っているだけだ。白旗──降伏の意として使われるそれに、船員たちも戸惑っていた。
 やがて船が、乗組員の表情が確認できるほどまでに近づく。白旗にもたれかかるようにして立っている男には、見覚えがあった。
「あれは確か…」
「カーミラ・グラトン…。この間懸賞金が大幅に上がった奴じゃないですか?」
 ローの隣の部下が言う。つい、一ヶ月ほど前に新聞記事で見た男だった。髭や髪は伸び放題で、ひどくやつれているが、間違いない。
「と、トラファルガー・ローだな…?」
 男の声は小さく、距離もあって非常に聞き取り辛かった。咳き込みながらも必死に喋っている。
「何の用だ? 喧嘩売りに来たわけじゃなさそうだな」
 ローの言葉に、男はこくこくと何度も頷いた。この距離でも伝わるようにだろう。あまりに大きく頭を上下させていて、どこか滑稽だ。
「戦闘どころじゃねぇ…。今、全員が病に倒れてる…。頼む、トラファルガー・ロー…! あいつらを…救ってくれ…!」
 涙目でそう言った男に、ハートの海賊団に戸惑いが広がる。
 男は更に続けた。
「お前は、腕のいい医者だって聞いた…! 前にお前に救われた奴がこの船に居るんだ。船の宝は全部やる。島にある隠し財宝の場所も教える! なあ、だから…! だから、助けてくれ…!」
 絞り出すような言葉に、ざわつきが大きくなる。ローが少し面白げに笑うのを、部下の一人が気が付いた。
「船長…」
 青いサークルを敵船の甲板まで広げたローに、慌てたように叫ぶ。
「い、行くんですか?」
「ああ。罠の可能性は低いだろうが、乗り込む準備はしとけ」
「え、おれらも行きますよ!」
「全員倒れてるって話だぞ。伝染病の可能性もある。診断が終わるまでは来るな」
「って、それ、船長にうつったらどうするんですか…!?」
「そのときは自分で自分を治す」
「そんな無茶な…!」
 部下の言葉が終わらない内に、ローは敵船へと乗り込んだ。甲板にはついにへたり込んでしまっている敵船の船長が一人。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返しながら、すがるようにローを見上げていた。
「患者はどこだ?」
「全員…中で転がってるよ…ベッドに入ってんのは最初の方に倒れた奴らだけだ…」
 もうみんなまともに動けねぇ、と船長は続けた。船の操舵もろくに出来ず、ただ漂うしかなかった海賊船は、ローの船を見付けて必死にここまでやってきていた。ローは腰をかがめてその男の顔を覗き込み、首筋に手を当てる。
「へえ…。まあお前もここまで動けてるのは大したもんだな」
 相当な高熱。脈も異様に早い。ローは男から手を離すと、一度船室側へと目を向けた。
「船のお宝と、隠し財宝を寄越すって話だったな」
「あ、ああ。仲間と生きて帰れるならそんなもんはもう…」
 ぽん、とローの刀が男の肩に置かれ、男は戸惑い気味に言葉を止める。
「それは無理だな」
「え……」
 治療出来ないのか、と男の顔が絶望に染まる。
「全員治してやる。ただし、報酬はお宝と隠し財宝と──お前のクビだ」
 肩にかかった刀が男の首筋にぴたりと当たる。鞘に入ったままだったが、男の顔が青ざめた。
 だがすぐにぎゅっと目を瞑り、震える声で言う。
「……わかった。好きにしろ。仲間の命が救えんならそれでいい」
 覚悟を決めた男の顔にローが笑う。交渉成立だなと呟くと、刀を手にしたまま左手から青いサークルを広げた。
「気を楽にしろ。すぐに終わる」
 笑顔で言うが、船長は反射的に怯えたように身を縮こまらせる。
 その後の診断も治療も、確かに早かった。


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