巡り巡って3

 その日、その島ではある騒ぎが起こっていた。
 賞金換金所に海賊団の襲撃があり、海賊たちは逃走。海軍の応援がやってきたが、夜になってもまだ一人も見つかっていない。海賊たちが息を潜めている限り、強制的に全ての店や家にでも踏み込まないと確保は難しいだろう。海賊たちの船は海軍が抑えており、膠着状態が続いている。
「……それでやたらに海兵が多いのか」
「厄介ですね」
 ぞろぞろと歩くハートの海賊団。船長の手に刀はない。奪った男を追いかけて行ったクルーの名前を呼んでいたら、いつの間にか島で遊んでいた他の仲間たちも集まり始めていた。当然目立つことにもなり、賞金稼ぎや海軍に一度ずつ絡まれている。
「ベポー。お前の鼻で見付けられねぇの? シャチか刀」
 クルーの一人がベポを見上げて言うが、ベポは唸るばかりだ。この人ごみ、広い町の中では難しいのだろう。役立たずですみません…とベポが凹んでいる中、また数人の一団が、ローたちの前に現れる。
 またか、とうんざりしかける海賊団だが、それは見覚えのある男たちだった。
「お困りのようだな、トラファルガー」
 にやにやと挑発するような口調で言ったのは、先日ローたちに負けた海賊団の船長。
「まさかまだ忘れてはねぇよな? てめぇにはひでぇ目に合わされたぜ。手足はバラされるわ、内臓は抜き取られるわ、仲間は攫われるわ」
 通りがかりの者たちがその言葉にざわつく。だが、言っている男の手足も、連れている部下の体も、何も問題はない。
「──治療してもらった奴は、はしゃぎ過ぎてすっころんで、せっかく治ったのに足挫いてまたベッドの中だしよ」
 船長の言葉に苦笑いが混じる。ハートの海賊団たちも数人が思わず笑っていた。妙に和やかな空気に、遠巻きにしていた者たちが戸惑いを見せる。
「今、面倒なのは海軍か? ──刀か?」
 男はそう言って視線を横にずらす。建物の影に、海軍が潜んでいた。ローをはじめ、数人は気付いているが、海賊団たちから姿は見えない。
「海軍なんざどうとでもなるが、刀は厄介だな」
 奪って行った男の目的にもよるが、この広い島で見付けることは容易ではない。追って行った仲間が、相手を見失ったり、返り討ちにあっていた場合は特に。見ていた者の話だと、刀を奪った男は細身の、ただの一般人のようだったらしいが。
「──そうか」
 そこまで聞いた男がにやりと笑う。
「ならてめぇらより先に見付けてやるよ。首洗って待ってな!」
 男は部下たちに指示を出し、一斉に町に散らばって行った。ハートの海賊団が少し呆気に取られてそれを見る。
「何か、言葉の選択おかしくないか?」
「いや、それよりあいつら刀探してくれんの?」
「え、嫌がらせに奪おうってことじゃないのか?」
「取引しようぜって話だろ?」
 意図が読めてる者、読めていない者でざわつく中、ベポは直球でローに聞いた。
「首洗ってればいいの?」
 そこじゃねぇよ、と海賊団たちが一斉に突っ込んだ。










「そうです! トラファルガー・ローです! 死の外科医、懸賞金1億400万ベリーの! わ、我々だけではさすがに…」
 店と店の隙間の、明かりのほとんど届かない路地裏で、海兵が電伝虫に小声で叫んでいた。応援の要請に、相手の返答は鈍い。とにかく見失うなと言われてから、まだ新人の海兵は涙目でローを追っていたが、結局いつの間にか見失った。見失ったことにして、離れたかったのかもしれない。いかれた男だとの、噂は聞いている。生きたまま手足を切断しただの内臓を取り出したなどの言葉が、真実であることを追っている内に知ってしまった。ただ、殺されるだけならまだいい。覚悟はある。だがそんな死に方はしたくない。
 どちらにせよ、1億越えの首など自分の管轄外だ。戦うのは上官たちだろう。だから、早く来て欲しい。
 このまま野放しにしてはいけない男だということだけは、海兵の正義感が訴えかけていた。
「おいアンタ。今、トラファルガー・ローって言ったか?」
「え……」
 がちゃん、と反射的に電伝虫を切って海兵は即後悔する。振り向けば、そこに居たのはいかにも凶悪そうな男たち。味方には見えなかった。
「トラファルガーはどこに居る?」
 トラファルガーを追うものだろうか。海賊が海賊を狩ることだって珍しくはない。むしろ、それなら同士討ちさせてしまえば。
 一瞬でそう辿りついて、海兵はローが去った方向を指し示す。ついでに、刀を失っているらしいことも告げた。男たちは海賊とは言っていない。賞金稼ぎかもしれない。ならば、これぐらいの協力はありだろう。
「そうか。ありがとよ」
 男がそう言って路地裏から出ていく。ほっとしていたところで、突然男は引き返してきた。
「ああ、忘れるとこだった」
「え?」
 次の瞬間、腹への衝撃が海兵を襲う。
 殴られたのだとは、気を失う瞬間まで気付けなかった。










 シャチが、刀を奪った男を追いつめたのは、港近くの倉庫だった。どんどん人気のない場所に走っていく男に、待ち伏せでもされているのかと不安になったが、見る限りその様子はない。男は実際がむしゃらに走っているだけだった。倉庫の中はほとんど物がなく、男は刀を抱いたまま柱にもたれ掛かっている。やせぎすで、力もなさそうな男は、ぜえぜえと息を切らし、青い顔でこちらを見ていた。拳一発でふっとびそうな男だな、と思いつつシャチは男へと向かう。男はもう逃げなかった。倉庫には入口が一つしかない。こんな場所にくれば追いつめられるのはわかっているだろうに。
「来るな…」
 だが、そう呟いて、男は刀を構えた。思わずシャチの足が止まる。
「オイ…」
 奪われただけでも腹立たしいが、使われると怒りを通り越して腹の底がなんだか冷えた。鞘を抜こうとして抜けなかった男は、両手でその長い刀を構えている。長身のローでさえ身の丈に余る刀なのに、シャチより低い男が持つと滑稽でしょうがない。シャチは男の言葉に構わず、ずんずんと進む。刀の間合いに入ったところで、男が思い切り刀を振り上げた。重さはあるので振り下ろせば、刃が出てなくてもそれなりの威力の鈍器にはなる。下に叩き付けられるのが嫌で、肘ですくうように受け止めた。元々ろくな力もない男の攻撃。痛いが、大したダメージでもない。そのまま肘で刀を抱え込み、男を蹴りつける。刀の長さに距離感を間違えて大した威力にならなかったが。
「ったく、これは返してもら…」
 男の手から刀は離れたので、とりあえずはそれを確実に確保することを優先させた。うずくまる男に言葉を発したとき、突然どおおおん、と大きな音がする。外からだ。
「な、何だ?」
 一瞬倉庫の中が揺れた。同時に、妙に外が明るくなる。倉庫の入り口から光が漏れていた。扉は閉めた覚えがない。そこには丸太のようなものが複数突っ込まれ、認識した瞬間には炎を上げた。
「ちょっ…えっ…?」
 入口付近で激しく燃え上がる炎。──他に出口はない。
「嘘だろ…」
 思わず男を振り返れば、男も愕然とした顔で入口を見ている。自分はこの男に誘い出されたのか、それとも別口の敵か。誘い出されたとしても、男もこの展開は知らなかっただろう。慌てて入口に駆け寄るが、通れそうにない。炎は、建物の周囲全てに放たれているのかもしれない。熱い。
「せ、船長…」
 倉庫の中央にまで後ずさりながら思わず呟く。
 なんだこれ。絶体絶命じゃないか。どうやって助かれば。
 だが、考える前に外はすぐに騒がしくなった。火を消せ、水持って来い、などの怒鳴り声がわずかに聞こえて安心する。放火犯はとっとと去ったのかもしれない。町の人間だって火事は見過ごせないだろう。シャチは、倉庫内の高い天井を見上げる。煙が充満する前には、何とかなるだろうか。既になんだか息苦しい。出来るだけ姿勢を低くするため、シャチは倉庫内に座り込んだ。熱気に汗がにじみ、視界はどんどん悪くなる。だがやがて、思ったより早く火の勢いは落ち着いてきた。かなりの人数が消火に参加しているようだ。シャチは背後に座り込む男に向かって声を出す。
「良かったな、出られそうだ…ぞ…」
 油断していた。
 火のことに焦って、もうこちらの片はついたような気分だった。
 何より海賊のようでもない、ガリガリの一般人らしき男に、これ以上何かする気持ちがあると思わなかった。
 シャチの腰にナイフが深々と刺さっている。
 痛みよりも先に、その事実だけ認識した。体が一気に冷える。血の気が引いたのか、出血のせいなのか。男が再びローの刀を奪おうとしたが、シャチはほとんど無意識にそれに抵抗する。やがてがらがらと入口付近のバリゲート(があったらしい)が壊され、中に男たちが突入してきた。
「おいっ、大丈夫か!?」
 シャチはそれに応えることも動くことも、出来なかった。


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