見捨てられた島への上陸1

 がががが、と船底が削れる嫌な音が響く。揺れる船の上で必死に踏ん張りながら、ウソップは舵を握りしめていた。
 風が強い。だが、この船の動きは風のせいだけじゃない。
「早く! 急いで!」
 ナミの叫びは風にかき消されてどこか遠い。それでもマストを操作している連中には届いたのか、畳まれていく帆に若干風による抵抗が弱まる。
 だが、船は止まらない。
「何よ、この海流…! どこまで行くの!」
 サニー号は何の前触れもなく現れた海流に引きずられ、ドレスローザへと向かう航路を大きく外れようとしていた。元々一直線に向かっていたわけではない。出来るだけ遠回りする予定はあった。だが、このままではどこまで行ってしまうのか。
 パドルを全開にして、また多少速度は落ちたが、止まらない。パドルが壊れそうな程嫌な音を立てている。
「どうする! クード・バースト使うか!!」
 見張り台から聞こえてきた叫びはフランキーだ。
「駄目…! もうちょっとやそっとじゃ抜けられない…!」
 ナミたちが寝静まった後の出来事だった。甲板で震えていたウソップやチョッパーは、いち早く異常を察知はしたが、海流の異様な早さに対処は遅れた。どこに向かってどれだけ飛べばいいのか。最大限で跳んでも、再びこの海流に捕まる可能性が高い。
「ウソップ! あっちも岩!」
「うおおお!?」
 チョッパーの声に慌てて舵を切る。
 ナミたちに視線を向けたことで気付くのが遅れた。この辺りはあちこちに岩が突き出ていて、既に何度かぶつけている。流れが速すぎて操作が全く間に合わないのだ。船の残骸らしきものも多く見かけてぞっとする。サニー号の丈夫さに何とか救われているが、どこまでもつかわからない。
「ウソップ! 代わるよ!」
 ついでに腕の方も限界だった。異様に舵が重い。それを察したのか、すぐさま人型に変形したチョッパーが舵を取る。すまねぇ、と言いつつウソップも舵は離さなかった。
「おい! あれ島じゃねぇか!」
 そこへ今度はルフィの叫びが聞こえてきた。この大変な状況で喜びがにじみ出る口調にはため息が出る。言われて目を凝らせば、確かに島影のようなものが見えた。しかも、思ったより近い。
「このままだと島に激突するな」
 妙に落ち着いた声はローだった。突っ込みたかったが、それはブルックの悲鳴のような声に遮られる。
「あ、あれって船じゃありませんかっ!?」
「え、ちょっ、ぶつかる…!」
 島よりも前に現れた進路を塞ぐ大きな船。どうやったって避けられない…!
 思った瞬間、甲板から走ってくる影が見えた。
 柵に足をかけて構えたのはゾロ。
 空高く飛び上がったのはサンジだ。
 そして轟音と共に、目の前の船が大きく割れた。
「お、おいおいおい…」
 ゾロとサンジが船を破壊したのだとはわかった。
 沈んでいく船の余波に、また揺れが大きくなる。
 助かった──助かったけど、いくら何でも…。
 思わず青ざめたウソップに、すぐ隣から声がかかった。
「大丈夫よ。あれはもう人は乗ってないわ」
「え」
 いつの間にか舵のところまで上がってきたロビンが、咲かせた腕で舵取りを手伝いつつ言う。
「うん。ここは──船の墓場みたいだ」
 チョッパーの頷きも聞いて思わず辺りを見回す。進路上しか見ていなかったが、確かに周りには見捨てられたようなボロ船が多い。残骸だけじゃなかったか。
「この海流に捕まって抜け出せなくなったのかしら」
「怖ぇこと言うなよ!」
 それは確かにあり得る話。
 こうしている間も、船は止まらない。島はぐんぐん近づいている。暗闇の中、島の岩場が目に入る。それはネズミ返しのように、鋭くこちらに突き出していた。
 あんなものにぶつかったら──!
「クー・ド・ヴァン!」
 心の中で叫び声をあげた瞬間、背後からかかった声と共に、その岩場が崩れ去った。フランキーだ。こちらもいつの間にか見張り台から降りてきている。その攻撃で、岩場は尖った部分がなくなり、こちらには平らな面を向けるだけとなった。これなら船に突き刺さることはない。それでも、この勢いでぶつかるのは。
「ゴムゴムの──風船っ!」
 そこで続いて飛び出したルフィが岩と船との緩衝材となった。ぐにっ、と柔らかく船が衝突する。いくら何でも潰されるんじゃ、と慌てたがぎしぎし、と嫌な音を立てつつも──ひとまず、勢いは止まった。
「ルフィ!」
 だが、海流に押し付けられる動きが止まったわけではない。挟まれたままのルフィが苦しそうに呻くが、腕も足も浮いた状態で身動きが取れていない。サンジやゾロがルフィの腕を引いているが、伸びるばかりでそこから抜け出せない。
「シャンブルズ」
 その次の瞬間、ぱっとルフィの姿が船と岩場の間から消え去った。ローの能力だ。ぼてっ、とルフィが甲板に転がる。
 がっ、と船が岩場にぶつかるがルフィの体積分移動しただけで大した勢いではなかった。
 ひとまずの危機は脱した。
 思わず力が抜けてウソップはその場に座り込む。助かった。
 だがすぐに容赦ないナミからの呼び出しがかかって、ウソップは再びのろのろと立ち上がるはめになった。





「バルシップ島?」
「ええ。詳しい場所までは知らなかったけど、この海流…以前聞いたことのある特徴と一致するわ」
「見捨てられた島か…」
「何それ、どういうこと?」
 ロビンの言葉に乗ったのはローだった。2人とも、この島に心当たりがあるらしい。詳しい話を聞こうとナミが詰め寄る。その間も、とっとと上陸しようとしているルフィの首根っこを押さえることは忘れない。
「おれも詳しくは知らねぇ。宝石か何かが出るってんで人が集まったが、掘りつくされて人も去り、今は廃墟になってるって島だ」
 宝石、の言葉に一瞬ナミが目を輝かせるのがわかったが、続いた言葉にはがっくり肩を落としていた。まだあったら掘る気か。
「それなりに大きな町にはなっていたんだけど…。何せそもそも海流が複雑で人の出入りがしにくいのよね。それはそれで自然の要塞だったんでしょうけど」
 ロビンが島の方を見上げて言った。
 島の崖に海流で押し付けられるようにして、サニー号がくっついている。岩場の高さは甲板部分より少し高いぐらいで、その先に見えるのは森だ。この先に、町があるのだろうか。
「なるほどね…。で、肝心の脱出方法は?」
 ロビンとローが揃って口を閉ざした。
 まあ、わかってれば最初から言ってるだろう。答えを聞くまでもない反応に、ナミが溜息をついた。
「…この島に住んでいた人たちは、出る方法を知っていたのよね」
「多分、この海流が変わるタイミングがあるなー」
 海を眺めていたフランキーが、こちらに目も向けずに言った。
「少しだが、さっきと流れの方向が変わってる。残骸の動きを見る限り、かなり広ぇ範囲で動いてんな…」
 最後はまるで呟きのようだった。海流の動きを真剣に見ている様子がわかって、ウソップも思わず真面目な顔になる。腕組みして悩んでいるナミにも声はかけられない。こういったことになると、ウソップは指示を待つしかない。
 だが、そこで立ち上がったのはローだった。
「? トラ男くん?」
「島に行ってみる。海流の流れやタイミングの記録が残っている可能性もあるからな」
「まあ──やっぱそれが妥当よね」
 遠回りしていたとはいえ、のんびり出来る旅ではない。取引の時間までにドレスローザに辿りつかなければならない。
 よし、とナミが立ち上がった。
「二手に分かれましょう。ルフィはどうせ行くんでしょ?」
 当然だとばかりにルフィは笑っている。ナミがクルーを見渡しているのを見て、ウソップは考える。
 船に残るのが正解か──島に行くのが正解か。
 ルフィ、ナミ、ローの3人は少なくともここを離れる。ロビンが行く気満々で立ち上がっているし、ロビンもあちらか。ゾロとサンジが残るなら間違いなく船の方だが。
「おい、今度は船が向かってくんぞ」
 ちらりとゾロに目を向けたとき、ゾロはそう言って島とは反対方向に歩いて行く。船──そうだ、この海流に捕まった船が、今度はこちらにぶつかってくる可能性がある。
「ゾロ、サンジくん。そっちはお願い。フランキーは残るわよね?」
「おう。サニー号が心配だ。碇は下ろしとくぜ。海流がまだ動いてる」
「シーザーの見張りも忘れるなよ」
「ヨホ。それではその役目はわたくしが」
 ああ…海楼石で動けない能力者の監視ならおれでも出来たのに!
 出遅れてしまったことが悔しい。でもまあ、これなら船に居ても──そう思ったときどおおおん、と何やら衝撃が響いた。
「な、何だ!?」
「こっちに来てた船か?」
 フランキーの疑問に答えたのはサンジだった。
「ああ、今度は人が乗ってるな」
「へ?」
 また、衝撃。
 慌てて音の方向に駆け寄れば、ゾロが砲弾を真っ二つにして沈めているのがわかる。向かってくるのは──海賊船!
「なるほどな。ぶつかる前に砲弾でこっちを破壊しちまおうってわけか」
「自分勝手な奴らだな」
「いやいや人のこと言えんのかお前ら!」
 同じタイミングで海流に捕まってしまった哀れな海賊船は、そのままゾロとサンジに沈められることとなった。
 ああ、どうしよう。ここも決して安全ではない気がする。島は廃墟らしいしそっちの方が危険はないか。大体この船に居たらドフラミンゴがシーザーを取り返しに来る可能性も──いやいや、やっぱりゾロとサンジが居る方が──。
 ぐるぐる考えているウソップをよそに、既にルフィとロー、ナミとロビン、そしてチョッパーが島へと向かいかけている。
「ん? お主たちどこへ」
 そこへ声をかけてきたのは錦えもんだった。出発準備をしているナミたちを不思議そうに眺めている。
「あ、モモちゃんどうだった?」
「よく眠っておるでござる。起きてお主たちが居ないと不安だろう。一度あちらの部屋に移動してよいか?」
「うん、お願い。なるべく早く帰ってくるわ」
 荒れる船の中、モモの助の様子を見に行っていた錦えもんは当然この後もモモの助の側に残るのだろう。
 あれ、そうなると船組の比率が大きくなるな。いや、モモの助とシーザーは人数外だろう。ならば数的にはそんなに変わらない。自分の位置がますますわからなくなる。
「ウソップ。あんたもこっち」
 そんなウソップの悩みは、ナミの一言であっさりと吹き飛ばされることとなった。





 船から降りたすぐそばの森は、5分も歩けば抜けることが出来た。暗闇の中、月明かりに照らされる廃墟。どこか幻想的にも見える。崩れ去った家は、外敵によるものではなく、時間による劣化だとはっきりとわかる。その場所は、ごく自然と、朽ちていた。
「思ったより広いわね…」
「ピーク時には最大5000人が住んでたらしいわ」
「5000人!? この島に!?」
 いくら何でもそこまでの規模には見えない。しかも島の半分は山だ。何階建てにもなっている建物が多いのは、それだけ人がひしめき合っていたからか。──それだけ、得られる利益が大きかったのか。
「……もっと早くに来たかったわー」
 思わずついたため息に、側でロビンが笑ったのが見えた。
 金の生まれる島。それはとても現実的な夢の話。もっと詳しく聞きたいが、今はそんな場合でもない。
「まぁ、そんなことより。まずは──ってルフィ!」
 早速朽ちた家に「お邪魔します」などと律儀に挨拶しては勝手に入ってるルフィ。まあ、人が居ないならそうそうトラブルも起こさないだろう。
「ウソップ。ルフィの監視頼んだわよ」
「おれかよ!?」
「私たちは島の脱出方法探るわ。とりあえずは一時間経ったら合図して」
「……了解」
 どうせ何を言おうと勝手にどこかへ行ってしまうルフィだし。ルフィをどこかに集合させるより、ルフィの元に集まる方が早い。人の居ない島なら、合図を出そうと余計なものが集まってくる心配もないだろう。
 ナミは気楽に考えると、ロビンと共にまずは大きな建物跡地に入っていく。ローとチョッパーは既に居なかった。あの2人なら、まあ目的を外れることもないか。
「結構物が残ってるわね…」
 島を捨てて出て行ったなら、荷物も全て持ち出してるかとも思ったが。家具どころか、服や玩具や写真──当然本も残っていた。情報には、期待できそうだ。
「大きな建物だけど民家かしら?」
 残っている物から判断してそう言うと、ロビンも手近な本を月明かりにかざしながら言った。
「そうね。ホテルをそのまま住居として使っていた感じね。もう少し、港寄りの場所に行ってみましょう」
 ナミは頷いて建物を出ると、再び外を歩き始める。
 見捨てられた島。
 山の中にも人の手が多く入り、危険な猛獣もそう居ない。
 戦闘組を船に置いてきたのも、それに安心していたからだった。
 どうせ調べものには向かない連中だし──。
 だがナミはその後、思い知る。
 この「新世界」の海の中、そしてこのメンバーで、ただ平穏無事に物事が終わるはずもないことを。


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