将棋

「冬悟! ちょっとこっち来い!」
「ああ?」
「あ、お前何食ってんだ! それはおれのとっておきの」
「たかがポテチの何がとっておきだ」
「期間限定なんだぞ、それー! 今じゃ売ってないんだからな! 賞味期限ぎりぎりまで残しとくつもりだったのに!」
「阿呆か」
「って食うの止めろ! んでそれ持ってこっち来い。残りはおれんのだからな」
「何だよ、今日刑事が来てるんじゃねぇのか」
「だからこっち来いっつてんだ」
「説教はごめんだ」
「今更説教することなんかあるか。お前将棋知らないっつってただろ」
「それがどうしたんだよ」
「今から! おれと十味さんの将棋見せてやる! ああいうのは見て覚えるもんだ」
「はあ?」
「さあ、来い!」
「ちょ…こら、服掴むな!」
「早く覚えろよ! 明日からおれと毎日将棋だ」
「何でそうなるんだよっ」



 がたん、と左足に何かが当たった。角のある物体に鈍い痛みが走る。
「あ、痛ぇ〜」
 先ほど押し入れの奥にすり抜けていったアズミが、その声にひょっこりと壁から顔を出した。
「アズミ、ちょっとタンマな」
 追いかけっこで壁抜けをするなと言いたかったが、それより自分が当たった物体が気になった。がらくたの詰め込まれた、普段ほとんど触れることのない押し入れ下段。埃の積もったそれに咳き込みながら明かりの元へ引っ張り出した。
「……あー…」
 何かもう懐かしいな、とそれを見つめる明神をアズミが不思議そうに見上げてくる。それに笑いかけてから、明神は視線を戻す。将棋盤。ルールとやり方は覚えたものの、結局あの師匠とはほとんどやる機会はなかった。ハンデ付きでも一度も勝てた覚えがない。十味とは何度かやって、大分自信もついてきたのだが。
「明神ー」
 今なら勝てるかな、と何となく見つめていると、ドアからひょっこりエージが顔を出してきた。将棋盤から目を離し、エージの方へと視線を移す。
「何だ? 早かったな」
 行き先は聞かなかったが、先ほど出て行ったばかりのエージが帰ってきたのに疑問を返す。エージはため息をついて言った。
「厄介なの帰って来たぜ」
 途中でこっちに来るの見ちまった、と続くエージの言葉にはうんざりした感情が込められていて明神は思わず笑い出す。
「あっちも今回早いなー」
「……既にハンマーでかくなってたから、早く行った方がいいぜ」
「何!?」
 何でもうキレてんだよ?
 明神は慌てて立ち上がるとアズミの頭にぽん、と手を置く。
「ごめんなアズミ、ちょっと運動してくる」
 言ったと同時に、玄関近くで派手な音がした。
「こらぁっ!! ドア壊すんじゃねぇ!」
 勝負は受けてもいいが、物を壊されるのは困る。ただでさえ入居者が少なくてギリギリの生活だというのに。ああ、それもあいつのせいだ。
 飛び出してみると、幸いドアは多少へこんだだけですんでいた。二撃目が来る前に急いでドアを開ける。いつものように、ハンマーを構えたガクとツキタケが居た。
「……おれ何かやったか」
 ここに来る前からキレてるのはさすがに珍しい。ツキタケが苦笑いで顔を逸らす。
「……おい」
「うるさい! 俺のスイートに手を出した罪! 後悔させてやるぞ!」
「はあ?」
 その先は問答無用でハンマーが降ってきた。
 スイート? 何のことだ? また誰かに勝手に惚れたのか?
 そこでふと、昨日倒したばかりの陰魄の姿が頭を過ぎった。確か……女だった。
「お前まさか…」
「避けるなぁっ!」
「うおっ」
 駄目だ。
 今日はかなり本気らしい。仕方なく、明神も距離を取って一度体勢を立て直した。
「ったく話し合いさせねぇなお前は。今日は徹底的にやってやるから覚悟しとけよ」
「こっちの台詞だ」
 ふと見れば、エージがアズミを抱き抱えてこちらを見ている。アズミが邪魔しないようにだろう。隣にツキタケが居るのも見える。
 そして、いつもの喧嘩が始まった。




「……何で生きてるくせにそんなにタフなんだ貴様は」
「お前はむしろ精神面を何とかしろ」
 さすがに戦いながら女のこと思い出して泣かれるとは思わなかった。そのくせ今は地面に倒れたまま淡々と喋っている。ハンマーがピコピコハンマーに戻っているので、とりあえず負の感情は出し切ったのだろうか。
「それよりもう夜だぞ、中入れ」
「ふん…。おれの部屋は誰か入ったんじゃなかったか」
「お前が追い出しただろーがっ!」
 漸く起き上がってきたガクの言い分には思わず大声を上げてしまった。こうやって誰も居ない(ように見える)ところで管理人が叫んでいるのにも問題はあるのだがそれもまあ間接的にはガクが原因だ。間違いなく。
「アニキー。もう中入りましょうよ。部屋きれいになってますよ」
 ツキタケが壁から顔を出す。ガクは頷いてその壁を通り抜けて行った。そこは管理人室のはずなのだが。
 明神が玄関に回れば、まだ二人は廊下に出てきてなかった。管理人室を開けると、出しっぱなしにしていた将棋盤を見ている二人の姿。
「お、何だお前、将棋出来んの?」
「オイラはあんまり詳しくは…。昔アニキに教えてもらったんすけどね」
 あんまりやれなかったっすねぇ、と呟くツキタケに何となく先ほどの自分が重なった。部屋に入り、明神は将棋盤の前に腰を下ろす。
「おれが駒動かしてやるからやるか? ガクは強いのか?」
「お前よりは強い」
「やってから言え、そういうことは!」
「あ、オイラはいいっす、ルール微妙ですし…」
「よおし、じゃそこで見てろツキタケ。こういうのは見て覚えるもんだ!」
 小さな箱に入った駒をひっくり返す。埃の積もった盤を息で吹けばガクたちが顔をしかめた。別に埃がかかるわけではないのだが。
 駒を並べていると、アズミとエージが顔を出してくる。アズミは不思議そうにその様子を眺めていた。
「よしっ、やるか!」
 ガクはピコピコハンマーをひっくり返し、持ち手で動かす場所を指していく。人と将棋を指すのは本当に久しぶりだ。そうか、こいつらとやるという手があったのか。
 明神はちらりと押入れの方に目をやった。師匠が暇つぶしに買ってきたガラクタの山。霊はあれで遊ぶことは出来ないが、こういったゲームなら何とかなる。
「早く指せ!」
 ガクの声に我に返り慌てて次の手を指す。
 当分は楽しめそうだと思った。



 

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