応援
マスターが恋をした。
それがこっそりMEIKOに伝えられたのは、つい1時間前のことだった。
「と、いうわけなんだけど」
リビングのテーブルを囲みソファに座るMEIKOが一息ついて周りを見渡す。マスターが出かけてちょうど30分後。話し終えたMEIKOに、まず反応したのはリンだった。
「うわー、誰だれ? 私たちも知ってる人?」
「おれらの知ってる女って誰だよ。今まで会った女で独身とか居たか?」
「えー、えっと……あ、マスターの妹!」
「アホ」
レンの二文字の突っ込みにリンがソファに沈む。
「普通に仕事仲間とかならありじゃない? おれたちとはあんまり一緒にならないけど、たまに話は聞くし」
「えー、どれが男か女かわかんないー」
KAITOとミクが思い返しているとMEIKOが軽く机を叩く。注目を戻すための合図。
「だから、それも含めて今後の対応について検討したいわけ!」
MEIKOの言葉には全員が一斉に首を傾げた。
よく意味がわからなかったらしい。
MEIKOは咳払いして言い直す。
「マスターの恋の相手よ? 場合によったら奥さんよ? この家のお母さんになるの
よ!」
まずは一歩ずつ、MEIKOの感じている焦燥を伝える。リンとレンが立ち上がった。
『大変だ!』
双子らしくきっちり声が揃う2人。同時にKAITOも手を打った。
「……それは…放っとくわけにいかないね」
「いい人だといいね!」
焦った表情になった3人とは裏腹に、ミクは笑顔だ。そんなミクにMEIKOがずいっと顔を寄せる。
「ミク」
「は、はい」
「私たちはそんな呑気に待ってるだけじゃ駄目なの。世の中にはね、家の中にアンドロイドが居るのが嫌って人だって居るのよ! マスターがそんな相手を選ぶとは思えないけど、恋は盲目って言葉もあるし! 手を打つなら早い方がいいの」
「え、え……」
得体の知れない恐ろしさだけ感じたのだろう。ミクが助けを求めるようにきょろきょろ辺りを見回している。MEIKOはひとまずそれは置いて、リンとレンにも座るように促し
た。
「まず、マスターの好きな相手を突き止める」
MEIKOが指を一本立てる。全員が頷いた。
「その相手がどんな人間か調べる!」
リンが手をあげ、MEIKOも頷いて指を2本に増やす。
続いてレンが発言した。
「……で、脈はあるのかどうか、か」
3本目。
顔を見合わせる。ようやくミクもわかってきたのか真剣な顔で何度も頷いた。
「いい人だったらもう決めて欲しいよね。マスターもいい年だし」
KAITOのため息交じりの言葉にMEIKOは大きく頷く。
「ホントよ。一緒に歩いてると奥さんですか、って言われるのもいい加減面倒だし」
「それは結婚しても2人きりだと言われると思うけど」
「大丈夫じゃねぇ? その内娘さんですかって言われるよ」
「レン、それ何十年後の話ー?」
「で、おれらはその内マスターをおじいちゃんとか呼ぶんだよ」
「あははは、いいなぁ、それっ」
無邪気に笑いあうリンとレンの言葉は流して、MEIKOは再び全員に向き直った。
「それじゃあ、作戦会議を始めるわ」
一斉に背筋を伸ばす弟妹たち。
マスターの知らぬところで、兄弟5人の話し合いが始まった。
まずは聞き込み調査からだった。
マスターの仕事仲間にさりげなく話を振る。聞き耳を立てる。マスター自身に聞かないのは、いざというとき自分たちは何も知らない振りをするためだ。勿論いざというときとは相手が相応しくないとMEIKOたちが判断した場合だ。
マスターが恋をしているらしいという声は友人たちからも少しずつ聞こえたが、肝心の相手がわからない。
マスターの尾行も開始していたが、有力な情報も得られない。
そんなとき、携帯での会話からその相手の職場を偶然耳にしたのがミク。
その相手の特徴を、聞き込みの末ゲットしたのがリン。
そして今、その職場へと潜り込んだのが、MEIKOとレンだった。
「はぁ〜……」
レンの長いため息にMEIKOは視線を落としてその肩に手をかける。目が合えば、レンは驚いたように視線を微妙に逸らす。
「何? ここまで来てそのやる気のない態度は」
「いや、やる気ないわけじゃないけどさ。おれだって知りたいし。……けど、こういうところは……」
レンが落ち着かなげに辺りを見回す。
そこは居酒屋。
と、伝えられてきた。
だが昼間も普通に営業していると聞いていたし、その時間帯ならレンを連れてきても問題ないとMEIKOは判断したのだ。そう、問題ない。少々店員の服装と内装が奇抜なだけだ。全体的にピンクの色合は、確かに男には居辛いかもしれないが、マスターだって来ているところだ。
MEIKOは頷いて顔を上げると、ぽんとレンの頭に手を置いた。
「まあいいじゃないの。何事も慣れでしょ。大体あんた、子ども扱いしたら怒るじゃないの」
「子ども扱いっていうかさ……」
何でおれなんだよ、とまたレンが呟く。説明は確かにしてないなかったが、考えることでもないだろうとMEIKOはむしろ驚いた。
「ミクとKAITOなんか、役に立たないどころか何かしでかす可能性の方が高いじゃな
い」
KAITOは本気で何もしない確率も高いけど。
付け加えるとレンが小さく頷く。
「……まあ確かに」
「私はそんなギャンブルしに来たわけじゃないのよ」
「リンは」
「あんた、リンをここに連れてきたかったわけ?」
「…………」
レンが沈黙した。だけどMEIKOはとりあえず続ける。
「リンは多少は役に立つ。でも多少は邪魔になる。……でしょ」
「わかったよ」
ふてくれさたレンはそっぽを向いたが多少照れているようにも見える。
消去法とはいえ、一番役に立つのはレンだと言ったようなものだ。
「で、どうすんだよ」
「とりあえず……いい加減店員さん来ないかしらね」
入り口から客のように入ってきたというのに案内も何もない。勝手に入りこんでいいものかもわからない。だがそう言った途端、奥からぱたぱたと慌てたように人が出てきた。かなりのミニスカートに胸を強調した服。マスターはああいうのが好きなんだろうか、とMEIKOはそこだけ目に留めて、店員の「いらっしゃいませ」を途中で遮り聞きたいことだけ単刀直入に聞いた。
問題の彼女は、ここの店員のはずだった。
リンが聞いた大雑把な特徴はおそらく数人に該当すると思ったが、意外にも店員は直ぐに答えを返す。
「あの子なら今日はお休みですよ。大体火曜はいつも休みなんですよ」
だったら正解だ。その情報も事前に入手している。MEIKOたちはその彼女に会いに来たわけではない。
どんな人物か聞き込みに来たのだ。
とりあえず店に入って、と思ったとき更に複数の店員が出てくる。その一人はサイン色紙を持っていた。
「VOCALOIDのMEIKOさんとレンくんですよね!?」
サイン色紙を胸に抱え、期待に目を輝かせて近寄ってくる店員。
ああ、これは聞き込みがしやすくなった。
MEIKOはレンと顔を見合わせて笑う。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
店員たちは一瞬きょとん、としたあと嬉しそうに頷く。怒濤のお喋りのあとに出てきた情報に2人は再び顔を見合わせた。その彼女は、今日、マスターに会いに行っているかもしれないらしい。
「あっ、今すれ違った人と何か話した!」
「いや、ぶつかってすみませんって言っただけだよ、ちゃんと聞こうよリン」
「ね、あの人のこと何かずっと見てない?」
「視線は連れてる犬にあるけどなぁ」
「ああっ、誰かがマスターに向かって走っていく!」
「……追い抜いてったね」
マスターからかなり距離を取っての尾行中。近づく女性全てに反応していたリンは、そこでつまらなさそうにKAITOを見上げた。
「お兄ちゃん、何か冷めるー。もっと真剣に探そうよ!」
「いや、それはこっちの台詞なんだけど。そもそもさっきのMEIKOからの連絡だとマスターの目的地に相手がいる可能性が高いんだから……」
KAITOは言いかけた言葉を区切った。マスターが角を曲がり姿が見えなくなった
のだ。
リンと2人で小走りに駆けながら、マスターの立てる足音に注意する。視力は人間と大して変わらないけれど、この聴覚が武器だ。距離を置いても話し声や動きを聞き取ることは出来る。
「待って」
小声でリンを制する。角から飛び出しかけてたリンが足を止めた。
一歩二歩、とマスターの歩数を数える。今までと同じ距離まで離れたら追いかける。
リンが下の方で既に覗き込んでいるが、KAITOは何も言わなかった。振り向いたところで咄嗟に視線はいかない位置だ。
「……よし」
「あっ、待って」
進もうとしたKAITOのコートの裾をリンが引っ張る。予想外の方向からの力に体が泳ぎかけたが、何とか壁に背をついて止まった。
「何?」
「…………」
リンは真剣な顔をしたまま角の先を覗き込んでいる。問いにも答えなかった。
KAITOは仕方なくしゃがみこむと、リンより多少高めの位置から頭を覗かせる。青い頭は見えたら言い訳きかないだろうな、と思いつつリンのリボンも思い切りはみ出しているので、まあ同じことだ。
「…………」
そして見えた光景に、KAITOも口を閉ざした。
マスターが一人の女性と話している。KAITOたちの位置からは2人の横顔がはっきりと見えた。女性は、聞いていた特徴に該当するように見える。腰に近い長髪と、巨乳。距離は少々遠いがマスターの照れたような顔に思わず真剣になった。聴覚に集中する。僅かながら聞こえてくる、その会話。
次の曲の話。恋愛ものにしようと思っている。今までとは違った、片思いの相手に愛を語る歌に。
これは、遠まわしに告白しようとしているのだろうか。やたら早口のマスターの言葉に、緊張の様子が窺える。
少し遅れて、女性の声も聞こえてきた。
楽しみにしてます。やっぱりVOCALOIDに歌わせるんですか。当然ですよね。どの曲も大好きなんです。
それは本心からの言葉に聞こえて、KAITOたちは何となく安心する。だが、その先の言葉は、完全に予想外だった。
『私、KAITOさんのファンだからKAITOさんが歌ってくれると嬉しいですね。愛を語るKAITOさん……素敵でしょうね!』
楽しそうな女性の横顔。一瞬固まったマスターの顔。
リンが思わずKAITOを見上げたが、KAITOはそれより早く反射的に顔を引っ込めて
いた。
「……お兄ちゃん……」
「今の……」
「ま、待って、もうちょっと聞こう」
会話は続いていた。
ああ、うん、男性だし、男性ってあいつしか居ないし。
ですよね、KAITOさんのソロ久しぶり! しかも愛の歌って初めてじゃないですか。頑張ってくださいね!
マスターはとりあえず笑顔を作ってはいる。だけど、これは。
「……お兄ちゃん……」
「………まあ、でもファンと恋愛って違うもんだし……」
何と言っていいかわからずそんな言葉を口にする。それは間違いではないはずなのだけれど。
「えっ!」
「ん?」
リンが短く叫んで壁にかけた手に力を込める。しまった、聞き逃した。
「……どうしたの?」
小声で聞くと、リンは振り向きもせずに小声のまま答えた。
「……あの人が家に、来ることになった」
「えっ」
「……KAITOさん…KAITO兄ィに会わせるって」
「おれをだしに使うのかマスター……」
KAITOは多少呆れたが、マスターがそれでいいならいいのだろう。二人がこちらに向かってきたのを見て、慌てて道を引き返す。
「家に来るって…今から!?」
「えー、わかんない!」
「とにかく……帰ろう!」
急げばマスターたちより圧倒的に早い。家に着いて、MEIKOに相談する時間ぐらいはあるだろう。
「どうなの」
「あれ」
リビングへと続く扉の前。息を殺して覗き込んでいたリンの頭にMEIKOが顎を乗せる。同じように見守る態勢へ入った。言葉は直ぐ側に居ても人間では聞き取れないほどの小声。勿論、VOCALOIDたちにはそれで問題ない。
「仲良くやって……るのか、あれ?」
レンが挟んだ疑問の声には誰も答えなかった。
KAITOとリンが家に着き、留守番のミクと合流してMEIKOに相談。とりあえず適当に合わせておけ、という指示にもならない指示をしたMEIKOたちはちょうど今帰ってきたところだった。
「っていうか…何でミク姉いるの」
リビング内にはマスターと女性。それにKAITOとミク。ミクは相変わらず普通に楽しそうにやっているが、多分その方が場は和む。誰の判断か知らないがそれで正しいとMEIKOは声に出さず思った。
「それより話の進展はどうなのよ」
「あの女の人最初っからテンション高いよー。今ようやく落ち着いてきたとこ。今も……KAITO兄ィしか見てないよね」
「……やっぱ兄ちゃん、あそこから出すべきじゃね?」
「でもそれじゃ女の人帰っちゃわない?」
「そこを引きとめるのが男だろ!」
リンとレンの小声の争いも段々トーンが高くなっている。MEIKOが拳で軽くこずい
た。
「静かに。まあ脈がないならないでいいんだけどね」
「……あれ? お姉ちゃんマスターに結婚して欲しいんじゃなかった?」
その言葉に顔をゆがめたのはMEIKOだけではなかった。レンは一瞬目を伏せて、わざとらしくため息をつく。
「何かさー……評判微妙っていうか」
「それほど悪くはない…けど…あんまり良くもない」
「えー」
嫌われている感じではなかったが、悪口問題点様々なところを教えて貰ってしまった。良いところ、として上げられた部分はほとんどなかった気がする。
「マスター、どこが気に入ったのかしら」
MEIKOたちの会話など全く聞こえていないマスターは、相変わらず熱のこもった目で相手を見ている。何とか注目を自分に戻そうとしているのは偉いと思うが。
「あ」
マスターがKAITOの側に寄った。見てもらえないなら視界に入ろうということか。
MEIKOたちは何だか悲しくなってきた。
「……脈、ないよな」
「……そういうのはこれから作るもの……とも言いたくないわね、あんまり」
もうこのまま終わってしまった方がいいのではないだろうか。
MEIKOがそんなことを考え始めたとき、突然KAITOが立ち上がった。歌を聞かせて欲しい、という流れだ。思わずMEIKOたちの会話も途切れる。近くで誰かが歌うとなると反射的にしてしまう行動だった。
ミクもさっきまで騒いでいたのが嘘のように大人しくなる。そこでマスターが思い立ったかのようにリビングに置きっぱなしになっていたギターを手にした。
「お、これ、いいんじゃね?」
マスターのギターに合わせてKAITOが歌い始める。最初はKAITOだけを見つめていた女性の視線が何度かマスターへと向かう。その度にMEIKOたちは思わず拳を握っていた。
「よし!」
歌い終わったときは思わず全員でガッツポーズ。女性の興奮の言葉は、KAITOだけでなくマスターへも向けられていて。
「いいとこ見せたじゃない!」
「そうだよ。マスターのギター凄いんだから!」
「さすがマスター……って、あれ?」
「どうしたの?」
急に思い出したかのような声を上げたレンにMEIKOが問いかける。
「……マスター応援してたんでいいのか?」
『あ』
リビング内の会話は続く。
廊下側のMEIKOたちは、完全に沈黙してしまった。
「結局ね。マスターの気持ちが一番大事ってことなのよ!」
「……うん、まあそうなんだろうけど」
結論を出したMEIKOにKAITOが苦笑いで頷く。女性はマスターが送り返して行った。誰も後をつけようとはしなかった。
「マスター頑張ってたもんね」
ミクはにこにこと頷く。ミクは適度に場を和ませ、引くべきときはしっかり引きながら場を取り持っていた。これを全て天然でやっているのかどうかはいまだに誰もわから
ない。
「ま、応援するって方向でいいならいいんじゃね。アンドロイドに偏見なさそうだし」
ファンとしては応援できても家の中に入るのは、というタイプもいるが、会話の様子からはそんなことはなさそうだった。
レンはもう興味なさげに本を読んでいる。突っ込み癖のせいか度々口を挟んでくるのでページは進んでいないが。
「じゃあ探偵ごっこはもう終わり?」
誰がそう説明したのだったか、それなりに楽しんでいたリンが残念そうに言う。
だがMEIKOは思い切り首を振った。横に。
「これからはマスターの応援よ! 放っといたらあの服でデート行きそうだし、今日だって結局偶然会っただけだったみたいだし。私たちで盛り上げて行かなくちゃ。KAITO!」
「な、何?」
突然振られたKAITOが慌てたように返す。
「マスターの作る歌、きっちり歌いこなしなさいよ。彼女に向けて、でも思いはあんたじゃなくてマスターのものって感じで!」
「難しいな、それ!」
「情報収集は続行。今度は彼女の好きなものとか調べましょ」
「あ、それやりたいー!」
リンが発言し、ミクも手を上げた。
「……なあKAITO兄ィ」
「何?」
「結局MEIKO姉も楽しんでるだけなんじゃね?」
「そう思ったなら言ってみるといいよ」
KAITOの言葉にレンが嫌そうに顔をしかめる。
騒ぐ女性陣を横目に、2人はこっそりため息をついた。
どちらにせよ、全てはマスターの知らないところで行われるのだ。
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