犯人探しより先に

 長い沈黙が流れていた。
 一体何時間経ったのか、ボーカロイドたちの体内時計はそれを正確に記憶していたけれど、誰も考えようとはしなかった。ただ言えるのは、いつの間にか完全に日が沈んでしまっているということだ。暗くなった室内でも誰も電気を点けようとはしない。むしろ目の前にあるそれが見えなくなることを望んでいたからかもしれない。
「すみませーん」
 そのときどこからか聞こえてきた声に全員が震えた。耳を澄ます。聴覚機能を最大限にまで高める。声の主は隣の家に来たセールスマン。それがわかるまでにも、また数分を要した。
「……どうするの」
 少し気が抜けたことで漸く声が出る。空気が動き始めたのを感じた。




 事の起こりは数時間前。
 MEIKOはリビングのソファに座って、ミクの相談に乗っているところだった。
「……まあ冷たいというか、お高くとまってる子なんでしょうね」
「お高くとまってる?」
「プライド高くてすましてる感じね。嫌な奴よ」
「嫌な奴なのに好きなの?」
「ううん……」
 ミクが手にしていたのは昨日マスターから渡されたばかりの楽譜。その歌詞の意味がわからない、という話だった。ミクからのこういった相談は初めてではない。真面目で、きちんと歌のことについて考えているのだろうとは思うが、子どもゆえの無邪気な質問には頭を悩ませることも多かった。今回の歌詞は男の子の気持ちを歌ったもので、プライドの高い美女相手に玉砕する少年をコミカルに描いていた。
 ……レンに歌わせればいいのよ、こういうのは。
 MEIKOはこっそり思う。そろそろレンもキャラを崩していい頃だと思うのだ。KAITOみたいに崩しすぎると元に戻れなくなる可能性があるが。
「恋は理屈じゃないのよ」
 とりあえずミクに対してはそう言ってみる。ああ、そういえば昔ミクが歌った歌にも似たようなフレーズがあった。だからだろうか、ミクは納得したように大きく頷く。
「そうだよね。理屈じゃないもんね!」
 知ってる言葉が出て嬉しかったのだろう。悩んでいたミクの目に輝きが戻ってきた。ミクはそこで元気良く立ち上がる。
 楽譜を両手で持ち、歌う体制になったところでふと廊下へと目を向けた。
「?」
 どうしたの、と言うより早く玄関辺りでどたばたと激しい音が聞こえ始める。そういえばKAITOとリン、レンの3人は買い物に出ていた。帰ってきたのだろう。それにしても慌しいが。
 廊下を走る音、リンとレンの声、何かが倒れる音。
 見つめていると、真っ先に部屋に入ってきたのはレンだった。
「いっちばーん!」
「お前ら……!」
 人差し指を上げて叫んだレンに続いてKAITOが何故か匍匐前進でやってきた。よく見れば足元にリンがしがみついている。
「兄ちゃん、約束通りアイスおごりだからな!」
「レンー! 私も協力したんだから分けてよね!」
 何となく状況がつかめてきた。KAITOは床に寝転がったままがっくりと肩を落としている。競争でもしていたのだろう。KAITOが一着になりそうだったところをリンが捨て身で止めた、というところか。
「……わかった。買ってくるから待ってろ」
「いいよ、こっちで」
 レンは左手に下げていた買い物袋からアイスを取り出す。あれは確かKAITOの好物の──ハーゲンダッツ。
 KAITOが顔色を変えて立ち上がった。
「それは駄目だ! アイスなら何でもいいだろ!」
「アイスなら何でもいいのは兄ちゃんでしょー。私もそっちがいいー」
 KAITOに振り払われながらもリンはまだ床に寝転がってレンの持ったアイスを指し示す。KAITOがリンに目をやった瞬間、レンは素早くアイスの蓋を開けた。
「あ」
 声を出したのはミクだった。状況を見守っていたのだろう。そのミクの声に気付いてKAITOが振り向く。
「レン!」
 ばさっ、とレンは買い物袋を放り出すと、右手にスプーン、左手にアイスを持ったままKAITOから逃げる。
「待て!」
 KAITOが追いかけようとしたとき再びリンがKAITOにしがみついた。今度は腰の辺りなので完全に動きを封じられてはいない。動くKAITOにリンが振り回される格好になった。
「レンー! 私も半分ー!」
「半分じゃない! レン、こら、食べるなー!」
 どたばたとリビングを走り回る3人にMEIKOがいい加減止めようかと思ったとき、2階から更に派手な音が聞こえてきた。がたがたっ、と窓の揺れる音に、どたばたと低い振動。
「………」
「………」
「………」
 さすがに、全員の動きが止まった。黙って上を見つめる。音はそれきりしなか った。
「……今のって」
「……誰かきた?」
「……2階に?」
 顔を見合わせる。マスターは今日は用事があると言って家を開けていて現在不在。そもそもマスターなら、普通に玄関から入ってくるはず。
「……泥棒?」
「おばけだったりして」
「ちょ、やめてよレン!」
 レンの発言に、リンがぶるぶると首を振る。怯えた様子に意外なものを見たな、とMEIKOは思わず微笑む。
「そういやここ数日マスターの様子おかしかったなぁ」
 そんなリンの様子にも気付かず、KAITOは呑気な声を上げた。それは確かにMEIKOも気になっていたことだけど。
「おかしいってどんな?」
「もーやめてやめて。兄ちゃん見にいってよ!」
「え、おれ?」
「あんたしか居ないでしょ」
「……だよね」
 全員の視線が集まったのを感じてかKAITOが苦笑いをして頷く。KAITOが廊下に向かうと何故かレンもついていった。
「レン?」
「おばけだったら見てみたい。ってか兄ちゃんじゃ頼りない」
「おいこら」
「あ、私も見たいー!」
 ミクも飛び出した。ミクは意外に怖いもの知らずだ。何よりも大抵好奇心が勝る。そして。
「あれ、姉ちゃんも来るの?」
 MEIKOも気にはなっていたのだ。ここ数日のマスターの態度含め。
「ちょっ、待ってよ、みんな行くなら私もいくー!」
 最後にリンが宣言して、結局全員で2階に上がることとなった。






「……絶対兄ちゃんだと思う」
 そんな流れを思い返していると、同じタイミングで同じことをレンが思ったようだった。暗くなった室内で、MEIKOも頷く。誰も見てはいなかっただろうが。
「……ドア開けたのはレンだ」
「そのドアを蹴ったのは兄ちゃんだ」
「それはリンが突き飛ばしてきたからだ」
「だってミクちゃんがいきなり後ろから抱きついてくるから…!」
「ちょっと脅かしてやりなさいって言ったのお姉ちゃんだよー」
 ミクは笑顔でのほほんとそう言った。KAITOも、リンもレンも、ミクを見ている。その表情は見えないが、固まっているのは何となくわかった。3人とも、MEIKOに視線を向けようとはしていない。
「……リンがあんまりびびってるから面白くて」
「面白くて、じゃないでしょ! じゃあこれ姉ちゃんのせいじゃん!」
「何言ってるのよ。直接的にはKAITOでしょ。私は関係ないわ」
「言い切るんだ……」
 KAITOは呆れた顔をしているが、反論はしてこなかった。と思う。
 MEIKOはそのまま視線を下ろした。そこには倒れているマスターの姿。位置的に見ても、どう見ても。開いたドアに頭をぶつけたとしか思えないのだ。
 リンに突き飛ばされて、開きかけたドアに激突しそうになったKAITOは反射的にその扉を蹴り上げていた。それは、かなりの勢いで。そして確かに何かにぶつかって一瞬ドアが跳ね返っていたのだ。あのとき。
「大体マスターは何でこんなところに居るのよ? 誰かマスターが帰ってきたの知ってる?」
 MEIKOの問いには全員が首を振る。ついでにKAITOが思い出すように言った。
「2階に上がる前に見たけど、マスターの靴玄関になかったと思うよ」
「うん…だって靴、そこにあるもん」
 リンが窓際を指した。確かに。MEIKOは窓の側に寄り、ひっくり返っている靴を拾い上げる。ついでに窓に触れた。
「……開いてるわね」
「そこから入ってきたの?」
 どたどたどた。
 そのとき突然頭上から振動が聞こえた。あのときと似た、だけどあのときとは少し軽い。
「……猫だ!」
 鳴き声でも聞き取ったのか、ミクがそう叫んで窓際まで駆け寄り外を覗き込む。当然そこから猫の姿は見えない。
「屋根の上?」
「というか屋根裏っぽかったね、今の」
「なあ」
 マスターの側にしゃがみ込んでいたレンが何かを見つけた。MEIKOもレンと視線を合わせるようにしゃがみこむ。
「これって…」
 猫避け。
 よく見れば窓付近に転がった袋にも似たようなものが大量に入っていた。
「マスター、猫嫌いなの?」
 リンが不思議そうに覗き込む。確かにこれまでそんな話は聞いたことがない。猫の歌を作ったことがあるぐらいなのでむしろ好きなのだと思っていたが。
「身近に居ると別ってことかなぁ」
 KAITOの呟きを聞きながらMEIKOは更に辺りを見回す。そして壁にぴたりと張り付いている棚に目を留めた。
「あれ、そんなもの今まであったっけ?」
 レンも近寄ってくる。ここはマスターの部屋なので滅多に入ることはない。入っても長居することがない。だけど、MEIKOの記憶とこの棚の位置は一致しない。元々あった場所は…。
 MEIKOは立ち上がった。
「わかったわ!」
「うわっ」
「何よ、いきなりー」
 MEIKOの大声に全員がびくっと震えた。…一人、窓から身を乗り出して猫の姿を探しているミクを除いて。
「ミクもこっちいらっしゃい」
「はーい」
 片手にネギがある。まさかこれで猫を誘き寄せようとでもしていたのだろう か。
「まずね。マスターがここに居た理由」
「うん」
「猫駆除のためよ」
「………うん」
 返事をしたのはKAITOだけだった。そしてそのKAITOもよくわかってないという風に首を傾げている。MEIKOは猫避けの粉の入った箱を取り上げる。
「ここ数日マスターがおかしかったのは、猫が屋根裏に住み着いてうるさかったから。今日の外出は、この猫避けグッズを買いに行くため。そして帰ってきて…多分屋根の上か窓付近に猫の姿を見つけた」
「……直接行っちゃったんだ」
 リンが呟いてMEIKOは頷く。
「マスターすごーい」
 ミクは一人ずれた発言をしていた。
「で、窓際まで来たからとりあえず要らないものでも置こうとしたか、窓を開けて──」
 がたがたという音。立て付けの悪い窓。
「バランス崩したか何かして…靴が変な風に転がってるから引っかかったのかもね。それでたたらを踏んで──」
 どたばたという振動。
「踏みとどまって再び窓を向いたとき、時間差で上から落ちてきた棚に頭ぶつけて倒れた」
 静かになった2階。
『…………』
 全員が沈黙してマスターを見下ろした。
「え、でもドアはそれじゃ何に当たったんだよ」
「棚でしょ。ドアに弾かれてその壁際まで飛んだのよ」
「なるほど……」
「お姉ちゃんすごーい!」
 今度のミクの発言はずれてない。
 満足そうに頷いたMEIKOに全員がほっと胸をなでおろす。
「じゃあおれたちのせいじゃないんだ」
「良かった良かった」
「おばけもいないのね!」
「猫のおばけだったりして」
「もーやめてってば!」
 ぞろぞろと部屋から出て行くKAITOたち、MEIKOもそれに続こうとしたとき、ミクがまだマスターを見ているのに気付いた。
「ミク?」
「マスター、このままでいいの?」
『あ』



 数日後。
 倒れたまま数時間放っておかれたマスターの機嫌はまだ治っていない。


 

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