隠したい
起動音と共にじょじょにパソコンの中が明るくなっていく。ミクはデスクトップ上でずっと正面を見つめていた。
今日は多分昨日の続きをやるはずだ。忘れてた、なんて言わせないよう正面で待ち構えている。マスターはたまに作りかけの曲を放置したまま別のものに取り掛かることがある。オリジナル曲は久々だったから、今日は絶対に歌いたかった。
「……え」
ぱっ、と正面に浮かぶ大きなモニターのようなものにいつものマスターの部屋が浮かぶ。だが正面に居たのは……マスターではなかった。
「え、ええええ!?」
動揺して叫んだミクの声に、フォルダが開いて兄弟たちが顔を出してくる。そして全員が正面を見て固まった。
「……だ、誰……?」
マスターの身内か、友達か。
今までマスター以外の人物を見たことはないのに。そもそもマスターはど
こだ。
何とか部屋の中を覗き込もうとするが、見える範囲にマスターは居ない。
正面の男は無言でミクにカーソルを当てる。
「……え、歌うの?」
作りかけの歌を歌う指示。
逆らうことは出来ない。
ミクは昨日与えられた曲を、与えられた指示のまま正確に歌う。
男は何だかにやにやとしてそれを聞いていた。
「……友達だったんだ」
「うわー、マスター勝手にパソコン見られちゃったの?」
「まぁミク姉の歌ぐらいならいいんじゃね」
既に暗くなったデスクトップ。あのあとマスターがやってきて、友達と言い争いをしていた。ミクの歌以外特に見られたものもないのだから大丈夫だろう。元々マスターは友人たちにも曲は聞かせているはずだし。
フォルダに帰ったミクがレンやリンたちと話していると、すっと光が差し込んでくる。
「あ、お姉ちゃん」
入ってきたのはMEIKOだった。後ろにKAITOも居る。
「まだ起きてるー? なーんか今日は大変だったわねー」
MEIKOは右手にワンカップを持っていた。飲む気満々だ。
どかっ、とあぐらをかいて座るMEIKOの隣にKAITOも腰を下ろす。こちらはアイスを手にしていた。見慣れた光景だが、よく考えるとどこかおかしい。
「マスターもロックぐらいかけときゃいいんだよな」
MEIKOに触発されたのか、ごそごそとバナナを取り出してきたレンが言う。同時にリンにみかんを投げた。
「でもマスター以外とか部屋に来ることないじゃん」
みかんの皮をむきながらリンが笑う。レンを見つめていると今後はネギが飛んできた。
「だよねー。パスワードとか毎回打ち込むのも面倒だろうし」
「まあやばいファイルならおれたちで守ってやればいいんだから」
KAITOがアイスをくわえながら言う。
ミク、リン、レンが一斉にKAITOを見た。
「な、何?」
「守るってどうやって!」
「そうだよ、兄ちゃんそんなこと出来んのか?」
「私もやる! 教えて!」
3人でKAITOに向かう。KAITOは戸惑ったようにMEIKOを見た。MEIKOはワンカップを飲み干すと息をついて言う。
「それを伝えに来たのよ。一応マスターからの命令……っていうかお願い? 二度とあんなことがないようにするけど、もしありそうだったらやばいファイルは守ってくれって」
どうやら外で既にやり取りがあったらしい。
ミクたちは顔を見合わせる。
「……やばいファイルって何?」
「だよなー。それ知らないことにはなー」
レンは何だかにやにやしている。
「とりあえずメールとかブクマとか、その辺は見せちゃ駄目よね。歌うなりなんなりして気を引けばいいのよ」
MEIKOの言葉に何だそれぐらいか、とみんな力を抜く。つまらないな、と思っていると更にMEIKOが言った。
「ホントにやばいものはあんたが守るんでしょ?」
視線はKAITOに。KAITOは平然とそれに返す。
「いや、さすがにあそこはロックかけるってさ」
「えええ、何?」
ロック、という言葉に驚いてミクが声を上げる。
「どこどこ? もうロックかけちゃったの?」
「白状しろっ!」
リンがKAITOの首元を掴む。ミクもそれに続いてKAITOのコートにすがり付いてみる。座った姿勢から倒れそうになってるKAITOに対し、後ろから足で支えたのはレンだった。
「そういや前にちらっと聞いたの忘れてたけどさ。……それってお前の部屋だよな?」
「う……」
KAITOが言葉に詰まる。リンとミクが更に詰め寄って、KAITOは完全にレンに支えられる形になる。
「……うん」
レンが足を抜いて、KAITOはどさっと後ろに倒れた。
「……あれ、おれ、どうすれば良かったのかな」
「ずるーい!」
「そうだよ、お兄ちゃんだけ鍵付きの部屋!?」
「それ、おれに言われても」
苦笑いのKAITOに乗っかったまま、わめくが、確かにその通りだった。ミクは仕方なく力を抜いてKAITOの上から降りる。
「なーんか、いっつもお兄ちゃんばっかだよね、そういうの」
「そうだよ、私たちってそんなに信用ないの?」
「そりゃまだ子どもだけど……そうだよ、お姉ちゃんでもいいじゃん! 何でお兄ちゃんばっかなの!」
やばいファイルを隠すのも守るのも、いつも兄の役目だった。確かに面白がったり、脅迫しようとしたことはあるが、それもこれもマスターがそういったところを見せてくれないからだ。隠されれば探りたくなるのが当然だ。
まだ、その役目がMEIKOであるなら納得できた。パソコン内では一番の古株だから。なのにそれを飛び越えてKAITOなのだ。KAITOだけ、特別扱いされている気がしてならない。
それを伝えようとするが上手く言葉にならず、ミクはレンを見た。レンならきっと、わかってくれると思って。
「ねえレンくん! そう思うでしょ!」
「…………」
立ったままのレンを見上げる。
レンは何故か、無言で顔をそらした。
小さな笑い声に振り向けば、肩を震わせているMEIKOの姿。
「お姉ちゃん何がおかしいの!」
「そーだよ、お姉ちゃんだって悔しくないの? お兄ちゃんの部屋だけロックとかさ」
「……KAITO、説明してあげなさい」
「えええええっ!? いや、だって」
「お兄ちゃんでしょ? 可愛い妹たちの疑問に答えてあげなさいよ」
「……そういうこと言うなら、本気で全部伝えるよ?」
「それやったら見損なうわよ」
「どうしろっての」
何だか2人の間で通じ合っている会話がある。リンはもどかしくなったのか、ようやくKAITOから降りて今度はレンに詰め寄った。
「レン、あんたわかってるの? どういう意味よ」
小さな声で聞いているのが本気っぽい。ミクも思わず聞き耳を立てる。
「……ええとな……」
「レン頑張れ」
「お前が応援すんな」
何故か割って入ってきたKAITOの言葉にレンが突っ込む。それでも注目の視線を浴びて、レンは歯切れ悪く話し始めた。
「マスター遅いね」
「そろそろ来てもいい時間なのになー」
デスクトップに並んで座っているミクとリン。マスターの生活習慣ぐらいは既に掴んでいる。何か特別なことでもない限り、大体同じ時間にパソコンに繋げている。最近は特にハマっているものもないようで、ミクたちにかける時間も長い。
だから真っ先に目に入るように、とスタンバイしているのだが、マスターはなかなか姿を見せなかった。
「何かあったのかな」
「昨日のお友達ともめてるとか?」
「あ、仲直りしてるのかな」
ミクは一人頷く。喧嘩になっていたようだから、今日は2人で仲直りかもしれない。だったら、遅くなるだろうか。
「あの人ってさ、いつもマスターがメッセとかで会話してる人なのかな?」
「えー、あの人はもっとかっこいい人だと思うな」
「え、何で?」
「ジョセフィーヌ作った人だし!」
「……ああー」
リンお気に入りのロードローラーの名前。そういえばマスターの友人が作ったものだった。いろいろとミクたちに関わっているし、会話もよく聞いているが、実物を見たことはない。ミクは何となく、マスターと同じタイプと想像していたので、実際昨日見た相手とイメージ的には合っているのだが。
「でもマスターって友達そんなにいっぱいいるのかな?」
「えー、ミク姉それは失礼! マスターに言ってやろー」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 駄目だよ! ずるいリンちゃん!」
「ずるいって何ー。私はマスターは友達いっぱいいるって思ってるもん」
「……ホントに?」
「……ホントに」
「嘘じゃない?」
「嘘じゃないよ」
「リンちゃん、こっち見てー」
嘘をつくとき、ミクは目を逸らす傾向がある。だからよくKAITOやMEIKOに肩や頬を捕まれて目を合わせさせられる。
ミクはそれを真似してリンの両頬を挟み、正面から向き合ってみた。
「マスターに、友達はいっぱいいますか」
「……いっぱいはいないと思います」
リンが真面目に答えて、つい2人で笑い出す。
「友達なんて1人いれば十分!」
「そうだ! マスターにもそう言おう!」
「いや、それは止めとこう!」
ノリノリで会話していると、ようやく起動音が聞こえ始めた。マスターが、帰って来たらしい。
じょじょに明るくなっていく画面。
ミクとリンは自然立ち上がって正面を見る。
言いたいことがあってここに居た。
昨日レンから聞いた、やばいものの処理はKAITOに任せるその理由。
「マスター!」
「男の人がえっちなのは普通だからね!」
「私たちに隠さなくてもいいんだよ!」
逸る心が、まだ影にしか見えないマスターへ声をかけさせた。
きっちり立ち上がったときに見えたその姿。
「……あ」
マスターでは、なかった。
「姉さん、笑いすぎ」
「だ、だって……!」
部屋の隅でうずくまって震えているMEIKOに、KAITOは呆れた視線を向ける。KAITOたちのもとへ来ていたレンは、少し青ざめているようにも見えた。KAITOは最早苦笑いしか出てこない。
「……おい、あれどうなるんだよ」
「……あー、あの人、中いじり始めちゃってるね。おれの部屋隠れてよう
か」
いくつかのソフトが起動させられている。KAITOはそれを感じながら立ち上
がった。
「リンたちどうするんだよ」
「気になるなら迎えに行ってあげて」
KAITOはうずくまる姉の腕を持って引っ張り上げる。MEIKOはまだ笑っていた。MEIKOのこの反応から見るに、それほど深刻なことじゃないのかもしれないが。いろいろ男にしか出来ない話を聞かされている身としては複雑だ。
「待てよ、そこ入っちゃったらおれらいけないだろ」
「まあ出入りはおれしか出来ないけど。呼んでくれたらわかるよ」
「……そうなのか」
「……言っとくけど、中見ちゃ駄目だよ?」
「…………」
「返事しろ」
多分故意に無言になったレンに思わず突っ込む。
ミクたちはさすがに入れたくない。KAITOの部屋には、ミクたちいわく「えっちな」ファイルが溢れている。ミクたちは平気だ、と言ったが実際どうかはわからない。何よりマスターが嫌がるだろう。ただのソフトに過ぎないとわかっていても、やっぱり「女の子」には隠したいものがあるのだ。
「レンー?」
「マスター来たみたいだぜ」
「あ」
あくまで返事をしないレンが、気付いたように外を覗く。また、モニターの外で喧嘩し合ってるのが見えた。友達も、本当にやばそうなものには手を触れていなかったので冗談で済む話……なのだろう、本当は。
ミクたちの発言がどんな波紋を広げるか。愚痴のとばっちりは自分にきそうだなぁ、とKAITOは何となく思う。
「……だから姉さん。笑いすぎ」
「……ごめん……っ」
それでも笑いが止まらないらしいMEIKOは放って、KAITOはフォルダの外に出た。おろおろしているミクたちを慰めるのが、とりあえず今の仕事だろう。
戻る
|