脅迫

 沈黙が続いていた。
「……マスター?」
 気持ちよく歌い終わって次の指示を待っていたミクだったが、いつまで経っても何の動きもない。カーソルはぴくりとも動かず、言葉が入力された形跡もない。
 さっきの歌は駄目だったのだろうか。いくつか指示された部分は完璧に直ったと思う。だが、それの他に一箇所変な躓きがあったのも自覚している。次はここを直されるだろうか。それとも、これはこれとしてそのまま使うのか。まあ何時間も歌い続けているのでどちらにせよそろそろ終了か。ミクはともかく、マスターの集中力の方が持たない。
「マスター」
 もう1度呼びかけてみる。音声出力はされているはずだったが、やはり応えはなかった。
「……ああ」
 寝ているのか。
 モニター越しに見える薄暗いマスターの部屋を見て納得いったように呟く。マスターはよく作業中、パソコンを開いたまま眠ってしまうので特に珍しいことでもない。
 せめて終了ぐらいはしていってくれたらいいのに。
 作業の保存もされていないから勝手に眠るわけにもいかない。このまま朝まで徹夜かなぁ、とミクは手持ち無沙汰に辺りを眺める。今日の壁紙は、見る限り普通の女の子のようだった。ミクどころか、リンたちよりも年下に見える。……胸は大きいけど。
 ミクはマスターの様子をもう1度確認したあと、リンたちの居る自分のフォルダへ向かった。





「あー、それ私も前あったー」
「あんときは朝まで起きなかった上に起きてすぐ仕事行っちゃって、おれらに気付かなかったんだよな」
「ええっ、そんなことあったっけ?」
 夜更かしの多いリンとレンは普通に起きていて、マスターのことを愚痴れば2人からも同じような話をされた。眠っていると誰かが起動されっぱなしでも気付かないものなんだな、と改めて思う。
「夜まで起きっぱなしだったもんねー。しかもマスター、最初、歌った内容保存しないとか指示したんだよ! 単なる間違いだったけど!」
「あれで消えてたら凹んでただろうな。それでも良かったんじゃねぇ?」
「ええー、せっかく作ったのに?」
「一度ぐらいそういう目に合ってみたらいいんだよ。そうすりゃ、ちゃんと保存して終了まではきちんとやるようになるんじゃないか」
 レンもマスターの行動には思うところがあるらしい。自分の歌が消えてしまってでも、マスターに反省して欲しいというのには驚いた。確かに、なんだかんだでミクたちはしっかり起動したままマスターの帰りを待っている。一度懲りることも必要なのかもしれない。
「そうだ……」
「は?」
「ミク姉、どうしたの」
 思わずもらした言葉にリンとレンが反応する。ミクはばっと顔を上げて2人に興奮した顔を見せた。
「歌ったファイルが消えちゃう……のは嫌だけど、何か、何かマスターに反省させればいいんだよ! 普通に言っても駄目だし…終了しなかったらこんなこと起こるんだよ、みたいな…」
 痛い目。
 そうだ、何か痛い目にあわせればいい。
 上手い言葉が思いついて、喜んでそう言う。
 ミクとリンがそこで同時にレンを見た。期待の眼差しに対して、レンが嫌そうな顔を向けてくる。
「何でおれを見るんだよ」
「考えるのはレンの役目」
「……あのな、そんなこと言っても」
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
 ミクが真剣な目で言えば、レンの言葉が止まった。
 ため息をついて一度考えるように宙を見る。
 そして語った内容に、ミクとリンは顔を見合わせた。





「お兄ちゃん、お姉ちゃん起きてー!」
 どんどんどん、とフォルダを叩く音で目が覚めた。
 寝ぼけ眼で辺りを見るが、特に何の変わりもない。外から響くミクの声に 特に切羽詰ったようなものは感じず、MEIKOはのんびりと歩いてフォルダを開いた。案の定、ミクは笑顔いっぱいでそこに居る。背後には双子の姿もあった。
「……どうしたの?」
「お姉ちゃんさ、マスターの秘密って知ってる?」
「……は?」
 勢いこんで聞いてくるミクにMEIKOは目をぱちくりさせる。
「マスター、またミク姉起動したまま寝ちゃったんだと」
「……ああ」
 レンが後ろから口を出し、何となくMEIKOもモニターの向こうに目を向ける。スタンバイ状態に入ってしまっているのか、薄暗くなってしまった画面越しにはマスターの姿はほとんど見えないが。
「それで、秘密がなにって?」
「だからねー、今の間にマスターの秘蔵ファイル探すんだよ!」
「一回懲りればいいんだよねー。保存もされずに放っておかれるとか不安なんだから!」
 ミクの言葉にリンが繋げた。どうやらリンとレンはちゃんと終了されているようだが、ミクと同じ目には何度か合ってる。気持ちが一致しているのだろう。しかし…どこで秘蔵ファイルなどという発想になったのか。
 MEIKOが説明を求めるようにレンを見ると、レンは顔を逸らして呟くように言った。
「……誰でも見られたくないフォルダの一つや二つは持ってるって……この間動画で言っててさ……」
 言ったことを後悔しているのか、単に自信がないのか、ぼそぼそと妙に聞き取りにくい声でレンは言う。
 なるほど。
 それを話せば、ミクとリンがのってしまったというとこか。
「ね、知ってる? 知らなくても探しに行くから!」
「私は知らないわよ。っていうか結構堂々といろいろ放置してない? あのマスター」
「えー、でもそんなに酷いのないじゃん! もっとやばいのがあるって!」
 リンが元気良くMEIKOの言葉に返す。
 やばいの、とは一体何を想定しているのだろうか。
 見つけたら見つけたで問題ではないだろうか。
「……じゃあ、私とKAITOで探すから……」
「駄目ー!」
「ミク姉、どうせマスター起きるまで寝れないんだし。私らも何かもうこのまま寝れないし。それに! お姉ちゃんたちだとマスターの味方しそう……」
「しないわよ。私だって放置されること多いんだから。……そうね。少し懲らしめるのも手かもね」
 話している内についその気になった。MEIKOだって不満はあったのだ。
 勿論、このままだと勝手に探しに行きそうなミクたちを見張る必要もあるのだが。
 MEIKOが同意したのを見て、ミクとリンが飛び上がって喜ぶ。レンは一人複雑そうな表情だ。秘蔵ファイルというものがあるとして、どういうものかわかってるということだろうか。
 実際MEIKOにもよくわかってはいない。想像しか出来ない。見られたくない類のファイルは人それぞれだ。
「じゃあ行こう! あ、お兄ちゃんは?」
「まだ寝てるわね。KAITOー?」
 これだけ騒がしくても起きてこないKAITOにMEIKOは声をかける。KAITOは朝の寝起きはいい方なのだが、その分眠りが深いのか、一度寝るとなかなか目が覚めな い。
「KAITO、私たちこれからマスターのファイル探しに行くんだけど」
「んー……?」
 低く掠れた声が返って来た。MEIKOが耳を近づけると、ぼそぼそと小さな声でKAITOが言う。
「……姉さん行って来て……」
「あんたは興味ないの?」
「んー……」
 肯定とも否定ともつかない唸りだけが返って来る。MEIKOは肩を竦めてミクたちを振り向いた。
「まだ眠いって。私たちだけで行きましょ」
「えー、何でー」
「上乗っかったら起きるかな?」
「ロードローラーで脅してやれよ」
「はいはい、そもそも夜なんだから寝てて当然なのよ」
 ぞろぞろ行っても仕方ないでしょ、とMEIKOは言ってフォルダを出る。閉じる寸前ちらりとKAITOの方を振り返った。KAITOは何も言ってこなかった。





「ねえ、あれは?」
「あれ……レポートって書いてるけど」
「いや、そういうのの方が怪しいんじゃねぇ?」
 あちこち好き勝手に開いていくミクたちの後を追いながら、MEIKOはちらちらと外に目をやる。マスターが起きる様子はない。完全に机に突っ伏してしまっているようで、これはこのまま朝まで起きない可能性が高い。
 そして何か発見される可能性も。
 ……まあ、自業自得だ。
「よし、じゃー行くよー」
「あ、ちょっと待ちなさい。私が先って言ったでしょ」
 ミクたちに何をどこまで見せていいのかわからないが、ひとまずMEIKOは先にフォルダの中に入る。出来れば恥ずかしいポエムとか、その辺で済んで欲しいと思ってはいるが、そもそも自分で作詞もするマスターは書いた詞は堂々とMEIKOたちに歌わせている。詩を恥ずかしいと思う感覚があるかどうかはわからない。
「……普通にレポートね」
「うわ、何書いてるか全然わかんねぇ」
「すっごーい、マスターこんなのも書いてるんだー」
「これに曲つけて歌ったら少し頭良くなれるかな」
『無理』
 ミクが読み上げながら言うとリンとレンが即座に否定を返した。見事に揃った声に、ミクがふくれる。
「あ、まだフォルダあるよー」
「えーと……何これ? レポートの中にまたレポート?」
「過去分とか」
「もっとわかりやすい名前付けなさいよねー」
 フォルダに入る。
 レンの指摘通り、年代の付いたフォルダが三つ並んでいた。
「……ここはもう違うんじゃない?」
「だねー。戻ろうか」
「待て」
 リンとミクが踵を返したとき、レンがそれを止めた。
「どうしたの?」
「あっ、こら」
 レンが一番古い年号のフォルダに飛び込む。MEIKOは慌てて後を追った。問題ないとは思うが、一応約束したものを破ってもらっては困る。
「レン? ちょっと……」
 中にはまたいくつかのフォルダ。今度はアルファベット順に並んでいる。
「レンー、何やってんのよ、あんた」
「……誰かいる」
「は?」
 レンは真っ直ぐ一つのフォルダに向かって歩いていく。MEIKOたちは顔を見合わせて後を追った。レンがフォルダに飛び込む前に、MEIKOは慌ててその手を掴む。
「レン。約束でしょ。私が先」
「……ああ」
 今思い出したようにレンがMEIKOの言葉に頷く。間近まで来れば確かに感じる。中に、何かのソフトが居る。
 フォルダを開く。
 すぐにレンも追ってきた。
 そして思わず足を止める。
 そこに居たのはMEIKOたちにとってはこの上もなく見慣れた姿の男。
「お兄ちゃん!?」
 後から入ってきたミクが驚きの叫びを上げる。
 KAITOは苦笑して何かのフォルダを隠すように立っていた。





「お兄ちゃん、そこどいて」
「駄目」
「じゃあ一緒に入ろうよ」
「駄目」
「見せてくれたっていいだろ」
「駄目」
「私にも見せられないわけ?」
 立ち塞がるKAITOに向かって口々に言う。最後のMEIKOの言葉にも、KAITOは首を振った。
「駄目。ここは見せられない」
 KAITOの影になってファイル名すら見えない。レポートフォルダの奥の奥。ミクたちにとっての目当てのものの可能性が高い。にも関わらず、KAITOは動こうとしない。
 そもそも。
「お兄ちゃん寝てたんじゃなかったの?」
「………」
「まあ、起きてるような気はしてたわ」
 声が妙に演技臭かった。それを判断できるのはMEIKOぐらいなものだろうが。ミクたちの非難の目がMEIKOにもきているような気がしたが、そこは気にしない。
 KAITOは寝てる振りでMEIKOたちをやり過ごし、真っ先にここに向かっていたらしい。
 フォルダを守るために。
「一つだけ教えて。それはマスターのもの?」
「……そうだよ」
 意外に素直にKAITOは言った。
 そして動こうとしないKAITOに、レンが向かっていく。
「おれたち、マスターの弱み探しに来たんだよ」
「知ってる」
「その後ろの奴がそうなんだな?」
「…………」
 KAITOは答えなかった。
 それが答えのようなものだった。
 次に反応したのはミクだ。
「何で! お兄ちゃんだってマスターに放置されることあったでしょ! 知ってたならそれでマスターに、えっと、マスターを、お、脅せばいいじゃん!」
 どう言っていいかわからず、物騒な言葉しか出てこなかったためか、ミクが多少言葉に詰まる。言いたいことは間違っていない。
 これは脅迫だ。
「おれはこのフォルダは守るって約束したから」
「何が入ってるの?」
「知らない」
「ホントに?」
 MEIKOの真剣な目に、KAITOも真剣に返してくる。
 嘘かどうかはわからない。だけど、守ろうとしているのは本当だ。
「だから……見たければおれを倒してから行けっ!」
 両手を広げたKAITOに、全員が顔を見合わせた。
「ずるーい!」
「勝てるわけないじゃん!」
「リン、ロードローラーだ、ロードローラー持って来い」
「ええ、ここまで入れるかなぁ…」
「り、リンちゃん、お兄ちゃん壊さないでね……?」
 本気の目をするリンとレンに、さすがにミクが言葉を挟む。MEIKOはその間にもゆっくりとKAITOに近づいていた。
「どきなさい」
「おれ本気だからね?」
「わかってるわよ」
「男と男の約束だからね」
 その言葉にレンが多少反応した。
 だけど今は関係ない。
「ミク、リン、レン!」
「はいっ」
「おお!」
「やるよ!」
「……いや、あの……」
 4人揃ってKAITOに詰め寄る。
「可愛い妹たちを傷つけやしないわよね?」
「大丈夫! お兄ちゃんを怒らないようにちゃんとマスターにも言うから!」
「そういう問題じゃないんだよ!」
「かかれー!」
「ちょっ、ちょっと待っ……!」
 一斉に飛びかかった3人に、さすがにKAITOが慌てる。最初に目の前に来たリンを思わず振り払い、リンは大げさに悲鳴を上げて倒れた。
 作戦をよく理解している。
「痛ったーい! お兄ちゃん酷い〜!」
 わざとらしくわめく声に、ミクとレンものる。
「リンちゃん大丈夫!? お兄ちゃん、酷いよ!」
「……兄貴のやることじゃねぇな」
 レンが下から睨みつける。
 泣き真似まで始めたリンの悲しげな声だけが辺りに響く。
 しばらく間を置いて、KAITOが諦めたようにため息をついた。
「……わかったよ、降参」
 ずるいなぁ、と呟くKAITOに、MEIKOは思わず笑いながらフォルダに近づい た。
「あ、待って。おれが先に見るから」
 そんなMEIKOを制してKAITOが再びフォルダの前に立つ。
「……あんた、まだ何か企んでるわね?」
「えっ!?」
 遮ったKAITOに何故か不自然なものを感じてかまかけてみれば、KAITOが驚きの声を上げる。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………まさか」
 MEIKOが呟いたと同時だった。
 ぱっ、とフォルダの中が明るくなる。
 これは、マスターの手で直接それがデスクトップに開かれた証拠。
「……時間稼ぎかっ!」
「……ごめん」
 いつの間にか起きてきたマスターが、顔をしかめてこちらを見ている。
 そもそも、おれを倒していけ、なんて言い出した時点でおかしいと思うべきだった。
 ミクたちも気付いたのか、がっくりと肩を落としている。
 そんな中で、レン一人がマスターに向かって言った。
「マスター。ミク姉起動しっぱなしなんだけど」
 そういえばそうだった。
 だけどここで注意をしても、マスターは多分変わらない。反省したような言葉だけ出して、同じことを繰り返すのだ。
「……マスター、とりあえずこのフォルダは守ったよ」
 KAITOがレンの後ろから声をかける。
 時間稼ぎ用のフォルダ。いかにも何かありますといった感じで守れとの約束。
 マスターは満足そうに笑っていた。
「で、あっちは別に守れって言われてないよね?」
 カーソルの動きが止まった。
 全員一斉にKAITOに目をやる。
「……お兄ちゃん、秘蔵ファイルの場所知ってるの!?」
「知ってるも何も、おれの」
 言いかけたKAITOにカーソルが突き刺さる。止めようとしているのに気付いて、レンとリンが2人してそれに飛びついて抑えた。
「兄ちゃん! ここはおれたちの味方しろよ!」
「これは私らが抑えるから!」
「マスター! あのね、言うこと聞いてくれないとね!」
 ミクがKAITOの前に立ち塞がって「脅迫」を始める。
 これは、上手くいくのかもしれない。


 

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