整理
「あ、また移動する」
「今度は何?」
「さあ……あれ、おれらが来てから一度も動いてなかったよな」
リンとレンが見上げたデスクトップ上のアイコン。英単語で名前がつけられたそれは、用途もわからないまま別のフォルダに移される。その下にあったアイコンが上に移動する……と思った途端削除された。
「あっ」
「あー」
パソコン内大整理。大体半年に一度くらいの割合でマスターが行っているらしい。レンたちは初めて見る。以前の整理は、レンたちがくる直前に行われたのだと聞
いた。
「何か寂しいね」
「うん……」
どこかのフォルダが開かれた。同時に、CD-Rが動き出す気配。
「保存かな?」
「あ、移動だ」
「パソコン内には要らないってことかな…」
次々と削除や移動が繰り返されていく。いつの間にか、リンがレンの手を握ってきていた。
「これで少しは静かになるかなぁ」
リンは笑顔でそう言ったけどやっぱり少し、影がある。
「……一番うるさいのお前だから意味ないんじゃね」
「……うるさい」
作業が終わったのは深夜になってからだった。
空間が広い。空気が軽い。
それはただの感覚でしかないけれど。リンたちには何よりも大事な感触。
リンはデスクトップを駆け抜けながら、お気に入りのロードローラー専用フォルダに飛び込んだ。
「……あれ?」
広くなったパソコン内を思う存分駆け回りたい。
パソコン整理の間中ずっとうずうずしっぱなしだった。だから、レンも置いて真っ先に
向かったのはこのフォルダだった。
整理中、このフォルダからはほとんど目を離さなかったと思う。何の動きもなかったのは覚えている。
なのにいつもと変わらずあるはずのそこに、見慣れた姿がなかった。
「ジョセフィーヌー?」
名前を呼んでみる。最近つけたばかりの名前だが、きちんと反応してくれていた。
なのに、来ない。
障害物のほとんどない広い空間の中。
ロードローラーが見当たらない。
「………何で?」
瞬間、先ほど見た、削除されていくファイルが思い浮かんだ。まさか。そんな。
「ジョセフィーヌ!」
リンはいつの間にか走り出していた。どくどくと、体の内部で何かが音を立てている。怖い。怖い。大切な何かが、なくなってしまったかもしれない。
「ジョセフィーヌー!」
僅かにある建物の影、一度引っくり返して少し穴が開いた部分、そんなところを丹念に見回って、ついでに空まで見上げてみた。
「何でっ………」
隅から隅まで見渡しても、やはりその姿は見えなかった。
リンはがくりと膝を付く。
必死で、このフォルダから目を逸らしたときがあるかを思い出す。ずっとレンと話していた。カーソルの動きを追っていた。だけど、一瞬たりとも離さなかったといえるか。他に気を取られたことがなかったか。
安心は全く浮かんでこない。
絶対に消えていないという、確信が持てない。
リンはフォルダから飛び出した。いつもより広いデスクトップ。空気が軽い。それは、ここに居た大量のソフトやファイルが、居なくなったから。
「ジョセフィーヌーーー!」
声の限り叫んだ。
デスクトップに反響するその名前。
デスクトップは、沈黙しか返してこなかった。
「リン……」
「…………」
「泣くなよ、もう……」
「泣いてないっ!」
「泣いてるだろ」
「泣いてない! そんなの顔見てから言ってよ!」
「だったら顔見せろよ」
「…………」
「リンー……」
疲れたようなレンの声に、膝を抱えて座っていたリンは益々その顔をうずめる。本当に、泣いてはいない。泣いてるような声しか出ていないだろうけど。涙はもう止まったのだから、泣いてないと言えるはずだ。VOCALOIDでも、涙の量に限界はあるら
しい。
レンのため息を聞きたくなくて、耳も塞いでしまおうかと思ったとき、フォルダが開いた。マスターが、突然全開にするときとは違う、誰かが単独で中に入ってきたときの開き方。
リンは顔を上げるべきか少し迷う。だけど訪問主は、レンの言葉ですぐにわか
った。
「兄ちゃん。どうだった?」
レンの声が離れる。KAITOの元へ駆けていったのだろう。KAITOがワンテンポ遅れて返事を返す。見られたような気配を感じた。
「……ごめん、まだわかんない。マスター寝ちゃってるみたいだから」
「………あ、そう…」
マスター。
早くマスターに聞きたい。
何で、ロードローラーを消してしまったのか。必要ないとでも思ったのか。だったら、ロードローラー専用ファイルだって、もう必要ないはずだ。だから何かの間違いだと何度も言い聞かせて、それでも不安でたまらない。
今日、消されたファイルは全部でいくつあっただろう。
「じゃあ、もう明日かな。……リン」
レンが少し強い口調でリンを呼ぶが、リンは答えない。上手く声も出ない。
「もう寝ろ。明日にはマスターと話せるから。夜中起きてきたら兄ちゃんが話聞いといてくれるから」
「え、おれ?」
おれ、ずっと起きてろってこと?
KAITOの小さな呟きが聞こえたが、レンは無視した。リンもそれには返せない。
「……何で……」
「ん?」
「何で、消しちゃったのかなぁ……」
「リン?」
独り言のように呟くと、レンが気になったのか近寄ってきた。リンは声を抑えて──それでも、発声せずにはいられない。
「私の、大切なもの消すなら、もう私も、要らないってことかな……」
嫌われてるのか。だけどリンはレンとセットだから。リンを消すとレンまで居なくなる。だから、まだ消されてないだけなのかもしれない。
そこまで考え始めたリンの思考を読んだのか、レンが大きなため息と共に……リンにゲンコツを食らわせた。
「痛った、何すんのよ!」
思わず顔をあげると見下ろすレンと目が合った。
レンは少し驚いた顔をして、何故か安心したように笑う。
「何だ、泣いてないのかよ」
「泣いてないって言ってるでしょ!」
「だったら馬鹿なこと言うのやめろ。マスターも馬鹿なんだからな。お前にそんなこと言われたら泣くぞ」
「えー……」
レンが隣に腰を下ろす。苦笑する気配は少し離れたところから。
KAITO兄。
「じゃ、おれは帰るよ。明日マスターが起きたらすぐ聞きに行けるように、今は寝といた方がいいよ」
「ああ。……そういやミク姉は?」
レンの問いかけに思い出す。このフォルダには、ミクも居る。そういえばずっと帰ってきていない。
「……ミクは影響受けやすいから。そこに居るとリンの悲しみが伝染しちゃうからね。今姉さんと居るよ」
「じゃ、今晩はそっち?」
「かもね。リンも、まだ何もわからないんだから悲しむのは止めて。リンが悲しいとみんな悲しい」
「うん……」
KAITOの言葉には思わず素直に頷いて。それにレンが不満げな顔をするのが見えて、少しだけ、リンはおかしくなって笑顔を見せる。
「あと、マスターのことも信用してあげてね。あの人あれで傷つきやすいから」
「……うん」
今度は本当に笑いがこみ上げて、笑顔全開で答えると、KAITOとレンがほっとしたように息をついた。
「じゃあおやすみ」
「おやすみ」
「おやすみー」
フォルダが閉じる。
デスクトップからの明かりが消えて、少し暗くなる。
「ねえレン」
「何だ?」
隣に座ったままのレンに、視線は合わせずに問いかける。
「今日いっぱいファイルが削除されたでしょ」
「ああ」
「あの中に、大切なものがあった人とか居ないのかな」
「…………」
リンたちの歌ったファイルも、いくつか削除された。同じ歌を何パターンかで収録したものがあるのだ。消されたものは、必要のない方。もう二度とあの歌い方では歌
えない。
「消えるって寂しいね」
それは初めて味わう、喪失感。
「………………ああ」
長い間を置いて、レンは頷きだけを返した。
「初めてのときは、あんたも結構騒いでたわよね」
「……そりゃあね」
KAITOはMEIKOの膝の上で眠るミクを見下ろす。泣き疲れたのか、僅かに涙の跡。初めてパソコン内整理を目撃したとき。ここまで大げさに騒いだ覚えはないけれど、それはリンにとってのロードローラーほど、大切なものがあったわけではないからだ。
「一緒に過ごした物が減っていくのは寂しいよ。例えそれが重荷でも」
あると余計な負担はかかる。だから切り捨てていかないと、それ以上進めなくなる。多分、人間と同じだ。
「やっぱりそういう感覚なのねー」
MEIKOはいつの間にかワンカップを手にしていた。左手でミクの髪をなでながら、KAITOに笑いかける。
「広くなって快適になって歌いやすくなって。それでいいって思わない?」
「それはそれで思うけどね」
新しい環境への喜びは、やっぱり強い。
この整理を、心待ちにしているときだってある。特に最近はパソコン内の住人も増えて、動きに支障が出ることも多かったから。
「ま、私たちだっていつか消えちゃうんだろうし、いちいち気にしてたら身がもたないわよ」
それはきっと、誰よりも長くこのパソコン内に居るMEIKOだから。そういえば、MEIKOがインストールされたのは、マスターのパソコン新調と同時だったと聞いた。一番初めから、MEIKOはこのパソコン内に居たのだ。
「おれが来る前にも、整理はあったよね」
「当たり前でしょ。半年に一回っていうか、大体は何かのきっかけごとよ」
ミクが来る前に。リンとレンが来る前に。
KAITOが来る前に。
「姉さんが一番寂しかったんじゃない?」
「何で」
「まだおれが…おれたちが居ない頃でしょ?」
消えていくファイル、アンインストールされていくソフト。
それを、一緒に見守る人が居ない。KAITOはずっとMEIKOと一緒だったし、ミクもそうだ。リンとレンも、やはりずっと一緒に居た。
「あんたが来る前が、そういえば初めてだったかしらね」
MEIKOは少しワンカップを持ち上げて、懐かしむように遠い目をする。
「寂しかったのかなぁ……」
ぽつりと、呟くように続けられた。KAITOは無言でそれを見守る。
「でもまあ、私はさっき言った通りよ」
「え?」
MEIKOがKAITOを見て、にっと笑う。
「整理のあとに、広くなって快適になって歌いやすくなって……弟が出来た。寂しかったとしても、忘れちゃったわ」
笑う姉は常に前向きで。マイナス感情を引きずらない。
だから、救われる。
「そうか……そうだね」
すやすやと、気持ち良さそうに眠るミクを覗き込む。
別れのあとには、必ず出会いがあったのだ。
「うっわー!」
デスクトップにどんと居座るロードローラー。
派手なライトや角のように尖った部品。何故かリンのような巨大なリボンまでつけている。
「ありがとうマスター! じゃなくてそのお友達!」
ロードローラーはこの改造のために、一度これを作ったマスターの友人のもとへ引き取られていたらしい。スピードもパワーもアップ。更に障害物感知機能がついて、大切なものまで壊してしまわないようになっている。……多分メインはこちらなのだろうが。
「すっごーい、リンちゃん私も乗せてー!」
「いいよー! ほら、シートも綺麗になってる!」
はしゃぐリンとミクがロードローラーに飛び乗る。
レンは冷めた目でそれを見ながら……ちょっと乗ってみたいと心の中でだけ思う。
今までより容量はでかくなったけど、今までより快適な空間で思う存分に走れるロードローラー。
こんなことがあるなら、この大整理も嬉しい出来事になりそうな気がした。
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