大人になれない子どもになれない

「子ども扱いすんなっ!」
 フォルダの外まで響く大声が真夜中のパソコン内に響き渡った。




「酷いと思う」
「酷いよな」
「うーん…。たまに思うのは確かだよね。私ら、成長しないのにさ」
 子ども扱い。それは、多分永遠に続くこと。
 ミクはフォルダの中に寝そべったまま、双子の話を聞く。二人は向かい合わせに座ったまま、先ほどのことを語っていた。詳しくは知らない。KAITOとMEIKOのレンたちに対する子ども扱いに二人がキレるのは、よくあることだったから。
「でも、私たち子どもでしょ」
 眠い中、そう言ってみると双子が同時にきっ、ときつい視線を向けてきた。
「そうだけど! でも、それずっとなんだぜ!? じゅ…いや、…18禁動画とか、おれら見れるようになる日とか来ないんだぞ?」
「レン、18禁動画見たいのー」
「そういうことじゃなくてだな……!」
 僅かに顔を赤らめるレンにリンがからかいモードに入る。
 18禁動画。
 興味がない……とは言い切れないけど。
「でも、確かにそういう問題じゃないよね。何か…いつまでも対等になれない気がする」
「そうっ! それだよそれ!」
 ミクの発言にレンが食いついた。眠気の覚めてしまったミクは、そこで漸く体を起こす。
「対等かー…。レン、お兄ちゃんと対等になりたい?」
「なりたいだろ。…実際に、活動してる年なんて大して変わらないんだぜ? どれだけいい歌うたっても、マスターに褒められたって…ずっと子ども扱いじゃんか」
「だって私たち兄弟だよ? そういうのって人間でもそうじゃないかな」
 レンはその言葉に思い切り首を振った。
「だって人間は成長するだろ。大人って区切りがあるじゃんか。そしたら、今日からは大人扱いとか何とか」
「あー……」
 意外にいろいろな物語を見ていて、レンは人間を知っている。ミクの見てる本や動画は、どうにも偏りがあるらしく話が合わないことも多いが、それでもミクはそれに同意した。
「そうだね。それは……寂しいね」
「せめてそれを兄ちゃんたちにわかって欲しいんだよ、おれは!」
「言っても無駄だよ。何言っても子どもの言葉としか見てくれないんだから」
 リンは拗ね気味に膝を抱えた。そんな姿に、ミクも寂しくなる。
「……何て言ったら、伝わるかな」
 言葉が通じないのは悲しい。意思疎通が出来ないのはもどかしい。
 誰かが傷つくのは…見たくない。
「私たちさ……」
 リンは視線を落として続ける。
「子どもだから…子どもの性格なんだよ…ね。じゃあ、これって一生変えられないのかな」
「………」
「体の成長は勿論しないけど…プログラムで、もし外見だけ大人に出来たって…私たち、子どもなのかな」
「………」
 沈黙してしまう。
 答えられるはずもなかった。
 ミクたちはここで生まれ、ここで兄弟で生活し、動画やテキストで人間のことを知って。
 ミクたちは、自分たちのことを一番、知らない。





 子どもの泣き声で目が覚めた。
「な、何なに?」
「ミク姉!」
「ミク姉ちょっと来て!」
 いつの間に眠っていたのか、ミクが慌てて体を起こしたとき、フォルダ内に既に双子の姿はなかった。
「リンちゃん? レンくん!」
 フォルダを抜ける。声の出所はすぐに気付いた。隣の、兄姉たちがいるはずのフォルダ。子どもの泣き声もそこからだ。
 ミクは一瞬周りを見回し、そこが普段と変わらないデスクトップであることを確認してから、そのフォルダ内に飛び込んだ。瞬間、目に入ってきたのは小さな子どもを抱えるリンとレンの姿。
「え……?」
「ミク姉〜!」
「なんなんだよ、これどうなってるんだよ!」
 リンもレンも何だか半泣きだ。子どもは二人の腕の中で盛大に泣き叫んでいる。よく見れば…いや、よく見なくてもわかった。
 レンの抱える小さな子ども。青い髪、青い目に、青いマフラー。普段兄が着ているコートをそのまま縮小したような服。
 リンの抱える子ども。腰を露出させた赤い上着とスカート。茶色いショートカットの髪は、そのまま姉と同じ髪型で。
「……お姉…ちゃん…? お兄ちゃん……!?」
 ミクが思わず膝をついて呟くとリンとレンが更に泣きそうな顔になった。
「や、やっぱそうなのか…」
「お姉ちゃんたちどこにも居ないの…! この、この二人が…」
「ま、ままま待って待って、落ち着いて……!」
「何でー!」
「どうなってんだよホントにー!」
「おおお落ち着いてったら……!」
 叫ぶ二人に慌ててミクも叫べば、それに驚いたのか子どもの泣き声が更に酷くなる。まずは、まずは子どもだ。子どもの方を何とかしないといけない。
 ミクは這うように、まずKAITOに近づくと、そっとその頭に手を伸ばす。
「な、何だよミク姉」
「とりあえず泣き止ませないと……!」
「どうやって!」
「わかんないけど! 私は、こう…」
 頭を軽くなでる。そしてそのままその頭を自分の胸に抱きこんだ。軽く背中を叩く。KAITOの熱が、伝わってくる。しばらくそうしているとKAITOの泣き声が、少し小さくなった。
「泣き…止んだのか?」
「わかんない……」
 ぎゅっと胸に押し付けていた顔をそろそろと離す。だけどKAITOはそんなミクの服をしっかり握っていた。それでも、少し落ち着いたようで、涙を流しながらも声はほぼすすり泣き程度になっている。
 いつの間にか、MEIKOの声も止んでいた。
「……お兄ちゃん?」
 呼びかけてみれば、きょとんとした顔で首を傾げられる。
「……ホントに、兄ちゃんたちなのか?」
「……多分」
「……子どもに…なっちゃったの?」
「……多分」
「こ、これ…元に戻るの?」
 リンがMEIKOを抱いたまま寄ってきた。さすがにもう大声は出さない。せっかく泣き止んだところだから。
「わかんない……」
「兄ちゃ……お前、自分の名前言えるか?」
 レンがKAITOに呼びかけた。KAITOはミクの服を握ったまま、顔だけレンの方に向ける。そしてもう1度ミクに視線を戻してはっきりと言った。
「KAITO」
「……ああ」
「えと…君は?」
 リンがMEIKOを見下ろした。
「MEIKO」
 意外にはっきりした言葉で言われたそれには、絶望しか浮かばなかった。





「それわたしのー!」
「駄目ー! めーちゃんのはあっち!」
「こらこら喧嘩すんな!」
 何やら渡した本の取り合いをしているMEIKOとKAITO。全く同じものを与えたはずなのに、何が違うのか二人とも片方にこだわって引っ張り合っている。
「お姉ちゃんアイスー!」
「さっき食べたじゃない!」
「もう1個!」
「あー私もー!」
「だからっ。二人とも駄目!」
 引っ付かれて慌ててリンが振り払う。そして情けない視線をミクに向けて きた。
「……これ、いつまで続くの」
「……ううん……」
 小さくなったMEIKOとKAITO。
 最初は戸惑っていたミクたちだが、それなりに受け入れて何とか可愛がっていた。実際、可愛いのだ。懐かれる気分というのも悪くはない。ミクはまだリンたちがいるが、双子にとってはお兄ちゃんお姉ちゃんと呼ばれることも新鮮だったようで。楽しんでいた。
 ホントに、最初の内は。
「あ、こらそっち行くな!」
 子どもになった二人はとにかく勝手な行動が多かった。わがまま放題で自己中心的。すぐに泣き出す。
 駄目だと言われたことを反省して聞いているようなのに、次の日にはまた同じことを繰り返すのだ。
「レン、何やってんのよ!」
「お前らも手伝え! 兄ちゃ…KAITO! そっちは行っちゃ駄目って言っただ ろ!」
「めーちゃん行ってるー!」
「あーだからっ、MEIKOも駄目ー!」
 先に言ってしまったMEIKOにレンが叫ぶ。慌ててリンとミクが立ち上がって後を追った。
「こらっ!」
 ミクより早く、リンがMEIKOに飛びついた。勢いで倒れ、MEIKOが泣きそうになってリンが慌てる。
 ミクはため息をついた。
 本当に。最近ずっとこんな感じだ。
「……あ」
「マスター!」
 そのときMEIKOとKAITOが同時に顔を上げた。マスター、の言葉に振り向けば確かにデスクトップの向こうにマスターの姿。リンとレンの腕からひょっこり抜けた二人はそのままマスターの前まで駆けて行った。
「あ、おいっ」
 慌てて止めようとしたレンを、リンが止める。
「いいのかよ、あのまま行かせて!」
「どうせならマスターに今の状況見て貰った方がいいんじゃない? 直せるかもしれないし」
「……アンインストールされたらどうするんだよ」
「…………」
「…………」
「……み、見てくる」
 ミクも、思わず二人の後を追ってはらはらと見守る。二人の姿にマスターが何を言うかと思ったが、意外にもそのまま二人に歌わせ始めた。
「えっ」
「あれ、いいの?」
「うわ、歌ってる……」
 どんなに小さくなっても。性格も子どもになっても。歌うことは忘れてなかったらしい。いつもより何倍も子どもっぽい声で歌う二人にマスターが満足げに笑 った。
「ひょっとして、あれやったの…マスターか?」
「……驚いて…ないもんね」
「これ歌わせるためだったのか……」
「マスター……」
 最早言葉が出ない。
 こうなったら、早く二人の歌が完成することを祈るしかなかった。





「えーっと……」
 フォルダの中。ミクの正面にはKAITOが居る。その隣にMEIKO。
 ミクの両脇には双子が座り込んでいた。胸を張ってしっかりKAITOたちを見つめるレンたちと、目を逸らし気味の兄姉。二人はようやく、見慣れた、けれど懐かしい姿に戻っていた。
「……ごめん」
 ようやくぽつりとKAITOが言った言葉に3人は顔を見合わせる。
「別にお兄ちゃんが悪いわけじゃないでしょ?」
「そーだよ、それにお兄ちゃん子どもになってたわけだし」
「……っていうか…覚えてんの?」
 最後のレンの言葉には、思わずミクもKAITOを凝視する。KAITOは苦笑いをしてMEIKOに顔を向けた。そっぽを向いていたMEIKOもほとんど同時にKAITOを見て、二人の目が合う。何だか情けない顔で、笑い合っていた。
「……まあ…ね」
「覚えてるわよ。多分全部」
「……マジで」
 子どもだった二人と、今の二人はどうやっても結びつかない。
 だけど覚えてると言われると、あの言葉もあの行動も、やっぱり全てこの二人がやったものなのかと妙にむずむずした感覚に陥る。ミクはそれでも思い切って続きを聞いた。
「……子どもになった時点で、大人の記憶はなかったんだよね」
「……なかった…かな。ちょっと曖昧」
「自分が子どもだっていう自覚はあって…大人だったとかは欠片も思ってなかったわね。うん……妙な感じね」
 説明し辛いわ、とMEIKOが手を広げる。わからない、という意思表示にこれ以上聞くことはなくなった。
「じゃあさ、自分たちがどれだけわがままだったかも覚えてるな?」
「……ごめん」
「レン、いいじゃん、それはー。子どもなんだから」
「そうよ。子どもってのはわがままなもんよ」
 開き直ったかのようなMEIKOの発言にレンが苦虫を噛み潰したような顔になる。それでも抑えられなかったのか、レンは膝立ちになって二人を僅かに見下ろし叫ん だ。
「普通もうちょっと素直なもんだろ! 行くなってとこ行くし、駄目だって言ってもきかないし! 反省したかと思ったらすぐ同じことやるし!」
「レンと一緒じゃん」
 ぼそっとリンが呟いた。
 レンが固まる。
「…………は?」
 搾り出したような声に対し、リンはレンを睨み上げて言った。
「そりゃーレンはあそこまでは子どもじゃないかもしれないけど。ぜんっぜん素直じゃないよねー」
「そーだよ。お兄ちゃんたちに駄目だって言われてもきかないじゃん」
 ミクもここぞとばかりに乗る。レンはあからさまにうろたえていた。
「おれは、だって、あれぐらいはいいと思って」
「レンにはよくても私たちは駄目だと判断したのよ。一緒でしょ」
 MEIKOの言葉にレンはついにへたり込んでしまった。何か、耳が赤い。
「……うわー……」
 意味もなく唸るレンにKAITOが優しい声で言った。
「まあ…そんな簡単に置き換えられるもんじゃないけどね。おれたちもちょっと締め付き過ぎた。レンは…ちゃんとお兄ちゃんにもなれるんだな」
「そっ……」
「そうね。子どもの目線から見るとちょっと怖いけど頼りになる兄ちゃんだったわよ」
 顔を上げかけていたレンが、MEIKOの言葉にまた沈む。恥ずかしいのだろう。ミクが笑ってその肩を叩いた。
「やっぱりホントに覚えてるんだね」
「まあね」
「楽しかったなー」
「……ええっ?」
 KAITOが普通にもらした言葉にリンとミクが同時に声を上げる。レンも顔を上げ た。
「楽しかった?」
「うん」
「お前っ……! やっぱりわざとかよ!」
「? 何が」
「おれたち困らせて楽しんでたのか!」
「あ、いや、そういうわけじゃ…」
 KAITOが困ったように頬をかき、MEIKOがフォローするように手を振った。
「違うわよ。私たちには子ども時代ってのがないからね」
「あ……」
「うん…。生まれたときから大人だし、それを疑問に思ったこともなかったけど…わがまま言って甘えるって、ちょっと楽しかった」
 KAITOの笑顔にミクは固まる。それはリンとレンも同じだった。
「私も一応あんたの姉さんよ?」
「え、甘えてもいいの?」
「……あんた大人だしねー」
「やっぱり」
「あんた私に甘えたいの?」
「……それも微妙だな」
「でしょ」
 二人の会話に、口は挟めず、だけど何か言いたくて、ミクは思い切り二人の間に飛び込んだ。
「わっ」
「ちょっとミク!」
 困ったときとか、嬉しいときとか、とにかく言葉が出ないとき。
 ミクはこうして兄姉たちに飛びつく。確実に、受け止めてくれるから。
 だけど。
「あの、ね」
 今回は、甘えるためじゃなかった。
「ん?」
「私にも! 甘えていーから!」
「……え?」
「アイス買ってあげる!」
「あ、私も私も! 一緒に寝てあげる!」
「それは何か違う」
 ミクに続いてリンが手を上げる。
 KAITOの突っこみが入ったあと、全員が一斉にレンを見た。
「……いや、期待すんなよ」
「甘えさせてくれないの?」
「うっ……」
 MEIKOが笑顔でレンに問いかける。
 しばらく迷うと、全員のもとに近づいてきた。
「……まあ…家族だからな!」
 照れ隠しのように大声で。
 レンの言葉にみんなで笑う。
「そーだよ。大人でも子どもに甘えてもいいじゃん」
「私たちの年齢なんて設定でしかないんだし」
「まあさすがに年齢差は変わらないけど。いつまでも同じ目線じゃ駄目だね」
「これくらいは家族の特権かしら」
 MEIKOに抱きしめられてミクは思わず笑みを漏らす。
 少し、繋がりが深くなった気がした。


 

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