What's この感情

 同じフレーズが何度も何度も繰り返される。膝を抱えて座り込んでいるレンは、聞いている内に覚えてしまった歌詞を兄と一緒に口ずさむ。兄は気付いているのかどうか、ただマスターの指示に答えてひたすら歌い続けていた。
「リンー」
 リズムに合わせて何となく体を揺らしながら、自分の背後にいるはずの双子の姉に声をかける。予想通り、答えは返ってこなかった。背中合わせに座っていたリンは、いつの間にか完全にこちらに体重を預けていて。その重さが段々増してきていたのには気付いていた。寝息は聞こえてこないが、眠っているのだろう。デスクトップの時計に目を落とせば、KAITOが歌い始めて既に4時間以上が経過していた。
「わっつ、このこうどー」
 気の抜けた兄の歌い方を真似ながらレンはKAITOの見ている方向に目を向ける。薄い液晶越しに見えるマスターの姿。自分たちボーカロイドは、その気になれば何時間でも歌い続けることができるが生身の人間にはきついだろう。マスター越しに見える外の世界は真っ暗だ。窓から見える隣家の明かりが既に消えているのまではっきりと確認できる。
『わっつ、このじょうきょー』
 気付けば兄の声と自分の声が重なっていた。そういえばこの歌詞はどういう意味なんだろう。
 そう思ったとき、ついにマスターが作業の中断を決めたらしい。淡々と、これまでの情報を保存するかマスターに聞くKAITO。保存が終わるとマスターとKAITOの繋がりが消える。ついでに電源も落とされるようだった。
 パソコンが完全に消える前に、KAITOがレンの元へやってくる。レンはちらりと背後のリンを振り返ったが、まだ目は覚めていないようだった。
「お待たせ。……で、いいのかな」
「え?」
「いや、ずっと居たから。何か用だった?」
 KAITOがレンの前に座り込む。ちょうどそのとき、デスクトップの電源が落ちた。薄暗くなったその場で、レンは思わず外に目をやる。
「別に…暇だっただけなんだけど」
 レンには暇なときにネギを振る趣味もなければロードローラーを走らせることも出来ない。酒だって飲めない。リンが眠ってしまえば、もうそれ以上レンにやることはない。
「さっきの歌」
「ん?」
 だから何気なく聞いた。先ほどまでKAITOが歌っていた歌は何なのかと。マスターのオリジナルソングではないらしい。その割に随分時間をかけて調整がされて いたが。
「面白いよね。おれたちが人間に恋する歌ってとこかな」
 レンはその曲がマスターにとって何なのか聞いたつもりだったが、KAITOは歌の内容について聞かれたと思ったらしい。思わずそれぐらいわかる、と返せば笑われ た。
「人間に恋するってありえるのか?」
「真面目に聞かれても困るなー。レンはどう思う?」
「……おれ、会ったことある人間ってマスターぐらいだし」
「マスターは恋愛対象になる?」
「なるわけないだろ! あれ男じゃんか!」
「女だったらありえるんだ」
「う……」
 反射的に答えて、言葉に詰まった。そうか。問題は男女の違いじゃないんだ。
 ならばどうなのだろう。
 人間と同じ外見を持ち言葉を喋り感情を持った自分たちなら「そういった感情」を人間に向けることはひょっとしたら、可能なのかもしれない。
「……でも、なしだよな」
「何で?」
「おれたちこのマスターのことだって全然知らねえじゃん。しょちゅう独り言ぶつぶつ言ってて、作る曲は甘ったるいのが多くて、なのに恋愛経験全然なくて、メイドさんと巨乳が好きで、時々凄くハイテンションで、ゲームが下手で、集中すると何時間でもパソコンやってて……」
 言いながらレンは何となく気まずい顔をKAITOに向けた。
 「それぐらいしか知らない」と結びにくくなってしまった。
 しばらくレンを眺めていたKAITOも耐えかねたように笑い出した。
「どこで突っ込もうかと思ったけど」
「突っ込むな。いや、わかった、あり! ありかもしんない!」
 でもおれはなし!
 真面目に考える気もなくなって適当に叫ぶ。
 レンの言葉にやはり笑ったままだったKAITOはそのままの顔で続けた。
「レンはさ、マスター老けたって思う?」
「は?」
 唐突な言葉に呆気にとられるが、一瞬のち、言ってることを理解して首を 振る。
「わかるかよ、おれらまだ来て半年も経ってないんだぞ」
「だよねー」
 でもおれは何となくわかる、とKAITOはどこか遠くを見ながら呟くように言った。そして立ち上がると液晶へ向かって手を伸ばす。
「変わらない僕と止まらない時」
 KAITOが口にしたのは先ほどまで歌っていた歌の一節。歌ではなく、淡々とした言葉だった。
 液晶の先にはもう何も見えない。電源が入らない限りマスターの姿を見ることはない。
「この理を狂わすバグは無いかな」
 どきっとした。
 歌で聞いているときは何とも思わなかった言葉。だけどよく考えると怖かった。バグ、なんて、自分たちがもっとも恐れるものに頼ってでも変わりたいと思うのか。
 体が動いたせいか、背後のリンがずり落ちそうになって慌てて体勢を整える。だがリンはそれで目が覚めてしまったようだった。
「……あれ…終わったの?」
 寝ぼけ眼のままぱちぱちと目を瞬いている。ぼんやりしたまま、リンはKAITOの方に焦点を当てたようだった。
「まだ途中。今日は多分終わりかな」
「何か難しそうな歌だったもんねー」
 リンはあくびをしながら体を伸ばす。それに押されるような形になりながらレンは聞いた。
「難しいか?」
「難しいよー。私には無理」
「おれもう覚えたぞ」
「覚えたって無理。レン、恋心知ってる?」
「はあ?」
 背後から回り込んできたリンがレンを覗き込んで笑う。もう完全に目が覚めたらしい。覚醒が早い。
 戸惑っているとき、KAITOも側に来て突然その節を歌った。
「恋心を知っているから、恋の歌の意味だってわかる」
 そのまましゃがみ込んでリンと同じようにレンを覗き込む。そして笑った。
「レンにはまだ早いな」
「なっ…何だよ、それ!」
 意地の悪い喋りはKAITOには珍しく、声が裏返ってしまったレンはごかますように大声を出した。
 うわ、何か恥ずかしい。
 横でリンも俯いて笑っている。思わずその震える肩をこずいた。
「で、お兄ちゃんは歌えるの?」
 リンはそれをさらりと流して今度はKAITOを見上げる。KAITOは先ほどレンに向けたのと同じ笑顔で答えた。
「なかなかマスターにOK出してもらえない」
「……だよねー」
 それであんなに時間がかかっていたのか。
 レンは納得して一人頷く。
 何度も何度も指示を変えて、一体何が気に食わないのかと思っていたけど。
 だけどリンは更にもう一言付け加えた。
「三次元デビューは要らないもんねー」
 うん、微妙にずれる。
 KAITOの答えの意味はわからず、それでもレンはとりあえず頷いておいた。





「わっつ♪このかんじょー」
「何、その歌」
 気が抜ける。
 起き抜けに聞こえてきたその歌に寝起きの不機嫌さでMEIKOが問えばKAITOは「おはよう」と挨拶だけ向けてきた。そしてそのまま視線を戻し、また歌い続けて いる。
「機械が人間に恋をした、映画なんかでもよくある話♪」
 MEIKOとは対照的にKAITOの機嫌は良さそうだ。隣に並んでも歌を止めない。
「だけど実体があるだけいい、僕はアプリケーションソフトウェア♪」
「……そんな楽しい歌なの、それ」
 曲調は明るい。だけど、それは多分切ない歌なんじゃないだろうか。しかも物凄く身に迫る。
 KAITOは首を傾げるが、結局そのまま歌い続ける。MEIKOは仕方なく側で黙って聞いていた。歌の邪魔はされたくない。それは多分兄弟全員共通の感情だろうから。
「君がいないと寂しいな、深刻なエラー消えれば軽くなるの♪」
 KAITOの歌は軽いテンポと明るい声と裏腹に、やっぱり切なかった。どう考えても込められた感情があってない。それでもMEIKOは目を閉じてじっとそれを聞く。叶わない恋をするアプリケーション。どんなに頑張ったところで恋の相手と触れ合えない。想いを伝えることすら出来ない。いつか触れ合えるときが来ても、多分そのときもう相手は居ない。誰にも教えてもらえない、その感情の行き先。
「コイするアプリ、君と笑って泣いて。一緒にいる夢いつか見てみたい」
 ただ無闇に明るかったKAITOの口調に、少し感情がこもった。思わず顔を上げると、目が合った。いつの間にこちらを見ていたのか。少し気恥ずかしくて目を逸らすが、その瞬間、頬に何かが触れた。
「……何よ」
 KAITOの右手。軽く押されて視線を戻される。KAITOが、にっと笑みを向けてき た。と、同時にその顔が視界から消える。ふわりと抱きしめられていた。
「……だから何よ」
 MEIKOの肩に顔をうずめたKAITOはただ機嫌が良さそうに笑っている。
「おれ、やっぱりこの歌無理だ」
 顔の触れる肩がくすぐったい。腕ごと抱きしめられてしまったので上手く押し戻すことも出来ない。
「何諦めてんのよ」
 KAITOらしくない。どんな歌でも歌ってみせると以前言ってたのではなかった か。
 少しむっとして言えば漸くKAITOの笑いが収まった。顔を上げたKAITOは、それでも笑顔だったが。
「うん、ごめん。でも無理」
 抱きしめる腕に力がこもる。
「おれは、触れられる」
「……」
「伝えることも出来る」
「……」
「……幸せすぎて駄目だ」
 ……そういう、ことか。
 歌があまりに自分に近くて、そしてあまりに遠くて。
 MEIKOも思わず笑みを漏らしたが、すぐに引き締めると右腕だけ抜いてKAITOの顔に触れた。
「でもねKAITO」
「ん?」
「私は、どんな歌でも歌いこなすあんたが好き」
「……そうくるか」
「頑張れ」
「えー」
 KAITOがゆっくりと離れる。ちょうどそのとき、2人のいるフォルダが開かれ た。
「呼んでるわよ」
「……懲りないなぁマスター」
 まだ朝早いのに。
 KAITOは拗ねた顔で不満を言いつつマスターの元へと向かう。MEIKOも一緒にフォルダを抜けて、デスクトップ上に座り込んだ。液晶越しに見えるマスターの世界は明るい。あそこに行きたいと思ったことは一度もないけれど。もしもあそこに居るのがKAITOなら。
 ……何だ、歌えるじゃない。
 KAITOの歌が始まる。
 MEIKOもそれに合わせて小声で歌い始めた。
「What's この感情♪これってきっといわゆるLove」


 

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