暴走の始まり

「止めて止めて止めてーーーーー!」
 フォルダの外から聞こえてきた大声にミクは目を覚ました。





「おはようミク」
「おはようお姉ちゃん……。ねえ、あれ…」
「フォルダから出ちゃ駄目よ」
「うん……」
 ミクは言われた通り顔だけ出して下を見下ろしている。デスクトップの草原を走る車。普通の車と随分違った。タイヤが横に長い。というか繋がっている。運転席らしき場所には…リンの姿。ハンドルを握って右に左に回しているようだが、車はただ真っ直ぐに走っていた。辺りの草花を押し潰しながら。
「どいてーーーーーー!」
 そしてその前を走っていたのはKAITOとレン。二人とも必死だ。止まれば多分、草花のように押し潰される。しばらくぼんやり見ていたミクだったがリンの叫びで漸く我に返った。
「お兄ちゃんたちが危ない…!」
「……うん、そうなのよ」
 隣のフォルダから下を覗き込んでいるMEIKOは何だか淡々とした声だった。だけどミクにはわかる。多分MEIKOは焦っている。焦って、焦っても仕方ないと言い聞かせて…思考を停止した。いつもならそこでKAITOやレンのツッコミが入るのだが今日はそれを望むのは不可能だ。
「お兄ちゃん! レンくん!」
 叫んでみるが二人はこちらを見上げもしない。そんな余裕はないだろう。声が届いてないのかもしれない。リンはハンドルを握ったまま泣きそうな顔をしている。制御が出来てないのだ。ミクはデスクトップの外に目をやる。マスターは…来てない。次にウイルスバスターを見た。沈黙している。それはそうだ。あれはウイルスではない。
「……あれ。何なの」
 そこで漸くミクはその車について尋ねた。MEIKOが少し遅れて反応を返す。
「ロードローラー。マスターのお友達がリンにくれたの」
「ロードローラー?」
 そういえば、タイヤはローラーみたいだ。ロードは…ロードってどういう意味だっけ。
 ミクが悩んでいるのには気付かずMEIKOは続ける。
「道路工事用の車なんだって。そんなもの、ここには必要ないのにねぇ…」
 MEIKOの声は落ち着いていた。視線は確かに走る二人にいっているのに。だけど、あの速さなら多分このまま追いつかれないのだろうとは思った。走り続けたところで人間のように疲れるわけではない。このままマスターが来るまで逃げていれば…。
 そう思ったときリンの悲鳴が聞こえた。咄嗟に目をやると、KAITOとレンの先…ロードローラーの先に建物。行き止まりだ。
「止まってぇぇぇぇ!」
 リンの悲痛な声。がちゃがちゃと操縦席内で何かを動かしている。ロードローラーは何も変わらず走り続ける。そのとき、僅かにKAITOがレンの方に寄った気 がした。
「ぶつかる……!」
 KAITOとレンが建物に辿り着く直前。KAITOがレンを抱えて横に飛んだ。上手く着地できずその場に倒れる。ロードローラーは僅かにきしんだ音を立てて方向を変えかけたが……そのまま建物に激突する。
「わああっ」
 勢いでリンが操縦席から滑り落ちた。それで、ロードローラーは完全に停 止した。





「で、何だったの」
 ミクたちのフォルダの中。全員が揃っていた。ロードローラーは外に放置してある。エンジン音が聞こえた気がしたが誰もそれには気付かない振りをしていた。
「……運転…してみようと思ったんだけど…」
 リンは正座して膝の上で拳を握り締めている。少し肩が震えていた。怖かったのかもしれない。ミクは何となく、そんなリンに体を寄せる。
「運転…になってなかったわね」
「違うの! あれ、普通に操縦できないの!」
「は?」
 リンが叫ぶと正面にいたレンが「あー」と思い出したように唸る。
「操縦席なんて飾りだって言ってたっけ」
「誰が」
「マスターの友達」
 ハンドルを回しても何しても止まることもなければ方向転換することすらなかった。ただひたすらKAITOたちを追っていた。そういうことだったのかとミ クは納得する。
「でもそれじゃあどうやって動くの?」
 聞いたのはKAITOだった。先ほどまで命の危機にあったと思うのだが既に呑気に笑っている。普段から割と乱暴な扱いをされているので慣れてるのかもしれない。
「私の意志…って言ってた」
「リン。おれたち潰したかった?」
「違うって!」
 KAITOの言葉にリンが慌てたように声を上げる。KAITOの声は本気とも冗談ともつかない。そんなKAITOを見るだけ見てMEIKOがリンに視線を戻す。
「一から説明して。マスターのお友達からあれを貰って」
「運転してみようと思って乗り込んだの」
「すぐに動いたの?」
「レンとKAITO兄ちゃんが居たから、あの二人のところに行こう、って思って…」
「なるほど…」
 MEIKOと一緒にようやく全員が納得した。だけど…。
 ミクはふと疑問に思う。
「止まってって言ってるのに止まってなかったよね…?」
「うん……」
「何で」
「わかんない。私が側に居ないと暴走するとは聞いてたけどずっと乗ってたわけだし…」
 何でだろう。
 全員が考え出す。
 リンがさらりと言った恐ろしい事実には誰も触れなかった。誰も、気付かな かった。





「リンー! どうにかなんないの、あれはー!」
「だだだだって、私、さっきだって……!」
「っていうか何で持ち主まで追われるんだよ…!」
「暴走止める方法とか聞かなかったのっ」
「そんなに離れないと思ってたんだもんー!」
「ああっ、ファイルが!」
 ぐしゃ、と何かが潰された音。振り向いても迫るロードローラーしか見えない。あそこにあったファイルは何だっけ。
 考える間もない。ミクたちはひたすらファイルの間を抜け走っていた。暴走を始めたロードローラーは、フォルダもファイルも巻き込みながらミクたちを目指してくる。最早道も何もない。ただ一直線だ。
「ウイルスより酷いじゃないのよ、これじゃ……!」
「……マスターが見たら何て言うかなぁ…」
 デスクトップの惨状には最早苦笑いしか出ない。潰されたソフトとか、無事だといいけど。
 デスクトップ上にあるのはほとんどショートカットなので大丈夫だとは 思うが。
 もうそれぐらいしか考えることはなく、機械的に手足を動かしながら段々恐怖が薄れてきてしまった。多分そのせいだったと思う。
「あっ……!」
 何かに躓いた。ファイルの残骸。いつの間にか同じところを回っていたのだろう。それよりも足が止まった数秒──。
「ミク姉…!」
 ミクの後ろを走っていたリンが少し通り過ぎて急ブレーキをかける。転んだミクの側にしゃがみこんだ。そしてその声で前の3人も気付く。
「ミク!」
「やああああああ!」
 リンがミクの頭を抱えて叫んだ。ミクが振り向く間もない。間近に迫ったロードローラー。
「止まれえええ!」
「止まってえええええ!」
 ぴたっ。
 ミクの、倒れた足の先から僅か数センチ。
 ロードローラーは、その場にぴたりと停止した。





 ゆっくりと、ロードローラーが走っている。停止、方向転換、バックにウィリー。リンは楽しそうにハンドルを握っていた。
「大分慣れてきたみたいねー」
 最初はおそるおそる見ていたミクたちも、ようやく同じ場に出てこられるようになった。デスクトップの惨状から、削除されそうになったロードローラーは、マスターの友人の改造を受けて再びここにある。
「でも何かつまんねー」
 MEIKOの隣でレンが愚痴っていた。ロードローラー暴走の原因、それはレンだったらしい。
「あんたも運転したかった?」
「出来る内にやっとけば良かった」
 同じプログラムであるリンとレン。ロードローラーが2人を同じものとみなしたことがそもそもの混乱の原因だった。「走る」「逃げる」方向に思考が行っていたレンと、「止まれ」「動くな」に思考のいっていたリン。混乱のままロードローラーは暴走し続けてしまったのだ。
「もう完全にレンくんには反応しないの?」
「してたらまた大変なことになるわよ」
 あのとき、2人の思考がようやく完全に一致したことで、ロードローラーは止まった。あれももし、レンの考えが「止まれ」ではなく、リンたちへの「逃げろ」にいっていたら……考えるだけでぞっとする。潰されたファイルの修復には随分時間がかかったらしい。
「ま、ともかく、リンも楽しそうだし、これでもう問題はないでしょ」
 MEIKOが切り上げてフォルダに帰っていく。リンはまだ戻る気はないらしい。レンが「先帰ってるぞー」と呼びかけた。
「あ……」
「ん?」
 ミクの声に、同じく隣に残っていたKAITOが反応した。
「何か…忘れてる気がする」
「何か?」
「うん……何だっけ」
「おれに言われてもなぁ」
 リンとレンへの反応をはっきり分け、リンの言うことを聞くようになったロードローラー。あれからリンは、ずっとそれの側にいる。
「何か、側に居ないとどうとか……」
「側に?」
 KAITOは首を傾げるだけだ。
 まあ大したことじゃないのかな。
 ミクはそう判断して、KAITOと共に自分のフォルダへと帰っていった。


 

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