あなたのために詞を作る

 ミクはデスクトップが好きだった。用がないときでも何の意味もなくうろついている。この広い空間では毎日いろいろなことが起こっていた。マスターは壁紙を変えるのが趣味らしく、しょちゅう変わる風景も楽しい。大抵は女の子の絵だったけど、今は草原の写真になっていた。誰かが来るのかな、とミクは少し笑いをもらす。
 草原を駆けていると、見覚えのあるソフトが立ち上がったのに気付いた。あれを見ると、いつも胸が高鳴る。
 ピアノの音が響き始めて、マスターが作曲を始めたのを知った。




 少しずつ出来上がっていく曲に合わせてミクは座り込んだまま体を揺らす。落ち着いた曲の多いマスターにしては珍しくハイテンポ。まだ歌詞のない曲を聴きながら思わずそれにあわせて声をもらす。
「楽しそうね」
 いつの間にか側に来ていたMEIKOが、ミクの隣でそんなことを言った。
「楽しいよ! いい曲だよね!」
「そうね。私は好きだわ、こういうの」
「ね、何の歌だと思う?」
 作曲ソフトの動作を見ながらミクは問う。ミクもまた、自分自身がこれまで歌った曲を思い出していた。
「そうねー。合コンとかで盛り上がろー! みたいな感じかな」
 MEIKOが右腕を振り上げて言った。珍しくテンションが高い。
「合コン? マスターそんなの作るかなー」
「例えよ、例え。飲み屋で盛り上がるノリよ」
「私はそういうのわかんない。好きな男の子に誘われてハッピー! みたいなのだと思う!」
「男の子に誘われたぐらいでこんなにはしゃぐ?」
「はしゃぐよ、絶対! 私、そんな歌いっぱい歌ったもん!」
 ミクも同じように力説する。女の子というのは好きな男の子のことでいつもいっぱいなんだと思ってる。そういう歌は多かった。
 MEIKOが首を傾げてるのを見て、ミクは他に同意を求める相手はいないかと上を見上げる。ばちっ、とフォルダからこちらを覗き込んでる男と目が合った。
「そう思うよね、お兄ちゃん!」
 フォルダからは顔と腕と、マフラーだけが垂れている。MEIKOもいつの間にかKAITOを見ていた。KAITOは苦笑いしながらそこから飛び降りてくる。
「おれに言われてもね。女の子の気持ちはわかんないよ」
「男の気持ちならわかるわけ?」
 綺麗に着地したKAITOが肩を竦めると、即座にMEIKOがからかいの言葉をかけてきた。KAITOがMEIKOとミクの間に座り込む。
「男は女の子の胸が好き」
 KAITOは真顔でそう言った。
「……男の基準をマスターにするのやめなさいKAITO」
「そういえばお兄ちゃんそんな歌うたってたねー。ええとおっぱいが…」
 どんなんだっけ、とミクが記憶を探りながら口ずさむとMEIKOとKAITOが同時にミクの口を塞いできた。
「むぅ…」
「それは女の子が歌っちゃ駄目よミク」
「それはおれの歌だ、ミク」
「…………」
「何? 姉さん?」
 MEIKOが呆れた顔をしてKAITOを見ているがKAITOは首を傾げただけだった。ミクもよくわからなかったので一緒に首を傾げておく。
「あーやっぱり居たー!」
 微妙に沈黙が落ちた3人の中に元気な声が入ってきた。鏡音リン。最近仲間になったばかりの彼女はもうすっかりこのパソコン内に溶け込んでいた。右手にはレンを引きずるようにして連れている。
「ねえねえ、今マスター曲作ってるよね」
 ミクたちの側まで駆け込んできたリンが立ち上がったソフトを見上げつつ言った。レンは眠そうに俯いたままこちらを見ようともしていない。
「うん。今日は完成しないと思うけど、結構出来てるよ。聞こえてた?」
「聞こえてた! 何か楽しくなって起きちゃった」
 そう言いながらリンは聞こえてくる曲に合わせて鼻歌をうたっている。それを見てミクも立ち上がると負けじと歌いだした。
「……大丈夫か? レン」
 ようやくリンが止まったことでその場に座り込んだレンは、それでもリンが右手を離さないため腕だけがリンのリズムに合わせて揺れている。振りほどく気力もないようだ。
 KAITOが声をかけるとレンは呟くように言った。
「眠ぃ……」
「あんたら寝たの遅かったわよね」
 MEIKOがリンたちの部屋を見上げている。ミクとリンたちは同じフォルダに入れられているが、こっそり抜け出したつもりだ。起こしたということはないと思う。
 歌いながらもミクは何となくそちらを見ながら考えていた。
「この曲聴いて起きたのか?」
「……起きたのはリン……。お前が起きるとおれも目が覚めちゃうんだよ…」
 後半はリンへの台詞だった。レンが寝ぼけた目ながらも、リンを睨むように見上げている。リンは歌を止めるとそのレンと目線を合わせるようにしゃがみこんだ。
「だからちゃんと連れてきたじゃん。この曲楽しいでしょ」
 リンの答えは多分ずれている。ミクですらそれはわかった。レンはため息をつくと、ようやくつながれたままだった右手を振り払った。あぐらをかいて座り込み、起動している作曲ソフトを眺める。
「……何だ、これ? 夕日に向かって走る歌?」
「違うでしょ、これは間違いなく猫が可愛いって歌!」
「えええー?」
 その予想に呆気に取られて思わず声が出たが二人は真面目な顔をしている。思わずKAITOとMEIKOに目をやるとKAITOが笑って言った。
「ま、歌詞もないし解釈は人それぞれだよ。おれはアイスの歌かと思っ」
「それはないわ」
 MEIKOがきっぱりKAITOを否定した。冗談だよ、とKAITOが拗ねる。
「で?」
 レンがようやくはっきり起きてきたのか、少し強い目になって全員を見渡し た。
「誰の歌なわけ? これ」
「……………」
「……………」
「……………」
「……………」
 たまたまだったのだろうが。
 作曲ソフトからの音が止まった。
 自然先ほどまで流れいていたフレーズを頭の中でリピートする。
 ミクは即座にソフトを見上げるとその先に居るであろうマスターに向かって歌 う。
「す、好きな人に誘われて嬉しい…嬉しいのよ〜」
 無理矢理歌詞を当てはめた。えーとえーと、と頭の中で今まで歌った歌から言葉を拾う。リンがミクの隣に来た。
「とても猫が…猫ちゃん大好きなのー!」
 同じことをしている。思いつかなかったのか、猫という言葉が並んだ。うん、私の方が曲にあってる!
 そう思っていると今度はMEIKOが立ち上がった。
「こんな夜はあなただけ見つめてたい〜♪」
 あ、私より上手いかも…!
 リンもMEIKOを見て一瞬口を閉じた。そして座り込んでいるレンを無理矢理立たせる。
「レン! あんたも!」
「ええ?」
「上手くいけばソロよ!」
「……それいいな」
「いいって言うな!」
「何なんだよ!」
 滅多にソロのないレンが心動かされるとリンはそれはそれで複雑だったらしい。それでもレンは立ち上がり、少し考える素振りをしたあと歌った。
「走るおれはあの夕日…に向かあってー!」
 最後の字数が合ってない。無理矢理伸ばしてあわせたレンにリンががっくりと肩を落とす。それでも再びマスター側に目を向けると、続きを歌いだした。ミクも、MEIKOも、レンもその場で何とか覚えた曲で歌いだす。ここでKAITOが立ち上がる。
 ミクは歌いながらも耳を済ませた。
「あ〜あああ〜♪」
 コーラス。
 何で。
 とても上手い。ぴったり合ってる。みんなの声を助けている。
 なのにミクはちょっぴり悲しくなった。




 数日後。
 お気に入りのデスクトップ上でミクは本を読んでいた。今日の壁紙はまた可愛い女の子だ。メイド服だが休憩中のように椅子に座っている。この子は初めて見るかなーとミクはちょっと眺めたあとは、また本に視線を戻す。誰かが近づいてくる気配がして慌てて本を閉じた。
「ミクが勉強してる……!」
 驚きの声を上げて後ずさったのはKAITOだった。ミクが思わず顔を上げると、後ろに他の3人も居た。全員来たらしい。ミクは固まっているKAITOを睨みつける。
「ごーが足りないって言ったのお兄ちゃんじゃん!」
「ミク、語彙ね」
 MEIKOが訂正してきた。
「ごい?」
「語彙」
「そのゴイが足りないの!」
「意味わかってねぇじゃんか」
 突っ込んだのはレンだった。真っ先にその場に座り込んでミクの持った本に手を伸ばしてくる。
「駄目っ」
「あ」
 ミクは慌てて本を胸に抱きこむ。レンが不満げな眼差しを向けてきた。
「何だよ、読ましてくれてもいいだろ」
「駄目。レンくんはゴイがあるんでしょ」
「ねぇよ。笑われるし」
 レンがそっぽを向く。リンも苦笑いしてその隣にしゃがみこんだ。
「笑われたのみんな一緒じゃんー。私なんか変な勘違いされるし!」
「あれだけ猫猫連発してれば猫が好きだと思うだろ」
「好きだけど! 部屋の中猫だらけにして欲しいとは言ってない!」
「あれうざかったな…」
 あの日、全員が作った歌詞を聴いたマスターは呆気に取られたあと一人一人真剣に聴いて……爆笑していた。あれは酷いとミクも思う。一生懸命考えたのに。
 リンは猫の歌を歌い、語彙のなさからひたすら猫大好きを連発し、マスターからそんなに好きならと猫画像一式をフォルダに移されていた。鳴き声つきもあって随分うるさかったらしい。勿論一緒に居るレンもその被害にはあっている。
「マスターが笑ったのは何も馬鹿にして、ってわけじゃないわよ」
 3人でマスターへの不満を言っているとMEIKOが少し低い声で言ってきた。そしていつもマスターのいる画面へと目を向ける。
「みんなが考えていることがそれぞれわかって面白かったんだろうし、励まされてる気分にもなったんじゃないかしら。だって……」
 MEIKOが目線を落とした。
「だって?」
 ミクが続きを促す。MEIKOは顔を上げるときっ、と前を睨みつける目になった。
「私の歌も笑われたんだから!」
「……自分で自分のフォローしてたの」
 KAITOの呆れた声もMEIKOは聞いてない振りをする。
「でも励まされたのは確かかもね。マスターもかなり緊張してたみたいだし」
「緊張?」
 リンが口を挟んでくる。ミクも、聞きたいことがあった。
「あれって結局お兄ちゃんが歌ったんだよね? どんな歌詞だったの?」
 あのあと呼ばれたのはKAITO一人だった。最初にコーラスを入れるのかとも考えたが、その後誰も呼ばれていない。だからKAITOの歌だったのだろうとミクは解釈していた。
「え、KAITO兄さん歌ってたの?」
 リンが驚いている。レンも同じようにリンの後ろで目を丸くしていた。二人が寝ている間だったので知らなかったのだろう。自分が呼ばれなかった以上何となく聞き辛かったのかもしれない。
 二人の視線にKAITOは笑った。
「おれじゃないよ。あれはマスターの歌。いつもより音の幅が狭いと思わなかった?」
 KAITOの言葉に全員が顔を見合わせる。
「一応男のおれが合わせてみただけだよ。あれはマスターが歌うために作ったん だ」
「えええええ、マスター歌えるの!?」
「……頑張ってたよ」
「KAITO兄さん聞いたんだ!? うわーずるいー!」
 ミクは驚き、リンは何だか悔しがっている。確かに、自分たちには厳しいことを言ってくるマスターの歌というのは一度聞いてみたい気はしていたが。
「珍しいわね。下手だから私たち使ってるんだと思ったのに」
 MEIKOの言葉は直球だった。MEIKOも聞いたことがあるらしいと知ってミクもちょっぴり悔しくなる。
「そりゃあ好きな人に捧げる歌だもん。自分で歌わなきゃ意味がなかったんでし ょ」
「え」
「うわー」
 KAITOがさらりと言って、ミクとリンは何故か顔が赤くなってしまった。思わず二人で無意味ににやける。
「凄い凄い!」
「マスターやるじゃん!」
 ミクとリンが手を取り合ってはしゃいでいると、レンの冷静な声が聞こえた。
「マスター恋人なんか居たのか?」
「恋人じゃなくて、告白の歌でしょ」
「……結果は?」
「……この壁紙見ればわかるんじゃない?」
 KAITOがデスクトップの壁紙に目をやった。メイド姿の可愛い女の子。そうだ、ここ数日間は確か草原だったはず。
「……慣れないことするもんじゃないわよね」
「これから慣れればいいんじゃない」
「マスター何連敗するのよ、それ」
 KAITOとMEIKOのやりとりは呑気だった。ミクは何となく、手に持ったままだった本を握り締める。そしてデスクトップに置かれた作曲ソフトのショートカットを見つめる。
「でも……いいよね。そういう歌」
「うん。聴いてみたかったなー」
 リンが頷いた。
 もう1度あのときのメロディを思い浮かべる。そのとき、突然手の中の本が消えた。
「あっ」
「ちょっと何やってんのレン!」
 レンだ。ミクの本を奪って少し遠くまで走っている。
「見せてくれたっていいだろ。リンも見ようぜ、お前も勉強したいだろ!」
「う……」
 リンがミクをちらりと見る。ミクはどういう表情をしていいかわからなかっ た。
「また猫大好きって曲作るのかー!」
「嫌だー、私もいい歌作りたい!」
 リンがレンの元に駆け出した。ミクは慌ててMEIKOたちを見るが、笑っているだけで助けてくれる気配はない。
「待ってー! それは見ちゃ駄目ー!」
 ミクは二人を追いかける。私も歌は作りたい。だからいろんな本で言葉を勉強したい。だけど、あの本は。
「それKAITO兄さんの部屋にあった本なのー!」
 言い訳だけ叫んだ。後ろでMEIKOが思わずKAITOを見ている。
「……KAITO、何の本?」
「……さあ。マスターおれの部屋にいろいろ押し込んでいくから」
「……見られたくないものを、よね」
「多分ね」
 ちょっとリンレン待ちなさい!
 MEIKOが叫んだ。二人がどこかのフォルダに潜り込んだ瞬間だった。
「KAITO、追いかけなさい!」
「えーおれ?」
「自分の部屋のものぐらい自分で管理しときなさい!」
 言うと同時にMEIKOがKAITOを投げ飛ばした。ミクの頭上をKAITOが飛ぶ。
「あ、お兄ちゃん…」
「ミクー、お前も来い!」
 兄ちゃんの部屋勝手に漁ったのも悪いぞ!
 兄の言葉はもっともだったので、兄がフォルダに吸い込まれるのを確認したあとミクも後を追った。
 でもあの本は、興味深くはあった。ミクの知らない恋の仕方がそこにはあるような気がした。
 今度あれで、詞を作ってみようと思う。


 

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