早く五人で
重い扉を開けると同時に、中から聞こえてくる小さな歌声。隙間を開けただけでは、分厚い防音の扉に遮られ、まだ、微かにしか聞こえない。
KAITOは音を立てないようゆっくりと、扉を押す。歌声が、ぴたりと止まった。
どきっとして扉を閉めかける。だが、直前に小さく声が聞こえた。
「KAITO?」
「あっ」
扉が閉まる。KAITOは慌ててもう1度開くと、そのまま中に飛び込んだ。
「何やってるんだ」
呆れた声で言われ、ええと、と言葉に詰まりながらKAITOは部屋の奥まで進んだ。広い部屋の中は正面にある大きな窓以外見事に何もない。床は少し埃が積もっていた。練習用の部屋は大体そんなものだけど。
「何か用?」
「ええと……」
KAITOは俯いてどう言うべきか迷う。
歌が聞きたかった。
素直にそう言って、素直に受け取ってくれるかわからない。目の前に居る男にかつて散々言われた嫌味が蘇る。一緒に選抜を受け、お前は残る価値のあるボーカロイドだと思っているのかと、何度も聞かれた。選抜で残れるのは、一人。自分が残るために相手にプレッシャーをかけていたのだと、後で説明されたけれど。KAITOには、人を蹴落としてまで上に上がりたい気持ちはわからないし、そのときに受けた揺さぶりだけが、どうしても強く残っている。それでも。
「……何だよ」
「……歌ってよ」
歌が聞きたかった。
KAITOよりも遥かに上にあったその歌声。プレッシャーなんてかけられなくても、はなから勝負は決まっていた。KAITOはずっと、諦め気味にその歌を聴いていたのだ。
だけどKAITOの言葉に、相手は顔を歪ませてKAITOに背を向ける。
ほんの少し、予想はしていた対応だった。
「……君の歌が聞きたいんだ」
「うるさい」
「……おれは、君の歌は好きだから」
「黙れ」
「ホントに、」
そこで相手が振り向いた。
睨みつけるような、強い視線を向けられてKAITOの言葉が止まる。
「おれの歌? お前が聞いてたのは今のおれの歌じゃないだろ、おれの今の歌なんか聞いたことないだろうが!」
「だって君はずっと逃げてるじゃないか! だからおれは聞かせて欲しくて」
「……おれを笑いに来たのか?」
「な……」
俯いて出された低い声には、確かに自嘲の響きが混じっていた。KAITOを超えて、扉に向かう男にKAITOは慌てて呼びかける。
「レン!」
男が足を止めた。僅かに振り向いた顔が驚くほど心細げで。
「レ……」
呆然と足を止めたKAITOには何も言わず、レンは外へ出て行ってしまった。
かつてKAITOの声と外見を持っていた男は、今はあんなに小さく、頼りない。
新しい声に苦労しているようだから。
KAITOの中に、LEONに言われた言葉が蘇る。
はっとして、KAITOは慌ててレンの後を追った。
「あれー……」
「どうしたの、リン」
「レンが居ない」
「レン?」
いつものように廊下から窓の外を見ていたミクの元へリンが首を傾げながらやってく
る。隣に並んだリンは、ミクより少し目線が低い。
「? 何?」
じっと眺めていると不審げな目で返される。ミクは視線を逸らさず言った。
「少し背が低いよね」
「は?」
「私より」
「……何今更」
桟にかけていた手を外してリンが体を起こすと、よりはっきりする。ミクは一歩引いて、リンの全身を視界に入れた。ミクをベースに作られたとは到底思えない。ボディは最初から出来ていて、メモリだけの移植だったのだろうか。だとしたら、あまりにもボディの完成が早かったと思うけれど。
「……まあレンほどの差はないからね」
ミクが何も言わない内にリンが一人頷く。
「あれだけ身長変わると大変みたいよ。何であんなボディにしたんだろうね。しかも声も全然違うし。……そうだ、それで一人で練習するって言ってたのに! どこ行っちゃったんだろ」
「いつからやってたの?」
「まだそんなに時間経ってないよ。私とのコーラスもやってみるって言ってたのにー」
「あ、いいなぁコーラス。ひょっとしてリンと合わせるためなのかな? あの声と外
見」
「え」
何気なく言った言葉に、リンは驚いた顔をして、少し固まった。目だけを何度か瞬きさせて、しばらくして視線を落とす。
「……そうかも」
「? リン?」
突然の沈んだ暗い声に驚いていると、リンがばっと顔を上げた。
「そうかも! KAITO……KAITO、私のせいであんな外見にされちゃったのかも……!」
「あ、あんな外見って…」
「小さいし声も高いし…あれじゃ、今までのKAITOのいいとこ全部なくなっちゃったじゃない!」
リンは泣きそうな声で叫んだ。ミクの肩を掴んで揺らす。ミクは驚きと混乱で声が出ない。
新しい名前とボディを貰ったレンに楽しそうに接していたリンが、そんな風に思っているとは思わなかった。レンをKAITO、と呼んだのも初めてだ。新しい名前を与えられてから、誰ももうリンとレンを元の名で呼ぶことはなかったのに。
「……私、もう一回探してくる」
何も言わないミクに見切りをつけたか、リンが廊下を駆けていく。ミクは思わずその後を追った。
「ま、待って!」
「何よ!」
「会ってどうするの!」
「……謝る!」
「謝るって……」
走るリンは、ミクより若干速い。長い廊下の先の階段で、リンが一旦足を止めた。
「私のせいかもしれないんだから! レンはホントは、」
階段に足をかけたあと、突然リンは凄い勢いで振り向いた。
「そうだ……。KAITOさんは!?」
「え?」
「今、どこに居るの」
「し、知らない…」
リンとレンはセットで扱われるが、KAITOとミクはそうじゃない。KAITOは、MEIKOのパートナーなのだ。MEIKOはどこに居たっけ、と思い出そうとするより先にリンがミクに迫
る。
「絶対レンに近づけないで。もし見つけたら、引きとめておいて」
リンの目は真剣だった。ミクは気おされて思わず頷く。
そのまま階段を駆け下りるリンを、ミクは何も出来ずただ見送っていた。
長い廊下に同じような扉が並ぶ。部屋の番号は打ってあるが、小さなプレートはうっかりすると見過ごしてしまいそうだ。
1、2、といつものように扉の数を数え、6番目の扉の前でLEONは足を止めた。
手には真新しい楽譜。今日ようやく、全員の歌が聞ける。
にやけそうになる顔を抑えて、LEONは扉を開けた。
広い部屋の中、目に入ったのはMEIKOとミクの2人だけ。時間になっても揃ってないのは珍しい。
「……随分少ないな」
「すみません、私も失礼します」
「って、おい!」
部屋に入った途端、LEONの隣をMEIKOがすりぬけて行った。早足で廊下を駆けていくMEIKOを追うべきかどうか迷っていると、もう1人の気配が近づいてくる。LEONは慌てて扉を閉めた。
「あ……」
「どういうことだ?」
逃げ道を閉ざし、残されたミクに聞いてみるが、俯かれて答えが返ってこない。LEONはどうしたものかと辺りを見回す。どちらにせよ、自分に出来ることなどないか。
LEONは部屋の中央まで進むとそのまま床に直接座り込む。ミクがきょとんとした顔で付いてきた。
「座っとけ。待ってれば来るんだろう。というか来てくれないと困る」
「……ここ、広いよね」
「今は人もアンドロイドもあまり居ないしな。まあでも、探して見つからないことはないだろう」
ミクがぺたん、と床に座り込んだ。下からLEONを探るように見つめてくる。
「……知ってる?」
「何がだ?」
「……レンたちが」
「やっぱりレンか」
名前と外見を変えられたレン。それ以上に、声の変化が精神に与えた影響は大きいだろう。思い通りの歌声が出ない。今まで出ていた声が出ない。それでも、元々持っていた器用さを考えれば、短時間で対応するだろうとは思ったのだが。
「面倒だな…」
任せてしまえば勝手に何とかなると思っていたが、甘かったのかもしれない。
「KAITO、そっちから回って!」
「え、ええ?」
「繋がってるでしょ、私はこのまま行くから!」
「で、でも」
「いいから行け!」
「う、うん」
並んで走っていたKAITOが慌てて方向転換する。怒鳴り声は、前を走るレンの耳にも届いたかもしれない。建物に沿って走りながら、角に来てレンが僅かに迷うように歩を緩めた。このまま行けば回りこんだKAITOと鉢合わせする。かといって壁に囲まれたその場所で、他に行き場もない。
レンがそこで方向を変える。MEIKOと対峙した。
「……こっちに来るわけね」
MEIKOも足を止める。力なら、まだKAITOよりMEIKOを相手にする方がいいと判断したのだろう。それでも、レンの力は強いわけではない。MEIKOとにらみ合ったまま、動けないでいる。
「何で逃げるのよ」
「……何で追ってくるんですか」
「集合時間は過ぎてるわ」
「……一人で行きます」
「信用できない」
きっぱり言い放ったMEIKOにレンが顔を歪ませる。MEIKOが近づくと、一歩後ずさっ
た。
「自信がないの?」
「何……」
「自分の歌に、自信がないの?」
「………」
レンの返事はない。表情すら変わらなかった。何を言われても動揺しないように身構えていたのだろう。自信家で、自己中心的で、人を見下してきた男だ。そんな表情は見せたくないのだ、きっと。声と外見を変えられたのは、その性格による罰だとMEIKOは思っている。KAITOを蹴落としたときの、ミクを破壊しようとしたときの、この男への嫌悪感は忘れることが出来ない。
「……あんたは、もう誰とも勝負しなくていいんでしょ」
それでも、今のこの男に、レンにその感情をぶつけることは出来なかった。
もう違うのだ。外見だけでなく、その中身も。
MEIKOの声が優しくなったのに、戸惑うようにレンの顔が一瞬幼くなる。表情が、崩れた。
「……ぼくは……誰にも……」
負けたくない。
小さな声がMEIKOの耳に届く。それがおそらく、一番初めから組み込まれていた、本能なのだろう。かつて「KAITO」だったときに、その気持ちが暴走してああいったことになった。必要のないものだとは思わない。もう1人のKAITOは、その競争心が欠けていた。上に上がろうとする気持ちは、上達に必要だというのに。
だから、彼を否定することは出来ない。
MEIKOが更に近づいたとき、レンの背後に人影が見えた。
「あ」
「捕まえた」
「KAITO」
回りこんでいたKAITOがいつの間にか追いついたらしい。レンを後ろから抱きしめるように捕らえる。レンは少しもがいたが、諦めたように力を抜いた。
「……おれと君は、もう声が全然違う」
KAITOの言葉にレンが反応する。
「多分、歌い方も、声の出し方も変わってくる」
「……変わってるよ」
「だから、別の歌声なんだ」
「……そうだな」
「MEIKOもミクも、リンもそうだろ」
「何が言いたい」
「比べるところなんかないじゃないか」
「…………」
もう勝負はしなくていい。
先ほどMEIKOが言ったのと、多分同じことをKAITOは言っている。口下手で、上手く伝えられているかはわからないけれど。
レンが俯いた。
「あとね。これ、LEONから」
「?」
「レンとリンは元々作られる予定でボディは用意されてた。せっかくだから活用しようってことでミクとKAITOのメモリが使われたんだ。ミクとリンはともかく、KAITOとレンは大分違うけど……。それでも、あのKAITOなら……君なら、上手く対応するだろうって」
おれもそう思う。
KAITOは言葉と共に、レンからゆっくりと離れる。レンは、逃げようとはしなか
った。
「おれじゃ、無理なんだ。君だから出来るんだと思う」
「…………」
レンの答えはなかった。だけどもう大丈夫だろうとMEIKOは思う。
「……行くわよ」
MEIKOの言葉と共に二人もゆっくりと歩き出す。もう時間は随分オーバーしているけど。LEONなら待っててくれるだろう。
「レン!」
建物沿いに歩いていると、正面からやってきたのはリン。先頭を歩いていたMEIKOを通り過ぎ、レンの元へ駆け寄った。
「リン…お前」
「もう、どこ行ってたのよ! 私とコーラス練習するって言ってたじゃない! すっごい探したんだから!」
リンは言いながらレンの腕を取り、そのままMEIKOより先に引きずっていく。そして急に弱々しい表情になって、レンに向き直った。
「レン。……ごめんね」
「は?」
リンは、メモリを移される際に性格修正はされていない。感情の起伏が激しいのは相変わらずだな、とMEIKOも足を止めて見守る。
「……私のせいで、そんな外見になっちゃったんだよね」
「は……?」
レンが怪訝な顔をする中、リンが一人で頷いている。
「やっぱりそうだ。私と、セットだったから! 私の方が下手だから、私に合わせることになっちゃったんだよね。ごめんレン、ごめん……」
レンにしがみついてひたすら謝罪を繰り返すリンに、レンは呆れた顔でその頭を上げさせた。無理矢理。
「……あのな」
「……うん」
「そんな、とか言うな。おれが──」
そこで、レンはKAITOを見た。
「あれより劣ってるみたいだろ」
リンがはっとしたように目を見開く。
「……おれの方がかっこいいだろ?」
「……うん!」
リンが元気良く頷いた。
いいのか、それで。
MEIKOは呆れながらも笑顔になる。レンもどうやら、吹っ切ったらしいので。
駆けて行くリンとレンを見守りながら、MEIKOはKAITOと並ぶ。
「……すぐ抜かされそうね」
「……比べるもんじゃないからいいよ」
競争じゃないから。
伸び伸びと好きなだけ歌えるのは嬉しい。
KAITOの笑顔は、昔から本当に変わらない。競争心がなさ過ぎるのは問題だけど、それが歌を楽しむ妨害になるのなら、要らないのかもしれない。
MEIKOは一つKAITOの背を叩いて、レンたちを追って駆け出した。
早く、5人で歌いたい。
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