二人が三人、三人が五人

「いよいよ明日か……」
「早いわよね。時間が経つのは」
 LOLAの言葉にあまり感情がこもっていない。どうしたのかと振り向いてみれば、LOLAは何やら雑誌を読んでいた。LEONが振り向いたのに気付いて一瞬目を向けてくるが、すぐに視線を落とす。
「どうした? 興味がなさそう……ってことはないと思うが」
「興味ないわ。……興味ないってことにしたわ」
 LOLAは雑誌を見ている。LEONも視線をパソコンの方に戻した。
「気になるってことか」
「気にしたくないのよ」
「意外だね。ミクの開発について一番反対したのは君だったと思うが」
 だからミクの選抜がどうなろうと関係ないのではないか。
 LEONはそう続けようとしたが、LOLAの近づいてくる気配に口を閉ざす。
「私が一番気にしてるのは──気にしたくないのは」
「MEIKOか」
「KAITOよ」
 驚いた。
 驚いて振り返るとにんまりと笑ったLOLAの顔が目の前にあった。
「でもあなたは気にしていて。私は明日行かないから」
「……審査は君にも担当してもらわないと困るぞ」
「私一人居ても居なくても同じでしょう。私とあなたの考えがずれたことなんて今まであった?」
「まあ……それはそうだが」
 LOLAが審査現場に行かないというのは意外だった。そこまで見たくないものなのか。LEONは少し楽しみにもしていることだというのに。
「あとでデモテープはちょうだいね。ミクの歌は聞きたいわ」
「ミクのことは嫌いじゃなかったのかい?」
「まさか。開発前の意見なんて今は関係ないでしょう」
「意見が変わった?」
「まあね」
 LOLAがようやくLEONから離れた。後ろのソファに置いた雑誌を再び手にする。
「可愛いじゃない。あの子たち」
「……それだけかい?」
「それだけよ」
 LOLAが雑誌をめくる。LEONはそれ以上は言わなかった。目の前のパソコンから一つのデータを取り出す。それをLOLAがじっと見つめていることには気付かなかった。





 何百人単位の人が入りそうな広いホールの端っこに、MEIKOとミクは立ってい た。もうすぐ時間だというのにKAITOと、もう1人のミクは来ていない。これだけ音の響く空間であれば、入ってくればすぐわかるだろう。それ以前に入り口は四箇所しかないのだが。
 このホールに入るのは何度目だったろう。
 そのほとんどが、舞台に立っていた。客席に居たのは、KAITOの歌を聴いていたときだけ。MEIKOは一番近くの客席に座る。舞台に近すぎて床面は見えない。あのときは、もっと真ん中から見ていた。
 MEIKOが思い返していると自分の前を誰かが横切った。
「ミク、ちょっと」
 ミクだ。MEIKOの体を乗り越えるようにして客席に座る。そしてMEIKOと同じように舞台を見た。
「……緊張してる?」
「……MEIKOは、緊張した?」
 ミクの視線は真っ直ぐ前を向いていて、MEIKOの顔を見てこない。それでもMEIKOは小さく首を振った。
「緊張ってね。私にはよくわからないの。舞台に立つだけで楽しかったし、歌が失敗するなんて考えたこともない」
 MEIKOは言いながらミクの手を取った。ゆるく握りこまれたミクの手は、いつもと変化がない。
「KAITOは震えっぱなしだったわ。初日なんてせっかくの実力を全く発揮できなかったし。……ミク」
 呼びかける声に気付いたのか、ミクがこちらを向いた。
「今度はもうやり直しはきかないの。今日限り。今日実力を出せなかったらそれで終わりよ」
 これは、プレッシャーになる言葉なのかもしれない。KAITOには絶対に言えなかった。だけどミクは力強く頷く。
「わかってる。今日が……最後だよね」
 最後?
 ミクの言葉に疑問を覚えたとき、扉の開く音がした。
 ミクが立ち上がる。MEIKOもつられるように立ち上がった。
「……お待たせしました」
 KAITOと、後ろについたもう1人のミク。そのミクは何故かKAITOのコートを握り締めている。
「時間ジャストだな」
 そのとき舞台の袖から声がきこえた。こちらのミクが驚いたように舞台を見る。MEIKOは初めから気付いていたが。袖から出てきたのはLEON。そして予想通り、LOLAの姿はない。
「LOLAはどうしたの?」
「今日は私一人だ。さあミク。舞台に上がりなさい」
 ミクがLEONから目を逸らさず頷いた。客席から出てふと、まだKAITOの後ろに居るミクに目をやる。そして戸惑うようにもう1度LEONを見た。どちらが呼ばれたのかわからなくなったのだろう。
「両方だ。まずはKAITOくんの方のミクから歌ってもらおうか」
 二人のミクが顔を見合わせる。そしてほぼ同時に舞台へと向かった。後姿になるともう全く見分けがつかない。それでも一週間もいれば、その表情である程度の見分けは可能だったが。
 MEIKOはそのまま客席に腰を下ろす。先ほどまで座っていたところで、ここからだと見上げるのがちょっと辛いのだが。どうせ大事なのは歌だ。姿を見る必要はない。
 MEIKOがそれでも舞台を見つめていると、KAITOがやってくる気配がした。
 隣に座ってくるだろうか。
 MEIKOは一番端に座っているので、隣に座ろうとすると先ほどのミクのようにMEIKOを乗り越えなければならない。どうするべきかと思っているとKAITOはMEIKOの真後ろに座ったようだった。
「……気になるわね、そこ」
 振り返りもせずに言ったMEIKOの言葉に、KAITOは反応しなかった。ここにきたときも固い表情をしていた。今はおそらく舞台を見ている。MEIKOも、視線を戻した。
 LEONが舞台の端に座っている。目を閉じているのは聴覚に集中するためか。中央に立ったミクはゆっくりと息を吸い込むと、歌い始めた。
 ここ一週間ずっと聴き続けていたメロディ。アカペラだがリズムは全く狂うことなく流れていく。だけど。
「?」
 何かおかしいと感じた。
 KAITOが後ろで僅かに動いたのがわかる。
 MEIKOは気付いた。このミクは……緊張している。
 声が震える。ぶれる。抑揚が感じられない。自分でもわかっているのだろう、焦りがついにリズムに狂いを生じさせた。ほんの僅かな、だけど致命的とも言える狂い。
「……OK。次だ」
 歌い終わってもミクはしばらく動かなかった。LEONはそんなミクを気にすることもなく指示を出す。KAITOが立ち上がった。
「あなた……」
 KAITOが無言で舞台に向かう。おそらく、こんなはずではなかっただろう。自信を持っていた。間違いなく歌えると思っていた。
 舞台中央で放心していたミクがKAITOに気付いて僅かに後退さる。どうしていいかわからないという表情だった。KAITOは助けに来たのか、それとも叱咤しに来たの か。
 知らず知らずMEIKOも息を飲んでそれを見守っていた。空気が張り詰めている。唐突に理解した。これは「緊張」だ。
「KAITO」
 ミクが、反応を確かめるように声を出した。だが意外にもKAITOは……もう1人のミク、まだ歌を発表していない、一週間ずっとMEIKOと一緒に居たミクへと向 かった。
『え……』
 二人のミクが同時に声を上げる。疑問の声。MEIKOはいつの間にか立ち上がっている。目の前の椅子を握る手に力がこもる。
「危ないっ!」
「いやあぁっ!」
 どんっ、とホールに衝撃が響いた。MEIKOは一瞬何が起こったかわからない。KAITOが、何かを手に持っていた。それを振り上げた。ミクに──MEIKOのミクに──振り下ろされる、と思ったときそのKAITOが横倒しに倒れたのだ。袖から出てきた誰かが、その凶器を取り上げようとしている。それは青い髪、青いマフラーの──KAITO!
「KAITO!」
 叫んだのはLEONだった。MEIKOも同時に客席から飛び出る。がしゃん、と凶器が転がる音がした。MEIKOの目には入ってこない。舞台への階段を駆け上がったとき、LEONに押さえつけられているKAITOと……ミクのすぐ隣に座り込んでいるKAITOの姿 を見た。
「KAI……TO?」
 座り込んだKAITOの方に向かう。KAITOはMEIKOを見上げて少し、笑った。
「あなた……KAITOなのね!?」
「見ればわかるでしょ」
「私のKAITOかって聞いてるのよ!」
「その言い方照れるなぁ」
 そう言ってKAITOは本当に照れたように笑った。
 ああ……。
 間違いなくKAITOだ。かつてMEIKOが指導してそして……
「……処分されたんじゃ…なかったの?」
 MEIKOがKAITOの前に膝を付く。KAITOはそれに視線を彷徨わせて、自分の出てきた舞台袖に目をやった。
「……まあ見てわかる通りよ。こっちもね、いろいろもめてたのよ」
 出てきたのはLOLAだった。MEIKOが驚きに目を見張る。
「あ、驚いた? 私たち、最初から居たわよ。一応音を立てないように頑張ってたんだから」
 LOLAの笑みは、どこか場違いだった。LOLAはそのままMEIKOとKAITOの間を横切り、もう1人のKAITOの前にしゃがみこんだ。
「私たちボーカロイドは人間に仕えるために作られる。いくら歌が上手くてもね。それだけじゃ駄目なのよ」
 KAITOはうなだれている。LEONが抑えているが、もう抵抗しているようには見えない。
「……性格に問題ありってことですか」
 俯いたままKAITOは言った。表情は見えないが、声はまるで笑っているように感じた。
「でも歌声は惜しいの」
 即座に答えたLOLAは、KAITOの言葉を予想していたようだった。KAITOが驚いたように顔を上げる。LOLAはそれを待っていたかのように手を伸ばした。
「向こうのKAITOはね。逆。歌はまだまだ未知数。鍛えればどんどん伸びるけど、限界がどこにあるかはわからない。あなたの先にあるのかどうかも。おまけに本番で緊張する。だけど真面目で、努力家だった」
 MEIKOは思わず側に居るKAITOに目を向ける。KAITOははにかんだような笑みを見せて目を逸らした。
「だから、まあね。もうちょっと様子を見ようと思ったのよ。ただ歌の勝負をしててもどうにもならなかったし」
「LOLA」
 KAITOを捕まえたままずっと発言していなかったLEONがそこでLOLAに声をか けた。
「あら、何?」
「……私は全て初耳なんだが」
「言ってないもの」
 LOLAがにっこりと笑うとLEONは情けない顔になった。MEIKO側に居るKAITOとミクが、それに遠慮なく笑っている。MEIKOも、思わず笑い出してしまった。
「あの」
 一瞬でも、どこか和んだ空気を吹き飛ばしたのは、いまだ舞台中央に立ったままだったもう1人のミク。KAITOのミク。
「……どう、なるんですか」
 不安げな瞳。ミクの言葉は随分抽象的だった。ミクとの勝負はどうなったのか、それだけを聞いているのではないのだろう。
「……でね。続きだけど。ミクの方もまあ随分性格が違っててね。まあ基礎研修が終わったあとは性格の違いだけだから、MEIKOとKAITOがそれぞれ選んだのがあなたたちだったわけだけど……」
 LOLAは二人のミクに順番に目をやる。
「どっちがいいか、なんて本番一回限りの歌で判断するべきじゃないと思わな い?」
「え」
 LOLAの発言に目を丸くしたのは、MEIKOだけではなかった。二人のミクも、KAITOも、そしてLEONも、驚いてLOLAを見ている。
「ミク」
 LOLAはMEIKO側のミクに目をやった。ミクは一瞬遅れて「はい」と返事を返す。
「あなたは多分、緊張して歌えないってことはないと思うの」
「はい」
 ミクの言葉は間違いなく肯定の返事だった。MEIKOが感じたように、ミクは緊張してなどいなかった。
「だけど、普段の歌を見る限りでは向こうのミクの方が上」
「……はい」
「お前聞いてたのか」
「歌だけわね。やっぱり気になるじゃない」
 LEONの言葉にLOLAが苦笑して答える。そしてLOLAはKAITOに目をやった。MEIKO側のKAITOに。
「KAITO」
「はい」
「それからMEIKO」
「は…はい」
 LOLAがポケットから折りたたまれた何かを取り出す。渡されたそれは、楽譜だっ た。
「歌ってみて」
「え?」
「二人で」
 MEIKOはKAITOと顔を見合わせる。KAITOはだけど、すぐに立ち上がった。手を伸ばされて、思わずその手を取る。
「あなたも聞いてなさい。一年……あれからもずっとあなたたちの知らないところで歌い続けていたKAITOよ」
 もう1人のKAITOが両手を床についてMEIKOたちを見上げていた。いつの間にかLEONの拘束が解けている。
 MEIKOとKAITOは歌い始めた。声が合わさる。気持ち良い。
 MEIKOはここで初めて思い出した。
 KAITOは、MEIKOのパートナーとして生み出されたのだ。
 元々私の気持ちが……一番重要だったのだ。






 窓の外を眺める。相変わらず音は聞こえては来ない。だけど色づいた木の葉が季節の変わりを告げている。ミクが窓に手を当てたとき、正面から何かがやってきた。鳥 だ。
 このままではぶつかるのではないだろうか。
 真っ直ぐに向かってくる鳥に向かって、ミクは思わず叫んだ。
「わんっ!」
 聞こえたはずはないが、鳥は突然ばたつくと、そのまま方向転換して飛んでいっ た。
「……良かったのかな」
「っていうか何だ今の」
「あ」
 横からかかった呆れた声に振り向く。そこに居たのはKAITOだった。……悪い 方の。
「悪KAITOさん!」
「……頼むからその言い方やめてくれ」
 情けない顔になったKAITOに笑う。これは罰だ、とLEONは笑っていた。だからミクは、しばらくそう呼ぶことに決めている。
「帰ってきたんだね」
 KAITOは、しばらく自分たちの前に姿を見せなかった。そもそも問題ありと判断されたボーカロイドをそのまま人間のもとに戻すわけにはいかないだろう。何かしらの手術は受けたのかもしれない。LEONは「反省中だ」と笑っていたけど、正直ミクはちょっと怖かった。
「……MEIKOさんは?」
「居るよ。その部屋」
 ミクは真後ろにある扉を指した。歌の練習の休憩時間だ。中にはMEIKOとKAITOと、もう1人のミクが居る。もう1人のミクと、それからこっちの悪KAITOは、その内外見や名前などを変える予定だと聞いた。区別が付かなくて不便だかららしい。MEIKOは全員はっきり見分けているのだが。LEONも無理だと言っていたから人間にはわからないのだろう。
 ミクはLEONがボーカロイドであることを知らない。
「……どうしたの?」
 扉の前にKAITOは佇んでいる。KAITOは振り返ってため息をついた。
「……謝って来いって言われたんだけどな」
「うん。謝らないと」
 MEIKOとKAITOに。
 そう思って頷いたが、KAITOは何故かこちらに向かってきた。
「……ごめんな」
「え?」
「……いや、謝るのはまずお前にだろう」
「え? あ、……そっか。そうだ」
 舞台で出番を待っていたとき。突然やってきたこのKAITOに…ひょっとしたらミクは壊されるところだったのかもしれないのだ。あのときは混乱していて、恐怖も感じなかった。目の前で起こっていることを理解するだけで精一杯だったのだ。
 えと、ごめん、って言われたらどうしたらいいんだっけ。
 どういたしまして……は違う。
 こちらこそ……も違う。
 ミクが迷っていると扉が開いた。出てきたのは……ミク。
「KAITO!」
「あ」
「帰ってたなら何で言ってこないのよ!」
「いや、今行こうと…ってミクもここに居たのか」
 KAITOの言葉はそのままミクのところに向かってたのではないことを表していたけど、ミクは何故かそれには突っ込まなかった。
「バカイト! もういいわよ、それより早く!」
「え、何だ?」
「もー何か私一人で悔しいからっ! 私たちのデュエット聞かせてやろう!」
 ミクはKAITOの呼び名を「バカイト」にしたらしい。悪KAITOよりはいいかなぁ、と納得して頷く。
 そのミクはKAITOの腕を取り、そこできっ、とこちらを見てきた。
「ミクも! 何やってんの一緒に聞いてよ!」
 このミクの、こちらに対するライバル心は強い。基本的には仲良くやってるのだが、歌のこととなると譲れないようだ。それはこちらのミクも同じなのだが。
「うん。ね、今度みんなで歌おう」
「あ、いいね。そうよ、せっかく5人も居るんだから勝負ばっかしてちゃ面白くないじゃない」
「お前さっきと言ってること違うぞ」
「違わない! 負けるのは嫌なの!」
 そう言って二人が部屋に入っていく。ミクもあとを追った。部屋に入る前にちょっとだけ振り返った。
 窓の外に出られる日は、多分近い。


 

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