一人で歌う一緒に歌う

 中の音は一切聞こえてこない。様子を伺おうとドアの隙間に目を当ててみるが、暗い影になっていてわからない。耳をあててみたり、周りを見回してみたり。
 鏡音レンがそわそわと扉の周囲を歩き回っているのを見て、側に居たミクはため息をついた。
「レンくん。いつまでそれやってるの」
 思った以上に呆れた声が出る。レンは言われることは予期していたのか、拗ねたような顔でこちらを見るだけだった。右手に握った紙はもうぐしゃぐしゃだ。変な力を入れたのか、真ん中あたりが破けている。
「いい加減にしないと収録始まっちゃうよ? それとも帰る時間まで待つつも り?」
 ミクの言葉にレンは俯くだけだった。頭ではわかっているのだろう。ただ緊張と不安で前へ進めない。ミクもその気持ちはわからなくもなかった。レンを押しのけて扉の前に立ってみる。この隔たりは、予想以上に重い。
「ミクちゃん…」
 レンが小さく呟いてミクの側に寄ってくる。何かを訴えるような視線の意味を、ミクは理解する気になれなかった。
「もう私行くよ? 私も仕事があるんだから」
「え……」
 多分今一番レンが望んでいないであろう言葉を吐く。嘘ではない。心細げな表情には後ろ髪引かれるがミクもいつまでも構ってはいられなかった。振り返らないように自分に言い聞かせてきっちり前を向いて歩く。レンの視線はずっと感じていた。 それでも、あの角を曲がれば、とりあえずレンの視界からは消える。急ぎ足にならないようゆっくり歩いていたミクは、突然角から飛び出してきた少女と思い切りぶつかってしまった。体に力が入っていたせいか倒れはしなかったが思わず側の壁に手をつく。ぶつかってきた少女は跳ね飛ばされるように尻餅をついてしまっていた。
「ミクちゃ……」
 レンはやはりずっと見てたらしい。即座に声を上げたが、何故か不自然に途切れる。ミクが不思議に思ってレンを見ようとするが、それより先に目の前の少女が立ち上がった。
「あ……」
「レンー! あんた何やってんのよ、こんなとこで!」
 鏡音リン。レンの双子の姉だ。今日は単独で仕事があるからと別行動だったはずなのに。
 リンはミクには目も向けずレンに向かって怒鳴っている。これは、完全に帰るタイミングを逃した。
「おれは……」
「一人だけ抜け駆けしようたってそうは行かないわよ!」
「だって……」
 どうやらリンはレンの目的を知っているらしい。誰から聞いたのかと思っていると角からもう1人見覚えのある人物が出てきた。
「KAITO……」
「よお、ミクも居たのか」
 呑気に笑うKAITOにミクはがっくりとうなだれた。





「で、どういうことなのよ?」
 リンがばしっ、と机を叩いた。空いていた会議室に勝手に入ったのだが、あまり掃除がされていないのか、それだけでやけに埃が舞う。ミクは思わず口元を抑えた。隣に立つKAITOを見てみるとマフラーでガードしている。あれはマスク代わりにもなったのか。
「レン!」
 リンの正面に座らされたレンは先ほどから俯いたままだった。ミクもKAITOもリンの後ろに立っているのでこれでは3人で尋問しているようだ。
 ミクは静かに場所を移動する。椅子が二つしかない小さな会議室は机と壁の幅も狭い。会議室ではなかったのかもしれないが。机に引っかかりそうになりながら動いているとまたリンが机を叩く音が聞こえた。
「これはどこで貰ってきたの?」
「めいちゃんが…」
「MEIKO? あんたMEIKOに何言ったの?」
 リンが指しているのは先ほどまでレンが持っていた紙。それはMEIKOが書いたある作曲家への紹介状だった。レンはデビュー以来ずっとリンと組んで歌っている。リンにソロ活動が増え始めた今、自分も一人の曲が欲しいと言い始めたのがそもそものきっかけだ。
 レンがミクに、ミクがKAITOに相談し、最終的にKAITOからMEIKOへ渡ったその話が今の状況を生み出している。かつてMEIKOがヒットを飛ばした曲の作曲家は、リンにとっても憧れの存在であったのだ。これは確かに、抜け駆けと見えても仕方ないかもしれない。
 そこに考えが至らなかった自分も迂闊だが、内緒の相談をしっかりリンに話してしまっているKAITOにも問題がある。ミクは軽くKAITOを睨んでみるが、目があってもKAITOはきょとんと首を傾げているだけだった。
「とにかく、あんた一人で行くなんて許さないから」
 リンがそのぐしゃぐしゃになった紙に触れる。紹介状にははっきりと「鏡音レン」と書いてあったはずだ。あの招待状は、レンだけのもの。
 リンが少し躊躇ってその紙を思い切り握り潰す。さすがにレンが反応した。
「あ……」
「MEIKOに、貰ってくるんだから。私も、」
 罪悪感があるのか、リンはレンを見ないようにしているようだった。元々破れかけてぼろぼろになっていた紙だったが、さすがにもう持っていけない。そのとき、KAITOがリンの後ろから手を出した。
「な、何」
「いや、これもう使えないかなって」
 リンがびくりと反応したが、KAITOは気にせず紹介状を手に取った。少し眺めて、そのまま自分のコートに仕舞い込む。
「どうする? もう一回めいちゃんに貰いに行くか?」
 KAITOがレンを見て言う。
「行く」
 だが即座に答えたのはリンだった。KAITOの視線はレンから動かない。レンはそろそろと顔を上げる。
「レン」
「行くってばー!」
 椅子に座ったままだったリンが思い切り手を伸ばした。KAITOの目の前でひらひら振っているが、KAITOは反応しない。
 ミクも何も言えずに状況を見守っていると、やがてKAITOがレンから目を逸らした。そのまますぐ後ろの扉に手をかける。
「あ」
「ま、待って」
 リンが慌てて立ち上がったとき、ようやくレンが声を出した。
「レン、あなたは黙って、」
「おれ、自分で……」
 小さな言葉はそのまま語尾まで消えてしまう。KAITOは何も言わない。それを見て、レンはもう1度言った。
「自分で行ってくる!」
 はっきりとそう言い放ったレンにミクは思わず拍手をしたくなった。たったこれだけのこともなかなか言えない子なのだ。レンは。
「待ってってば。私も行く」
 リンが苛立った声で言うのに対しては「ごめん」と返す。これにはミクも驚い た。
「あんた…」
「だって…おれ、ソロがやりたい」
「え……」
 リンのトーンが一気に落ちた。
「リンちゃんと歌うのは好きだけど、自分の力試してみた…」
 ミクがリンたちのもとへ向かっているときレンの言葉が途切れる。
「……リンちゃん」
 顔を上げて、すぐその原因に気付いた。リンが、泣きそうな顔でレンを見ていた。握り締めた拳が僅かに震えている。
「り、リンちゃ…」
「…………」
 レンが慌てて机を回り込む。リンのすぐ側まで行ったとき、リンの怒鳴り声が炸裂した。
「レンの馬鹿ぁっ!」
「うわっ」
 どん、と近づいたレンを跳ね飛ばし、ついでに扉近くのKAITOを蹴り飛ばすとリンはそのまま駆け出して行ってしまった。無事だったミクが急いで廊下に出たがリンの姿はもう見えない。
「……どうしよう」
 リンは多分、泣いてたと思うのだ。
 会議室の中には転がった男が二人。ミクは、MEIKOに相談に行くことに決めた。






「……何で二人も居るの」
「え、おれはめいちゃんに別に用事があるだけ」
「おれ…は、紹介状、もう1回貰いに行くから…」
 MEIKOの自宅前。ミクの後ろにはKAITOとレン。レンは今の状況で本当に紹介状を貰うつもりだろうか。まずはリンを探すことが先決だと思うのに。
 KAITOは面白がって付いてきただけだろうと思っているので考えないことに した。
 インターホンを押そうとしたとき、突然その手を遮られる。
「何?」
「ちょっと待って」
 後ろから手を伸ばしたのはKAITOだった。ミクの手をゆっくりと下ろさせて左耳に手を当てる。何かを聞いているような動作に、自然ミクも黙ってしまった。同時に耳を済ませると、微かに部屋の中から声がする。
 誰か来てる?
 そのとき後ろでレンがぼそっと「リンちゃんだ」と言った。
「え?」
 思わず反応すると人差し指を口に当てられしっ、と返された。
 もう1度ちゃんと聞く。次第にそれが泣き声であることがわかった。誰のかはわからない。だけどMEIKOとも思えない。これが……リン?
「……先客居るみたいだなー」
 どうするよ、とKAITOがミクを見る。どうするも何もこうなるとミクに出来ることはない。ミクがレンを見る。レンは一瞬うろたえたがすぐに頷いた。ミクの前に出てインターホンに指を伸ばす。
「何て言うの?」
「え?」
「そうだなー。お前結局ソロやりたいんだろ。リンちゃんそれで泣いてんだぞ」
「なんで…」
「え、レンくん、それもわからずにいたわけ!?」
「うわっ」
 思わず大声が出た。部屋の中の声が止まってしまった気がするが、それよりこっちの方が気になった。レンのネクタイを握り叫ぶ。
「レンくんがソロやりたいとか言ったからショックなんだよ? もうリンちゃんと一緒は嫌だって言う風にも取れるじゃん!」
「そ、そんなこと言ってないよっ! それに、先にソロやったのリンちゃんじゃんか!」
「レン」
 叫び返すレンを止めたのはKAITOだった。肩に手を置いて小さな声で話す。
「リンちゃんだって進んでソロやったわけじゃないだろ」
「そんなこと…」
「知らないのか? ずっとレンと一緒の方がいいって言ってたのに」
「ええっ……」
「私はレンが居ないと何も出来ないんだーとか言ってたのに」
「だ、」
「私一人じゃ魅力に欠けるのにーって、」
「み、」
「レンが側に居ないだけで寂しくて泣いちゃうのに、」
 ばんっ、とそのとき扉が開いた。物凄い勢いのそれに、正面に居たKAITOがまともに頭をぶつけてうずくまる。
「うるさいわよバカイト! 嘘ばかり言ってんじゃないわよ!」
 リンだった。ほんとに泣いていたのか、目が赤くなっているがその姿と言動はいつもと変わらず元気だ。
「リンちゃん」
「レン! あんた、こんな男の言うこと間に受けるんじゃない! ちょっと話があるから来なさい!」
 そう言ってリンは問答無用でレンを引きこむ。扉の向こうには苦笑いをしているMEIKOの姿が見えた。ミクと目が合って、話しかけようとするが、その前に扉を閉じられてしまう。
「あ……」
 まあ。MEIKOも居るし、これでちゃんとした話し合いになるとは思うのだが。
「……大丈夫? KAITO」
「……嘘じゃないのに……」
 うずくまったまま小さく呟いていた言葉は気になったが、とりあえず自分の役目は終わった。帰ろうと歩き始めると復活したKAITOが付いてくる。
「MEIKOに用事あるんじゃなかった?」
「……もういいんだよ」
「ん?」
「いや、おれがソロデビューしたときの話とか聞かせとこうかなーと」
「あー……」
 そういえば。デビュー当時はほぼMEIKOとセットだったKAITOは、ある意味同じ立場に居たと言っても良かったのか。
「売れなかった奴だ」
「ほっとけっ!」
 思わずからかってしまったが、KAITOのふてくされた顔を見て何となく安心する。リンとレンは多分大丈夫だ。本気の喧嘩になったらどうしようかと思ってた。
「でも何か…」
「? どうした?」
 羨ましいな。
 声には出さず呟いた。私はずっと一人だったから。
 ああいう関係は、いいなと思うのだ。ミクもデュエットをしたり、コーラスを入れてもらったりしたことはあるが、それはセット、という扱いではなかった。むしろ相手側がおまけ扱いになってしまうことが多くて。
 考えているとぽん、と頭に手が乗せられる。見上げるとKAITOが真剣な顔をしてこちらを見ていた。と、思った次の瞬間には笑いながらミクの髪をぐしゃぐしゃと乱す。
「ちょっと…!」
「暗い顔すんな! お前にはおれたちが居るだろ!」
「…………」
 目を見開く。
 何か。
 わかってくれた、らしい。
 ああ、そうだ。
 私もみんなと歌っている。


 

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