探し物

 握りこむように持った鉛筆でごりごりと不器用そうに字を書いているのは初音 ミク。
 紙に顔を近づけすぎているため、最初は何をしているかさっぱりわからなかった。覗き込もうとしても、ミクの長い髪がカーテンのように隙間を覆っていて、何も見えない。リンはちらりと先に立ち上がったレンに目をやった。レンも僅かに興味ありげにミクを見ていたが、リンの視線に気付くと慌てて逸らす。
 やがてミクが顔を上げ、紙を高く掲げて頷いた。
「これで良し!」
「ちょっと待ってミクさん」
 満足げに微笑むミクにリンは思わず突っ込みを入れる。掲げることで見えた内容は、とても「良し」と言えるものじゃない。レンも見えたのか、呆れたような顔でこちらを見ていた。ミクは少しいたずらっぽい笑みをリンに向けるとそのまま紙を机の上に置く。
「じゃあ行こう!」
「だから待ってって! これ! これでいいの!?」
「いーの! ほら、早く行こう」
 ミクがリンの手を取って立ち上がる。リンは助けを求めるようにレンを見た。
「……いつもこんなこと書いてんの?」
「? ううん。今回初めて。いつもは何も書かないよ」
 リンとレンはもう1度その紙を見下ろした。
 『初音ミクはあずかった。返してほしければ』
 それは紛れもなく脅迫状の一文。ぎこちない字は、犯罪者が筆跡をごまかすためにやったように見えなくもない。
「……まあ、心配はされないんじゃねぇの?」
 レンが呟く。
 脅迫状はこう続いていた。
 『返してほしければ、ネギとみかんとバナナとアイスを用意すること!』





「なーんかKAITOさんの家久しぶり」
「いつもおれらんとこだもんな、集まるの」
 かんかん、とアパートの階段を上りながらリンとレンがその上を見上げる。2人の言葉にミクが振り向いて、少し笑みを浮かべながら言った。
「そりゃそうだよ、リンちゃんたちのとこ広いもん。私らみんなアパート住まい だよ?」
 リンとレンのマスターは、大学生の女性一人暮らしにも関わらず、2階立ての一軒家に住んでいる。物が多いせいか、それほど広いという感覚はないが、こうして他人の家を訪れたときには確かに実感する。意識したことはないが金持ちなのだろう。リンたちのマスターは。
「で、どこだっけ?」
 2階でミクが立ち上がり、リンがそれにぶつかりそうになる。
「え、ミクさん覚えてないの?」
「私もKAITOさんのとことかほとんど来ないもんー」
「一番奥だよ、そんなわかりやすいとこぐらい覚えてろよ」
 レンがため息まじりに突っ込んで、2人を追い越し部屋へと向かう。リンは追いかけながらも、少し不満でからかいの言葉を投げた。
「あー、ミクさんの家出はMEIKOさんとこだけど、レンが家出するときはKAITOさんとこだもんね。そりゃ覚えるかー」
「お前っ! あれ一回だけだろ!」
「家出はそうでも遊びには行ってるでしょ」
「……ここ漫画あるし」
「漫画ぐらい買ってもらえばいいのに」
 言いながら扉の前に着いた3人。ミクが代表するようにインターホンを押した。
「…………」
 しばらく沈黙が落ちる。
 ミクが首を傾げてもう1回押す。
「…………」
「……留守かな?」
「えー、せっかく来たのに」
「この時間なら家に居るはずなのになぁ」
 ミクがそう言いながらドアノブに手をかけた。そしてゆっくりと扉を開ける。
「え」
「ミクさん! 何やってるの」
「え、あれ。開いてるよ?」
「鍵かけてないのか?」
 レンが中を覗き込む。リンもしゃがみ込んで下から部屋を見渡した。閉められたカーテン、暗い室内。人が居る気配はない。
「やっぱ留守か」
「っていうか……何か凄い散らかってないか?」
「え、そうなの?」
 散らかってる。それは間違いない。それどころか、見える範囲の棚のほとんどが開いている。確かに、これが普通ということはないか。レンが靴を脱いで部屋に上がりこんだ。勝手知ったるなんとやら。リンもそれに続く。
「ちょっと! 勝手に入ったら……」
 ミクも言いながら靴を脱いでいる。どちらにせよ、鍵を開けっ放しにするより中に居た方がいい。
 リビングに入る。その奥に見える寝室への扉も開きっぱなしだった。
「うわ……」
「何これ……」
 タンスは全ての引き出しが開いたまま、服も散乱し、明らかに棚や机が動かされた跡もある。棚の上にあったのか、筆入れが倒れ床にペンやら剃刀やらが散らばってい る。積んであっただろう漫画雑誌もぐちゃぐちゃの山になっていた。
「これ……普段からこう…じゃないよね?」
「当たり前だろ! マジで…何があったんだよ、これ」
「泥棒……?」
 ぽつりと呟いたのはミクだった。リンとレンの顔も思わず強張る。
 鍵の開いていた玄関の扉。
 明らかに室内を漁った跡。
「ちょっと……」
 思わずリンは前に居るレンの服を握る。ミクも、リンの腕を掴んできた。
「何だよ……」
「こ、これ泥棒だよね、やっぱり!」
「出よう! とにかくここから出ようよ!」
「出てどうすんだよ。泥棒だとしても、もう誰も居ないだろ」
 広い家でもない。人の息遣いがあればVOCALOIDの聴力ではっきり捉えることはで きる。
「でも! 帰ってくるかも!」
「何で泥棒が帰ってくるんだよ。落ち着けって」
 レンがそう言いながら玄関へ移動する。リンもミクも手を放さなかったため3人並んで歩くことになった。
 がちゃり、という音はレンが鍵をかけた音。
「……とりあえずKAITOが帰ってくるまで留守番か」
「KAITOさんどこ行っちゃったんだろ」
「KAITOさんこの時間は絶対居るはずなのに……」
 不安げな声に、リンの不安も煽られた。嫌な予感が、頭を過ぎる。
「まさか…泥棒と鉢合わせしたとか…」
 荒れた部屋。
 家捜しだけならここまでにならない気がする。
 誰かが、争った跡にも見えないだろうか。不安がそう見せているのか、リンには判断がつかない。
 思わずレンの服を握る手に力を込めるが、レンは呆れたため息を返してきた。
「そうだったらここに居るのは捕まった泥棒なんじゃねぇ? 普通の人間で敵うわけないだろ」
 それはそうだった。
 KAITOは特にパワー制限のリミッターなどは付けられておらず、一般男性と比べればかなりの力がある。ピアノを一人で軽々と運んでいた姿を思い出した。
「あ、そっか!」
 そこでワンテンポ遅れてミクが明るい声を出す。
「KAITOさん、泥棒捕まえて警察行ったのかも!」
「あー……」
 それが一番妥当か。さすがに慌ててて、鍵はかけ忘れたのかもしれない。
「じゃあ片づけて待ってようか」
 現場検証の可能性とか、そんなことは思いつきもせずミクの言葉に頷いた。レンはあからさまに嫌な顔をしたが、片づけが面倒なだけだろう。文句は言わなかったのでそれは無視して、リンはまず台所の棚を閉め始める。そのとき、あ、と小さな声が上がった。
「あー何やってるのレンくん!」
「………悪い……」
「何ー?」
 覗きこんですぐに気付いた。レンの足元に倒れたゴミ箱。何かの袋やら紙きれやらが当たりに散らばっている。躓きでもしたのか。少し呆然としているレンを冷めた目で見つめる。
「余計散らかしてどうすんの」
「うるせえ」
 リンにはそんな返しだった。
 レンが紙くずをすくい上げて、ふと気付いたようにその一枚を手に取る。
「どうしたの? ってかそれ何?」
「何か書いてるな…」
「え、見せてー」
 いつでも好奇心旺盛なミクが横から紙を何枚か奪う。千切れた紙は大きさがまちまちで、字の半分しかないものもあれば、3文字分ほどいっぺんに入ったものまである。だが意味は取れない。
「これって……」
 ミクがざっと机の上にまくように紙を置くと、一枚一枚指で選び出す。既に何かの予感があるのか。
 出てきた文章に思わず声を上げた。
 『は預かった。返して欲しければ』
「こ、これって」
「私が書いたのとおんなじだ!」
「いや、そうなんだけど」
「何で、こんなもんがあるんだよ」
 さすがにKAITOがミクと同じことをやった、とは思えない。字は下手だが、ミクとは違い本当に筆跡をごまかすためのようなカクカクの字だった。もしかしたら利き手以外で書いたのかもしれない。
「他の部分ないのか? 預かったって誰のことだよ」
 レンが言いながら紙を漁る。もう字をなしている紙がない。それでも根気良く繋げれば何かになるのかもしれないけど。
「KAITOにはなんねぇよな…」
 ローマ字でもカタカナでも無理があった。
「アイスは? KAITOさんならアイスだよね!」
「それもなぁ…」
「KAITOさんのマスターの名前なんだっけ」
「ええと青山……」
 ミクが呟きかけたとき、突然インターホンが鳴る。
 全員がびくりと動きを止めた。
 何度か、立て続けに鳴らされるインターホン。ノブをがちゃがちゃ回してる音がする。
「……だ、誰?」
「KAITOさん……?」
「KAITOだったら…鍵開けるだろ」
「慌てて鍵忘れたとか……」
 顔を見合わせている間にもインターホンは鳴らされている。誰も動けないまま、やがて音が止んだ。
「…………」
「レン、見て来てよ」
「何でおれなんだよ」
「わかった、私が行けばいいのね?」
「あ、待てこら」
 すたすたとレンを追い越し玄関へ向かう。慌てたようにレンがリンの腕を取り、その前に出た。リンはにんまり笑う。
「お前な……」
「いいから見てよ。あ、覗き穴とかないの?」
 隣に並んで、少し落ち着いた。二人で玄関へ向かえばミクも付いてくる。扉に付いている覗き穴に近づいたとき、突然扉がどかっという音と共に震えた。
「KAITO! 居るんでしょ! 出てきなさい!」
 同時に外で聞こえる大声。
 リンたちは再び顔を見合わせた。
「……MEIKO……さん?」
 レンが慌てて扉に手をかける。開いたと同時、再び扉が蹴られて…レンがそのまま吹っ飛んだ。
「……あら?」
 外には足を振り上げたまま固まるMEIKOと、MEIKOのマスターの姿があった。





「……あーホントだ、なるねー」
 散らばった紙を組み合わせて出来る文字。
 『は預かった』の前にあったのはMEIKOのマスターの名前。
「まさかゴミ箱にあるとは思わなかったわ……」
 その前でがっくりと肩を落としたのはMEIKOとマスター。破れた破片を丁寧にかき集めて、マスターはそれを勝手にその辺から拾ったコンビニの袋に入れてい た。
「あ、帰るの?」
 MEIKOのマスターが立ち上がり玄関に向かったのでMEIKOもそれを追いかけていく。リンたちは居間に座り込んだまま何となくそれを眺めていた。
「……どういうこと?」
「だから……赤間さんが前に青山さんにあれ書いたってこと…じゃない?」
 赤間、はMEIKOのマスター。青山はKAITOのマスターだ。
 リンも詳しくは知らないが、この2人は以前付き合っていたらしい。
「それ取り返しに来たのか? わざわざ?」
「えー、だってあんなもん持っとかれたら恥ずかしくない?」
「え、恥ずかしいの?」
 レンの疑問にリンが笑いながら返せば、ミクはきょとんとリンを見てくる。そういえばミクもついさっき同じような紙を自分のマスターに向けて置いて来たところだ。あれをいつか恥ずかしいと思うかは……リンにはわからない。
「まあ別れた女からのもん、いつまでも持ってんのもあれじゃね?」
「あ、レンはそういう考えなんだー」
「そうよ。別れた時点で全部処分しとくべきだわ」
「あ、MEIKOさん……」
 小声で話していたはずがいつの間にか音量が上がっていた。戻ってきたMEIKOは立ったままリンたちを見下ろして言う。
「赤間さんは? 帰ったんですか」
「帰ったわよ。あれ処分しなきゃいけないしね。私は……こっち」
 家の中を見回してため息をつく。
 どうやらこの部屋はあのマスターが家捜しのために荒らしたらしい。随分乱暴な探し方だ。どう考えても関係なさそうなところまで引っくり返している。ひょっとして八つ当たり的な部分もあったんじゃないだろうか。MEIKOたちのマスター2人は、今でもしょっちゅう喧嘩をしている。
「あんたたち手伝ってくれる? 後でネギでもみかんでも奢るから」
「ホント!?」
「いや、それはいいけど」
 ミクはネギ一つで大喜びだった。リンはさすがに労力を考えてため息をつく。元々片づけようとは思っていたのだが、原因を知るとちょっと馬鹿らしい。そもそも……。
「そういえばKAITOさんは……?」
 この家の本来の住人は。
 リンが首を傾げているとMEIKOが少し驚いた顔をした。
「そういえば……帰ってないのね。どこ行っちゃったのかしら」
「MEIKOさん知らないの?」
「私が呼び出したのよ。でもマスターから見付からないって泣きそうなメール入ってくるし。置き去りにして帰ったの」
 さらりと行ってMEIKOは自分の携帯を確認する。どうやら見ているのは受信メールのようだった。
「2時間前だから……それで私がここに来て、一緒に探して、それでも見付からなくてKAITOも引きこもうかと思って帰ったらKAITOはどこにも居なくて…」
 それで、家に居ると思って戻ってきたわけか。
 だが、KAITOは居なかった。MEIKOに置き去りにされてからどこかに行ったらしい。
「MEIKOっ!」
 そのときちょうどタイミングよく扉が開いた。
 入ってきた人影が真っ先にMEIKOの名を呼ぶ。
 KAITO。
「あらKAITO、お帰り」
「お帰りじゃないっ。どこ行ってたんだよ!」
「何言ってんのよ。そこで待っててって言ったのに居なくなったのそっちでしょ?」
「1時間も待たされたら探しに行きたくもなるだろ……」
 KAITOはため息をつきながら靴を脱いで部屋に入ってくる。
 1時間も待ったのか。
 KAITOは携帯を持たされてないので連絡も取れなかったのだろう。
「で……何これ」
 KAITOが部屋の中を見回して顔を歪める。
 MEIKOはしばらく考えるように宙を見たあと、KAITOの肩に手を置いた。
「ごめんっ!」
「……ごめんって」
「隠してるからお前には見つけられないとか挑発したあんたのマスターも悪いってことで」
「何の話だよ……」
 そこで漸くKAITOは居間に居たリンたちにも目を向ける。驚いた顔をしたので、気付いていなかったのだろう。
「あ、お邪魔してますー」
「どうしたの3人揃って」
「遊びに来たんだけど……何かそれどころじゃないね」
 ミクが苦笑するとKAITOも笑ってリンたちの前にしゃがみこむ。
「ごめんね。また来てくれる?」
「うん! ……あ、じゃなくて! 私も手伝うよ!」
 片付け! とミクは元気良く発言する。
 KAITOが笑顔でミクの頭に手を置いた。
「ありがとう。後でネギあげるよ」
「うん! ありがとう!」
 やっぱり餌はネギらしい。
 誰からいくら貰っても嬉しいらしいミクはにこにこと微笑んでいる。
 そこでKAITOの視線がリンたちに移った。
「……おれは帰るぞ」
「バナナあるよ?」
「要らねえよ」
「レンに貸そうと思ってた漫画もある……けど、どこにあるかわかんないね、これじゃ」
 KAITOが部屋を見回して言う。立ち上がったレンの足が止まった。
「KAITOさんー。私みかんー」
「いいよー。今買いおきないから後でいい?」
「いいよ!」
 バナナは買い置きがあるらしい。まあレンはしょっちゅうこの家に来ているから当然か。
「あ、KAITOさんもね。多分アイスがあるからね!」
「へ?」
 立ち上がったミクが片付けを始めながらKAITOに言う。リンもKAITOと同じく疑問の声を上げそうになったが、そこで思い出した。
「……ミクさん、そういえば」
 そこでまた、タイミングよく鳴り響くミクの携帯。
 ミクのマスターからだった。
 ミクは画面を見てにこにこしながらKAITOに手渡す。
「ん? 何?」
「これでね。ミクを返して欲しければここに来いって言ってやって」
 声変えてね、とミクが言って同時に通話ボタンを押す。戸惑いながらもKAITOは受話器を耳元に持って行った。微かに漏れるミクのマスターの声がリンたちにも聞こえる。
「……声変えたらまずいんじゃね?」
「ホントの誘拐犯なんて思うわけないから大丈夫でしょ」
 律儀に声を変えて「脅迫」するKAITO。
 片づけの人手は、もう一人増えるのかもしれない。


 

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