手を離さないで

「ら、らー、らららー」
 空は快晴だった。
 こんな天気なら外で歌うのも悪くない。会場裏手の駐車場で発声練習をしながら、ミクはぼんやり考えていた。ミクは歌うことが好きだ。特に、みんなに喜んでもらうのが好きだ。だけどマスターは、あまり人前で歌わせてくれなくて。この大会が一番多くの人に見てもらえる場なのだ。なかなか曲を用意してくれないマスターには焦っていたけど、今この場に居れるのなら何の問題もない。
「らーーーーー」
 声が伸びる。気持ちがいい。多分今日は調子がいい。
 ミクの出番は予選の本当に最後の方で、早く歌いたいミクはやきもきしていたのだけれど、あともう少しだ。遅ければ遅いほど、この会場に長く居られると考えることだって出来る。まあ、本選には絶対に残るつもりでいるけれど。
 ミクが発声をしている間にも何台かの車が去って行ってた。本選出場者の発表は午後からになる。他の人の歌に興味がないなら、一度帰ってもいい。どうせ結果はネットやテレビでも確認できる。本選はテレビ中継が入るから別にここに居る必要もないのは確かだ。だけど明らかに落ち込んだ顔の人や、既に全てを終えたような顔をしている人も居た。二次予選に来れただけで満足、という者も多いのだろう。そうだ、ご褒美の話をしている人も居た。
 そんなことを思い出しながらミクがもう1度大きく息を吸い込んだとき、不審な気配に気付いて咄嗟に息を止める。
「大人しくしろっ!」
 突然男性の怒鳴り声が聞こえてきてミクはびくっと体を竦めた。慌てて会場の壁に張り付く。ほとんど同時に、近くの出入り口から2人の男の姿が出てきた。普通のスーツを着た男性と、それより少しラフなYシャツ姿の男。その間に……子ども。
 あれは……リン!?
 男たちに挟まれて歩くリンは、とても喜んで進んでいるようには見えない。男たちに背中を押されて無理矢理歩かされている。ミクは反射的に叫んでいた。
「リンちゃん!」
 男たちが、はっと足を止める。同時に振り返ったリンの姿が見えた。泣きそうな、怯えた表情。
「リンちゃん……!」
 何も考えず体が動いた。走る。だけど、すぐ側に男たちの車。
「待って……!」
 リンに、こちらに来て欲しい。だけどそのまま押し込まれるように、リンの体は車の中に入り、まだ、男が運転席に回る間に…と思った瞬間、車が走り出した。
 真っ直ぐ。ミクめがけて。
「え……」
 運転席には既に人が居たらしい。いや、そんなこと考えている場合じゃない。
 ミクは咄嗟に会場入り口の段差まで駆け上がる。車は、ミクに対する執着はそれほどなかったのか、すぐさま方向を逸らしてそのまま走り去って行ってしまった。
 ミクは思わずその場に座り込む。
 何だ。
 今のは一体何なんだ。
 力が抜ける。混乱する。
 誰かに。相談を。
 震える体を起こして会場の中へと向かう。中にはマスターが居る。MEIKOも、KAITOも居る。そうだ、レンも居る。
 ……リン。
 リンが、攫われてしまった。





 予選は終了した。
 リンとレンの、本選出場は決まった。
 本選参加者のリハーサルは午後3時から。もうあと、1時間しかない。間に合わなければ、そのまま辞退とみなされてしまう。マスターと、ボーカロイドと、セットで行くことが必要なのだ。
 各ブロックから2組ずつ。補欠として名前の出た組と、そのマスターが使っている車のナンバーがミクの見たものと一致した。
 リン……!
 記憶した地図と照らし合わせながらひたすら走る。
 あのとき階段下で聞いた会話。最初に耳に入ったのは、間違いなく自分たちの名前だったのだ。だから、気になったのだ。何故それに気付かなかったのだろう。
 『上に行くためなら、勝つためなら何だってする人ってのは居るよ』
 KAITOの言葉はどうしても信じられなかった。それが、意味のあることだとは思えなかったから。だけどMEIKOも同意した。自分たちより長く、この世界を生きる二 人が。
 角を曲がる。次は…スポーツショップが見えるまで真っ直ぐ。
 背後から聞こえるKAITOの足音は途切れることなく着いてきていた。KAITOも本選出場は決まっている。今の速度で走り続けて、相手の家に着いて…ぎりぎりだとは思う。レンはどちらにせよ、リンが居ないと出られないのだけれど。
 KAITOに何か言うべきか、だけど速度は落とせない、あと何分かかる、次の道はどっちだ。
 同時に考えることが多すぎて混乱した頭に、今度はミクの顔が浮かんだ。
 ミクは……予選に落ちた。
 リンが攫われて、騒ぎになった直後の出番だったのだ。落ち着かなかったのも無理はない。レンは何も言うことが出来なかった。ミクの側に居たマスターとMEIKOも、どこか切り離された出来事のように見えて。だけどはっきりと焼きついているミクの顔。泣いているように、見えた。
「レン!」
 思わず唇を噛み締めていると突然後ろから引っ張られた。何を、というより早く角に引っ張り込まれる。
「こっちだ!」
「あ……」
 気付かぬ内に曲がるべきところを通り過ぎていたらしい。やはり、混乱している。メモリが足りない。処理が追いつかない。
「リン……!」
 もういい。今はリンのことだけ考えよう。浮かんだリンの顔にミクの歪んだ顔が重なる。だけど頭を振った。ミクのことも、KAITOのことも、今別方向で探りを入れてくれているだろうMEIKOも、そのマスターたちのことも、レンは考えなかった。
 リンは間違いなくこの先に居る。
 だから、リンのことを考える。
 リンが、自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。





 どたどたと音が聞こえる。リンははっとして体を起こそうとして…縛られた手足が上手く動かずその場に倒れこむ。
 レンだ。
 声も何も聞こえなかったけど、直感でそう思った。
「リン!」
 そして、レンの声が聞こえてくる。口にガムテープを貼られてしまったリンには、それに答えることが出来ない。それ以前にリンが居る部屋には…まだもう一人人間が居る。ずっと部屋で本を読んでいたその男は廊下の音に気付いて立ち上がっていた。男、といってもまだ少年のように見える。この家の子なのだろうと思った。
「どけよっ!」
 廊下から、レンの叫びが聞こえる。
 リンたちボーカロイドは…人間を傷つけることが出来ない。だから人間の中には、こういうとき自分自身を盾にするものがいる。部屋の外に男が張り付いている。それはよくわかった。何とか、リンの方から出来ないか。
 思ったとき唐突に窓の割れる音がした。
 少年がはっとしたように身を竦ませる。リンも不自由な体で何とか部屋の窓へと顔を向ける。割れた窓。だけど何故。
 おそるおそる、といった感じで少年が窓へと近づく。そのとき扉が開いた。
「何だ今の音は!? おい、ま……」
 男が入っていた。少年より年は上だが、やっぱりまだ若い。そして、少年の名前らしきものを呼びかけたとき、男の脇から何かがすり抜けた。
 レン!
「あっ、こら……!」
 男が手を伸ばす。レンはするりとその手を交わして……リンの体を抱えて部屋の隅へと逃げる。そこにしか、逃げ場がなかった。
「……全く。ボーカロイドが人間に逆らうとはな。マスター命令か? 悪いが、このまま時間までここに居てもら……」
 そこで再び、窓の割れる音。男と少年がびくりと体を振るわせる。
「な、何だ」
「わかんない、さっきも……」
 何かが飛び込んできた様子はない。自然に割れるとも思えない。だけど、窓に背を向けていた男たちと違って、リンの目は確かにそれをとらえていた。見覚えのある、袖口。窓を片手で簡単に割る、ボーカロイドの腕。
 思わずレンを見上げると、レンは少し笑って静かに、と言うように口に指を当てる。言われなくても今のリンには何も言えないが。
「兄ちゃん見てきてよ…!」
「う……ああ…」
 男が窓へと近づく。ちらりとレンたちを見ると、少年へドアの前に立つように言った。
「大丈夫だ、アンドロイドは人を傷つけることは出来ないからな」
 そう言って窓に近づいたとき、ドアの外で声がした。
「何やってるの? さっきから凄い音してるけど」
「母さん!?」
 僅かにこもった声。リンは思わず声をあげかける。レンがその口を手で塞ぐ。少年が振り向いてドアを開けた瞬間、外にいた女が少年に抱きついた。
「え……」
「ミクさん……!」
 リンは思わず叫んで、叫んだ瞬間自分の口に張られたテープがなくなっているのに気付いた。いつの間にか、手足のロープも。
「走れ!」
 レンの言葉よりも先に二人は走り出していた。ドアの外にKAITOがいる。先ほどの声は、多分、KAITOの声真似。何度か聞かされたことのある、KAITOの特技。この家の母の声に似ているようだったけど、僅かな機械音にリンたちは気付いた。リンたちでないと気付けない。
 ドアを抜け、廊下を走り玄関へ。だけどミクが、少年に抱きついたまま残っている。
「ミクさ……」
「行くぞ!」
 飛び出してきた男にもミクが飛びついて抱きつく。危害ではない。絶対に怪我はしない。多少の、時間稼ぎはあれで出来る。けど。
「ミクさん置いてくの!?」
「ミクのマスターも来てる! 大丈夫だ!」
 玄関から出ると車があった。車の外に、ミクのマスター。運転席に居るのは…確か、KAITOのマスターだ。
 リンとレンと、KAITOが乗り込んだ瞬間、車は走り出した。ミクと、ミクのマスターを置いて。
「レン…KAITOさん、ミクさんは……」
 さすがにわかった。車の中の時計を確認して。ミクは、本選出場しないのだ。
「……ひょっとして…」
 私のせい?
 言いかけた言葉は遮られた。突然レンが、胸元にリンの顔を押し付けたから。
「な……」
 何よ、と言う言葉も上手く発音できない。レンがぎゅっとリンの頭に置いた手に力を込める。
「ごめん……」
 え?
「あとで、一緒に謝りに行こう。だから、今は」
 本選、頑張ろう。
 小さく、呟くような言葉。多分助手席に居るKAITOにも聞こえなかったんじゃないかと思う。
 本選出場をこんな形で知ることになるとは思わなかった。
 まだ、震えはある。上手く歌えるかわからない。
 何が起こったのかも正確に理解してはいなかったけれど。
 それでもリンは頷いた。動きだけでわかるよう、大きく。
「頑張る。負けない」
 ようやく、頭から手が離された。体を起こしたとき前を見ると、こちらを見ていたKAITOと目が合って、少し照れ臭くなって笑う。
 KAITOが視線を戻してから、そっとレンの右手を握る。
 いつもなら知り合いの見てる前、手なんて繋げば振りほどかれるのだけど。レンは黙って握り返してきた。強く。
 二人でいれば、心強い。
 震えは、完全に止まった。


 

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