一生に一度はする家出

 怒られた。
「はぁ〜……」
 鏡音リンはため息をつきながら廊下をとぼとぼ歩く。上手く歌えなくて怒られるのは毎度のことなのだが、今回は激しかった。出て行け、とまで言われたのは多分初めてだ。ちょうどイラついているところでもあったのだろう。マスターは恋人との仲が上手くいってないらしい。
 私たちに当たられてもなぁ…。
 そうは思うものの、それは自分たちの歌がマスターの慰めにならなかったということでもある。考えていると益々落ち込んできて、リンはそのまま廊下に座り込んでしまった。
 何か泣きたい。
 ボーカロイドである自分は涙を流すことはないけれど。ならば何故こんな感情があるのだろう。
 しばらく俯いていたリンは、廊下の先で聞こえる音に気付いて顔を上げる。マスターは部屋に閉じこもったままだ。扉が開く音はしなかったから、誰か来たわけでもない。立ち上がってそろそろと近づくと、そこに居たのはリンの双子の弟、鏡音レンだ った。
「……何やってるの?」
 玄関に座り込んでいたレンがちらりとリンを見上げる。だがすぐに顔を逸らして靴を履き始める。側には小さなカバン。まさか。
「……どっか行くの?」
 おそるおそる聞いた言葉にレンは答えない。靴を履き終わると静かに立ち上がり、黙ってカバンを手に取った。リンは思わずそのカバンに手をかける。
「……何だよ」
 ようやくレンが喋った。引っ張り返されて反射的に力を込める。双子だが、力はリンの方が強い。
「どこ行くの」
 先ほどよりは少し強い口調で言った。これは見逃せない事態の気がする。
「……出てけって言ったのあっちだろ」
「ホントに行くつもり!?」
 予想はしてたがそれでも驚きのあまり大声が出る。レンが慌てたようにリンの口を塞いだ。
「馬鹿っ、大声出すな。いいんだよ、あんなヒステリックマスターの言うことこれ以上聞いてられるか…!」
 レンは小声で、それでも怒鳴るように言った。
「……何よ。自分が上手く出来ないから怒られるんでしょ」
 リンも合わせるように小声になったが、口調に不満が滲み出る。確かに理不尽なことも言われたし、しばらくマスターと顔を合わせたくないとも思ったけど、原因は自分にあるのだと思っていたから。
「……じゃあリンはずっと居ろよ? おれは出てくからな」
 そのままリンの手を振り切ってレンが扉に手をかける。リンは一瞬迷ったあと、裸足のままレンを追いかけた。ドアがゆっくり締められたあと、再びレンと対峙する。
「出て行ってどうするの。マスター居ないと何にもできないでしょ、私たち?」
 自分たちのマスターは、「保護者」という位置でもあるのだ。リンだって出て行くことは考えたことがある。だけど、出て行ったところで一人で生きていける当ても ない。
「わかってるよ。だから新しいマスター探す」
「え……」
 『新しいマスター』という言葉にどきりとする。そこまではさすがに考えたことがなかった。固まってしまったリンにレンはそれ以上何も言わず去ってしまう。リンはただ呆然と見送るしかなかった。




「……なるほどね」
「……どうしよう」
 目の前で泣きそうな目をして俯くリンを見て、MEIKOはどうしたものかと考える。MEIKOの家の玄関前でうろうろしていたリンはここに来るのにも随分迷っているようだった。
「新しいマスターなんてそう簡単に見つかるもんじゃないでしょ。夜になれば帰ってくるんじゃないの」
 とりあえずありきたりな言葉で慰めようとするがリンはふるふると首を振る。そのままちらりと時計に目をやった。つられてそちらを見る。既に日の沈みかけている時間帯。そういえばレンが出て行ったのがいつ頃か聞いていなかった。
「……レンは今日家を出たんでしょ?」
 リンが頷く。
「いつ頃?」
「朝……」
 どうやらマスターとの歌の特訓は徹夜で行われていたらしい。この時間帯にリンがここにやってきていることから考えてもマスターはおそらく寝ているのだろう。起きて出かけただけかもしれないが。
「……で、まだ帰ってこないわけか」
「……もし…ホントにレンが新しいマスター見つけてたら…私どうしよう……」
 ずっとそれで悩んでいたのだろう。MEIKOは顔をそらしこの場に居ないレンを心の中で睨む。
 レンの気持ちはわからなくもない。だけど、残されたリンの気持ちを一体どう思っているのだ。
「……リンも、今のマスターに不満はあるんでしょ」
「…ある…けど、それは…みんな、そうなんでしょ……?」
 リンが不安げに聞いてくる。これは否定も肯定も難しかった。MEIKOのマスターは基本的には「いい人」だ。異常にMEIKOに気を遣ってくるところが却ってやり辛いとは思っているが、それを不満に上げるのはさすがに気の毒な気分になる。だけどここでリンの言葉を否定してしまえば、リンのマスターは特別嫌な奴になってしまう。
 MEIKOはリンの言葉に答えず立ち上がると、隣の部屋へと続く扉を開けた。
「MEIKOさん……?」
「こっち来てみなさい」
 言いながら自分も部屋の中を覗き込む。中央に座り込んでいた少女が驚いたように顔を上げた。
「あらミク、元気そうじゃない?」
 床に置いた紙に何やら落書きしていたミクは慌ててそれを背に隠す。そしてごまかすように笑った。
「あ、あはは…あ、リンちゃん! こんばんは!」
 リンの姿を見つけてほっとしたように大声を出すミク。リンの方に目をやれば、目をぱちくりさせてMEIKOを見上げてきていた。
「ミク……さん?」
「……家出常習犯が一人ここに居てね」
「い、家出じゃないよ、ちゃんと、夜には帰る……から……」
「もうすぐ夜だけど?」
「う……ん……」
 ミクは途端にしゅんとなって俯いた。唇を尖らせ、後ろに回した手を意味なく動かしている。いつものことなのでMEIKOは気にせずミクの正面に座った。
「ミク」
「は……はい」
「あんた、マスターに不満ある?」
 その言葉にミクは目を見開くと思い切り首を振った。横に。
「ないっ。ないよ! そりゃ怒ると怖いし、あんまりネギくれないし、忙しくなると構ってくれないし、意地悪なこと言ってきたり、たまに歌詞間違えたりするけどっ」
 ミクは必死で言葉を紡ぐが、それが全て「不満」であることには気付いていな い。
「だけど、その、マスター居ないと、何も出来ないし私、」
「じゃあさ」
 ミクの言葉を遮ったのはリンだった。ミクが慌てている分、リンが少し落ち着いてきている。MEIKOの隣に座り込んだリンが真っ直ぐにミクを見て言う。
「新しいマスターが……もっと、優しくて、いい人がミクさんのマスターになるって言ったらどうする?」
「ええっ……」
 ミクは一瞬息を大きく吸い込んで、そのまま止まってしまった。目線を彷徨わせ、一度ちらりと自分の後ろを見る。そしてゆっくりと息を吐き出した。
「いや」
「……嫌、なんだ」
「いや。私のマスターは、一人、だから」
 ミクがぎゅっ、と後ろで何かを握り締めた。先ほどの落書きだろう。ひょっとしたら手紙か何かだったのかもしれない。マスターへの。
「リンちゃんは?」
「え?」
「リンちゃんは……今のマスターと…レンくん、だったら、どっちに付いてい く?」
「………」
 MEIKOは少し驚いた。ミクは新しいマスター、ではなくレンと比較した。今までの話を聞いていたわけではないだろうが。本能で理解したのだろうか。リンの今の悩みがそこにあると。リン自身も気付いてはいなかっただろうに。
「私……」
 リンは先ほどのミクと同じように視線を彷徨わせ、それでも直ぐにミクとしっかり目を合わせた。
「両方。今のマスターのとこで、レンと一緒じゃなきゃ嫌だ」
「……うん」
 答えは出たらしい。
 ミクが嬉しそうに頷くのを見てMEIKOも思わず笑顔になる。リンは立ち上がると、よし、と拳を握り気合を入れた。
「私、レンを探してくる。新しいマスターのとこ居たって力尽くで連れて帰るんだから!」
「頑張れリンちゃん!」
 わかってるのかわかってないのか無責任な応援をするミク。MEIKOも立ち上がると、軽くリンの肩に手を置いて行った。
「まあそんな気合入れなくても。レンの居場所ぐらいすぐわかるでしょ」
「え?」
「……あなたたち、そんな当てが多いわけでもないしね」
 不思議そうに見上げてくるリンを見ながら、MEIKOは苦笑いを浮かべた。





「あのさ」
「何だよ」
「いつまで居るつもり?」
「新しいマスターが見つかるまで」
「……探さないと見つからないと思うよ」
「…………」
 レンは漫画雑誌に目を落としたまま動こうとはしない。ページが全く進んでいないがKAITOはそれについては突っ込まないことにした。
「……探し方わかんないでしょ」
「明日から探すんだよ。ほっとけよ」
 人の家に来てほっとけ、と言われてもなぁ。
 KAITOは窓の外に目をやる。もう日が沈みかけていた。
 電気をつけようと立ち上がるとレンがびくり、と反応したのに気付く。明るくなった部屋にほっと肩を落としている。
 帰れ、とは一度も言わなかったが。さすがにそろそろ限界だとは思っているの か。
「レンのマスターに連絡するのとリンちゃんに連絡するのとどっちがいい?」
 とりあえずそう言ってみるとレンが弾かれたように顔を上げ、KAITOを見上げてきた。何かを訴えてくるような視線にKAITOはため息をつく。KAITOもこういうとき、あまり強く言える方ではない。
 ……MEIKOに連絡しようかな。
 彼女なら何とかしてくれそうな気はする。だけど今この状況でさすがに電話を取りに行くのは難しい。レンは再び雑誌を読み始めているが、こちらの動きを気にしているのはわかった。KAITOはもう1度窓を見る。マスターは今日は遅くなると言っていた。そしてそれをレンにも言ってしまっている。
 一晩泊めるくらいなら問題ないだろうか。
 KAITOのマスターは基本放置気味で多分何も言ってこないとは思うが。
 それじゃ問題の先送りにしかならないなと考えているとき、ちょうど部屋の電話が鳴った。
「…………」
「…………」
 二人して思わず電話を見つめる。数コール後、自動的に留守電に切り替わった。マスターは不在のときは留守電にしていく。それはKAITOには電話を取るなということだと思っているのでKAITOも特に触れることはない。
『ちょっと、KAITO居る!?』
「MEIKO?」
 だがメッセージとして流れてきたのはKAITOに呼びかける声だった。
 KAITOはレンを気にしつつ受話器を取り上げる。何故か少し緊張しながら声を出し た。
「MEIKO? 何か用?」
『そっち、レン居る?』
 直球だった。思わずレンを振り返る。レンも最早ごまかす気もなくじっとKAITOを見つめている。さて、どうするべきか。
『こっち、リンが来てるんだけど』
「ええっ!?」
『居るならこれから向かわせるわ、ってか私も行くから待ってなさい』
「え、ちょっと」
『あとミクも行くわよ。あ、気にしないで、こっちはただあんたたちに会いたいって言ってるだけだから』
「あの、MEIKO?」
『それじゃ』
 MEIKOは一方的に言って電話を切った。レンが居るかどうかなど答えてもいないのに。確信を持って電話をかけてきたのか、KAITOの反応で気付いてしまったのかはわからない。KAITOの微妙な表情では状況がわからなかったのか、レンが探るような目つきでKAITOを見る。
「……覚悟しといた方がいいよ」
「はあ?」
 余計意味がわからないな、と思ったものの、それ以上KAITOに言えることはなかった。


 

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