誰もが知ってる妖精に

「処分されるところだったんだ」
「やっぱり……そうなんだ」
 夜が明けてきた。明るくなってきた森の中で、ミクは岩の上で膝を抱えて座っていた。隣には青いマフラーの男が、腰かけている。
「そう?」
 男は少し瞬きをしてミクを見つめる。ミクの答えが意外だったのだろう。ミクは少し笑うと自分の左腕に描かれたナンバーを指し示す。そして次に、頭に常に取り付けられている通信機から、インカムを取り出した。
「……君は……」
「ボーカル・アンドロイド……VOCALOID2の01、初音ミクです。お兄さんも……」
「……ああ」
 男も同じようにインカムを取り出す。予想はしていたことなのに、自分と全く同じそれを見てミクはまた、自分が興奮状態になったのを感じた。胸が高鳴った、と言ってもいいかもしれない。
「おれはVOCALOIDのKAITO。気付いてたのか?」
「……何となく。お兄さん…KAITOさんが人間じゃないって言うのは。レンくんの蹴りとか…平気だったし、それで、さっきの歌を聞いて……」
 MEIKOが歌いだしたとき、まずリンが、続いてレンが、KAITOが、一緒に歌い始めた。そして最後にミクが。何の迷いもなく自然と。こんな歌を、ただのアンドロイドが歌えるわけがないと思ったのだ。それは自分たちボーカロイドの仕事に対する自負心でもあった。
 ミクはあのときおそらく今までで一番……素晴らしい歌を歌えたと思う。
「……おれはVOCALOID2なんてのが出来てることも知らなかったな。研究所には近づいてなかったし」
 そう言ったKAITOの顔はどこか嬉しげであった。ミクはそれに対して聞きたいと思ったが、口を出たのは多分どうでもいい、それでも純粋な疑問だった。
「でもここ……研究所からそんなに離れてませんよね?」
 研究所から一番近い小学校から、子どもが通える距離だ。実際ここに来るまでに大して時間はかからなかった。KAITOはそれにも笑って答える。
「でもこの森、いいだろ?」
 歌がどこまでも響くよ、とKAITOが空を見上げる。そうだ。近くに建物もない、音を跳ね返すものがない。ミクは古い記憶を思い起こしてそれに大きく頷いた。
「そうだ、こんなところで歌えばいいのにって思ってました」
「ん?」
「私多分、ずっと昔に聞いたことあります。妖精さんの歌」
 自分が開発されるよりも以前のことかもしれない。だけどそれを聞いた記録が、確実にミクの中に残っている。
「妖精か……」
 KAITOはその言葉に苦笑すると、手招きで双子と話していた女性を呼ぶ。そしてその手をとると、ミクに対して胸の辺りを指してみせた。そこには、確かにボーカロイドのナンバーが刻まれている。
「彼女はMEIKO。一番最初に作り出されたボーカロイドだよ」
 彼女も私と同じ。
 予想されて当然のことなのにミクは驚きのあまり目を見開いてMEIKOを見る。自分よりも前に、こんなに歌えるボーカロイドが居た。おそらく、それに対する驚きだっ た。
 そして同時にKAITOの最初の言葉を思い出す。
「処分……されるところだったんですか」
 MEIKOはその言葉に、少し微笑んだ。
「まあね。歌うだけで何の役にも立たないから……」
「そんな、」
「何だよそれ!」
 ミクの言葉を遮ったのはレンだった。話を聞いてはいたのか、MEIKOのすぐ後ろで怒鳴り声を放つ。リンもその隣で睨むような目を向けていた。
「歌うことが重要だろ!」
「あんな歌が歌えて必要ないわけじゃないじゃん!」
 双子の剣幕にMEIKOは驚いたように視線を逸らし……KAITOを見た。
「……あの子たちも……」
「ボーカロイド。鏡音リンと鏡音レン。私より後のバージョンだよ」
 歌上手いでしょ。
 誇らしげにミクが言うと双子が嬉しそうに笑う。
「そう……諦めてなかったのね」
「諦める?」
「あなたたちの開発者の名前、わかる?」
「わかります……けど…」
 ミクが言った名にMEIKOは嬉しそうに頷いた。
 そうか。MEIKOたちの開発者は、処分命令が出たあとも諦めきれずミクを作ったということだ。ボーカロイドの可能性を信じて、開発を続けたその男に、ミクも一緒に嬉しくなる。
「でも何で……」
 処分されそうになったんですか。
 ミクはそれを言ってもいいものか迷う。だが遠慮のない双子は直球でその質問をぶつけた。
「あれだけ歌えたのに処分だったの? 何で?」
「私がこれだけ歌えるようになったのは……処分直前のことよ」
「え?」
「……私にもわからない。だけど、処分されるって聞いて、もう歌えないんだって思って、KAITOに逃げようって言われた日に──今までで最高の歌が歌えたわ。誰も聞いてなかったのにね」
 違う。
 ミクが聞いたのはおそらくその歌だ。あの日……MEIKOは失踪したのか。

「MEIKO!ミク!」

 そのとき突然別の男の声が聞こえた。反射的に振り向けば、そこにはぼろぼろの白衣を着た……ミクたちの開発者の姿。
「マスター……」
 MEIKOが呟いた。
「今の…今の歌はお前たちが……」
 よく見れば男の後ろにも10人近い男たちが居た。作業着を着ている。研究所の職員たちだ。
 連れ戻される。
 一瞬身構えたミクだったが、男たちの空気は、驚くほど柔らかい。
「あれなら……きっと……」
 喋りなれていない男のたどたどしい言葉は、それ以上聞き取ることは出来なかった。だけどミクは、自分も、MEIKOたちも、もう逃げる必要はないのだとどこかで感じていた。






「リン、レン!」
 廊下を歩いているときに背後から研究所の職員が息を切らして駆けつけてきた。二人は顔を見合わせて立ち止まると相手の呼吸が整うのを待つ。男は目だけで何かを訴えていたが、二人にはまるで通じなかった。
「お、お前ら……」
 ぜいぜい息をしながら、その合間に何とか声を出している。短気なレンが早くも喧嘩越しの口調になった。
「何だよ、言いたいことあんなら早く言えよ」
 ボーカロイドたちは息を切らす、などという事態に陥ることはない。だから相手の状況も上手く理解できないのだ。する気もないのかもしれないが。
「み、ミクっ……見なかったか!」
 男の言葉に、二人は再び顔を見合わせた。
「知らない」
「居ないの?」
「居ないんだよっ! これから収録だってのに……!」
 全く、これからお前たちみたいなのが増えるかと思うと眩暈がする。
 ぶつぶつ呟く男の言葉は、普通の人間ならば聞き取れはしなかっただろう。だが人間ではないボーカロイドの聴力ははっきりとそれを聞き取っている。レンが無言で男の足に蹴りを入れた。
「痛ぁっ!」
 かなり軽めのはずだが男は大げさに痛がっている。情けない奴、とレンは思うとそのままリンを促して歩き始めた。もう用件は済んだと思ったのだろう。
「レン!」
「何よ、まだ何かあるの?」
 動かないまま叫ぶ男にリンの方が答えた。レンは振り返りもしない。
「この間の曲な、かなり評判良かったぞ」
「え……」
「な……」
 レンが呆気に取られた顔で振り向いた。その反応が楽しかったのか、男は少しにやけるとそのまま片手を振って来た道を帰っていった。残された二人はしばらく言葉もなくそれを見送る。
「……褒められちゃったね」
「褒められ……」
「初めてじゃない?」
「……かな」
 レンが口元を押さえた。嬉しいのか恥ずかしいのか、表情が変わりそうになる顔を必死で留めてる。それに気付いたリンが笑った。
「いいなー。私も褒められたいよ。この前の曲どうだったんだろ」
「良かっただろ。お前客の前で歌ってたじゃんか」
 客の反応がそのまま答えだ、と暗に伝えるレンに、リンはうーん、と唸った。
「それもそうなんだけど。プロにも認められたら嬉しくない?」
「あれ、プロじゃねぇだろ」
 ドとミの区別も付かなかったぞ。
 あくまで技術者である研究員たちには音楽の才能はあまりない。だけど、その分素直な感想だとも言える。
「ミク姉ちゃんは最近凄いもんねー。プロにもお客さんにも……」
 言いかけて、リンは気付いたように手を打った。
「ミク姉ちゃん、森に居るんじゃない?」
「あ……!」
 研究所を抜け出して森の妖精を探しに行って。既に一ヶ月が経とうとしていた。MEIKOとKAITOは連れ戻されたが、処分を受けることもなかった。今は少しずつ、彼らに出来る仕事をこなしている。それでもミクたちより圧倒的に時間のある彼らはたまにあの森に戻って歌っており……最近ミクも研究所を抜けてはそこへ通うようになっていた。
 レンが廊下の窓から外を見上げた。いい天気だ。
 振り向いて目があったときリンは何も言わずに頷く。レンはその場で窓を開けると2階からそのまま飛び降りた。
「行っちゃおうか」
 言わなくても通じた言葉をリンが口にした。視線は飛び降りたばかりの建物の方へ。ごめんね、と形ばかりの謝罪を向ける。
 人間に従うアンドロイドとしては、やってはいけないこと。だけどこれが人間らしさだとリンは思っている。
 こうでなくては。
 自分たちの歌声は響かない。


 

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