正義

 凶悪な歌だった。
 強く激しく、叩きつけるような声が人々の鼓膜に響く。瞬きを忘れる。耳を塞ぐことすら出来ない。正面に居た数人の男たちは唇を震わせ、目を見開いたままその歌に聞き入る。旋律が体に流れ込む。恐怖とも恍惚とも取れる表情で手を伸ばした。震える手は、指先からゆっくりと崩れ落ちる。さらさらと、砂のように消えていく。唐突に、支えを失ったかのようにその体が地面へ落ちた。どしゃ、と質量のある砂が広がる。それも一瞬のことで、後には男たちの身に付けていた衣服だけが残った。
 歌声が小さく風に消え、一部始終を見ていた者たちも我に返る。悲鳴を上げて逃げる人々を、歌の主は振り返ろうともしなかった。





「お疲れさま。いい歌だったよ」
「……そりゃどうも」
 男たちの残りかすを確認しながら言ったレンの淡々とした声に、MEIKOは不機嫌に返す。大きく息をついてその場に倒れこむように寝転がった。
 隣で見ていたリンが面白そうに覗き込む。
「あはは、MEIKO姉お疲れだね。あんなに力いっぱい歌わなくても良かったのに。あれぐらいの雑魚、もっと軽く滅ぼせるでしょ」
「私はいつでも全力なのよ。手抜きの歌なんて歌いたくないのー」
「それで倒れてちゃ世話ないけどな。ほら、とっとと起きろ。移動すんぞ」
「もうちょっといいじゃない。どうせしばらく人は来ないわよ」
「……確かに普通の人は来ないけどねー」
「?」
 リンの思わせぶりな声にMEIKOが体を起こす。そしてMEIKOたちに向かってくる人影を発見して顔を歪ませた。嫌そうに顔を逸らすMEIKOに対し、リンは大きく手を振って呼びかける。
「ミクー! KAITOー!」
 明るい声にMEIKOと、ついでにレンが一緒にため息をついた。MEIKOは渋々といった様子で立ち上がる。背の高い男と少女の2人連れはもう間近に迫っていた。
「…………」
 息を切らせて走ってきたKAITOはまずMEIKOたちの前に散らばる衣服に目を留めた。ミクも同じくそこに目をやり、ショックを受けたように後退さる。MEIKOはそんな反応から目を逸らした。
「……またやったのか」
 KAITOの呟くような声には非難が篭っていて、MEIKOは唇の端を持ち上げてそれに 返す。
「それが仕事ですから? あんたたちこそ仕事すんなら私たちに先こされないようにしたら。せめてこの悪人たちが子どもを殺す前にでもね」
 KAITOが目を見開いて再び男たちの残骸に目をやる。転々と続く血の跡は草むらの奥に続いていた。ちらりともう一度MEIKOたちを見て、KAITOはそこに近づく。
「お兄ちゃん」
「来るな、ミク」
 その後に続こうとしたミクをKAITOは手で制する。MEIKOの言った通り、少年の遺体がそこにはあった。KAITOは一瞬表情を消すと目を瞑り、ゆっくりと歌い始めた。優しく穏やかなメロディにミクも乗る。MEIKOはそれに顔をしかめながらも、口は出さない。いつの間にかリンとレンは座り込み、じっとその歌を聴いていた。
「……死んだ人への歌が何になるの」
 歌い終わったKAITOへMEIKOがそう言うとKAITOが少し苦笑いのような笑みを浮かべる。ミクはきっと強い目になってMEIKOに近づき見上げるような目線で言った。
「正しく天国へ導くためです。こんな寂しいところで、誰にも見取られることなく逝った魂は特に迷いやすいんです。せめて死んだあとぐらい真っ直ぐ天国へ行って欲し い……」
 後半は悔しさを噛み締めるように俯いて。MEIKOは「ふうん」と軽く返しながらKAITOを見た。
「で、本音は?」
「自己満足」
「お兄ちゃん!」
 驚いたように大声を上げるミクの頭にKAITOは手を置く。ぽんぽん、となだめるように叩かれて、ミクは膨れっ面のまま顔を逸らした。
「まあまあミク、しょうがないよ。私たちにはそういうの理解出来ないしね。でも私はミクの歌好きだよ」
「ほんと?」
 リンが笑顔で近づいてそう言うと、ミクの顔がぱあっと明るくなる。KAITOの顔が僅かに嫌悪に歪んだのをMEIKOが気付くが、何も言わない。その辺りはお互い様だった。まだ少女と言える年齢の2人はお互いの立場など考えることもなく、ただ楽しく歌い、聞く。リンと同い年でもあるレンはそんなリンを見つめ、ため息をついていたが。
「あ、あの……」
 そんな5人のもとへ、小さな子どもの声が届く。
 騒いでいたミクとリンがぴたりと声を止めてその方向を見た。途端に怯えたように子どもは建物の影に隠れてしまう。KAITOが一歩前に出た。
「何だい? 大丈夫、怖がらなくてもいいよ」
 優しい微笑みと声で、子どもの近くにしゃがみこみ両腕を広げる。子どもはほっとしたようにKAITOの元へと駆けた。
 MEIKOたちはその場から動かず、その様子を見守る。ミクのみKAITOの元へ向か った。
「さっきの……悪い人……」
「ん? ああ……」
 子どもの視線はMEIKOに向かっていた。MEIKOは興味なさげに視線を逸らす。KAITOはそれに苦笑いして子どもの頭に手を置いた。
「大丈夫。悪い奴らはあのお姉さんがやっつけてくれたから」
「ちょっと」
 その言い方にMEIKOが思わず口を出すが、きょとんとした顔の子どもに何も言えなくなる。そこでレンが前に出た。
「お姉さんに用があるのかな? 悪い奴をやっつけて欲しいって言うならおれたちも聞くよ」
「ほんと?」
「うん」
 MEIKOがわざとらしく大きなため息をつく。それも無視して、KAITOは子どもに続きを促した。主観的で要領を得ず、たどたどしい喋りだったが、KAITOが上手く誘導して本題を聞き出す。ある場所を寝どこにしている「悪い奴ら」が居る。友達が攫われて、友達のお父さんがやっつけにいったが帰って来なかった。みんなを助けて欲しい。
「……なるほどね」
 話を聞いて最初に反応したのはMEIKOだった。そしてそれ以上は言わず歩き始める。リンとレンも続いた。
「大丈夫ー? 今日はもう1回歌ってるのに」
「あんたたちが歌えばいいでしょ。たまにはあんたたちの歌も聞かせてよ」
「えー…私たちで大丈夫かなぁ」
「おれも一緒に歌う。……けど、まあ相手次第だな」
「レンもねー。たまには強い奴に真っ向から立ち向かってみなさいよ」
「それでやられたら馬鹿だろ」
 歩き出す3人の気軽な会話を子どもは不安げに見つめる。KAITOが安心させるように微笑んだ。
「大丈夫だよ。じゃあおれたちも行くね」
「君は家に帰って待ってて。悪い奴らは居なくなるから」
 ミクも一緒にそう言って、ようやく子どもは笑顔で頷いた。家へ向かう様子を見送りながら、2人は少し真剣な顔になる。
「早く行こう。MEIKOさんたちに先をこされちゃう」
「うん……」
 ゆっくり立ち上がったKAITOが、ミクに手を引かれて歩き出す。ミクは少し歩調を緩めて、そんなKAITOを見上げた。
「……友達とか、そのお父さんは助けられないかもしれないけど」
 もう、殺されている可能性が高い。
「でも、悪い人たちは救える」
 ミクの視線を受け止めて、KAITOは少し俯いた。
 『悪い心』は人間の穢れだ。それを払い落とすのがKAITOたちの使命。そうして悪人のない世を作るために、2人は旅をしている。KAITOもずっとそれが正しいと信じていた。だけど、本当は、MEIKOと会ったそのときからぐらついている。ミクとはぐれ、MEIKOもまた双子とはぐれ、2人で悪人と対峙したそのときから。
 悪人の心が救われたとき、被害者の心はどうなるのか。
 穢れのなくなった悪人を、許せるものだろうかと。
 KAITOはそれを歌で救ってきた。救ってきた、つもりだ。
 耳から離れないのは、悲鳴のような叫び声。
 先ほどの子どもの姿が重なって浮かんだ。





「MEIKO、待てっ!」
「邪魔するな! あんたら! 早く歌えっ!」
 攫われた子どもは女の子だった。話しかけてきた少年の年齢から想像したより、少し年齢が高い。だけど、まだ十分幼いと言える年頃。
 生きていた。
 まだ、命はあった。
 傷と汚れがまるで衣服のようにむき出しの肌を隠している。顔に、髪にべっとりとついた血はおそらく返り血。側で絶命している……少女の父親の。
 少女を押さえつけていた男たちは突然の訪問者にもにやけた笑みを浮かべただけだった。
「あんたはあれも救うっての! ふざけるなふざけるなふざけるなっ!」
 ハッタリに使う大振りの剣を振り回す。ろくな手入れもしていないため切れ味などないが、重量はある。MEIKO自身も重さに振りまわされるようなそれをがむしゃらに振った。KAITOが顔をしかめて後ずさりする。MEIKOの後ろで双子が歌い始 めた。
「何だぁ? 見世物でもしに来た……の……か」
 男たちの言葉が止まる。歌が、流れ込み始めている。よし、と僅かに背後を気にした隙にKAITOに距離を詰められた。
「しまっ……」
「ミク!」
 KAITOがMEIKOの右手首を取る。痛いほど握り締められるが、剣は手放さない。それでもこれだけ接近されるともう使えない。それよりKAITOの後ろから飛び出してきた少女が問題だった。
「止めて! 滅ぼさないで!」
 ミクが叫んでリンに飛びつく。リンの歌が途切れた。
「ミクっ! 何を」
「私が! 私が歌うから!」
 リンにしがみついたまま、ミクが歌い始めた。万全の状況ではないからか、少し歌が不安定だった。固まったように動きを止めていた男たちが我に返ったかのように表情を取り戻す。
 駄目だ。
 打ち消しあう。
 私たちの歌は、打ち消しあうのだ。
「くそっ、MEIKO! 2人の歌を止めさせろ!」
「それはこっちの台詞よ! あっ……」
 動き出した男たちは素早かった。ミクとリンが捕まる。男の握ったナイフがリンの足に向かった。駆け寄ったレンが慌ててそのナイフを蹴り飛ばす。躊躇なくリンの足を切ろうとしたその様に一気に頭に血が上る。レンも、捕まった。腹いせのような蹴りが、レンの腹に食い込む。
「……MEIKOっ!」
 KAITOに腕を取られたまま、MEIKOは叫ぶように歌った。怒りでどうにかなりそうだった。
 頭ががんがんと鳴り響く。呼吸が苦しい。体がぎしぎしと痛む。男たちは、痙攣するように震えた。
 歯を食いしばっていたミクが口を開くのが見える。
 歌うつもりか。
 止めるつもりか。
 ミクの口から、小さな歌が漏れる。
「ミク、止めろっ!」
 そこに響いたのはKAITOの怒声。びくりとミクの歌が止まる。
 次の瞬間、ミクたちを捕らえていた男もナイフを構えた男も、崩れるようにその場に倒れた。
 あとには、衣服が残るだけ。
「あ……」
 ぺたん、とその場に座り込むミク。見つめる自分の手には僅かに残った砂。それも直ぐに風にさらわれるように消えた。
「何……で……」
 ミクの瞳に涙が滲む。
「何でこんなことするの! 生きてれば償えるかもしれないのに! 死んだら……死んだら、何もっ……」
 掠れる声。
 リンとレンがそれを複雑な表情で見ている。MEIKOは無視して倒れた少女に近寄った。何が起こったかわかっているのかいないのか、焦点の合わない目でMEIKOを見つめてくる。全身傷だらけ痣だらけだ。足の傷は特に深く…これでは立ち上がることも出来ないだろう。MEIKOは唇を噛み締め、後ろを振り返るとKAITOを睨みつけるようにしながら右手を出す。
 KAITOは何も言わずコートを脱ぐとそのままMEIKOの元へ放った。
 少女にかぶせている間に、KAITOはミクの元へ向かう。
 KAITOが何か言っている。
 自分も、この少女を。
 目が霞む。思考が揺れる。
 MEIKOの意識は、そこで途切れた。







「……気付いたか?」
「……予想外の顔だわね」
 目覚めたのは薄暗いどこかの部屋の中。宿だろうか。固いベッドはぎしぎしと揺れ、木の表面がざらついていたが、シーツは清潔そうだった。自分の体が汚れているため、内側は台無しになっているが。
 視線を動かし、閉められたカーテンから差し込む光から夕暮れと知る。倒れたときは昼過ぎだったか……力の使いすぎで倒れたなら、まだ早く目覚めた方だ。体を起こすと、頭にずきんと痛みが走ったが、それ以外に特に異常はない。
 改めて部屋の中を見回す。MEIKOの真横の椅子に座ったKAITOしか、そこには居なかった。
「2人は?」
「双子の方か? ミクと一緒だ」
「ミクはどうしたのよ」
「……口を聞いてくれない」
「は?」
 KAITOが苦々しい顔で顔を逸らす。そして、倒れる前の出来事を思い出した。MEIKOは、悪人を滅ぼした。その悪人を救おうとしたミクを……KAITOが止 めた。
 あのときは夢中で深く意識はしていなかったが、それは信じられない…おそらく、ミクにとっても信じたくない出来事だ。
「さすがのあんたも、あの有様なら殺してもいいって思うんだ?」
「違う!」
 軽い口調で問いかけてみれば怒りの混じった声で返された。
 MEIKOも思わず表情を引き締める。
 KAITOは睨むようにMEIKOを見ている。
「……ミクが捕まっていた。あそこでお前の歌を邪魔したら、」
「あー、わかった、それ以上はいいわよ」
 確かにそうだ。
 ミクが歌えば、悪人は動けるようになる。動ける隙を逃すほど間抜けな男たちでもなさそうだった。もっとも、ミクの歌程度でMEIKOの歌を打ち消せるとは思えない が。
「それでも口聞いてもらえないわけ。大変ね、あんたも」
「それが正しい。おれたちはまた……救えなかった」
「私にはあれを救おうとする気持ちは理解できない」
「だろうな」
 かつては多くの反論が返ってきた言葉に、KAITOは短く返しただけだった。
 訝しげに見ていたとき、響き渡る歌に気付く。
 おそらくずっと聞こえていたはずなのに、意識に上っていなかった。
「……何」
「ああ……ミクが歌ってるんだ」
「聞けばわかるわよ。誰に」
 KAITOは何も言わず立ち上がった。
 部屋を出て行こうとする様子に気付き、MEIKOも慌てて後を追う。
 靴を探したが見付からない。KAITOが扉を開けた瞬間、歌声は大きくなった気がした。
「KAITO……」
 裸足のまま後を追う。思った通り、そこは宿の一室だったようだ。そしてMEIKOが居た部屋からそう離れていない別の一室から、声が響いている。
「…………」
 部屋の中にミクが居た。
 ベッドで眠る誰かに歌っている。
 その後ろで床に座り込んでいた双子が、MEIKOたちに気付いて振り向く。
「MEIKO姉! 起きたのか」
「もー、心配したんだよ……! MEIKO姉は一回一回力を使いすぎなんだって ば!」
「ごめん」
 駆け寄ってくる双子に何とか笑顔を返す。ミクは振り返りもしなかった。
 双子をゆっくり押しのけて前に出る。
 ベッドの上に居たのは……傷付いた、少女。
「……生きてるんでしょ」
「生きてるよ」
 目は開いている。無表情だが歌を聴いている様子だった。
「恐怖も嫌悪も……染み付いた負の感情は歌で落とせる。記憶は消せない。だから、徹底的に洗い流さないと……何度も思い出して苦しめられる」
 KAITOがMEIKOの隣で淡々と語る。
 リンとレンも前に出てきた。
「……ミク、ずっと歌ってるんだよ」
「もう……丸一日」
「丸一……日?」
 双子の言葉に目を見開く。
 慌てて窓の外に視線をやった。夕暮れ。倒れたのは、昼過ぎ。あれは、既に昨日の出来事?
「何で、あんたが歌ってあげないのよ」
「……ミクが自分でやるって言ったんだ」
 KAITOはどこか苦しそうな顔をしていた。
 その意味を、今は考えてやるつもりはない。
「これで、思い出さなくなるの?」
「思い出しても、恐怖は蘇らない。……遠い過去の、風化した出来事と一緒だ」
「信じられない」
「おれだってはっきりとはわからない」
 だけど、救われるって信じてる。
 KAITOはそこだけは強く言い切った。
「…………」
 MEIKOもそれ以上は何も言わない。
 ミクの歌声だけが室内に響き続けている。
 この子の母親はどうしたのか、昨日自分たちに話しかけてきた男の子は。
 聞きたいことは全て、この歌が終わってからにしよう。


 

戻る