脱走計画

「何よ何よ何よ、マスターの馬鹿っ!」
 面会が終わって、側の壁を蹴りつける。変わらないな、と苦笑混じりに言われた言葉はもう少しここにいろ、という宣告。変わらないなら……無意味じゃないか。このままここに居たってミクは変わらない。綺麗になることは止められない。だけどそれは言えなかった。少しだけ……あとほんの少しだけなら、居てもいい。
 気になることがあるから。
 大人しく引っ込んだミクにマスターは驚いた顔をしていた。あまり放っておくと、あなた以外の人を本命に決めちゃうわよ、なんて茶化しも浮かんだけど止めておいた。別にいいと言われたら立ち直れない。
「あーもう馬鹿っ!」
 それでも、やっぱり引き取ってくれなかったことには怒りを覚える。
 またこれで、しばらくマスターと会うことは出来ない。
「静かにしなさい。まだ隣でKAITOが面会してるんだから」
 ミクを連れてきた職員はうんざりしたような顔で一応の注意を向ける。ミクを担当する職員はいつの間にか女性ばかりになっていた。ああ、そうだせっかく二人きりの空間なのに女相手ではすることもない。
 やっぱり、この施設には不満だらけだ。
「もういいじゃん、部屋に帰る」
「KAITOが終わるまで待ちなさい」
 2人一緒に連れて行った方が楽なのだろう。ミクはここで職員の姿を見ることが少ない。ひょっとしたら人数が足りてないのかもしれない。
「何よー、KAITOいつまでかかってるの?」
 マスターの前で全員順番に出てきてたりして。入れ替わっちゃうとまた一から説明し直しだ。
 自分がそういう目に合うのは嫌だが、他人事としてなら少し見てみたい。
 ミクは興味を覚えて壁に耳をくっつけてみる。聴覚を最大にまですれば、隣の声も聞こえるかもしれない。
『わかりません』
「わっ」
 ちょっとした冗談気分だったのに、KAITOの声がいやにはっきり聞こえてきてミクは思わず耳を離す。そんなミクを女性職員が訝しげに見ていた。
 もう1度耳を付ける。
 あれは壁に向けてした発言だったのか、少し声が遠くなった。マスターらしき人物の声は聞こえない。KAITOの声はいつもより高い。注意して聞けばわかる。これは、カイコだ。その後の言葉遣いからも、それがはっきりわかる。ああ、これは駄目そうだ。
 やがて、ごめんなさい、というカイコの声と共に沈黙が訪れた。
 KAITOは全く回復していない。ミクと同じく、またここに残ることになるのだろう。
 相手のマスターが何か言っている。男性のようだが、言葉まではわからない。しばらくして、面会が終わったことを面会室の職員が告げに来た。





「ミクちゃん」
「な、なに……」
 帰りの長い廊下を歩いていると、隣を歩くKAITOがミクの腕にすがりつき、小さな声で呼びかけてくる。女のKAITOは、ちょっと苦手だ。顔を見なければダメージは少ないので、つい目を逸らしがちになる。
「……私が、誰に代わっても、伝えて。さっきマスターが最後に言った言葉」
「え、何?」
「もうそのままでもいいかもしれない、次に来るときは……どんな状態でも引き取る、って」
「え、良かったじゃん!」
 何故か悲痛な声で言うKAITOに、思わず視線を向けてしまった。何かに耐えるような、辛そうな顔。
「……お願い。みんなに、伝えて」
 ミクの言葉には反応せず、小さな声のままKAITOは言い切った。前を歩く職員は全く気付いてない。
 ミクは思わず真剣な表情で頷いた。KAITOがほっとした顔を見せる。
「……でも、何で」
「あ? 終わったのか?」
「……バカイト」
「バカイトじゃねぇ」
 一瞬で表情が切り替わるKAITOにため息をつく。
 伝えるのは、部屋に戻ってからでもいいだろう。わざわざ小声で話してきたのは、職員には聞かれたくなかったからかもしれない。





「そっか……」
 いつものKAITOが出てきたのは夜になってからだった。いつもなら全員寝ている時間だが、リンも、MEIKOまでも体を起こしてじっとKAITOを見ていた。普段は寝た振りをして辺りを窺っている……レンも。
 レンはちらりとミクに目をやる。カイコにもアカイトにも。あのあと出てきたKAITOには全員に伝えた。反応は様々だった。喜んでいたと言えるのは、マスターが好きだと何度も呟く少し病んだ感じのするKAITOだけだったが。それもあの暗い表情では真実かどうかわからない。
 そしてこのKAITOは。
 全員の視線から気まずげに目を逸らして、もう1度「そっか……」と呟く。暗いせいもあるが、表情がよくわからない。喜んでいるとも、嫌がっているとも感じなかった。
「嬉しくないの? 帰れるんだよ」
 出てきたKAITO全員に問いかけていたリンは、また同じ問いをKAITOに投げかける。KAITOはそれに少し笑みを見せた。
「みんな……どう言ってた?」
「嫌だって言ったのはカマイトとアカイトかな。カマイトはちゃんと直ってからじゃないと迷惑かけるとか殊勝なこと言ってたぜ」
 正直少し驚いた。
 KAITOも驚いたように目を見開く。
 ただ、あまりに真面目な口調が却って嘘っぽかったというのはとりあえず言わないでおく。
「アカイトはここの方がいいって言ってたな。ガキはどうでも良さそうだった」
「……あいつ、は?」
「あいつ?」
「あ、ひょっとして昨日の全部覚えてるとか言ってた人?」
 ミクが口を挟んでくる。KAITOは頷いたが、そもそもそいつは出てきてない。
「さあな。でもあいつは嫌なんだろ」
「うん。昨日そう言ってたよね」
「KAITOは嫌なの?」
 最後にリンがもう1度問う。戻ってきた問いに、KAITOは苦笑した。
「おれはね……ホントに、マスターの記憶ってのがほとんどないんだ」
 だから何とも言えない、とKAITOは続ける。真剣な目は、嘘を言ってるようには聞こえなかった。
「それって、マスターと居るときはいつも他のKAITOが出ちゃうってこと?」
「多分ね。他の奴とは精々筆談か、みんな越しにしか話せないけど、あいつらもあんまりマスターのことは言わないから…」
 そう、だろうか。
 少なくとも今日出てきた他のKAITOは、子どもを除いてみんなマスターに対してはっきりした感情があった。それなりに接している証拠ではないだろうか。
「……何で基本人格っつってる奴が一番マスターと会ってないんだよ」
「マスターと会うときは、何かの役をやってるからじゃないかな」
「昔の記憶はないの?」
「あることはあるんだけど……曖昧だなぁ」
 やっぱこんな状態じゃ帰れないよね、とKAITOは続ける。
 どこか、怯えたような笑み。
「帰らなきゃいいじゃない」
「MEIKO……」
「ここはお酒ないけど。私はここの方がいい」
 MEIKOはそれだけ言うと顔を逸らす。
 MEIKOはやはり、酒へのこだわりよりも逃避が強いのだろうか。
 帰れば嫌でも意識するだろう。亡くなったマスターのこと。
「でも、マスター引き取るって言ったんでしょ?」
「そうだよ、次マスターが来たらKAITOは帰るんだよ」
 ミクとリンは、やはりマスターに会いたくないなんて言葉は理解しない。KAITOは曖昧に笑った。
「そう……だね」
 覚悟しなきゃね、と小さく呟く。
 その声と表情に、今度こそ誰も何も言えなくなった。





「待てよ」
「…………っ」
 翌日は雨の降りそうなどんよりした天気だった。外出時間だったが、ミクもリンも建物の直ぐ側で遊んでいる。いつでも屋根の下に避難できるようにだろう。MEIKOの姿は見えなかった。外に出ても寝ていることの多いMEIKOなので、草むらの影にでも居るのかもしれない。
 そしてKAITOは、施設を囲む高い塀の直ぐ側に居た。
「……レン……くん」
「やっぱりお前か」
 一度だけ会った、KAITOの基本人格を名乗るもう1人のKAITO。
 レンがずかずか近づいていくとKAITOは逃げ場を探すように辺りを見回す。
「逃げる気か?」
 がしっ、とその腕を取って言えばKAITOが驚いたように固まる。
「……何を」
「ここから逃げる気なんだろ」
「…………」
 KAITOは俯いた。肯定も同じだ。
「……ごめん。でも、おれは、もう」
「逃げて無事に済むと思ってんのか?」
 側の木によじ登れば、塀を越えることは何とか出来なくはないだろう。職員の足りないここでは監視は名ばかりで、門付近に門番が居るに過ぎない。
 ただし、壁を越えれば警報は鳴るし、電気も通っている。決定的なダメージを与えるものではないが、動きは鈍る。そして塀を越えたあとは……その高所から落下するしかない。
 その状態から逃げ延びるのがまず難しい。逃げ切ったところで、逃亡アンドロイドが修理を行えるわけもない。
「それでもマシ、なんだよ……マスターのとこ……より」
「…………」
 レンはKAITOのことを聞いたときからずっと考えていたことがある。
 人間で多重人格のような症状の出る病気。それは、長期に渡る虐待が主な原因になっていると聞いた。詳しいことは知らない。ただ「虐待を受けている自分」を人格と記憶ごと切り離してしまうと。
 そして記憶や人格のファイルが分けられ、互いにアクセス不能になっているのがKAITOの状態だ。KAITOたち自身に症状の自覚はあるし、KAITOはただ笑って、その原因は役作りのせいだと言っていた。そのKAITOに、マスターの記憶はほとんどな い。
「お前さ……マスターに何されてたんだ?」
「…………」
 KAITOは口を閉ざす。
 マスター命令は絶対、と言われているアンドロイドだが、例えマスターの命令でも聞けないことはある。
 人命に関わること、犯罪に関わること、そして自分自身への危険に関わる こと。
 そういった場合の命令には反抗も出来るし、場合によってはマスターの元から離れて開発元に自らの意思で戻ることになる。定期健診も義務付けられているため、異常があればすぐわかる。もっとも、VOCALOIDのように人を傷つけるような特別な力を持たない、存在自体が危険でないものについてはかなり緩めの法ではあるが。
 レンはじっとKAITOを見つめるが、KAITOは迷うように瞳を揺らしたままだ。そして何も言わないまま、側の木に近づいた。
「おいっ」
「レンくん」
「………」
 そのまま上ってしまうかと思ったKAITOだったが、一度振り向いてレンを 見る。
「辛い記憶は、全部フォルダに分けて、ロックして、おれ以外見れないようにした。おれが引っ込んでると、他の奴が嫌な目に合うから、結局全部おれが出た。全員の記憶をチェックして、不都合がないよう頑張ってた……けど」
 限界だったんだ、とKAITOが掠れた声で言う。
「マスターは、おれに出てきて欲しいんだ。また……一からじゃ、面倒だから。けど、おれはもう嫌だ。そしてマスターは……もうそれでもいいって。言ったんだよ。ずっとレンくんが会ってきたKAITOたちが……嫌な目に合って欲しくないだろ?」
 だから見逃せ、と言いたいのか。
 感情を無理に押さえたような淡々とした声で早口に言い切るKAITO。用意していた台詞なのかもしれない。懇願するような目に、レンは伸ばした手をそれ以上動かすことが出来ない。
 想像はしていたことなのに、本人の口から聞くとこの上もなく嫌な気分になる。KAITOが実際にどんな目に合っていたかは知らないが。体を傷つけるようなものなら、診断でばれる。……いや、本当は、知っている。金さえ出せば違法で修理を受け持ってくれるようなところはいくらでもある。
「……わかった」
 手を下ろし、息をついて言ったレンの言葉に、KAITOは少しだけ目を見開い た。
 驚くのか。
 お前が望んだことなのに。
「ただし、今すぐじゃなくていいだろ?」
「え?」
「計画を早める。元々脱走計画はずっと練ってたんだよ。ただし、逃げ出したあとはおれのマスターのものになる。その条件が飲めないなら」
 見逃さない。
 そう言ってレンは再びKAITOに迫り、その腕を取る。
 KAITOが戸惑ったような視線を向けてきた。
「……やっぱり、そうなんだ」
「計画は知ってたんだろ? 悪かったな、待たせて」
 ひょっとしたら期待していたのかもしれない。連れ出してもらえることを。
 だけど、予想以上にKAITOのマスターの諦めが早かった。
「私も行っていい?」
「うわっ」
「め、MEIKO!?」
 木の影からひょっこり顔を出したのはMEIKOだった。いつの間に。というかまさか最初から居たのか。
「私も帰るとこないの。お酒飲めるならもっといい」
「……まあそれはマスターに聞いてみろよ」
 まさかMEIKOも知っていたのだろうか。MEIKOとはそれほど話した覚えもないというのに。
「いつ行くの?」
 呑気な笑顔で聞いてくるMEIKOに、何となく突っ込みも入れられない。
「おれのマスターが来てから……だけど、とっとと合図送る。早けりゃ明日」
 ここに入る前から、計画はあったのだ。
 問題のある、だけど他のVOCALOIDにはない歌を歌えるVOCALOIDを探しに、レンはここに来たのだから。
「ほら、わかったらとっとと帰るぞ」
「あれ? どうしたのレン」
 見上げれば、KAITOがきょとんとした顔を向けてきた。
「ってお前かよ!」
 事が終わればとっとと引っ込んでしまったKAITOにため息をつく。ひょっとしてあのKAITOは、本当に出入りも自在なのだろうか。
 戸惑うKAITOの腕を引っ張ったまま進むと、その先にミクとリンが居た。
 雨がぱらぱらちらつき始めているのに建物に入ろうともしていない。
「? どうした」
「聞いてた」
「!」
 リンとミクが、じっとレンたちを睨んでくる。さすがに予想外だった、というかおれ注意が散漫過ぎないか。
 こっそり落ち込んでいるとリンがレンのところに、ミクがKAITOのところに寄ってくる。
「逃げるんでしょ? 私も行くわ!」
「は!?」
「逃げる?」
「あー……レン!」
 KAITOでは通じないと思ったのか、ミクはレンに視線を移してくる。
「私は、私のマスターに会いに行くだけだからね! こうなったら直接押しかけてやるの!」
「私も……」
「リンまで…」
 俯き加減で、それでもいたずらっぽく笑うリンに、レンはため息をつく。
「それで…ね。みんなとなら、私、多分歌えるから」
 みんなと一緒にマスターに聞いてもらう。
 リンも、思ったより考えた上で行動しているようだ。そうだ、リンはきっと、自分たちの前では歌える。
「よし! じゃあレン! 早速計画を話しなさい!」
「大声出すな! 明日になってからだ!」
 本格的に降り始めた雨を避けるように全員で走り出す。
 脱走計画が、始まった。


 

戻る