それも個性

 今なら誰も居ない。
 何度も何度も確認して、リンは一つ息をついた。
 ここは外。閉ざされた空間じゃない。いつ誰がくるかわからない。
 ないはずの心臓がどくどくと高鳴っている気がする。無意識に胸の前で拳を握り、リンは息を吸い込んだ。
「あれ? リン」
「ひっ」
 一瞬で体が強張って息が止った。
 駄目だ。
 やっぱり、歌えない。





「何がそんなに駄目なのかなー」
「さあねぇ。あ、ミク、それ取って」
「はい。だってさー、私らにとって歌うことって当たり前っていうか本能みたいなもんじゃない?」
「うん。ミク、それも取って」
「MEIKOのお酒ないと歌わないってのもわかんないけどさ、まだね? まだわかるよ。お酒が凄い好きで、お酒貰うためにわざと歌わないとか」
「まあMEIKOの場合どうかわかんないけどね。ミク、もう1個」
「ああ、もうっ、場所代わりなさいよ」
 VOCALOID更生施設。問題のあるVOCALOIDを正しく更生させてマスターの元に戻すための施設。ここに入れられて既に一ヶ月以上。みんなで歌ったり、何度も自己紹介をさせられたり、カウンセリングのようなものを受けたり、チーム作業をしたり。一体何が更生のために役立ってるのかミクにはさっぱりわからない。まあ、更生といってもミクは自分に問題があるとは全く思ってないが。
「お前ら半分に分けろよ、それ」
 今日はチーム作業の日。といっても楽譜のチェックをやらされているだけだ。ただ単に余った労働力を使おうというだけのようにしか見えない。マスターはここにVOCALOIDを入れるのにお金を使ってるというのに。
「分けたら順番おかしくならない?」
「後で並べた方が早いだろ。っていうかどうせみんなばらばらに取ってんだ から」
 ミクの隣に重ねられた楽譜。それを順番にとってチェックして、積み重ねる。KAITOの方が作業が早いため何度もミクが楽譜に手を伸ばすはめになっていた。早いKAITOが近いところに居ればいいと思ったが、それよりレンの言う通りか。
「はい、KAITO。それでね、この間の発表会でも結局リンは歌わなかったわけでしょ?」
「うん」
 会話を続けるミクにKAITOはずっと生返事をしている。それでも答えてくれるだけマシだろう。レンは黙々と作業をしているし、MEIKOは相変わらず寝ている。リンは個別カウンセリングと言って連れて行かれていた。
「あそこで無理に歌わせないのなら、何のためにここに居るのかわかんないじゃない」
「…………」
 ホントここって何やりたいかわからない、と続けようとしたのにKAITOの返事がなかった。首を傾げながら覗き込むと、目が合ったKAITOがはっとしたように笑顔を向ける。
「……うん、そうだね」
「……っていうか聞いてる? さっきから」
「聞いてるよ、それよりミク、手が止まってる。これ今日中だからね」
「わかってるわよっ」
 MEIKOが戦力にならないので結構きつい。MEIKOを無理に起こすと殴られるというのは既に実体験で覚えたことなので手伝ってもらうわけにはいかない。
 しばらく黙って作業をしたが、やはりミクは沈黙には耐えられない。
「……あーっ、もう! こんなとこ早く出たい!」
「お、それじゃおれと逃げるか?」
「………うわ」
 いきなり肩に腕を回され、間近に迫ったKAITOのにやけた笑みを見て、ミクは顔が引きつるのを感じた。複数の人格が存在し、何のきっかけもなくそれが入れ替わってしまうKAITO。出現頻度が高いのは、カマイト、カイコ、そしてこの女垂らしだった。
「バカイト。あんたに用はないって言ってんでしょ」
「だからバカイトは止めろ。おれのことは……そうだな、アカイトとでも呼べ よ」
「何それ。何が赤いの」
「愛かな」
「わけわかんない」
 KAITOは、ミク好みのいい男だ。何せ顔がいい。背が高い。おまけに声もいいし、年上だ。
 ミクにとってはそれで十分で、今までもそういう男を見つければ片っ端から迫っていた。この男だって、顔や身長や声はKAITOと変わらない。だけどどうしても、ミクはこのKAITO……本人曰くアカイトを好きになれないでいた。
「おいバカイト」
「ああ? 何だチビ」
「よしバカイトで返事したな、今楽譜チェックしてんだよ、お前もやったことあんだろ、とっととやれ」
「……その横で寝転がってる女にでも言えよ、おれは関係ねえ」
 レンの言葉に怒りの表情を浮かべたKAITOだったが、何とか抑えるように息を吐いて、矛先をMEIKOに移す。
 レンがにやりと笑った。
「……お前が何とかしろよ。口説くのは得意なんじゃないのか?」
「……年上に興味はねぇよ」
 MEIKOはKAITOより年上なのか。
 あまり考えたことはなかったが、何だか妙に違和感がある。普段のMEIKOが子どもっぽく、KAITOが大人っぽいせいだろうか。そもそも外見的には大して差があるようには見えないが。
「ホントにそれだけの理由か」
「…………」
 面白そうに笑うレンに、KAITOは顔を逸らした。
 ああ、多分以前起こしたことがあるのだろう。ならば間違いなく殴られている。どこで覚えたのか、MEIKOの拳は結構強烈だ。
「……あ、あの、今これやってるのね?」
「あ……」
 KAITOの口調が変わった。
 女のKAITO。カイコ。
「……あいついつも引っ込むタイミングよすぎなんだよな」
「わざとなんじゃない」
 それが自由に出来るなら、もうKAITOは問題ないということになってしまうけ ど。
「あの……」
「ああ、大丈夫。お前が出てくれて助かった。KAITOとお前以外真面目にやるやついないからな」
「あ、ありがとう」
 お礼を言うようなことだろうか。
 レンに褒められて嬉しげにはにかむKAITOは……やっぱり直視したくなかっ た。





「……おはよう」
「……おはよー、MEIKO、もう夕方近いけどねー」
 ぐったりと床に倒れていたミクは、ようやく起きてきたMEIKOに苦笑する。結局作業中最後までKAITOは出てこず、いつも以上にミクやレンの負担が大きくなってしまった。カイコは真面目だが、作業が遅いのだ。
 そんな状況も知らずMEIKOは体を起こすと呑気に伸びをした。そして部屋の中を見回し、人数が足りないことに気付いたようだ。
「リンとレンは?」
「外出てるよ」
「え、出ていいの?」
 外出時間は制限されているが、全く出られないわけではない。外出と言っても高い塀で囲まれたこの建物の、庭の散策ぐらいしかやれることはないが。
 外出の時間帯に、ミクが部屋に閉じこもってることはないので疑問に思ったのだろう。
「今は出てもいい時間。MEIKOも、外行くなら早く行かないと時間ないよ。あ、でもリンが歌ってるかもしれないから気を付けてね」
「……どういうこと?」
「何か職員に言われたみたいでさー。泣きそうな顔してレン引っ張ってったよ」
 カウンセリングから帰ってきたリンは、いつも以上に思いつめた様子だった。レンになら歌える、と呟いていたので歌ってくるつもりなんだと思う。
「いつ?」
「ついさっき」
 出ていくのと、ほぼ入れ違いにMEIKOが目を覚ましたのだ。
 そう言うとMEIKOはすぐさま立ち上がり、ミクの手を取る。
「え、何?」
「行こう。リンが歌ってるなら聞きに行こう!」
「いや、だって私たち居たら歌えないでしょ?」
「だから。こっそり」
「……こっそり」
「賛成」
「わっ」
 突然上がった高い声はKAITOだった。にこにこと笑いながら手を挙げている。これは……子どものKAITOか。
「行こう。ぼくも聞きたい」
「……絶対ばれないように。出来る?」
「出来るよ!」
 でかい図体で子どもっぽい笑みを見せるKAITO。女のKAITOよりはまだマシだ。ミクは一つ頷いて座り込んでいるKAITOの頭に手を置く。
「よし、じゃあ行こうか!」
「うん!」
 3人でばたばたと外へ出た。廊下を走りながら、2人はどこに行っただろうと考える。以前ミクはリンが庭の隅で歌うおとしているのに遭遇したことがある。あの場所だろうか。
「あ、ねえ、こっち!」
「ちょっ……」
 KAITOが後ろからいきなりミクの腕を引っ張った。子どもKAITOと言っても体は大人だ。無遠慮な力に思わず悲鳴を上げそうになる。腕が壊れたらどうするんだ。
「今声が聞こえた」
 MEIKOも同じく立ち止まっていた。まだようやく1階に下りたところなのに。思っていると、ミクも廊下の窓が細く開いているのに気付く。
「どうしたんだよ」
 近づくと突然レンの声が聞こえて慌てる。窓の側、建物の影にレンたちは居るようだった。
「コカイト、静かにね」
「うん!」
 返事が大きい。
 ミクは軽くはたいてそのままその頭を押さえつけた。声だけで十分なのだから、窓から顔を出す必要はない。気付けばMEIKOも同じように窓の側にしゃがみ込んでいる。
「……何か言われたのか?」
 レンの言葉からすると、まだ会話は始まったばかりだ。盗み聞きの気分が増して、さすがにちょっと悪い気持ちになる。リンは、レンのみを引っ張って行ったの に。
「……このままじゃ、いつまで経っても帰れないぞ……って……」
 リンの語尾が泣きそうに歪む。
 カウンセリング、という名で行われるここでの面接は、正直相手が言いたいこと言ってるだけだとミクは思っている。ミクも随分見当違いに責められた。何でみんなミクを無節操だと言うのだろうか。相手は選んでいるのに。大体色んな人と恋をすることの何が悪いのか。マスターならまだともかく、職員に責められる筋合いは ない。
 思わず職員への不満に思考がいきかけて、はっとして首を振る。今はリンの話。おそらくリンも、職員に好き勝手言われているのだろう。
 ミクはしっかり壁に張り付いて、その先の会話に耳を澄ます。
「そりゃそうだろうな。お前、この間の発表会でも歌わなかっただろ」
「だ、だって……」
「そんなに自分の歌に自信がないのかよ」
「違うよ!」
 いきなりリンが強い否定を返した。内容とその声の響きにミクは驚いて思わず窓から顔を覗かせる。リンは強い目で、レンを見ていた。
「下手じゃない……私は…マスターは下手じゃない……」
 一気に弱々しくなった声。
 レンが沈黙した。
「……下手…なら、私が悪いんだよ! なのにみんな、マスターが悪いって言う…から…」
 裏返ったような掠れた声。聞き取るのに苦労する。
 ああ……リンが歌えない理由は、それなのか。
「おれはお前の歌が悪いとは思わない」
「聞いたことないくせに」
「だったら聞かせろよ。そのためにおれ引っ張ってきたんだろ」
「…………」
 リンはレンに懐いている。同型だからか、レンになら歌える、と以前リンが言っていたことを思い出す。他人とは思えない、ということだろうか。実際男女の違いだけで、造りはほぼ同じだから、そうなのだろう。
「歌わないのか?」
「……歌う」
「お前ずっとマスターと離れてるんだから。今のお前の歌はマスター関係ない ぞ」
「……うん」
 リンは一瞬寂しげな目をしたが、逆にそれでほっとしたようだった。
 リンが息を吸い込むのを見て、ミクはもう1度顔を引っ込める。
 あとは、流れてくる歌を聴くだけだ。
 目を閉じた瞬間、聞こえてくる歌声。
 かつて聞いたMEIKOの力強い歌声とは違う。
 KAITOの優しい歌声とも違う。
 一言で言うと、
「可愛いー!」
 そう、可愛い……って、え?
 ちょうと歌の切れ目で、ミクの隣で大声が上がった。MEIKOがいつの間にか立ち上がっている。
「ちょっ、何やってるのよ!」
「リンちゃん可愛い!」
「ってKAITOまで!」
 窓から飛び出すMEIKOとKAITO。MEIKOがリンを抱きしめた。驚いて歌が止まったリンはされるがままだ。
「……何やってんだよ」
「あ、レン……」
 どうしたものかと窓の側で立ち尽くしていると、側まで来たのはレンだった。
「あれは私のせいじゃないわよ?」
「まあわかってるけど」
「リンの歌、全然下手じゃないじゃない」
「ああ。癖があるから嫌いな奴は嫌いだろうけどな」
「……そう? 私は好きだけど。もっと自信持って歌えば良く……なるわけじゃないか」
「わかってんじゃねぇか」
 多分、堂々と歌ってしまっては面白くない歌だ。おそるおそる、だけど綺麗に可愛く響く声。守ってあげたい、なんて気持ちに自分がなるとは思わなかった。ミクには絶対に歌えない歌だ。
「レンは聞いたことあったの? リンの歌」
「一度だけな。こっそり練習してるとこ。……なあ、ミク」
「何?」
「……あれ、直さなくてもいいって思わねぇ?」
 歌い方は、多分性格的なところがある。ミクが何を歌っても色気過剰……いや、情熱的と言われるように。
「……そうね。いいじゃん、あの歌」
 あんな風に歌いたいとは思わないけど。あんな風な歌をなくしたいとは思わ ない。
「何? レンはリンにここから出て欲しくないとか?」
 少しからかうように声を潜めれば、レンは一瞬驚いたような顔をしたあと「まあな」と呟いた。
「何よー、あんたリン狙いだったの? だったら協力するわよ! 勿論私とKAITOの仲を取り持つ協力も……ってちょっと!」
 話の途中でレンはリンたちの下へ戻ってしまった。
 ミクも思わず窓から飛び出る。
 MEIKOに抱きつかれ、子どもっぽいKAITOの賞賛を浴びるリンは、どこか嬉しそうだった。
 ああ、私たちの前でなら歌えるようになるのかもしれない。
 だったら本当に。
 このままで問題ないような気もする。


 

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