更生

「痛いっ、離してよ! こんなとこに私を連れてきてどうするつもり! あっ、体ね! 私の体が目当てなのね!」
 手を振り回して叫んでみても、ミクの首元を引っつかむ男は呆れたため息しか返さな い。
 それでも、多少の感情を向けられたことに反応して、ミクは更に続ける。
「せめて手を握るなりお姫様抱っこするなりしなさいよっ! 私は猫じゃないんだ から!」
 叫びの声は広い廊下によく響いた。延々続く白い壁、白い扉に多少の恐怖も覚えている。男はひたすら無言で、ミクを引きずるように歩く。やがて騒ぐ言葉の語彙も尽き、ミクが口を尖らせて黙りこんだ頃、男はようやく足を止めた。男につられるように、ミクは顔を上げる。廊下の途中の、やはり白い扉。札もかかっていなければ、番号が打たれているわけでもない。最初からこの部屋を目指していたのかすらわからず、ミクは戸惑いの視線を投げかける。だが、それにも男はやはり何も言わず、腰から鍵の束を取り出して右手に持ち、コンコン、とドアをノックした。
「…………」
 扉の中で気配が動く。だが返事はない。男はしばらく何かを待つようにじっとしていたが、やがてがちゃりと扉の鍵を開いた。
「……何よ」
「入れ」
「嫌よ、何で私がこんなところに、」
「中にはいい男も居るぞ」
「……! そ、そんなの関係ないわ。外の方がいっぱいいい男いるんだから」
 言いながらも、好奇心に負けてミクはちらりと部屋の中へと目を向けた。その瞬間、思い切り背中を突き飛ばされる。
「やっ……!」
 勢いで数歩前に進み、何とか転ぶことは回避したもの、ミクが振り向くと同時に扉は音を立てて閉まった。慌てて駆け寄ってノブを回すも、予想通り開かない。
 閉じ込められた。
 もう、出られない。
「………っ」
 絶望がミクを襲う。
 ここに来たときから、こうなることはわかっていたはずなのに。精一杯強がってはいたが、男の姿が消えた今、それも無意味だった。大声で泣きたくて、ミクはドアに手をついたまま息を吸い込む。そのとき背後からかかった声に、ミクはその息を思わず飲み込んでしまった。
「何やってんの、あんた」
 そうだ、中にはまだ人が居る。いい男も居ると言われてたっけ。
 ミクは呼吸を落ち着かせるとゆっくりと振り向く。予想通りの真っ白な部屋。予想と違うのは外に向けて作られた大きな窓。ただし、鉄格子が嵌っていたが。
 中にあるのは椅子が5脚のみだった。その一つに座っているのが金髪の少年。先ほど声をかけたのも彼だろう。椅子に片足を乗せて面白そうにミクを見ている。その下には、床に直接座り込む同じく金髪の女の子。顔も服装も似ている。おそらくセットになっているアンドロイドなのだろう。
 更にミクは視線を動かす。部屋の角で壁にもたれかかるようにして俯いているのは赤い服の女性。だらしない姿勢にはあまり力が入っているようには見えない。ひょっとして眠っているのか。目は、閉じているように見えた。
 そして窓際、鉄格子にもたれかかるようにして立っていたのが、青い髪の男。白いコートとマフラーが、一人だけ季節感を狂わせる。外を見ていた男が、ミクの視線を感じたのか振り向いた。整った顔立ちにどこか上の空の表情。ミクは直感した。
 これか。
 ミクはにんまり笑うとその男へと駆け寄る。一応男はもう1人居たが年下にはあまり興味はない。まあ選ぶ余地もないからいずれ手を出すかもしれないけど。
 そしてミクは男の直ぐ側まで来てその手を取った。
「初めましてお兄ちゃん。私はミク。16歳よ。ね、私といいことしよ?」
 両手をその手に絡ませて上目遣いに笑顔を作る。その手を自分の胸に押し当てようとしたとき、男が目を見開いてミクの手を振り払った。
「な、何よっ、あんた、いきなり! 私は女の子なんかに興味ないわよっ!」
「は……?」
 ミクの目が点になり、男の視線がそらされる。
 一瞬遅れて、金髪の少年少女が盛大な笑い声を上げた。





「KAITOぉ、お酒はー」
「ないよー」
「お酒がないと私は歌えません」
「うん、今は歌わなくていいから」
「お酒をくださいKAITOさん」
「だからないって言ってるでしょ」
 床にあぐらをかいて座ったKAITOにMEIKOが擦り寄ってくる。寝転がったような状態で膝にしがみつくMEIKOの頭をKAITOがぽんぽんとあやすように叩いていた。同じく床に座り込んだまま、ミクは呆然とその様子を見つめる。
 笑っていた少年少女がようやく近寄ってきた。
「はいはい、新入りのおねーさん、驚く前にまず自分のことを説明しましょう。自己紹介は徹底してやらされるからねー。出来ないと困るよ」
 明るい声で手を叩く少年はレン。先ほど男が全員の名を呼んだことで理解した。男の名前は、ようやく起きた女性が呼んだ。まだ名前以外は何もわからない。ミクは呆然としたまま、言われるままに答える。
「私はミク。初音ミク。16歳。VOCALOID。マスターから問題ありとされてアンドロイド更生施設に送られてきました」
「うん、後半要らない、みんなそうだから」
 レンが頷く。そうだ、ここはアンドロイド更生施設。問題ありと判断されたアンドロイドたちが再教育を受ける場所。だからここに居るメンバーも、全員がそれなりに問題を抱えているのだ。
 ミクはまだKAITOとMEIKOから目を逸らせない。
 先ほど高い声でミクの手を振り払ったKAITO。言葉遣いも表情も、さっきとは違う。さっきのは何かの冗談か。迫ってかわされることはたまにあったが、あんなかわされ方をしたことはない。おかげでいまだに動けない。
「それよりどういう問題で? まあ、さっきの言動からすると男に見境なく手を出すからとか?」
 レンの言葉にミクはようやくレンを見た。きっ、と睨み返す。
「見境なくなんかないわよ、ちゃんと相手は選んでるわ! 恋は女を磨くのよ、だからいっぱい恋愛しろって言ったのはマスターなのに!」
 ここに送られた不満を怒鳴るようにぶちまけるとレンはリンと顔を見合わせた。僅かにミクを笑っているような感じがして気に食わない。ミクは腕を組んで胸を貼ると、2人に向かって問いかける。
「あんたたちはどうなのよ。問題ありでここに来たんでしょ?」
「問題なぁ……。おれは別に問題だと思ってないけど」
「問題でしょ。自分を好きなのはいいけど、マスターに従わないのは問題だよ」
 横から口を挟んだのはKAITOだった。いつの間にかMEIKOはKAITOの膝の上で眠っている。ミクが目を向けたのに気付き、KAITOが少し苦笑いを向ける。
「さっきはごめんねー。ええとね、おれの場合何ていうか、二重人格? みたいな。いろんな役を出来るようにって役作りしてたらそれが人格として固定されちゃってね。一応今のおれが元人格のはずだけど、そうじゃないって主張する奴もいるから、まあ混乱すると思うけどよろしく」
 説明だけで大混乱だ。
 そんなことが起こり得るのか。
「……じゃ、さっきのって」
「カマイト? かな。記憶も結構ごっちゃになるからはっきりとはわからないんだけど。女言葉はカマイトかKAIKO。一応全部説明しとこうか?」
「……いや……いい……あとで」
「そう?」
 何となく、今は受け入れられそうになかった。どれくらいの頻度で何かきっかけで入れ替わるのかも聞きたいが、頭の処理を追いつかせる自信がない。とりあえずわかったのは、迂闊に手を出せないということだ。
「ええと、それで……レン? は何? マスターの言うこと聞かないの?」
「聞いてるよ。マスターの奴、おれが嫌いで言いがかりつけてんだよ」
「嘘ばっかり。わからないよう反抗してたのがばれたんでしょ」
「途中まで騙されてたんだから、別にそのままで良かったと思わねぇ?」
「おれは思わない」
 KAITOは苦笑いだ。何となく、わかってきた。レンはきっと、性格に問題がある。
「ええと…リンとMEIKOは?」
 言われてレンはリンを、KAITOはMEIKOを見た。先に答えたのはレンだった。
「リンはなー……。リン、お前歌ってみろ」
 リンがびくりと体を揺らすと、何か懇願するようにレンを見つめる。そして小さく首を振った。横に。
「え」
 歌うのを拒否した?
 ミクが目を見開くとレンがため息をつく。
「……人前で歌えないんだとよ」
 マスターには何とか歌ってたらしいけど。
 リンが恥ずかしそうに頷く。恥ずかしいという理由なのか。VOCALOIDが。
 ミクの理解が追いつく間もなく、今度はKAITOが発言する。
「MEIKOはねー…。まあ寝てるか酒飲んでるかって感じで…。酒を与えないと歌わ ない」
 あと暴力的。
「…………」
 ミクはMEIKOを見下ろす。すやすやと気持ち良さそうに眠るMEIKOの、先ほどの発言を思い出す。
 何となく、ここに居るメンバーの中で一番問題がないのは自分なのではないかという気がした。
 ミクは、マスターのことが好きで、マスターの言うことなら何でも聞くし、誰の前でだって歌う。いつ、どんな状況でだって歌う。人格が入れ替わったりもしない。いつも普通に歌える。
 だから、やっぱり自分がここに来たのは間違いだ。
 自分には何の問題もない。
 ミクは改めてその思いを強くした。





「あっ、あそこっ! いい男!」
「おいおい、部屋の仲間以外との接触はルール違反だぜ。大人しくおれにしとけ、ほ ら」
「うっさい! あんた何カイト? ああ、そうだ、バカイトね! 押し倒した途端女の子になっちゃうような奴に興味ないの!」
「バカイトはひでぇな、そんなのいないぞ、おれん中に。それに女の子同士ってのもまた違った味わいあると思うぜ? 何ならKAIKOに代わってやろうか」
「どうせならKAITO呼びなさいよ、普通のKAITO。っていうかどうせ自由に入れ替わりなんか出来ないんでしょ!」
 出来るようになればひょっとしたら合格なのかもしれない。KAITO自身が知らない間に記憶も人格もごっちゃになってしまうのが問題なのだから。使い分けられればいいのだろう。だがKAITOは皮肉気に顔を歪ませる。
「あんななよっちいのよりおれにしとけ。少なくとも体はKAITOだぜ?」
「重要なのは体じゃなくて心なのっ」
 ミクとKAITOのやり取りを聞きながら、レンはため息をついていた。リンがどうしたの、と小さな声で問いかける。
「ミク、出ていくの早いかもな」
「何で?」
「KAITOと会ってるだけで勝手に更生されてってる気がする」
「何で?」
「……あいつは外見さえ良けりゃ見境いなかったんだろうし、体より心とか言い出したのは……ってか説明させんな、そんなの」
 レンが手を振ると、リンはきょとんとした顔で首を傾げた。
「KAITOー、お酒どこー」
 たまに部屋の外に出ても、結局地面で寝転がっていたMEIKOが、頭に草やら土やらつけたまま歩き回っている。こちらはいつもの光景だった。
「せっかく5人揃ったんだし……」
 何かしでかしてやろうと、レンはずっと思っていた。ここで受ける教育が自分たちを変えることになるとは全く思っていないけれど、万一を考えて。変わってしまうその前に。
「リン。お前おれの前なら歌えるか?」
 リンは一瞬体を強張らせたが、やがてゆっくりと笑顔を作り頷いた。
「レンなら…大丈夫」
「……そっか」
 少しずつ改善していくリン。
 つまらない。
「なあリン」
「何?」
「みんなでここ抜け出して、一緒に歌えたらいいな」
 監視カメラに笑ってみせる。
 やっぱり、早い方がいい。あのミクだって面白い。恋を知ろうとしているVOCALOIDだ。きっといい歌を歌える。
 型通りの教育だけじゃ型通りの歌しか歌えない。
 そうマスターに言われて、レンはここに来た。
 ようやく5人揃ったのだから。
 計画を実行に移す日は多分近い。


 

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