諦め
「何やってんだ、お前?」
まだ日の高い時間帯。仕事帰りのレンはブロック塀に張り付き、自宅をじっと見つめている女を見つけた。VOCALOIDの自宅は公表されてはいないが、たまにどこかから聞きつけたファンがやってくることがある。おそらくその一人だろうと思ったのだが……女は、全く動かない。普通ならもっと慌てるところだろうに。
「? おい、あんた」
明らかに年上だが、それ以上に不審者だ。少し乱暴な口調で腕を掴むと、ようやく女がはっとしたように顔を上げた。レンと目が合い、一瞬目が輝く。
「あ……」
だが、そこで女は腕を振り、そのまま走り去って行ってしまった。
やはり、ファンか。せめて一言ぐらい何か言っていけばいいのに。
美人だったが、変な女。
そう思いつつレンは自宅へ入る。リビングから歌声が流れていた。リンとミクは仕事なので、今家に居るのはKAITOとMEIKOだけ……と思ったが、歌声は一人
多い。
「……がくぽも来てんのか」
女性であるし、KAITO目当てかと思ったが、がくぽファンが後をつけてきた可能性もある。とりあえず忠告ぐらいはしとこうかとレンはリビングへと向かった。
「そういえば最近変な人が居るって聞いたな」
歌が終わるのを待ってリビングへ入ったレンの言葉に、まず答えたのはKAITOだった。いつもながらの呑気な回答に食いついたのは、その隣に居たがくぽ。
「ファンなら問題はないだろう。変な人ではない」
「いや、おれが言ったんじゃないけどさ。近所の人が見てるんだよ」
強い口調でファンを変人呼ばわりするなとばかりに怒る。KAITOが困った顔で返し、レンは思わず口を閉ざした。正直、先に言われなければ自分で言っていた気がする。他人の家を一人でじっと覗いている大人の姿というのはやはり、奇妙だ。
ファンだとは……思うのだが。
「レン、その人って……ひょっとしてピンクの長い髪の子?」
そして黙って聞いていたMEIKOがぽつりと言った言葉にレンは驚きつつ頷く。
「知ってんのか? 綺麗な人だったけど」
「私が直接見たわけじゃないんだけどね……これ」
MEIKOは立ち上がってリビング隅に置かれたクローゼットに向かう。ファンからのプレゼントを詰め込んだそこから、ぬいぐるみを取り出していた。KAITOが「あ」と小さな声を上げる。
「何だ?」
「昨日、ミクが貰ってきたのよ。そのピンクの髪の人からね」
「……じゃあ、やっぱりファンか?」
MEIKOはそれには答えず難しい顔をしたまま、ぬいぐるみをテーブルの上に置いた。タコのぬいぐるみというのがプレゼントとしては変わっていると思うが、可愛くデフォルメされたそれは女の子に贈るのにそれほど不自然でもない。手を伸ばそうとして、はみ出た綿に気が付いた。
「ん? これ……」
「それね。盗聴器が入ってたんだ」
「は!?」
持ち上げると、下の方にカッターで切ったような切れ込み。引っくり返している間に聞こえたKAITOの言葉には思わず大声を上げる。
「盗聴器だと? ならば犯罪者ではないか!」
「ま、初めてじゃないけどねー」
憤るがくぽに対し、KAITOは軽く笑って流す。慣れているのだろう。MEIKOも、特に怒りの表情は見せていなかった。こういうとき、この2人の諦めきった対応はレンには歯がゆくて仕方ない。
がくぽという思わぬ味方があったことで、レンもつい怒鳴るように言う。
「だからって許していいのかよ! 明らかに犯罪だろうが!」
「そうだ! それにミクに直接渡したのであろう! また近づいて何かあったらどうする!」
がくぽの言葉にそういえばそれもあったかと思う。盗聴器を直接手渡して、更に堂々と家を覗きこんでいるような女だ。そうだ、これから帰ってくるリンとミクがまた声をかけられないとも限らない。
「おれ、リンに電話しとく。捕まえろよ、そんな奴。別に強そうじゃなかったぞ!」
「人間相手なら強そうでも関係ないよ」
KAITOは淡々とそう返す。怒りが増した。
「そりゃそうだけどさ! そういう問題じゃないだろ!」
動きそうもない2人は無視して電話をかける。女は、レンが声をかけて去っていったが、またいつ戻ってくるかわからない。ああ、盗聴器が上手く働かなくて様子を見に来ていたのかもしれない。
そう考え始めると、先ほどは美人だと思った女の顔が恐ろしいものだった気もしてきた。捕まえるまで、リンたちには家に近づいて欲しくなかった。
「もしもし、リンか?」
『レンー? どうしたの、もう帰るよ』
「帰ってくんな」
『……は?』
リンの声が低くなった。何を怒ってるんだ、と思って、自分の言い方が悪過ぎることに気付いて慌てる。背後でKAITOたちが笑う声が聞こえた。
「じゃなくて……今、家の近くに変な奴がいるんだよ!」
『変な奴? 何それ、ストーカー?』
「みたいなもん!」
『誰のー? お兄ちゃんに捕まえてもらえばいいじゃん』
「だから捕まえるまで帰ってくんなっての」
『えー、でももう着くし』
「は?」
「……声が聞こえるぞ」
レンは思わず耳から受話器を話した。いつの間にかすぐ後ろに立っていたがくぽが、外を見つめてぽつりと言う。
着くって……家の前かよ!?
「きゃああああああ!」
「リンちゃんっ!」
その瞬間、リンの悲鳴と、ミクの叫びが受話器と、外と、両方から響く。
「リンっ!」
受話器を叩きつけるように置いてレンは飛び出した。靴も履かずに扉を開け、倒れたリンと……その側に妙な構えで立つ、ピンクの髪の女を見た。
「……お前っ!」
女は無表情にどこかを見つめている。その無関心さにも怒りが煽られ、殴るつもりで一歩前に出た。それを後ろから止めたのはがくぽだった。
「何だよっ!」
「……よく見ろ」
「は?」
両腕を押さえられ、イラついたまま視線を動かす。倒れたリン、側に立つ女、後ろにミク。そして……女の視線の先に、もう1人、倒れている男を見つけた。
女と男を同時に視界に入れることで気付く。女が、おそらく男に攻撃を仕掛けた。変な構えは攻撃後のポーズか。
「お前……」
「レン! そいつ! そいつ屋根の上に居たの! そいつがストーカーでし
ょ!」
一瞬時が止まったあと、はっとしたように顔を上げたのはリンだった。立ち上がり、指差す先は倒れた男。男もそこで漸く体を起こし、全員の視線が集まっているのに気付き、慌てる。だがそこは家と塀の間。すぐには逃げられない。
きょろきょろと慌てた表情をした男は、そのまま塀に飛びつく。乗り越えて逃げるつもりだ。
「待てっ!」
走ってその腰にしがみつく。引きずり下ろそうとしたが、意外に力が強い。体重の軽いレンでは駄目だ。
「おい、がくぽ手伝…」
「……逃がさない」
そのとき聞き慣れない低い声と共に男の顔面に蹴りが入った。
レンのしがみついていた男の力が一気に抜ける。
呆然として、倒れてきた男を避けることも忘れた。
深くスリットの入ったスカートで、塀にしがみつく男の顔面まで足を振り上げた女は、やはり無表情のままだった。
「ホントにルカだったんだ」
「もー、まさかと思ったじゃないのよ」
「ごめんなさい……」
男を警察に突き出したあと、女はそのままごく普通に家の中に入ってきた。あまりに当たり前のような動作に、レンもつい突っ込むのを忘れた。リンを助けて、男を捕らえてくれた人だ。ひとまずは感謝をしたいというのもあったが。
「……ちょっと待て、お前ら知ってたのか?」
リビングに集まった面々。6人分のソファに全員がいつものように座り、ルカは一人床に居た。こういうときは客人を優先するべきではないかと思うが、客なのか何なのかよくわからないのでレンも黙っている。ルカは途中で、テーブルの上に放置されたタコのぬいぐるみを少し悲しげに見て、その手に抱いていた。
「もうすぐ来るって連絡はあったんだけどさ……その連絡入ってからもう半年ぐらい経ってるんだよね」
「はあ!?」
それを気にした様子もなく、レンの疑問に答えたのはKAITO。MEIKO以外の全員が、驚きの表情になった。
「何やってたのよ。事故にでもあったのかと思ってたのよ」
床に座るルカはきっちり足をそろえた正座の状態で、MEIKOたちの正面に居る。この威圧感は少し可哀想だと思う。
「ねーちょっと、だから誰なの! ルカでいいの?」
相変わらずリンはレンの言いたいことを直球で尋ねてくれる。
「ねえ……ひょっとしてVOCALOID?」
「おお、私たちの仲間か」
続いたミクとがくぽの言葉に、MEIKOは頷いた。それを確認して、レンは一気に力が抜けるのを感じる。
ストーカーだの、盗聴器だの。まだまだ警戒する存在ではあったのだ。
「何でおれたちに言わないんだよ」
「来たら紹介しようと思ったのに来ないんだもん」
MEIKOは少し拗ねたような口調だった。責められる筋合いはないと思っているのだろう。レンはKAITOに矛先を変える。
「おれが会ったのがルカ…ルカ? だって気付いてたのか?」
ルカが顔を上げる。そうだ、そういえばルカはレンに対して反応を示していた気がする。ならば、知っているのか。
「いや? 外見知らなかったし。ただ声は電話で聞いててね。さっき聞こえてきてびっくりしたんだよ」
そういうことか。
MEIKOとKAITOも、リンの悲鳴で外に向かってはいたが、玄関付近に立ったレンとがくぽが邪魔で飛び出せなかったのだろう。ルカの外見よりも、先に声を聞いたのか。
「で、何でこんなに遅れたの?」
ソファの上から見下ろすMEIKOは、やっぱり威圧感がある。
だがルカはそれ自体は気にした様子もなく、見上げた目線で言った。
「いい匂いがしたの……」
「……は?」
「……その匂いのもとを追ってたら、海まで来てて、漁船に乗せて貰ってごちそうしてもらって……」
それを三ヶ月ぐらい、とルカは淡々と答えた。
全員さすがに唖然とする。
「何一人で危ないことしてんのよ!」
「三ヶ月は凄いな」
「海にはネギないのに…」
「あはは、行動的だねー」
「しかし約束があるのにその行動は間違っているぞ」
それぞれが微妙にずれた観点で突っ込んでいる。レンは更に聞いた。
「……で、その後は?」
「住所を書いた紙をなくして、ひたすら歩いてたら……綺麗な歌が聞こえ
たの」
そこでようやくルカが笑顔を見せる。
ぎゅっ、とタコのぬいぐるみを抱きしめていた。
「もっと聞きたいって思って。毎日いろんな場所からそれを聞いてたの。でも段々、周りの人に、何してるのかとか警察呼ぶよ、とか言われて……」
少し、悲しげにその顔が歪む。
「家に近づかなければいいんだって思ったの!」
顔が輝いた。
近所の人が見た怪しい人物。てっきり先ほど警察に連れて行かれた男のことかと思っていたが。こっちもこっちで怪しい行動は繰り返していたようだ。
レンは何となく、ルカの抱くぬいぐるみに目をやる。
「私のお気に入りのぬいぐるみなら、気に入ってもらえると思ったんだけ
ど……」
裏側に入った亀裂。盗聴器を出すためのものだ。
「うんっ、そのぬいぐるみ可愛かったよ」
ミクは多分フォローのつもりもなく、思ったままを言っている。
「ミク姉、またずれてるよー」
リンの軽い突っ込みが入り、そこでようやくMEIKOが深いため息をつく。
「つまり……そもそもここが目的の家だってことも気付いてなかったのね?」
MEIKOの言葉に、ルカはきょとんとしてMEIKOを見上げる。
しばらく沈黙したあと、突然気付いたような大声を出し、立ち上がった。
「MEIKO姉さん、KAITO兄さん! それから……ミク、リン、レン、がくぽ。巡音ルカ、ただいま到着しましたっ!」
『遅い!』
レンが言葉にするまでもなく、MEIKOとKAITOの突っ込みが重なった。
そのまま笑って歓迎ムードへと移行する。
ああ……またボケが増えたんだな。
唯一の突っ込みを自覚するレンは、頭を抱えつつも、何となく笑いが浮かんでいた。
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