最初

 ぱきん。
「あ」
「あーっ、またやったの!?」
「…………」
 音を聞きつけたMEIKOの叫びが台所中に響く。
 KAITOは何も言えず割れた皿を見下ろした。泡だらけの右手と左手に、きっちり半分に割れた皿。なかなか落ちない汚れがあって、ちょっと力を入れた結果がこれだ。
 KAITOの後ろまでやってきたMEIKOを何とかごまかせないかな、と考えながらとりあえずそのままあわせてみた。本当に綺麗に割れたようで、隙間なくぴったりと元の形に戻る。とはいえ、一本真っ直ぐに入った亀裂はごまかしようもない。泡で大部分隠れてはいるが……無理か。
「あー、もう。ほら、よこしなさい」
 覗きこんできたMEIKOがKAITOの手から割れた皿を奪ってため息をつく。KAITOはスポンジを握ったまま、そこを少し避けた。MEIKOが水を出してざっと泡を取る。
「……ホント綺麗に割れるもんねぇ。どうなってんの、あんたの力は」
「姉さんよりはあるよ」
「わかってるわよ、そんなこと! 加減できないのかって言ってるの」
「言ってないと思うけど」
「あーっ、もう! 空気読みなさいよ!」
 MEIKOは怒ってるようにそのままそこから去っていった。割れた皿を包む新聞でも取りに行ったのだろう。いつものことなのでKAITOはそれ以上は気にしない。
 食器洗いの続きでもするかと今度はコップを手に取った。洗っているとしばらくしてMEIKOが後ろからその腕を掴んでくる。
「……何?」
「もう、あんたそれやんなくていいから」
「え? でも当番制でしょ」
「どうせなら分担した方が効率いいわよ。あんたには力仕事任せるから、こっち は私」
 言い終わらない内にMEIKOはスポンジを奪い、肩で軽くKAITOを押し出して洗い物を続ける。仕方なく、KAITOは横から手を伸ばして自分の手だけ洗い、その場を退いた。
 力のある設定の自分。加減も出来るはずなのだが、いまいち具合がわからない。同じようなものに、同じだけの力を入れても壊れるものと壊れないものがある。
 経験して、覚えていくしかないと思うのだが、それすらも許されないのだろう か。
 MEIKOの後ろで台所の椅子に座り、その姿をぼうっと見つめる。
 MEIKOは振り向かないまま、KAITOに話しかけてきた。
「KAITOー」
「何?」
「皿ぐらいならね。買い直せば済むことなんだけど。壊れたら取り返しのつかないものってのも世の中には多いのよ」
「……うん」
「あなたの周りにあるものは全部とてももろくて壊れやすい、慎重に触れなきゃならないものだと思ってなさい」
「うん……?」
 微妙に疑問系になりながらもKAITOは頷く。
 何となく、椅子の背を握ってみた。
 力を入れればきっと壊れるだろう。
 やっぱり試してみないとわからないよなぁ。
 そう思うKAITOの心を知ってか知らずか、MEIKOが続ける。
「特に人とか……生き物はね。アンドロイドもそうよ」
「アンドロイドは直せるだろ」
「あんた私を壊しちゃってもそう思うの?」
 そこで初めてMEIKOが振り向いた。
 真剣な眼差しに一瞬言葉に詰まる。
「……いや」
 それは、駄目だ。
 想像もしたくない範囲だ。
「……気を付ける」
「頼むわよ」
 MEIKOは少し笑って、また洗い物に戻る。
 KAITOはそれを最後までずっと眺めていた。





「というわけで、」
「ちょっと待って! そんな理由でKAITO兄ィだけ皿洗い免除なの!?」
「まあ、そんなこったろうとは思ったけどな」
「ずるーい、私だってちゃんと割らないよう気をつけてやってるのに! っていうか私だって割ったことあるのに! 私も免除されてもいいんじゃない!?」
 リンが自慢にならないことを大声で宣言してKAITOの襟元を掴む。レンはそれにからかうような口調を向けた。
「じゃあお前力仕事やんのか?」
「う……うーん……そっちの方がいいかなぁ」
 ソファに座って話していたKAITOをリンとミクが挟んでいる。レンはソファの後ろ、リンの横から顔を出していた。リンが悩むように腕組みをしたのを見て、KAITOは困った顔をする。
「えー、でもリンがやったらおれの仕事なくなっちゃうし。皿洗いは毎日ある しね」
「力仕事って何やってんだよ、掃除やってんのは知ってるけど」
「だから掃除だよ。力仕事でしょ?」
「まあタンス動かして掃除してる奴はあんまり居ないと思うけど」
「あー、最初見たときはびっくりしたなぁ。あれが普通かと思ったもん。ねえ、ミク姉も思ったよね?」
「え? あ、うん。お兄ちゃん凄いなーって」
「ずれてるずれてる」
 急に振られてそんな答えを返すミクにレンも笑う。そういえば、そもそも何故こんな話が始まったのだったか。
「今でも皿洗い出来ないの?」
「出来ないってことはないと思うけどなぁ。……今なら割らないとは……思うけ ど……ほら、そこは役割分担でしょ?」
 途中途中挟まれる空白がそのまま自信のなさを表している。KAITOは歌の面では器用だが、生活面は決してそうとも言えない。性格がいい加減だからか、基本的に大雑把なのだ。
「でもやっぱりKAITO兄ィだけやらないのは不公平だなー。皿洗いって大変なんだよ? ご飯粒とかなかなか取れないんだから!」
「それは食べてすぐ水に浸けないのが悪いだろ」
「レン、どっちの味方!?」
「この件に関してはおれはお前の方に言いたいぞ。食べ終わったら食器は水に浸 けろ」
「わかってるよー。でも何か、話してたら忘れちゃうっていうか」
「浸けろ」
「……ごめんなさい」
 俯いてソファに手を付き謝罪の言葉を述べるリン。あまり真剣みはないが多分わかってはくれているはず。
「でもそうだよね、あまり力入れずに洗えるならいいんだけど」
「KAITO兄ィってそもそも力どれくらいあるの? 皿ぐらいだったら私らだって割れるしねー」
「おれは割ったことない」
「割ることは出来るでしょ!」
「うーん……おれの場合加減の問題みたいだから」
「あ、じゃあさ、はい」
「ん?」
 リンがKAITOに向けて右手を差し出す。首を傾げるKAITOの右手を取って、握手のように持ち上げた。
「何? リン」
「握ってみて」
「ええ?」
「はい、握手ー」
 リンが力をこめるのが見える。KAITOは戸惑った顔のまま、力を入れる様子はない。本当に力を入れたら……壊されるんじゃないだろうか。
 レンは反射的に2人の手を掴んだ。リンの力が抜ける。
「やめろ、そういうのは。兄……兄ちゃん困るだろ」
 上手く言い訳できなくて結局そんな言葉が出た。KAITOがほっとする顔が見える。リンはすぐさま標的をレンに変えてきた。
「何よー、そう簡単に壊れないでしょ私たちは。握力測るぐらいだって」
「軽々と利き手預けんな。それはー……ほら、戦士の誓いだ」
「レン何言ってんの」
「いや……」
 混乱するとおかしな方向に思考が飛ぶ。しまった、と思ったが直ぐにKAITOがフォローを入れてきた。
「利き手は全ての動きの基本だから。大事にしろってこと。手は万一壊れたら修理にも時間かかるよ。そんなものを試しに、なんて使っちゃ駄目」
「うー……」
 言ってることは大したことではないが、KAITOの真剣な目にはリンもレンも弱い。KAITOはわかって使い分けてるようなぁ、とレンはその目を軽く睨む。笑い返さ れた。
「じゃあ、何か壊れてもいいもので! そうだ、ちょうど私の部屋に拾ってきた鉄パイプがあるんだけど」
「ちょっと待てお前!」
 リンがKAITOの右袖を引いて立ち上がった。リンの言葉に思い切り突っ込みを入れながらレンもその後を追う。リンの部屋、はレンの部屋でもある。一体何を持ち込んでるのだ、っていうかどこでそんなもの手に入れたんだ!
 KAITOもさすがに驚いているが、レンほどこういう事態への突っ込みに慣れてない。どたどたと2階へ向かいながら、本当に、何でこんなことになってるんだっけ、とレンはまとまらない頭で考えていた。





「あら?」
「あ、お帰りお姉ちゃん」
「ミクだけ?」
「みんな2階行っちゃった」
 KAITOたちとほぼ入れ違いで、MEIKOが帰宅する。
 リビングでKAITOたちと話していたミクは、いつの間にか置き去りにされてしまった。そもそもはミクが振った話だったのに。
「どうかした?」
 ミクの何か言いたげな顔に気付いたのだろう。MEIKOがミクの隣に座る。ミクは先ほどKAITOがした話を繰り返した。そもそも、MEIKOも知っている話なのだが。
「……何でそんな話になったの?」
 元々、皿洗いがどうのという話ではない。
 今になってそこを突っ込みたくなったわけでもない。
 ミクはそもそものきっかけを話そうとするが、何故か上手く言葉にならない。
「あの……ね」
「うん?」
 何だろう。妙に恥ずかしい。
「お兄ちゃんは、私を抱かないなぁって」
「……はあ!?」
「あの! 私が抱きついても! 抱き返してくれないの!」
 MEIKOの反応に驚いて慌てて言葉を繋げる。MEIKOはしばらく固まっていたが、ようやく納得したように頷いた。
「あー……そうね。それは……そうだわね」
「それで、何で、って聞いたら……昔の話されて」
「理由はわかったの?」
「…………」
 うん、と小さく呟いたが声にはならなかったかもしれない。代わりに微かに頷く。MEIKOには伝わったようだった。
「私を……壊さないため」
 MEIKOが笑った。
「まあ、直接言えばそうだわね。特にミクの扱いには注意したもの。私たちのバージョンより更に体は弱くなってるって聞いたしね」
「そうなの」
「実際どんなものかは知らないわよ。自分たちの体のことだってよく知らないし。そうか……じゃあ、いまだに自信がないのかしらね」
 MEIKOがソファに体を預けため息をつくように言う。
「そろそろ柔らかく抱きしめることぐらい出来てもいい頃なのに」
 それは独り言のようだった。ミクもMEIKOから視線をそらし、宙を見上げて言う。
「……駄目なのかなぁ」
「仕方ないわよ。試してみて、駄目だった、じゃ済まされないんだから」
「……壊れても、直せば」
「ミク、そういう考え方してると怒るわよ。お金もかかるし、一度修理したところが完璧に前と同じになるとは限らないんだから」
「……うん」
 それでも、試すためだけでいいから、抱きしめてもらいたいなぁと思って、ふとミクはMEIKOを見上げる。
「……お姉ちゃんは」
「ん?」
「私たち、抱きしめるよね」
「当然でしょ。私は加減をわかってるし」
「抱きしめて」
「何甘えてんのよ」
 MEIKOは苦笑しながらも、両手を広げたミクを抱きしめた。ぎゅっ、と確かな力がこもる。この胸の圧迫感だけは、兄にはないなぁと思う。
「ねえ。この感じ……お兄ちゃんに伝えられないの?」
「この感じ?」
「うん、この感じ」
 この感じ。この加減。
 これぐらいの力で抱きしめればいいと、伝わらないのだろうか。
 そう思っているとMEIKOの力が少し抜けた。顔を上げると、目を丸くしてミクを見てくるMEIKOの顔。
「その手があったか」
「え?」
「待ってなさい。今すぐ教えてきてあげるわ!」
 MEIKOがするりとミクから離れて拳を振り上げる。
 伝わったらしい。
 もうちょっと抱きしめていて欲しかったが、それでも嬉しい。ミクも一緒になって立ち上がった。
「2階にいるのね? KAITOの部屋?」
「多分リンちゃんの部屋!」
「わかった」
「待って、私も行く!」
 2階へ向かうMEIKOの後を慌てて追う。
 だって、今教えたら、KAITOが最初に抱きしめるのはリンかレンになりそうだ。
 3番目として。兄の次として。
 最初だけは譲れない。


 

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