その価値観

「……あれ?」
「どうしたミク」
 突然足を止めたミクに、レンが振り返って聞いてくる。
 アンドロイド販売店への苦情処理の仕事帰り。歩いて帰ろうとワガママを言ったミクの言葉を聞いて全員でぞろぞろと店に向かっている。ちょうど昼時で、道路は少し混んでいた。ミクたちの歩く歩道の横を車がひっきりなしに通っている。
「あそこ、誰か……」
「ん?」
 車道を挟んだところに見えるビルとビルの間、薄暗い通路の壁にもたれかかるように座り込んで居る女性が居た。
「あれは……アンドロイドかな?」
 ぴくりとも動かない様子に不安になっていると、後ろからKAITOが声をかけてくる。驚いてKAITOを見ると、「いや、わかんないけど」と笑いながら返された。
「人間だとしたら死んでるんじゃないのあれ」
 正直人間がするには少し苦しそうな体勢だ。MEIKOの言葉にミクも頷く。
「アンドロイドだとしてもおかしくない?」
 リンがミクの腕にすがりつくながら言ってくる。
 全く動いていない。
 ミクたちは顔を見合わせ、誰からともなくそこに向かうため横断歩道で立ち止まった。
「まさか不法投棄とか」
 信号が変わり、視界から消えた人影を思ってミクは思わず言う。
「……まあ可能性はなくはないけど」
 もしそうなら厄介なことになるなぁ。
 呟きながらKAITOが難しそうな顔で考え込んでいる。
 やがて5人は、問題の路地へと着いた。
「あの……」
 近くで見てはっきりと感じる。鼓動がない。アンドロイドだ。
「……動いてないわね」
 女性の前に座り込んだMEIKOが手を当てる。アンドロイドは全く反応しなかった。
「な、何してるっ!」
 そこへ突然上擦った男の声が聞こえてきた。通路を塞ぐ形になっていたリンとレンを払いのけるようにして女性の下へ向かう。
「ちょっと……」
「触るな!」
 コンビニ袋を提げた右手でMEIKOの手を振り払う。一瞬むっとしたMEIKOだったが、大人しくその場から後退する。
「……その子、あんたのアンドロイド?」
「……?」
 MEIKOの呼びかけに男は一瞬不思議そうな顔をした。だがそのあと必死で頷 く。
「そ、そうだ、ぼくのだ。だから、触るな」
「機能停止してるみたいだけど……故障? 充電切れ?」
「関係ないだろ、あんたたちには!」
「そりゃ関係あるのはあんただけどね。自分のものならちゃんと整備しなさい よ」
「そーだよ、定期健診いつ? 直しとかないと回収されちゃうよー」
 リンが口を挟んだ。
 男が唇をかんで俯く。
 アンドロイドの点検、整備は所有者の義務だ。それが出来ないものは所有の資格を失う。アンドロイドは便利な道具であると同時、きちんとした整備をしないと「危険」と判断されるものなのだ。
 黙ってしまった男にミクが戸惑っていると後ろからそっと肩に手を置かれる。KAITOだ。
 促されるように道を開けて、KAITOが男の前に座り込むのをじっと見る。男はびくびくとKAITOを見上げながらも、しっかりと動かない女性アンドロイドを抱きしめていた。
「10年前の型ですね。定期健診の期限がちょうど一年前。催促通知も無視して家から所有者と共に消えていた……」
 KAITOが淡々と述べる中、男が驚いたように目を見開いていく。最後に、KAITOが男の名前を呼んだ。
「…………」
「私の店のアンドロイドです。その様子だと一年以上機能していないようですね。点検、修理はこちらで行えますが」
「ま……い、嫌だ、待て」
 男が女性を抱きしめる腕に力をこめる。そのままずりずりとKAITOから逃れるように動いた。
「か、金がないんだ。今、今稼いでるから……!」
「? でしたら、それまで停止状態で構いませんよ? しかし自分の身もあなたの身も守れない状態で連れ回すのはあまり」
 良くない、と言いかけたKAITOの言葉に男が慌てたような声を出した。
「え、い、いいのか?」
「はい? 何がですか?」
「……金、ないけど。一緒にいて……いいのか?」
「機能停止させての所有ならば問題ありません。あなたのものでしょう?」
 男はぽかんとしてKAITOを見る。
 ミクも思わず男の前に座り込んで言った。
「ずっと起動させとく場合は駄目だよ、点検が受けられない状態で動いてるアンドロイドは危ないんだから」
「爆発するって聞いた!」
「……まあ過去に一件だけそんなこともあったけど」
「あれは特殊な例じゃね? そもそもの異常が」
 わいわい話し始めるミクたちを、男は表情を変えずに眺めている。やがてはっとしたようにKAITOを見た。
「……催促……通知とか、無視して」
「ええ。ですから探していたんですよ。機能停止しているのならば問題ありません。ただ……ボディの損傷も激しそうですね。かなり重量のある型ですし、今後再起動の予定があるのでしたら家に置くか、車等で運ばれた方がよろしいかと思いますが」
「…………」
 男はしばらくKAITOを見つめていたが、やがてわかった、と小さく呟いた。
 男は立ち上がると、慣れた手つきで停止したアンドロイドを背負う。
「お運びしましょうか?」
「……いい。……こいつと居る方がいい……」
 ふらついた足取りで男は路地を抜けていった。何となくそれを見守る。力の抜けたアンドロイドは随分重いだろうに。
「何だあいつ、金なかったら自分のもん取られるとでも思ったのか?」
「そうだねー。でもあのアンドロイドのこと好きなんだよね。いいなー。ちゃんとお金稼いで再会とかさ! いいなー!」
 呆れた声を出したレンに対し、リンは何だか盛り上がっている。ミクもリンの方に同意した。
「私も売られるならああいう人がいい! ずっと大事にしてくれそうだし!」
「大事にしてねえだろ、あれ。ぼろぼろじゃんか」
「それはお金がないからでしょ!」
「そうだよ、逃げてたんなら仕方ないよ!」
 リンとミクに同時に責められてレンが体を引く。それを笑っていたMEIKOが、ふとKAITOを見た。
「……KAITO」
「…………」
 KAITOはじっと男が去って行った方向を見ている。だけど目には何も映ってないように見えた。
「……えと、何?」
 やがてすっと目の色を戻してKAITOが振り向く。微笑むその顔に、先ほどまではおそらく情報検索中だったのだろうと検討をつけた。MEIKOがそんなKAITOの腕を取る。
「白状しなさい。今の男、何」
「さっき聞いた通りだと思うけど」
「10年前の型って言ってたけど。購入は何年前」
「……10年前、かな。新型をそのまま買って行ったよ」
「MEIKOさんどうしたの」
 何だか怖い顔をしているMEIKOにミクは気になって近づく。いつの間にかリンとレンもそちらを見ていた。
「ミク。ついでにリンとレンも。あの男、何歳に見えた?」
「え……」
「えーと……」
 男の顔を思い出す。髪も服も汚れていた。髭が少しまばらに生えていたがまだ若そうで……。
「高校生ぐらいに見えた」
「20歳前後じゃねぇの?」
「大学生か……それぐらい」
 それぞれが答える。そして同時に気付く。
 10年前。どれだけ上に見積もっても、まだ中学生ではないか。
「え、じゃああのアンドロイド、あの人のじゃないの!?」
「は? でもKAITO覚えてるんだろ? 名前も呼んだよな?」
「ちょっとちょっとどういうこと!」
 まさか盗んだものだとでも言うのか。だったら何故それを知って黙って行かせたのか。
 焦って詰め寄ったミクたちだったが、KAITOはその剣幕に驚いたように目を見開いて、しばらくして苦笑して言った。
「購入者の息子だよ。あの子も店に来たから覚えてるよ。両親が事故で亡くなっててね。一応アンドロイドは遺産扱いで相続されてるし、本人に所有の意思があるんならいいんだけど、その確認も本人居なくなってなかなか出来なくてねー」
 見付かって良かった、とKAITOは笑う。
 なんだ、とミクも思わず肩を落とした。
「帰ったら主任に言っとこう。問題一つ解決だね。主任喜ぶよ」
 そう言うKAITOも何だか機嫌が良さそうだった。ミクは頷いてその後を小走りについてくる。MEIKOたちも、少し離れて後に続いた。





「どうなんだろうな」
「何がー」
「お前、あれ嬉しいのか?」
 閉店時間が過ぎてのいつもの店内。
 考え事をしていたレンは本を持ってくるのを忘れたらしく、椅子の背もたれを抱くようにしてソファに座ったリンを見ていた。寝ようと思っていたミクも、そのやり取りに思わず体を起こす。
「嬉しいんじゃない。レンは嬉しくないの?」
「嬉しいも何も機能停止してるんじゃわかんねぇだろ」
「だから! 起きたときの感動が凄いんじゃん!」
 ね、ミク? とリンがばっと視線をミクに向けた。ミクは慌てて頷きながらも、でも、と付け加える。
「どうせなら……動いてる方がいいかな。あんなに大変そうなのに、助けられないって辛いかも」
 維持にはお金がかかるから仕方ないけれど。ミクが節約料理を作って歌で癒して、それでその代金にはならないだろうか。
 いくらかかるだろう、と頭の中で思わずシミュレーションする。が、金額換算できるものでもない。
「あーそういう考え方もあるかー。あの人はどうなんだろうね」
「どう思ったとしても所有者が喜ぶこと言うんじゃねぇの。起きてから寝てる間助けられなくて辛かったなんて言えねぇしな」
「っていうか停止してる間とか何も考えられないじゃん」
「だから、後から思ったって無駄だってことだろ」
 それはそうか。
 機能停止しないで欲しかった、なんて言えるわけがない。それはアンドロイド個人の「ワガママ」だと思う。
 動かなかったアンドロイド。スリープモードとは違う、完全な機能の停止。その間、積み重なるのは体の傷だけだ。記憶は停止から再起動へ直結する。種類にもよるが、起きてすぐなら時間が飛んだ認識も出来ないだろう。
「一年以上停止されてるってことは……起きたらちょっと成長したマスターが居るんだよね」
「だよねー。あれぐらいの年なら一年で結構変わるよね」
 いつも通りに起動したつもりが、目の前には明らかに月日を重ねた所有者の姿。
 何を思うか、上手く想像も出来ない。
「盛り上がってるー?」
「あ、MEIKOさん」
「何でこっち来てんだよ」
 いつもは違う場所に居るMEIKOだが、一緒に行動することが多くなってからMEIKOはよくミクたちの売り場に来るようになった。スリープモードは所定の場所でしないと怒られるのだが。MEIKOはあまり懲りてない。
「今日会った男の話なんだけどね。機能停止したアンドロイド連れてた」
「あ、ちょうど今話してた」
「あれね。ちょっと厄介そうよ」
「え?」
 MEIKOが声を潜めてミクの隣に座る。全員が思わずMEIKOを凝視した。
 MEIKOは少し辺りを気にするように見回して、更に声を潜める。
「KAITOもちょっと気にしてたんだけどね。メモリが破損してるかもしれないって」
「えっ」
 思わず驚いた声が出て慌てて口を押さえる。どうせ今の時間、他のアンドロイドたちはほぼスリープモードに入っているのだが。
「ってことは記憶ないのか?」
「わかんないわよ。まだ詳しくは調べてないんだし」
 機能停止しようがボディが破損しようが、メモリが残っていれば記憶は戻る。そして多くの場合一番大切なのはそこだ。
 ミクたちは顔を見合わせて黙り込んだ。
 記憶がない。積み重ねてきたものがない。そして1度失われると、もう2度と戻らない。
「大丈夫……だよね?」
 ぼそっと言ったのはリンだった。
「ん?」
 MEIKOがそれに反応する。
「……壊れてても……直したら使ってくれるよね?」
「……どうだろうな」
 あの男性が求めていたのは、自分とずっと一緒に居たアンドロイド、のはずだ。全く別人でいいのなら、あのアンドロイドにこだわってるはずがない。
「さあねぇ。人間ってのはいろいろ複雑だからね。外見だけでも同じなら慰めになるって奴もいるし」
 MEIKOはちらりとリンを見る。
 リンは1度、亡くなった娘の代わりに、と買われたことがある。
「……そろそろKAITOが来る頃かしらね」
 再び沈黙が落ちた場で、MEIKOが言う。その言葉通り、KAITOの足音が聞こえてきた。
「まあ私たちに出来るのは、あの男の子が悲しまない結果になることを祈ることだけよ」
 ひらひらと手を振りながらMEIKOが帰っていく。ミクたちもごぞごぞと寝る体勢に移行する。
 KAITOの顔は見たくなくて、目を瞑ると同時に、ミクはスリープモードへと入っていった。





「駄目だったの?」
「うわっ」
 翌朝。
 主任と話していたKAITOに、リンがこっそりと近づいてきた。全く気付いていなかったKAITOが大げさな反応をするが、リンはそれには触れず真剣な目でKAITOを見ている。KAITOたちが話していたのは、当然昨日の男のことだった。
「……まだわからないよ。調査費用を今出せるかどうかもわからないしね」
 本当は、この店で購入したものであればそれぐらいの調査は無料でやれる。既に調査員は向かっている。だけど、今日結果がわかると言ってしまえば、聞かれてしまう。悪い結果だった場合、どう答えればいいかKAITOにはわからなかっ た。
「ただ……」
「何?」
「……いや、あ、ごめん、ちょっと呼ばれてるから」
 リンが来たときに離れた主任が呼ぶ。KAITOはほっとしてそちらに駆けて行った。リンが不満そうな声を出しているのには気付かない振りをする。
「あの人、何て言ってたのー!」
 リンが店内に響くような声を出して、思わず振り返りそうになったが。
 メモリの破損の可能性。
 そして、今日の調査に対する言葉。
 もし、記憶が壊れていても、もう1度会うと言っていた。
 機能に問題はないと伝えたからかと思ったが、もし機能が使えなくなっていても同じだと。
「……主任」
 前を歩く主任に声をかける。既に店内から事務所へと向かっていた。主任は振り返りもせずに唸りのような返事だけ上げる。
「アンドロイドの価値って何なんでしょうね」
 記憶でも、機能でもないのだろうか。
 KAITOはたまにわからなくなる。人間が、自分たちに何を求めているのか を。
 だから、はっきりした役割のあるここが好きなのかもしれない。
「人間は難しいです」
 独り言のように続きを呟く。
 アンドロイドだって変わらない、といやにはっきりとした返事が聞こえた。
 KAITOは思わず足を止める。主任は、やはり振り返らず歩き続けていた。


 

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