すれ違う思惑

「あなたと2人〜楽しかったね〜♪ いつも笑っていたねー♪」
 切ない歌を妙に楽しげに歌いながらミクは台所の床に座り込んでいた。そろそろ風も冷たくなる季節だがミクに寒さは関係ない。素足に伝わる温度も楽しみながら1本、2本、とネギを手に取る。ミク専用のダンボールに詰められたそれは、ファンからの贈り物であったり、自分自身が買ってきたものであったり、様々だ。ネギを包んだ新聞紙を開く瞬間がミクは大好きだ。
 毎日毎日丁寧に取り出し、丁寧に包む。佳境に入った歌とともにミクの気持ちも盛り上がる。
「あなたもとけて消えてくー」
 一際大きな声が台所に響き渡ったあと、ミクはぴたりと歌を止めた。
「………?」
 1本。2本。3本。
 毎日見ているネギ。
 いつ何を消費したか。どれが増えたか。ちゃんと覚えている。
 なのに。確かに。
「……1本足りない……」
 16歳アイドルには似つかわしくない低い声が、ミクの口から漏れた。





 台所から異様な気配を感じ取り、レンは足を止めた。
「………?」
 それほどの広さはないその部屋の中。入り口付近から見渡す限り、誰の姿も見当たらない。気のせいか、とそのまま足を進め、机の影が視界に入ったところでレンは思わず悲鳴を上げた。ミクが、俯いて、蹲っている。
 どうしたのかと心配するべきところかもしれない。まずは駆け寄るべきかもしれない。だが本能的にレンはその場から後ずさっていた。
「み……ミク姉?」
 それでも何とか声を振り絞る。ミクがのろのろと顔を上げるが、その表情を見るのが何となく怖い。顔をそらしたレンに、ミクの声だけが響いてきた。
「レンくん……レンくん、知ってる?」
「な、何を」
「このネギ……」
 そこでようやくレンはミクの手に握られたものに気付いた。持っていることが自然過ぎて普段は意識すらしない、ミクの好物ネギ。ネギに何かあるのか、と思うがわからない。会話をしたことで少し落ち着いて、レンはミクの側に座り込んだ。
「ネギ? ネギがどうかしたのか?」
「1本足りないの……」
 何でそんなことに気付けるんだ。
 一瞬頭を過ぎったツッコミも、声には出さない。これだけ買い溜めてると1本2本はわからなくなりそうなものだだが。ミクは歌のことに関してはやたら記憶がいいというのが兄弟内の常識だけど、それにネギも加えるべきのようだ。まあ好きなものに関しては覚えがよいというこだろう。アンドロイドがそれでいいのかどうかはわからな いが。
「足りないってちゃんと確認……はしてるよな、ないっていうんだからないんだよな」
 早口になってしまった言葉にミクは特に突っ込んで来ない。ただじっとレンを見つめているのは、犯人かどうか疑っているのか、それとも犯人を探してくれという願いか。
「……最後に確認したのはいつ?」
「今日の朝」
「今日の全員のスケジュールは……」
 レンがリビングへと目をやる。ここからは見えないが、リビングにかけられたカレンダーには全員分のその日の予定が書いてある。立ち上がって確認に行くとミクも付いてきた。
「KAITO兄ィとリンは午前で仕事終わり、MEIKO姉は夜からか…」
 現在午後4時。レンは仕事が終わって帰ってきたばかりだった。リビングには誰の姿も見えない。まだ2階には行ってないが、全員居るのだろうか。
「……行くよ、レンくん」
 ミクは片手にネギを持ったまま2階へと向かった。
 犯人はこの中に居る。
 そんな台詞が頭の中に浮かんだ。





「わっ、が、がくぽ!?」
「……何やってんのMEIKO姉」
 2階に上がり、ミクがまず向かったのはKAITOの部屋だった。KAITOを疑っているのか、特に意味はないのかはわからない。ノックもせずに勢いよく扉を開けたミクに続くと、部屋の中に居たのは何故かMEIKOとがくぽだった。
 がくぽは扉の正面で仁王立ちをしており、その後ろでMEIKOがベッドの下を覗き込んでいる。
「がくぽ、来てたんだ!」
「ああ、こんにちはミク」
「こんにちはー」
 ミクが状況も忘れて笑顔になる。こういうとき、ミクは不機嫌を引きずらなくていいと思う。だが直ぐに少し顔を引き締め、ミクは言う。
「がくぽは……ネギ知らないよね?」
「ネギ? 持っているではないか?」
「これじゃないの。真ん中よりちょっと下ぐらいのところに小さな傷があるの」
「何で覚えてんだ」
 咄嗟のツッコミが今度は言葉になってしまった。ミクの雰囲気が少し柔らかくなったからだろうか。ミクはそれに唇を尖らせる。
「それぐらい覚えてるよ! プロデューサーの名前覚えてなくても、お金の計算間違えても、ネギのことならわかるもん!」
「………そうか」
「凄いな、ミクは」
 がくぽは笑顔で褒めている。多分純粋な気持ちだろう。確かに凄いとは思うのだが。
「……KAITOは? 居ないの?」
 そこで漸くがくぽの後ろに居たMEIKOが顔を出してきた。レンの後ろを警戒している。またMEIKOは何かやったのだろうか。KAITOの留守中に部屋を漁ってるだけで、警戒の理由は十分だが。
「居ないみたいだぞ。それより見付かったのか?」
「まだよ。っていうかあんた、見張りしてって言ってたのに中に入れちゃ駄目じゃない」
「MEIKOに近づけてはおらんぞ」
「っていうか何やってんだよお前ら」
 がくぽを見張りに立て、何かを探しているMEIKO。一応KAITOに報告した方がいいのだろうか、と考えていると先にミクが言った。
「まさか……ネギ?」
「は?」
 こちらも口を開きかけていたMEIKOが、ミクの唐突な発言にぽかんとする。
「私も今ネギ探そうとしてたとこなの! お兄ちゃんが隠してるかもしれないっ て」
「何でKAITOがネギ隠すのよ」
「何か……何か悪いことしちゃったとか……お兄ちゃん、怒るとお姉ちゃんのお酒隠したりするし……」
 それはMEIKOの酒癖の悪さが原因だが。
 「罰」として機能していることも確かなのでそれは言わないでおく。
「あんた、KAITOに怒られるようなことやったの?」
「やってないよ!」
「じゃあ大丈夫でしょ。大体さっきから部屋の中見てるけどネギなんかなかったわよ? まあ細切れにされてたらわかんないけど」
「細切れ……」
 ミクの顔が青くなった気がした。
 不安がらせたのに気付いたのかMEIKOも慌てて言う。
「大丈夫だって。そんなことする理由ないでしょ」
「多分……」
 そもそもネギを盗る理由がない。それはKAITOに限らず他の兄弟にとっても、 だ。
 アイスやみかんやバナナなら、食べたいという欲求が出ることもあるだろう。KAITOがMEIKOの酒に手を出したこともある。
 だが、ネギだけは。
 ミクの好物であるという一点を除いても、誰も食べようなどとはしない。料理に入っていなくても、鍋のネギをミクに独り占めされても構わない。あえて食べたいものではないのだ。ネギは。
 なら、何故ネギはなくなったのだろう。
 そこでようやくレンはそこを考え始めた。何となく流されてここまで付いてきたが、このまま部屋の中を漁っていくのは現実的ではない。後で確実にリンにも怒られる。自分の部屋だって、あまり荒らされたくはない。
 考え込みながらふと気付くと、ミクがじっとレンの顔を見つめているのに気が付いた。
「……わかった?」
「……待て」
 期待されている。
 やっぱり、こういうとき頼られるのは自分なのだ。
 嬉しいと同時に少し焦る。時間稼ぎを兼ねて、レンはもう1度MEIKOたちの方に目を向けた。
「っていうかMEIKO姉たちは? 結局何やってたんだよ」
「言っとくけど今回悪いのはKAITOだからね? 3回遅刻したらアイス没収って言っといたのによこさないどころか、冷凍庫、鍵かけてんのよ」
 そう言ってMEIKOが視線をやった先にはKAITOの部屋に置いてある専用冷凍庫。
「……鍵探してたってことか?」
「そうよ。KAITOが居ない間にって思ってね」
「あれ? でもそういえばお兄ちゃんどこに行ったの? 仕事終わってるんだよ ね」
「KAITOならリンと一緒に買い物に行ったぞ。私はちゃんばらごっこをやるからと呼ばれてたのだが、何故か置いていかれてしまってな…」
 がくぽが少し寂しそうに自分の腰にある刀をさする。あの刀は殺傷能力はないと聞くが、ちゃんばらごっこに使うのはどうなのだろう。
 ちゃんばらごっこと言えば普通新聞紙やちらしを丸めて……。
「……あ」
 そこで、ようやくレンは答えに辿り着いた。
「鍵の場所わかった?」
 そっちかよ。
 勢いこんで聞いてきたMEIKOには、反射的にそう思うものの、とりあえずツッコミではなく曖昧な頷きを返しておいた。





「ねー、これなんかどう?」
「うーん、長さ的にはこんなもんかなぁ」
「そうだよ、ほら! 私が持ったときと一緒!」
 リンがネギを片手に振り回し始めるのを慌てて止める。
 つい先ほど、家でミクのネギを振り回し、根元近くからぽっきり折ってしまったところなのだ。ネギなんて、どうせ丸まま使うものではないのだが、ミクにとってネギはただの食べ物じゃない。折ったまま戻しておくことなど出来るはずがなか った。
「これならばれないかな」
「ミクはネギのことには鋭いからなー」
 正直KAITOはこれでミクをごまかせるとは思っていない。ばれたら素直に謝る。元のネギだって、ミクが望めば渡せるようにまだ捨ててはいない。KAITOの冷凍庫の中だ。鍵は常に肌身離さず持っているのでばれることはないだろう。凍るかもしれないが。
「……ばれたら怒られるかなぁ」
 リンはただ、姉の真似をしたかっただけだろう。
 ネギを振り回す姉の姿は、リンが生まれた当初から見続けている憧れの姿だ。まさかあんな簡単に折れてしまうとはKAITOも思わなかった。ミクはいつも力いっぱい振っているように見えていたが、実は微妙な加減があったのだろう。ミクはネギのプロだ、としみじみ思う。
「大丈夫だよ、おれも一緒に謝るから」
 リンの頭にぽんと手を置く。
 止めなかった時点で同罪でもあるし。
 ミクの怒りによっては罪をかぶる覚悟もある。そうしないとレンに蹴られる。
「じゃあ、このネギ買おう。早く帰らないとミクに気付かれちゃうよ」
「うん。あ、お金は私が払うからね!」
 嘘の苦手なリンだから、早々にばれてしまうかもしれない。
 その場合どうやって庇おうか。
 レジに向かうリンに引っ張られながらKAITOは考える。

 自宅で、既に状況を推理したレンによって、KAITOが犯人にされていることはまだ知らない。
 レンの間違った気遣いを無駄にして、結局リンが謝ってしまうことも、レンは知らない。


 

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